古剣奇譚

絆 (『古剣奇譚』 #5 )

 ←ぬくもり (『古剣奇譚』 #2 ) →葉笛のしらべ (『古剣奇譚 #40)
2015.07.18の作品。
初めて屠蘇と会った頃を思い出す大師兄


 師の扶けが欲しい、と陵越は願った。

 晴雪と再会した屠蘇は、己の過去を知りたがっている。
 屠蘇の心を思いやれば、無下にも出来ぬ陵越である。

 師なれば、こんな時になんと言って屠蘇を諭すのであろう。

 屠蘇を救い、その名を与えた、我が師なれば。





 

 あの日のことを、陵越は今も昨日のことのように覚えている。







 (あ。師尊のお戻りだ)
 臨天閣を掃除していた陵越は、師の気を感じていそいそと迎えに出た。
 が。
 外へ出て見て、陵越は気づいたのだ。
 常に冷静な師の、霊気がひどく乱れていた。
 ただならぬ気配を察して、直ちに紅玉が剣閣から飛び来たる。
 ふたりは互いに顔を見合わせた。 
 次の刹那、蒼天を割いて現われた師の姿が、陵越と紅玉の目の前に降り立った。
 「ご主人さまっ」
 ひとりの子供を腕に抱いた紫胤真人が、その場にがくりと片膝をつくや、紅玉がそばへ駆け寄りその身を支える。
 「これはいったい……」
 ぐったりと目を閉じた子供と、口もとに赤黒い血をこびりつかせた紫胤とを見比べ、そうして紅玉ははっとしたように主の携えている一振りの剣に目を向けた。
 紅玉の、驚きと惧れに見開かれた目が、陵越の心をも怯えさせた。
 「紅玉。この子を休ませてやってくれ」
 常と変らぬ穏やかな声音で紫胤がそう言い、子供の身体は師の手から紅玉の腕へと渡る。
 その途端、師は夥しく血を吐いた。陵越は慌ててそばへ膝をつき、手巾を師の口元へ押し当てた。
 師は禍々しい色をした剣を地に突き立ててその身を支えながら、手巾を受け取ると、怯えた陵越をなだめるように微かな笑みを作った。
 師がひどい内傷を負っているのだと、陵越はようやく理解した。
 「何をしているの。紫胤さまを中へ」
 紅玉に鋭く命じられて、陵越ははっとする。子供を抱いた紅玉は、すでに閣の内へと身を翻していた。








 七日めになっても、子どもはまるで目覚める気配もなかった。
 師は、自らも深傷を負った身でありながら、片時も子どものそばを離れようとしない。濡らした手巾を子供の額に当ててやりながら、ただ黙って側についている師の背中を見つつ、陵越は少々おもしろくなかった。
 陵越もまた、この子どもと同じ年頃に紫胤のもとへ上がったものであったが、それまで内弟子を持たなかった紫胤にとって、自分がただ一人の存在であるという事実は、陵越の心に自尊心を芽生えさせていた。ほかの弟子たちから羨望の眼差しで見られると、陵越は誇らしい気持ちでいっぱいになる。
 紫胤は、陵越ひとりの師であったのだ。

 「師尊。わたしが替わりますから、少しお休みになってください」
 声をかけると、師は振り返り、すこし微笑んだ。
 「そうだな。この子が目覚めたら、もう一仕事せねばならぬゆえ」
 紫胤は立ち上がり、陵越の肩に大きな手を置いた。
 「頼んだぞ」
 「はい」

 師の後ろ姿を見送ってから、陵越は寝台に腰かけた。
 子どもの顔を見下ろし、すこし口をとがらせる。
 「なんだよ。師尊の手を煩わせて」
 子どもの眉間の赤い痣を、指先で緩くぱちんと弾いた。
 「う、ん……」
 相手が小さく身じろいだので、陵越はちょっと驚いて手を引っ込める。
 そして今いちど、子どもの顔を眺めた。

 不意に――――・

 その顔に、誰よりも会いたい面影が重なった。

 この世にひとりきりの、血肉を分けた弟――――。

 (守ってやれなかった……)

 小さな弟を守るには、己れもまた、幼すぎて。

 だからこそ、強くなろうと決めた。
 この手で愛する者を守れるように。

 もう二度と、大切な者をこの手から奪われぬように。

 それゆえ、紫胤の厳しい稽古にも耐えてきたのだ。

師のごとく、強くなりたかった。

 「おまえには、守ってくれる人がいないのか?」

 目の前の子どもに、そう問うてみる。
 額の痣に、再び触れる。
 師も、幾度かそうしていたように。

 それが、この子の負うたさだめの印であることは、陵越にも理解できた。
 幼い子が、ひとりきりでこの広い世界に放り出される心もとなさは、ほかならぬ陵越自身が身をもって知っている。ましてや、常ならぬさだめを負った身とあれば、なおさらである。
 「師尊が屹度、悪いようにはなさらぬから」
 弟にしてやったように、陵越は子供の髪を撫でてやりながら、そう囁いた。








 七日七夜の後に目覚めた子どもは、身内に宿る剣霊を封印されたのち、紫胤に手を引かれて、いちどは崑崙山のふもとの村へと下りて行った。
 ところがその日のうちに、再び子どもは天墉城へと戻されたのである。
 子どもは、くだんの凶剣と離れては、命を保つことさえ出来ぬ身と知れたからだ。 

 百里屠蘇―-――。

 その子どもに、紫胤はそう名付け、「鬼気を屠絶し人魂を蘇生させる」と、その名の意味を説いた。
 その昔、赤子であった屠蘇に初めて師が出会ったとき、野山には屠蘇草が生い茂っていたのだとも言う。

 百里屠蘇は、その日から陵越の弟弟子となったのだ。







 最も幸せな日々であったと、陵越は思う。

 紫胤と、屠蘇と、陵越と。

 あの蜜月を、陵越は決して忘れない。






 紫胤は、幽都から屠蘇を救い出すときに深手を負ってはいたが、それを癒すための閉関の行には入らなかった。屠蘇の身を案じてのことである。
 師は傷の癒えぬまま、それでも陵越と屠蘇に様々な教えを賜うた。
 まだ親の温もりの恋しかったであろう屠蘇は、一日の修行を終えると、ことさら師に甘えた。
 己を厳しく律することしか知らなかった陵越にとって、屠蘇を加えた臨天閣での暮らしは、思いがけぬほど幸せなものとなったのである。

 失った親と弟の分まで、陵越は師と弟弟子を愛した。

 もう二度と、愛する者たちの手を離したくはなかった。

 屠蘇の身に巣食う剣霊が、目覚めさえしなければ。
 あの幸せな日々は、もっと長く続いたのだ。


 目を覚ましてしまった剣霊を封じ込めるために、師はさらなる内傷を負い、今度こそ禅房へ籠るよりほかなくなった。

 三人で寄り添って眠った日々が、突然終わりを告げたのだ。

 泣きながら禅房の扉を叩く屠蘇の小さな身体を抱きしめて、陵越は自分もまた胸の内で泣いた。

 それでも、陵越は誓ったのだ。
 師が安んじて行を終えられるよう、自分が屠蘇を守るのだと。






 紫胤は三年に一度、焚寂剣の封印を強めるために行を終えて姿を見せる。
 三年に一度、たったひと月の師との逢瀬を、ふたりの弟子はなによりも心待ちにしているのだ。
 師が行を終えて、禅房の扉を開いて現われるその姿を、来る日も来る日も胸に描きながら。

 またいつの日か、三人で寄り添って暮らせる日が来ることを、陵越は信じて待つだけだ。
 

 (師尊。屠蘇をどうかお導きください)
 屠蘇はもう、あの日のあどけない子どもではない。
 真実を知るべき時は、すぐそこに来ている。

 あれから八年。

 再び禅房の扉が開くまで、あと一年あるはずであった。

スポンサーサイト

もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 琅琊榜
もくじ  3kaku_s_L.png 東離劍遊紀
もくじ  3kaku_s_L.png 古剣奇譚
【ぬくもり (『古剣奇譚』 #2 )】へ  【葉笛のしらべ (『古剣奇譚 #40)】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
  • 【ぬくもり (『古剣奇譚』 #2 )】へ
  • 【葉笛のしらべ (『古剣奇譚 #40)】へ