古剣奇譚

約束 (『古剣奇譚』 #50)

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2015.08.14の作品。
大師兄の回想。


 風の便りに、蘭生の妻・月言が子を身ごもったと聞いた。
 「大師兄の血を引いているから、きっと可愛い赤ちゃんが生まれるわね」
 芙蕖は自分のことのように喜んで、男の子か女の子か、祝いは何がいいかと、すっかり舞い上がっている。
 「生まれるのはまだ先だぞ」
 陵越が苦笑いすると、芙蕖は「待ちきれないわ」と肩をすくめた。
 月言は身体が弱いが、蘭生と暮らし始めてからは随分丈夫になったと聞く。蘭生は、妻のためにせっせと医術の研鑽に努めているようだ。子供もきっと無事に生まれてくるに違いない。
 「蘭生もますます忙しくなるわね、何しろ、小さな子供のお世話をしなければいけないんですもの。あの蘭生が」
 芙蕖につられて、陵越も微笑んだ。
 洗濯板に乗って、町を暴走していたと聞いた。
 口から生まれたかのようによく喋った。
 子供っぽくて我儘で、それでいて愛嬌のあった、あの蘭生が。
 そして、さらに遠い昔、守ってやれずに別れ別れになった、あの幼いただ一人の弟が。
 (しあわせならば、それでいい)
 陵越は満足そうに微笑みながら、ため息をひとつ漏らした。
 「蘭生ったら、赤ちゃんの襁褓を替えたりできるのかしら。ね、大師兄」
 芙蕖がその光景を思い浮かべたのか、ぷっと噴き出したので、陵越も笑った。
 そしてふと、もう一人の『弟』を思い出した。
 
 陵越が真顔になったので、芙蕖が不思議そうに顔を覗き込んでくる。
 「どうしたの、大師兄」
 「いや」
 小さくかぶりを振って、陵越は軽く笑った。
 「屠蘇が天墉城に来たばかりの頃を、ちょっと思い出していた」
 なぜ突然、屠蘇の名が出たのか、不思議そうに芙蕖が首を傾げる。
 陵越は、生真面目な渠にも似ず悪戯っぽく微笑むと、芙蕖の耳元にそっと囁いた。
 芙蕖が、目を丸くする。
 「―――――おねしょ? 屠蘇が?」
 驚いた芙蕖が大きな目を見開いて、長い睫毛を瞬かせた。
 「身体も心も不安定だったせいもあるだろうが……、半年くらいは毎朝、臨天閣の裏に屠蘇の汚れ物を干したものだ」
 「大師兄が?」
 陵越は、笑ってうなづいた。そして、
 「干すのはわたしだが、洗うのは……」
と、思わせぶりににやりとする。
 「まさか」
 芙蕖が少し狼狽える。
 さすがに陵越もこらえきれずに拳で口元を押さえ、その様子に芙蕖は半ば確信したらしく、大きく息を吸い込んだ。
 「……まさか、執劍長老が」
 「そのまさかだ」
 茫然とする芙蕖に、陵越は片眉を少しあげてうなづいた。



 「ごめんなさい、師尊……。ごめんなさい」
 初めてしくじった朝、屠蘇は半べそをかいて師に詫びた。
 「よいから着替えよ。陵越、手伝ってやりなさい」
 「あっ、はいっ」
 汚れ物を屠蘇からはぎとり、盥に入れて洗い場へ走ろうとした陵越は、師に呼び止められた。
 「おまえたちは先に朝食を食べてきなさい。修行の為に時を惜しまねばならぬ」
 「でも、これを……」
 「聞こえなかったのか、陵越」
 その静かな声に有無を言わせぬ響きを感じて、陵越は縮み上がり、しょげ返った屠蘇を連れて慌てて朝餉をとりに走った。
 戻って見ると、盥の中の汚れ物はすっかり綺麗に洗いあがっていた。
 「これを干して、すぐ剣の稽古を始めよ」
 「はい、師尊っ」
 その日からしばらく、朝起きると屠蘇を着替えさせて、朝食のあとに二人で洗い物を干すのが、陵越の日課となった。
 「屠蘇。小用はすませたのか」
 毎晩、寝支度を整えてから、陵越は屠蘇に尋ねる。
 「はい、師兄」
 不安げに屠蘇がうなづく。
 「今夜こそ、しくじらないように心するんだ、屠蘇」
 「……はい、師兄」
 ますます肩をすぼめながら、屠蘇はためらいがちに口を開いた。
 「師兄」
 「なんだ」
 「いつも朝食のあとに盥の中の汚れ物がきれいに洗われいるけれど、あれは……」
 屠蘇の言葉に、陵越はごくりと咽喉を鳴らした。そんな陵越を前にして少しためらいつつ、屠蘇はわずかに首をかしげ、
 「あれはやっぱり……、師尊が洗ってくださるのかな」
と呟いた。
 陵越は大きく深呼吸してから、なるだけ平静を装って屠蘇の両肩に手を置いた。
 「師尊が何もおっしゃらないことを、俺たちが詮索してはならないんだ、屠蘇」
 「でも……」
 屠蘇はうつむいて首を傾げたまま、少し口をとがらせた。
 しばらくそうして考え込んでいた屠蘇が、不意にぱっと顔を上げて笑った。
 「明日、朝食に行ったふりをして、こっそり覗いてみたらどうかな」
 陵越は目を見張った。
 しばらく呆然としてから、はっと我に返ったように激しくかぶりを振る。
 「駄目だ駄目だ駄目だ。師尊の言いつけに背くなんて、有り得ないぞ」
 それから半刻ばかり、陵越は屠蘇に説教した。

 が――――――。

 翌朝、ふたりは朝食にはいかず、こっそり戻って物陰から井戸端を見張っていた。
 師が、盥を脇に抱えて裏口から出てくるのが見える。その盥を、師は井戸端へと下ろした。
 「やっぱり師尊が……」
 声を立てかけるその口を、陵越があわてて「しっ」と押さえる。
 井戸端に涼やかな姿ですっくと立った師が、常のごとく心持ち顎を聳やかしたまま表情も変えず、視線だけを盥へと落としている。
 やがて師は、釣瓶で水をくみ上げると、それを盥に空けた。
 ゆっくりと袖を捲るさまさえ、優雅で美しい。
 懐から出したたすきで袂をからげ、裾をまとめて整えると、師は腰を落としてしゃがみこみ、井戸端にあった洗濯板で、汚れ物をひとつひとつ丁寧に洗いはじめた。器用に洗濯板を使って、みるみる洗い上げていく。
 洗い物を丹念に濯いで絞ると、師は立ち上がって衣服を整えた。襷を解いて、捲り上げていた袖を下ろすと、既に何事もなかったかのように、一分の隙もない師の姿となる。
 少し腰を折って手を伸ばし、洗い物の入った盥を手にとると、姿勢を糺し、それから振り向きもせずに口を開いた。
 「おまえたち、もう気がすんだであろう」
 穏やかだが厳しいその声音に、陵越は飛び上がらんばかりに驚き、屠蘇はといえば、陵越の袖をつかんでぎゅっと目を閉じた。
 ゆっくりと身体ごとこちらを向いた師が、常よりも尚、顎を上げて、冷え冷えとした眼差しで見降ろしてくる。
 「お赦しください、師尊っ」
 陵越は屠蘇の手を引いて共に師の前に膝をつくと、幾度も叩頭し、屠蘇の頭も押さえつけたのだった。




 「あの頃、二師兄がそれを知っていたら、それこそ鬼の首でもとったようになっていたでしょうね」 
 芙蕖が笑った。
 その二師兄・陵端も、今はすでに天墉城の人ではない。
 そして、屠蘇は……
 三年たつまでに戻るという、少しはにかんだようなあの笑顔で、陵越と芙蕖に誓ったあの約束は。
 あれは屠蘇の優しさであったか、あるいは心の底からの願いであったろうか。
 その言葉が果たされることはないやもしれぬと知りながら、それでも笑って信じようと努めた自分たちの思いさえ、いまはさだかではない。
 笑っていた芙蕖が、長い睫毛の間から大粒の涙をこぼした。
 陵越は眉根に力をこめる。
 「泣くな」
 師妹の顔は見ずに、その肩を抱き寄せる。
 「約束の三年は、まだ来ていないのだからな」
 大地に散った命が、三年で蘇るものでないことは知れている。
 それでも、あの約束を、大切にしたかった。
 屠蘇――-「邪を屠り、人魂に蘇る」。
 永き時を経て歪んだ神仙の魂は、屠蘇の命と引き換えに、その心を取り戻した。
 そして、屠蘇自身の魂もまた……。
 いつか必ず、蘇るに違いないのだ。 

 陵越は切なげに眉を寄せたまま、口元を綻ばせた。
 「蘭生が言っていた。次に生まれ変わっても、また三人、兄弟として会おうと」
 芙蕖が、涙に濡れた大きな目をしばたかせる。
 「三年で果たせぬときは、幾度でも生まれ変わって待てばいい」
 陵越の言葉に、芙蕖も淡く微笑んだ。
 「それでまた、男同士で長話に興じるんでしょう?」
 軽くすねて見せながら、芙蕖は陵越と屠蘇の深い絆を想って、いまいちど涙した。

 「師尊も、きっとその日を待ち望んでおいでだ」
 「そうね……、きっとほかの誰よりも」

 師と屠蘇は、これまでとて三年に一度しかまみえることができなかったではないか。
 ふたりにしてみれば三年など、須臾の間にすぎぬのだ。

 そして、三年が十年になり、百年になろうとも。
 師は屠蘇を待ち、屠蘇は必ず戻る。
 師より賜ったその名の通り、きっと再び蘇り、師の恩に報いることだろう。

 それゆえ、陵越も信じられる。
 戻ると約束した屠蘇の言葉を。

 今はただ、今日と言う日を大切に生きて、約束が果たされる時を待つだけだ。

 こうしているも今も、時は流れている。
 新しい命が生まれ、育ち、やがて天河に還る。

 久遠の時の中で。

 いつか、約束は果たされるのだ――――。
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~ Comment ~

大師兄は

遥華さま

続けて、古剣が読めるので、毎晩ワクワクです(#^^#)
毎日TV楽しかったなあ。

大師兄って、結局、芙蕖ちゃんのこと、どう思ってたんでしょうか。
告白は拒否ってましたけど、次代の執剣長老とか、要職が内定してなければ(そこまでデキる人でなければ、かも?)、別に良かったような気がします。
でもやっぱり、「柴胤さま命!」の人だからなあ…。

また再放送があればいいですね。
それにしても、ウィリアムって美形だわ~(目の保養)。

>>Rintzuさん

大師兄、いいですね。
確かにキレイなお顔です。
陳偉霆はタイプではないのですが、美しい顔だと思うし、セクシーですし
大師兄のときの陳偉霆は、少し大人っぽくて普段より体温が低い感じがしてすごく好きです。
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