琅琊榜

琅琊榜西遊記 9 (『琅琊榜』)

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牛魔王編終了です。

 舞台下手から中央まで、いまの梅長蘇にとっては途方もなく遠く感じられた。
 かつての友であった牛魔王を倒して悲嘆にくれる悟空を、三蔵が慰めると言う場面である。錫杖にすがって梅長蘇はよろめきながら一歩一歩、歩みを進める。
 ひどい眩暈で気が遠くなりつつも、舞台中央でうずくまった悟空のもとへ、杖を頼りに進んだ。
 その細く果敢ない姿、窶れ果てた美しい貌、蹌踉たる足取り、全てが見るものの涙を誘った。
 ようやく舞台の中央までたどり着いた三蔵は、その場に頽れるようにして、弟子のそばへと膝をついた。
 「―――師父」
 悟空がうなだれていた顔を上げ、三蔵を見る。
 「……悟空よ、……泣くでない」
 息を切らせながら、三蔵は悟空の背中を抱いた。
 「師父―――」
 悟空が師の身体をしっかりと抱き返す。梅長蘇はぐったりと景琰の腕に身を任せた。
 「―――あれでも昔は、義兄と呼んで慕った男なのです」
 三蔵の痩せ細った身体を抱きかかえたまま、悟空が涙ながらに言った。
 「……そなたには、……わたしが、おるではないか……」
 苦しい息の下、朦朧としながらも懸命に台詞を吐く梅長蘇に、景琰は胸を熱くしていた。もうよい、黙って抱かれていよ、と言ってやりたかったが、梅長蘇は尚も台詞を口にし続けた。
 「……このように弱き身で……、そなたたちの足手まといにしかなれぬが……、それでもわたしは、そなたらの師であるのだぞ……」
 弱々しい声を聞き漏らすまいと、客席は水を打ったように静まり返っている。
 「足手まといなどと言うことがありましょうか。人の身でありながら、決して邪悪な妖怪たちに屈することのない師父は、誰よりも貴い―――」
 景琰は梅長蘇の身体を掻き抱き、ぼろぼろと涙をこぼした。どこからが三蔵と悟空で、どこまでが梅長蘇と自分であるのか、もはや景琰にも区別がつかぬのだ。
 「……そなたの優しい心根は……、牛魔王にも、いつかきっと……、通じるであろう……」
 その言葉は、自分と兄・景桓に向けられたもののようにも思えた。
 「師父!、しっかりなさってください」
 「―――悟空……」
 客席のあちこちから、すすり泣きが漏れた。
 「なんと情愛のこもった場面でありましょうな」
 言侯がそう言って皇帝を見ると、皇帝は既に滂沱の涙を流していた。その涙をふいてやりながら、越貴妃が悩まし気なため息をつく。
 「それにしても、三蔵さまはただならぬ色香でございますこと……」
 恨めし気に皇帝が越貴妃を少し睨んだ。
 舞台上では、いまだ師弟が堅く抱き合っている。
 「師父。ご安心ください。大雷音寺まで、この悟空が師父を背負ってまいりましょう!」
 そう言い放った悟空の頬へ、三蔵の薄い掌がそっと押し当てられた。
 「……悟空……、頼りに……している……」
 三蔵法師は、安堵の表情を浮かべて目を閉じた―――。



   *



 幕が引かれた舞台の真ん中で、景琰が狼狽して梅長蘇の身体を揺さぶっている。
 「蘇先生! 蘇先生! しっかりせよ!」
 力尽きて気を失った梅長蘇は、目を開ける気配すらない。
 「診せろ」
 駆け寄ってきて脈をとった藺晨が、渋い顔をした。
 「―――まずいな。すっかり心の臓が弱っている」
 景琰が梅長蘇の身体を抱いたままおろおろする。
 「わたしの舞台を成功させようと、無理を重ねたばかりに……」
 藺晨がため息をつく。
 「こやつが勝手にしたことだ。なにしろ、こやつは病弱でろくに愉しみもないゆえ、大事な靖王殿下の役に立つことだけが唯一の生き甲斐ときているからな。―――長蘇のささやかな趣味だと思えばこそ、わたしも無理に止め立てせなんだのだ。―――好きなだけ愉しんで倒れたのだから、こやつもさぞ本望であろう」
 景琰は藺晨の言葉を聞いて号泣した。
 「殿下。馬車の用意ができております」
 黎綱に促されて、景琰は泣きながら梅長蘇を抱いて立ち上がった。
 「これ、景琰。父上への挨拶はどうするのだ」
 声をかけてきた誉王に、景琰は浅く頭を下げた。
 「此度は兄上が我らを代表してご挨拶に窺ってください。兄上の牛魔王が主役のようなものなのですから」
 「なっ……」
 一瞬反論しかけたものの、主役と言われて満更でもない様子で誉王は言葉を飲み込んだ。
 「よかろう。父上のお相手はわたしに任せよ」
 「しっかりお褒めの言葉を賜ってくるんだな、牛魔王どの」
 藺晨が苦笑いすると、誉王は照れ隠しに咳払いをしながらそそくさと立ち去った。
 それを見送ってから、景琰は黎綱に指示する。
 「黎綱。蘇宅ではなく、靖王府へ馬車を」
 「は? 靖王府へでございますか」
 困惑する黎綱に、景琰はうなづいた。 
 「わたしの目の届くところへ置いておきたい」 
 「―――畏まりました。宗主もさぞお喜びになることでしょう」
 黎綱は袖でごしごしと涙をふいた。




   * * *



 「……悟空……」
 「―――蘇先生」
 景琰は眉を曇らせ、梅長蘇の髪を撫でてやる。
 「……悟空……、危ない真似は、ならぬ……」
 目を覚まさぬまま、梅長蘇はずっと譫言を繰り返していた。藺晨からは、消耗が激しいゆえあまり喋らせるなと言われているが、梅長蘇の譫言をどう止めてよいかわからぬ景琰である。
 「師父。悟空はそばにおります。どうかご安心を」
 手を握り、顔を寄せてそう囁くと、梅長蘇はひどく幸せそうな表情になった。
 そして。
 「……景琰……」
とその唇が動いたのだ。
 景琰はぎくりとして梅長蘇の寝顔を見る。
 「蘇先生?」
 梅長蘇は、か細い声で何ごとかしきりに呟き続けていた―――。


   *


 「殿下。少しお休みになっては。殿下とてお疲れでしょう」
 戦英がやってきて声をかける。
 「いや。蘇先生の世話はわたしがしよう」
 振り向きもせず、梅長蘇の手を握ったままで景琰は答えた。
 「しかし、蒙大統領や蘇宅の皆さんも、あちらで気を揉んでおいでなのです」
 そう言われて、景琰はようやく振り返る。
 「わかった。少し話をしてこよう。その間だけ蘇先生を頼む」
 「心得ました」
 寝所を出ると、書房には既に藺晨、蒙摯、黎綱、甄平、飛流らが顔をそろえている。
 「殿下。蘇先生のご容体は」
 せかせかと蒙摯が尋ねる。
 「うむ。まだ目覚めぬ。よほど舞台のことが気にかかっていたと見えて、譫言でずっと台詞をつぶやいていたが、先ほどからようやくぐっすり寝入ったようだ」
 「おいたわしいことです」
と黎綱と甄平が涙ぐむ。
 「なにはともあれ―――、蘇先生がこのありさまでは来月の舞台が危ぶまれる。休演も考えたが、それでは蘇先生が目覚めたときに、自分を責めかねまい」
 確かに……、と蒙摯が太い眉を寄せてうなづいた。
 「とはいえ、これまでのように脚本、演出、出演と蘇先生に任せるわけにはゆかぬ。ゆっくり養生してもらうためにも、次の脚本はわたしが手掛けようと思う」
 哈! と藺晨が笑った。
 「貴様のような四角四面な男に、脚本など書けるものか」
 扇をひらひらさせながら、景琰の面前まで歩み寄り、にやりと笑う。
 「このわたしに任せよ」
 俄かに、―――沈黙が降りた。
 皆が、密かに目と目を見かわし、眉を顰め、ふるふるとかぶりを振り合った。
 その様子に藺晨は顔を顰め、景琰は溜息をついた。   
 「―――。やはり、わたしがなんとかしよう」
 景琰の言葉に、一同ほっとしてうなづいた。
 「……それがよろしいかと」
 あからさまに安堵の表情を浮かべた黎綱の頭を、藺晨の扇子が音を立てて打った―――。
 



   * * *



―――次回予告―――


 「長蘇。なんとかせよ。毒蛇に魅入られて困っている」
 「兄上がすっかり藺閣主に心酔なされてな」
 「わたしはこう見えてももとは武人だ。武人が主のために身体を張るのは当たり前のこと」
 「主命に背くなどもってのほかだぞ、小殊」

 
 白骨夫人と黄袍怪編がいよいよ始動。
 次回も乞うご期待。
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