古剣奇譚

葉笛のしらべ (『古剣奇譚 #40)

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2015.07.19 の作品。
「少恭はもう一人の自分」とまで言いながら、まだ真実に気づかない屠蘇ちゃんです


 太子長琴はあれほど気高く雅びやかであったものを、と慳臾は少し可笑しくなる。

 確かに長琴の気配を感じる。この器に納まっている仙霊は、間違いなく慕わしい友のものだ。
 だというのに、またずいぶん朴訥とした器であることよ、と若者を興味深く眺める。


 琴は弾けぬと言われて、正直がっかりしたのだ。
 なるほど琴をたしなむようには見えぬ。
 あきらめかけたその時に、若者は葉笛ならばと言ってくれたのだ。


 太子長琴の音色こそ聞けなかったが、無心に木の葉の笛を吹く若者の清らかな顔に、確かに友の面影を見た。
 変わり果てた榣山の景色さえ、あの頃の風情を取り戻すかに思える。

 慳臾は、しばし葉笛の奏でる音色に身を任せていた。






   

 

 一匹の、小さな水蛇にすぎなかった己れである。
 その水蛇が、大それた夢を見た。
 来る日も来る日も、夢見た。
 まるで夢を食べて育つかのように、年を追うごとにこの身も大きくなった。
 住まいとする湖は、もはや己れには狭すぎて、ますます夢は膨らんだ。

 龍になる、と。

 龍となって、この狭い湖から、窮屈な榣山から、広い大空へ飛び出すのだ。

 慳臾はその日を信じていた。

 そんな夢を、嘲ることなく聞いてくれた友がいた。
 太子長琴である。
 長琴の奏でる琴の音色に、美しい榣山の上に広がる、高く広い空を慳臾は思った。
 その空を、美しい龍となった己れが悠々と翔けるさまを、いくたび慳臾は思い描いただろう。
 そんな己れの背に、友を乗せて。
 ふたりで広い世界を旅しよう。
 友は背の上で、この美しい世界を旋律に換えて、琴の音色を大空に響かせるだろう。
 そんな想像をして、慳臾はうっとりしたものであった。 

 狭い湖の中しか知らなかった慳臾である。
 知己と言えば、己れと同じ水蛇らや湖に住まう魚どもばかり。
 初めて友となった太子長琴に、慳臾はすぐに夢中になったのだ。

 すべてが、好もしかった。

 長琴のすべてを、慳臾は愛した。

 優雅な物腰を、豊富な知識を、琴を奏でるその技を、そして何よりも、気高く清らかな魂を。
 火神・祝融を父とし、女禍に命を与えられた長琴は、神の子たる貴き身である。
 その身のもとは鳳凰にして、ちっぽけな水蛇であったわが身とは生まれが違う。
 しかし、己れが天翔ける龍となれば、この友ともつり合いがとれようというものだ。

 生まれ貴き長琴は、万物の理に通じてはいたが、あまりに無垢な魂を持っていた。
 賤しき水蛇を侮りもせず、親しく交わってくれたものである。
 己れもまた、この世のまことの悲しみなど、未だ知らずにいたのだ。
 幸せな逢瀬を重ねるほどに、別れがつらくなることも、会えなくなれば尚更に、互いを求めてならぬことも。
 「退屈すぎて死んでしまう」
 そんな愚痴を漏らせたのも、榣山に守られ、友のぬくもりに触れていられればこそであった。
 さだめは変えられぬと知っていた長琴も、そのさだめに心割かれた時の苦しみなど、あの頃にはまだ知りはしなかった。
 互いに心幼きままに、睦みあい、気の遠くなるような約束を語り合ったのだ。

 やがて来る、別れも知らず。

 友が去ったこの榣山は、慳臾にとってまるで意味のない場所になった。
 一途に励んで龍となっても、この背に乗せて共に天を翔けるべき友は、傍らに既になかったのだ。
 それゆえであったろうか。
 愚かにも罪を犯した。
 それが友に、いかなる災いをもたらすかなど、思いも及ばずに。

 忘れられたかと思っていた。
 貴き天の神々につらなって、榣山での日々などとうに忘れ果てたかと。

 だが。

 天界よりの討手の一人として目の前に現れた友は、姿の変わった慳臾を一目でそれと見分けたのだ。

 その刹那。

 見かわすふたりの目と目には、榣山での日々が鮮やかに蘇った。

 あの美しい風景と、清廉な気、雅な琴の音、そして熱くかわした約束。

 すべてが一気に、時を超えて引き戻された。

 いや。
 ほんとうは信じていたのだ。
 友の心を疑ったことなど、一度たりとてなかった。
 友は言ったのだから。
 この身が龍になるのに何千年かかろうとも、約束は決して忘れぬと。
その約束の前に、慳臾が犯した罪も、長琴の立場も、すべては消え去った。

 互いよりほか、何も見えなかった。
 それだけだ。

 友にまで罪を犯させるつもりなど、慳臾には全くなかったのだ。








 葉笛の音が止んで、慳臾は吐息を漏らした。
 美しく、悲しい思い出をたどって、慳臾は不思議に心が軽い。
 懐かしい調べを聞きながら、涙がこみ上げるのではないかと思っていた。
 しかし。
 (それだけ老いたということか)
時の流れが、深い悔恨を暖かく包み、永きにわたる寂しさを癒した。
 狂おしいほど会いたいと願った思いも、今は澱のように深く心の内に鎮まっている。
 希みと諦めとが、ほろ苦く胸にたゆたうばかりだ。

 老いたこの身の、ただひとつの気がかりは。
 友は泣いてはいまいか。
 今もまだ、この愚かな龍を想って、心を痛めてはいまいか。
 そればかりが案じられた。

 友の半身は、今ここに在る。
 あとの半分は、儚く散ってしまったか。
 あるいは、どこかでつらい孤独にさいなまれているのやもしれぬ。

 万物には必ずや終わりが来る。
 命ある者、すべてが死から免れ得ぬものであるならば、間もなくこの身にも最期のときが来るのであろう。
 それを教えてくれたのは、長琴その人であったはずだ。
 さだめに逆らい、世の理を乱せば、この世に災いをもたらすのだと。

 それゆえ。

 心静かに在ってくれればと願う。

 己れと友の契りを結んだばかりに、あの清らかな手を罪に穢した。
 長琴の手は、美しい調べを奏でるためにこそある。
 もう、その心を煩わし、その手を穢すことなどあってはならぬ。

 さだめがもしも許すなら、命あるうちに再びまみえることもあろう。
 こうして半身と出会えたように。

 遠い日の約束をかなえる時は、果たして来るだろうか。


 「見事だった」と慳臾は若者に微笑んだ。
 雅であった、と。
 いつかまた。
 友の琴に耳を傾けることができるだろうか。
 わが背で、その雅な音色を響かせてくれることがあるだろうか。
 
 終わりはすぐそこに近づいている。
 いまはただ、心静かに待つばかりだと慳臾は己れに言い聞かせる。

 (どうかそなたも)
悲しまずに待っていてほしい、約束の日を。

 慳臾は、榣山の暗い空を仰いだ。
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~ Comment ~

NoTitle

遥華さま

お加減いかがですか?
普通の人なら、激痛で仕事も休んでいると思いますが、遥華さんは強い人なのですね。
お休みの日は、しっかり休養してくださいね。

古剣奇譚の日々を懐かしく思い出しています。
イケメンパラダイスでしたからね~。
千兄のワイルド&セクシーさに堕ちた私(笑)としては、少恭とのCPが一番好きですけれど。
そして、柴胤さま! 藺晨もですが、最初と最後しか出てこないのって、本当にズルい~~~~~!!
気になって気になって、最後まで完走してしまうではありませんか(爆)

どうぞお大事に。
後遺症なく完治されることをお祈りしております。

>>Rintzuさん

ありがとうございまーす♡
いやー、火曜の夜こそ激痛だったんですけど、
そのあとは耐えられないほどの痛みではなくて。
表面の水膨れとかが治まってきたので、その痛みがなくなってきて、
むしろ内部の疼痛がちょっと気になりだしましたが、
それはまあ断続的ですし、そんなにひどくないので(鎮痛剤のおかげかも?)
今はわりとラクです~。
でもそろろ寝ようwww
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