古剣奇譚

掌 (『古剣奇譚』 #2. #9 )

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2015.07.10 の作品。
この時、まだ古剣奇譚を最終回まで見ていなかったので、
紫胤さまが先の掌門とかにも使えていたとは知らずに書いた話。
なので、ちょっと話の辻褄があいませんが、そこはご愛敬で!


 百里屠蘇が同門の肇臨を殺めたとされる一件で、掌教真人は頭を抱えていた。
 屠蘇が三年の禁足から放たれた際、紫胤も三年の修行を終えて禅房を出てくるとばかり思っていただけに、掌教真人は心許なさに少し苛立っている。
 そんな折、大師兄・陵越が、身を賭して屠蘇の無実を訴えたことに、軽い既視感をを覚える。
 あれはもう、十年以上も前のこと。まだ、百里屠蘇が幼かった頃。




 「掌門」
 去り際に呼び止められて、掌教真人は足を止めた。
 「いつも我儘を聞いていただき、申し訳ない」
 詫びる言葉を背中で聞いて、何をいまさら、と掌教真人は内心苦笑いした。
 紫胤とのつきあいは、百年を超える。
 穏やかな佇まいとは裏肚の、頑固でしたたかな男であるということは、いやというほど知っていた。涼しい顔をしているくせに、言い出したら聞かぬ熱き魂を持っている。
 今回も、幼い百里屠蘇が焚寂剣の剣霊にその身を乗っ取られ、師にまで激しく牙を剥いたことを、紫胤は天墉城の長たる自分に黙っているつもりでいたのだ。
 あれだけ激しく霊力がぶつかりあったことに、同じ天墉城の内にあって気づかぬ己ではない。
 そして今、紫胤真人の気は、ひどく細っている。
 ことの次第を問いただし、屠蘇を幽都へ送り返してはどうかと言った掌教真人に、紫胤は許しを乞うたのだ。
 これほど傷つきながら、なおも弟子を庇おうとする紫胤の願いを、無碍には出来ず、掌教真人はしかたなく赦した。屠蘇を裏山でひそかに修行させ、三年に一度、剣霊の封印を紫胤がさらに固めるという約束で。
 話を終えてその場を離れようとしたところを、紫胤に呼び止められたのだ。
 掌教真人は溜息をついた。
 「……そなたは、いつまでも若く美しいな」
 紫胤を振り返りながら、呟く。
 その魂は、数百年の齢を経て猶、撓むことなく老いることなく、汚れを知らず清らかで強い。
 それだけに、どこか痛ましくもあった。
 「紫胤」
 掌教真人は、白き眉の下の眼差しを和らげた。
 「一人で抱え込んではならぬぞ」
 「涵素真人」
 ぞくり、とする。この男から「涵素」と名前で呼ばれると、全身が粟立つような心地がする。
 「どうか、わたしをお気遣い下さるのと同じだけのご慈愛を以て、わが弟子たちをもお導きくださるよう」
 常のごとく淡々とした、しかしどこか艶めいた声音で請われ、掌教真人はすでに頭の奥が痺れたようになっている。
 「それほど弟子らが可愛いか」
 つい、聞かずもがなの問いかけをしてしまい、掌教真人は目を泳がせた。
 自分とて、娘は愛しい。
 娘のためならば、この命を削ることも厭うまい。……他の弟子ならば、どうであろう。
 小さく溜め息をついた時、紫胤真人がふっと目をそむけて、左手で胸の辺りを押さえた。
 百里屠蘇の身に宿った剣霊を抑え込むために、紫胤もまた激しい内傷を負っている。つい先刻も、少しばかり血を吐いた。
 「紫胤」
 「いや、ご心配にはおよばぬ」
 紫胤は胸に当てていた掌を、掌教真人に向けて制した。その顔は、苦痛などまるでないかのように 涼しい。
 が。
 ふたたび紫胤は顔を背け、そして今度は背を丸めて胸元を強く握りしめた。
 「紫胤」
 掌教真人は少しうろたえて手をのばした。痛みに強ばるその身体を支えて、近くの卓へといざなう。
 「掛けなさい、紫胤真人」
 狼狽を押し殺し、掌教真人はなるだけ有無を言わせぬ厳かな声音で、そう命じた。
 紫胤は素直に従い、椅子に腰かける。
 痛みの波が引いたのか、その面持はすでに常と変らぬ静けさを湛えている。
 「今、薬膳でも用意させよう。禅房にこもるまえに少し精をつけておくとよい」
 自らも傍らに腰かけて、掌教真人は労りの言葉をかけた。
 「いや。修行には無用のもの」
 にべもない答えに鼻白みつつ、掌教真人はいくぶん肩を落とした。
 「そなたは昔から潔癖すぎる」
 「あなたが鷹揚すぎるのだ」
 紫胤が口許に小さな笑みを浮かべた。
 鷹揚とはまた、控え目な言いようだと、掌教真人は苦く笑った。
 「そうだな。私はそなたとは違って、若いころにはよう修行を抜け出しては、肉を喰ろうていた」
 ふたり、低く笑い合う。
 「それでも、天墉城の長にまでのぼりつめたのだぞ」
 「眉もすっかり白くおなりだ」
 初めて紫胤と出会ったころには、眉はまだ黒かっただろうか、と掌教真人は遠い昔を想う。
 「それを申すな。これでも気に病んでいる」
 「いいえ、よく似合うておいでだ。風格が備わって見える」
 目を伏せ、微笑を湛えたまま、紫胤がそう言ったので、掌教真人は少し意地悪く、「見えるだけか」と嗤って問うてみた。
 紫胤はゆっくりと目を上げ、そして微笑んだ。
 「いや……、頼りにしている」
 その艶やかな笑みに、掌教真人は思わず息をのんだ。
 そうだ。
 この男を、守ってやらねばならぬ。
 掌教真人は改めてそう思った。
 「もっと頼ってよい」
 「……」
 うなづいたが、美しい目はまたも伏せられている。まるではぐらかされたかのような気がして、掌教真人は少し苛立つ。
 後ろめたさが、あるせいかもしれぬ。
 掌教真人は、またひとつ溜息をついた。
 「すまぬことをしたと、思っている」
 長い間、言わずにいた言葉が、口から漏れた。
 紫胤は微かな笑みを口辺に刻んだまま、何も言わない。
 「そなたにとって、天墉城はさぞ生きにくかろう」
 その昔、諸国を流浪していた紫胤を、掌門みずから三顧の礼で天墉城へと迎え入れた。天墉城の執剣長老にふさわしい者は、紫胤真人を措いてないと、惚れこんだのだ。
 だが。
 それはまるで、鳳凰の翼を捥いで、狭い檻に籠めたようなものではなかったか。
 自分はこの男から、果てない大空を奪ったのではないか。
 掌教真人はうなだれて、紫胤の右手をとった。
 その手の平をそっと開けば、そこには無残に焼け焦げたような、どす黒い傷痕があった。
 その傷痕へと、気を込める。
 「おやめなさい、掌門。あなたの霊力はこのようなことに使うためにあるのではない」
 淡々とした声で、諌められる。それでもしばし、掌教真人はその傷痕へ気を送り、紫胤もまた無理に手を引くことはしなかった。
 紫胤の言うとおりである。
 掌門たる身の霊力は、たやすく空費すべきものではない。焚寂剣の剣霊が放つ邪気に著しく侵された内傷までは、癒してやるわけにいかぬ。
 それでも、せめて。
 「きれいになったぞ」
 黒い傷痕が消えた紫胤の手の平を、掌教真人は慈しむように撫でた。
 「すまぬ」
 紫胤もまた、己の掌をじっと見つめている。
 この男から空を奪い、檻に籠めたのはほかならぬ自分である。ならばせめて、この男の清らかな魂を自分が守ってやらねばならぬ。
 「この先もずっと、百里屠蘇をそなたの手で育ててゆくつもりか」
 その問いに、しばしの沈黙が降りる。
 だが、それは、紫胤が答えを迷うからではなく、むしろ、紫胤ははじめから決まりきった己の答えを、じっくりと反芻しているように見えた。
 天墉城の執剣長老であることと、百里屠蘇を弟子として手元に置き慈しむこととは、相容れがたいものではないか、と掌教真人は思う。
 そして自分は、と掌教真人は己の心の内を顧みた。
 自分は今、百里屠蘇を疎んじているのではないか。あの子供が紫胤真人に大いなる災いをもたらしはすまいかと、掌教真人は畏れている。天墉城という檻と、百里屠蘇との間で、紫胤が苦しむ姿を見たくない。
 掌教真人は白い眉を寄せた。
 と、その時、傷痕の消えた紫胤の手が、ふわりと掌教真人の手を握り返してきたた。
 うなだれていた顔をはっと上げ、掌教真人は紫胤の澄んだ目を見る。
 「涵素真人」
 嗚呼、と掌教真人は目を細めずにおれぬ。美しい唇がその名を紡ぐ度、恍惚となる。
 「わたしは天墉城の執剣長老たるわが身を、嬉しく思っている」
 低く優しい声音が、楽の音のごとく耳をくすぐる。
 「天墉城なればこそ、その執剣長老たる立場なればこそ、あの子らを守れることもあろう」
 紫胤のもう一方の手も、掌教真人の手の上に重なる。
 「そして、掌門……、あなたのお力にすがることもできる」
 優しすぎる微笑に、掌教真人は慄いた。
 「それゆえ、感謝しているのだ」
 淡い微笑が、掌教真人の頭を痺れさせる。 
 「どうか、我が弟子たちをお守りくださるよう」
 仄白い姿と、心地よい声が、掌教真人の目と耳に、刻みつけられた―――――――。



 そして今、その弟子・陵越が、弟弟子である百里屠蘇のためにその身を投げうとうとしている。
 掌教真人は嘆息し、陵越の言い分を聞き届けた。
 (紫胤よ、そなたの弟子は浄く逞しく育ったものだな)
紫胤と、この陵越が、これほどまでに守る百里屠蘇を、いましばらくは見守ってやらねばなるまいと思う。
 (天墉城の長として、そう長く見逃すわけにはゆかぬゆえ)
 紫胤の顔を見、声を聴きたかった。
 いま一度、あの滑らかな掌で、この手を包んでほしい。
 (戻ってまいれ)
 掌教真人は露台へ出て、空を見上げた。
 禅房から、空は見えまい。
 早く、共にこの空を仰ぎたいと、掌教真人心から願った。
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