琅琊榜

忠愛 (『琅琊榜』#3補完)

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第3集、萌大統領目線です。
萌萌、この時はまだひたすらカッコいいですw


 扶けたい、と強く思った。
 禁軍大統領・蒙摯―――よくぞこの身を朝廷に残してくれたと、亡き祁王に頭を下げたくなる。
 いっときは赤焔軍に従属していた自分である。そのまま赤焔軍にいれば、命を落としていたやもしれぬ。事なきを得たのは、もったいなくも祁王・景兎が、腕を見込んで禁軍へと引き抜いてくれていたためである。その祁王と赤焔軍は、十二年前に儚き露と散ったが、既に禁軍で重用されていた自分は、皇帝の信任も厚く、この都で生き延びた。

 まことは、苦しくてならなかったのだ。祁王を、林主帥を、そして小殊を失ったあのとき、驚きと悲しみと怒りで、頭がおかしくなりそうだった。
 謀反など。あるはずもないというのに。親族までもが罪に問われ、渠らの潔白を叫んだ者らも次々に処断された。
 それはあまりにもあっという間の出来事だった。武勇を誇る蒙摯ではあったが、こうした政変にはどう対応してよいかまるでわからなかった。怒りをもてあまし、ただ狼狽えて右往左往する間に、都はすっかり静まり返ったのである。
 もう誰も、祁王と赤焔軍、そしてその一族について語らなくなった。
 あれほど慕われ、人々の尊敬を集め、憧れの対象でさえあった渠らの名を、誰ひとり口にしなくなった。

 蒙摯はなにも、できなかったのだ。
 なにひとつできぬまま、都に取り残された。

 言いたいことは山ほどあった。自分が暴れて何かが変わるなら、命も惜しくはなかった。
 しかし、蒙摯は何をどうしていいかわからなかったのだ。
 祁王に殉じたところで何になろう。それよりも。
 禁軍へ推挙してくれたのはほかならぬ祁王である。その信頼に応えねばならぬと思った。
 かの人々は、どれほど想いを残して逝ったことか。渠らは皆、深くこの国を愛していた。
 ならば、遺された自分は、渠らの愛したこの国を、護って行くしかないではないか。
 そう心に決めて、砂を噛むような思いで皇帝に仕えてきたのだ。

 そして。

 帰ってきたのだ。
 小殊が。

 いま扶けずして、なんとしよう。
 この日のために、自分は都に遺されたのだと、蒙摯はようやく己がさだめを悟った。






 五年前のことである。

 蒙摯は目を疑った。
 その文は、確かに林殊の筆跡であった。以前よりも幾分弱々しく、ところどころ乱れがちなその文字を、蒙摯は穴があくほど見つめた。
 激しい驚きと喜びが胸を駆け抜けたあと、疑いが起こった。蒙摯はまっすぐな男ではあったが、長く宮中にあって、そこかしこに卑怯で狡猾な罠が仕掛けられていることも、その罠にかかって幾多の志ある人々が失脚していったかもよく知っている。何者かが、禁軍大統領であるこの自分を陥れようとしているのではないか。そう考えて、一度はその文を無視しようかとも思ったのだ。

 しかし、それは本能的なものというほかなかった。
 この文は、確かに林殊本人の手によるものだという確信を、蒙摯はどうしても拭い去ることができなかった。
 文には、読み終えたら焼き捨てよとあった。陥れるつもりなら、この文とて大事な証拠となろう。焼き捨てよなどとは言わぬはず。そんなふうにも考えた。

 文を持参した男は、江左盟の者だと名乗った。
 江左盟。当時すでにそれは江湖に名を馳せ、それを率いる梅長蘇の名は禁中にある蒙摯の耳にも届いていた。
 (梅長蘇……。小殊、ほんとうにおまえなのか)
 心は乱れ、しかし、どうしてよいかもわからずに、蒙摯はただ文を握りしめてうろうろした。相談する相手などもとよりいない。何度も書面を見つめ直し、また書房を行ったり来たりした。
 江左盟の男は、辛抱強くそれを待っていた。膝まづいて自分の顔を見るその男の目には、誠実な色が見て取れた。

 蒙摯は今一度、文に眼を走らせた。そして、もう諳んじてしまえるほど何度も読み返したそれを、ようやく燭台の火にくべた。
 それから、短く返事をしたためたのだ。

 「戻ってはならぬ」と。

 これだけならば、たとえ何者かの手に渡ったとて、何の証拠にもなりはすまい。

 ほんとうは、書きたいことは幾らでもあったが。






 そして、ついに渠は戻ってきた。

 謝玉みずから寧国侯府に招いてくれたことは、幸運だったと言っていい。おかげで、『蘇哲との出会い』は『偶然のもの』となった。謝玉その人が証人である。
 寧国侯府の食客として、林殊は蒙摯の前にその姿を見せたのだ。

 ほんとうに、生きていた。
 実際に会うまでは、―――半信半疑だった蒙摯である。
 いや、本当はその変わり果てた姿を見てこそ、疑うべきであったのやもしれぬ。
 けれども蒙摯は、ひと目でそれと悟った。
 (―――小殊!)

 間違いないと思ったのだ。
 間違いないと思うからこそ、あまりの変わりように胸がふさがれる想いだった。

 かつての林殊が火であるならば、この男は水のようであった。
 林殊が真夏の太陽ならば、蘇哲はまるで冬の空にかかる痩せた白月にも似て。
 面立ちも佇まいもまるで違うこの男を、それでも蒙摯はたった一目で見分けたのだ。
 病で容貌が著しく変わったと、予め文で知らされていたせいもある。だが、それよりも、蒙摯自身が、己の直感に忠実なせいでもあった。もともと、あまり深く考えるのは苦手なたちだ。亡き祁王にも、お前は獣のようだとよく笑われた。

 ……慟哭したいほどの、万感の想いが押し寄せた。
 しかし。

 小殊の十二年を、己の激情で台無しにするわけにはいかない。
 目の前の男は、『蘇哲』である。
 蒙摯は眉ひとつ動かさず、素知らぬ顔を貫きおおせた。






 ようやく『小殊』と言葉を交わせたのは、武術大会の初日である。
 霓凰郡主の比武招親であるこの催しに、林殊が蘇哲として現れるであろうことはわかっていた。
 皇宮からの帰途、郡主の弟である雲南王・穆青の配下による襲撃を、護衛の少年によって退けた蘇哲は、その場に姿を現した蒙摯を見ても、やはり水のように静かな面持ちを崩しはしなかった。
 蒙摯もまた、胸の内にあふれる想いを、どう吐き出してよいかわからなかったのである。
 手放しに喜ぶことのできぬ再会であった。

 「十二年……十二年もだぞ。やっと戻ってきたか」
 ようやくそれだけ言葉を絞り出す。
 蘇哲の静かな声音の底にもまた、『林殊』の熱が宿っていた。
 「そう。……わたしは戻った。ついに戻ってきたのだ」
 冷ややかな横顔に、『林殊』の興奮が見て取れる。それさえも痛ましくて、蒙摯はやりきれなくなる。
 「文で忠告しただろう。戻ってはならぬと。正体が明るみに出れば、誰も助けられない」
 『やっと戻ってきたか』という深い感慨と、『戻ってはならぬ』という強い思いが矛盾することに、蒙摯は気づかない。渠の胸の内では、いずれもがまことなのだ。
 「こんな姿となったのに、誰が信じる? 私が十二年前の謀反人だと」
 『こんな姿』と言った林殊の自嘲が悲しい。蒙摯は改めて、その貌を見た。
 「病の為、容貌が変わったと文に書いてあったが、まさかここまでとは。……まるで別人ではないか。全く面影がない」
 そう口にせずにはいられなかった。小殊を傷つけると知りながら。

 誰もが愛したあの『小殊』が。
 見も知らぬ男になって戻ったのだ。
 あまりにも、悲しかった。
 けれど。

 「だが、貴方には一目で気づかれた」
 そう言った林殊の声は嬉しそうで、眼差しには微笑さえ含まれていた。
 そんなことで喜んでくれるなら、と蒙摯は切なくなった、
 ならば林殊が何に生まれ変わっても、必ずそれと見分けてやりたい。一目で「小殊」と、呼んでやりたかった。






 寧国侯府の、蘇哲の仮住まいである雪蘆へ忍んでいった宵、林殊は火の傍でうたた寝をしていたようだ。
 「まだ冬でもないのに、もう火鉢を?」
 いまだ患っているのだと気づいて、蒙摯の胸は激しく痛んだ。
 「なぜ焦って上京した」
 病の癒えもせぬ身で。
 この自分が都にいるのだ。一言知らせてくれれば、出来うる限りのお膳立てをしたものを。
 そう言うと、林殊は眼を伏せた。
 「蒙大哥」
 弱々しい声が、胸に刺さる。
 「貴方は禁軍大統領だ。……陛下の信頼が厚いのに、振り回せない。……他人のふりをしてくれるだけでも助かる」
 うなだれて、健気にも林殊はそう言ったのだ。
 「水くさいぞ。私をなんだと思っている!」
 思わずそう言い返しながら、蒙摯はふと気づいていた。
 この男は小殊だ。
 青白い、儚げな風情にほだされてしまいそうになるが、この男はほかでもない、あの『怪童』と呼ばれた林殊である。
このしおらしい言葉の裏に、あの悪戯っ子めいた小殊の駆け引きを思う。
 林殊は真っ直ぐな気性で明るく活発な少年だったが、その賢さゆえに、よく大人をからかった。しおらしく装えば大人の同情を引くことも心得ていたし、そうやって己に都合のよい言質を引き出すことにも長けていた。
 ほかの者がやれば狡くて計算高く見えるそれらも、小殊の手にかかると、まるで憎めぬ愛嬌があった。
 「蒙大哥。わたしを思う気持ちは痛いほどわかる。だが、これからやることに充分な勝算がない以上、巻き込めない。失敗すれば、忠臣である蒙家の名誉を貶める」
 それは小殊の本心であろう。
 けれど、その一方で、その言葉は蒙摯の熱い義侠心を煽り、更にはまた、そこには小殊らしい悪戯心も潜んではいないだろうか。
 それらを全てひっくるめたうえで、それでも蒙摯は我知らず感情を昂ぶらせずにおれぬのだ。
 「忠義は心にある!名誉は関係ない!」
 激する心を押さえきれずに、強い口調で蒙摯は言った。
 小殊が顔を上げて、じっと見つめてくる。
 ことさらに同情など買わずとも、小殊にはわかっているはずだ。この蒙摯ならば、一も二もなく力になるということを。知っていながら、それでも小殊は、この口からありったけの赤心を吐露させたいのだ。
 そして蒙摯もまた、わかってはいても心を熱くせずにはいられない。
 「赤焔軍にいたのは一年だが、林主帥やお前を心から信じている!」
 蒙摯は真心を伝えたい一心で、変わり果てた林殊を射るように見つめた。林殊もまた、静かな眼差しを真っ直ぐに返す。

 「……あの梅嶺の一戦で、何人生き残っている?」
 林殊と共に生き残り、林殊を支え、共に歩んできた同志たちはどうしているのか? 蒙摯はその者らと心をひとつにして、これから林殊を扶けていきたいと心から願ったのだ。

 だが。
 林殊の顔が、すっと白さを増したように見えた。

 「わたしのほかは―――衛崢だけだ」

 蒙摯は耳を疑った。
 信じられなかった。

 「……七万だぞ?」
 無敵を誇った七万の軍勢である。
 ありえない、と思った。
 「……小殊、十二年前に何が起こった?」
 林殊自身の口から聞かねば、どうにも納得がいかなかった。
 ―――林殊の目に、暗い焔が宿る。
 その目は、十二年前の梅嶺を、無残な戦場を見つめているかのようだ。
 「七万の赤焔軍は―――、ほぼ全滅した」
 静かな憤りが、林殊の全身を包んでいた。もう、しおらしく振る舞って見せることさえ、忘れてしまったかのようだ。
 「蒙大哥、折を見て―――、詳しく教えよう」
 怒りを封じ込めるかのように俯いて、林殊はそう言った。

 「好……。好……!!」
 今はもう、それ以上問うまでもない。
 「言ってくれ。私に何ができる!?」
 全てを投げ打つ覚悟で、蒙摯は言った。

 熱を帯びた林殊の目が、蒙摯の言葉を強く受け止めた。

 七万の赤焔軍のために、祁王や林主帥のために。
 そして、辛酸をなめた小殊のために。
 持てる力のすべてをささげたいと、嘘偽りなく蒙摯は思った。


 ひとしきり話したあと、雪蘆を去ろうとして、蒙摯は今一度振り返った。
 「小殊……」
 話し疲れたのか、林殊はどことなくぼんやりした様子で立っていた。
 少しためらってから、蒙摯は林殊に歩み寄る。
 そして。

 思わず、両腕を林殊の背へと回した。
 「蒙大哥?」
 すこし驚いたような林殊の声が、たまらなくいじらしかった。
 十二年の、思いのたけを込めて抱きしめる。

 戻ってはならぬ、そう言ったのはほかならぬ自分であった。
 しかし。
 「―――よく帰ってきた」
 心から、蒙摯はそう言った。
 ようやく、涙が溢れ出た。
 「よく、生きて帰ってきたな、小殊」

 抱きしめた身体は、見た目よりもずっと痩せていた。
 重ね着した衣の中の骨ばった感触が、この十二年の林殊の辛苦を物語っている。それはあとほんの少し力をこめたなら、壊してしまいそうなほどに心もとない。

 哀れで……、しかし蒙摯は、この年下の友を、誇らしいと思った。
 「……偉かったな、小殊。よく耐えた」
 少年の頃にしてやったように、蒙摯はその顔を自分の肩に引き寄せ、頭を幾度も優しく叩いた。
 「大哥……」
 林殊の声が、うわずった。
 嗚咽こそ聞こえなかったが、林殊が静かに泣いているのがわかった。

 「何も心配するな。わたしがおまえの手足になってやる」
 そうだ。
 そのためにこそ、自分は生き残った。

 ほかならぬ自分を頼ってくれたことを、蒙摯は嬉しく思う。
 散っていった七万の英霊が、この痩せた肩にのしかかるなら、自分が全力で支えよう。

 皇宮での十二年は、決して無駄ではなかったはずだ。
 きっと林殊の役に立てる。

 国に。
 かつて主と心に定めた人に。
 そして、愛すべき友に。
 蒙摯は忠節を誓う。

 その忠心が決して揺らぐことはないと、蒙摯自身がだれよりもよく知っていた―――。

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