古剣奇譚

紅玉つれづれ2 (『古剣奇譚』 #43 )

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2015年8月1日の作品。
43話の紫胤さま見て、心が千々に乱れたらしい(>_<)
そんなやり場のない思いを紅玉姐に託した、と当時書いていますw


 出迎えた紅玉と掌門父娘は、執剣長老の憔悴した様子に息を飲んだ。
 「屠蘇は?ご一緒ではないのですか」
 一人で戻った紫胤真人に、紅玉は思わずそう尋ね、すぐに悔いた。屠蘇の名を聞いた瞬間の、主のひどく傷ついたような眸の色が、紅玉の胸を鷲掴みにしたせいだ。
 すべてを、理解した。
 心のどこかで、わかっていたのだ。
 この四年、師に代わって百里屠蘇を見守ってきた紅玉である。
 屠蘇は既に、四年前の屠蘇ではない。紫胤真人の懐で、風にも当てず、雨にも晒さぬよう、大切に守られてきた雛鳥ではないのだ。
 屠蘇には、この天墉城よりも、広い外の世界こそが似合っていると、紅玉自身、そう思い始めていたではないか。
 しかし。
 今、こうして主の顔を見ると、紅玉の胸は切なさでいっぱいなる。
 屠蘇を下山させた己れの判断さえ、どこか悔やまれてならぬ。
 少しうなだれた、紫胤真人の姿が痛ましい。
 紅玉が目のやり場に困っていると、紫胤はふと気をとりなおしたように心持ち顔を上げ、うっすらと笑みを浮かべた。
 「私が心得違いをしていたようだ。屠蘇の進む道を決めるのは私ではなく、天ですらない。屠蘇自身が選び、己れの足で進むのだということを、私は見失っていた」
 その微笑があまりに美しくて、紅玉の胸に熱い塊が膨れ上がる。
 隣にいた掌門も同じ思いなのか、小さなため息が漏れ聞こえた。
 紫胤はそれへと向き直り、少し頭を垂れた。
 「陵端が処遇をお任せいだき、かたじけない」
 静かな、声音であった。
 下界へ降りる前、陵端への裁きを自らに委ねてくれるようにと、掌門にかけあった紫胤を思い出す。
 物言いこそ常のごとく淡々としてはいたが、そこに秘められた静かな怒りに、肝の冷える思いがしたものだ。掌門にさえ、否やを言わせぬ強い響きが、その声にはあった。
 日頃、心を見せぬ主が、今度ばかりは心底苛立っているのだと、紅玉は身のすくむ思いであった。
 なんとしても、屠蘇を救うのだと言う、紫胤の並々ならぬ思いが、ひしひしと伝わってきたというのに。
 あの熱い苛立ちを、紫胤は下界へ置いてきたのだろうか。いまはまるで、脱け殻のような淋しい静けさを湛えている。
 「いや、あれがあそこまで心捻れるのを看過したのはわが不徳のいたすところなれば、謝るのは私のほうだ。そなたの大切な弟子を、長き年月に渡り苦しめたこと、この通り、私から侘びる」
 掌門がその声に苦渋をにじませ、頭を下げた。
 流石に紫胤は少し驚いたように目を瞠り、それからそっと掌門の手をとる。
 「どうか頭をあげられよ」
 紫胤はいま一度微笑もうとしたようだったが、果たせずに唇を噛んだ。その表情が痛々しく、紅玉はそっと眼を背けた。
 そんな様子に居ても立ってもいられなくなったのか、芙蕖もまた、深く頭を下げる。
 「二師兄のことでは、私にも責任の一端があります。お許しください」
 涙ぐむ芙蕖を、紫胤は穏やかな声で慰めた。
 「そなたのせいではない。このような事態を見越せなんだは私の不明でもある。それに、陵端のことはもう終わったのだ。気にせずともよい」
 どうにか微笑した紫胤の唇から、しかしながら小さな吐息が漏れた。そのさまを、掌門の目が痛ましげに見ている。
 「疲れておるようだ。少し休むとよい」
紫胤は掌門へ眼を向けることなく、小さくうなづいた。




 「このまま臨天閣へお戻りになりますか」
 主と連れだって歩きながら、紅玉は遠慮がちに尋ねた。
 紫胤は一呼吸おいてから、小さく微笑する。
 「いや。剣閣へ参ろう」
 「―――はい」
 主不在の間、紅玉が守ってきた剣閣に、不備はないはずである。
 いつ主が訪れてもよきように、手入れも行き届いている。
 剣閣に所蔵されている数多の剣を、紫胤真人は丹念に見て回った。
 時にはその刃を愛しげに撫で、或いはまた柄を手に取りその重みに目を細めた。
 そのさまは、永き時を経てきた剣たちに癒しを請うているかのごとく、紅玉には見えた。
 時は移ろい、世は変わり、人の心もとどまることはない。
 されど。
 「我らはいかなる時も、この剣閣でご主人様をお待ち申し上げております」
 変わらぬ忠義と愛とを、いついかなる時も主に捧げるため。
 主の身を守り、主の心を鎮めるため、こうして己れら古き剣たちはここにいる。
 紅玉の言葉に紫胤は目を伏せ、淡く微笑んだ。
 
 どうすれば慰められるだろう。
 どうすれば、この人の心の隙間を埋められるだろう。
 「何を泣くのだ、紅玉」
 優しい声音でそう尋ねられて初めて、紅玉は己れが泣いていることに気づいた。
 違う。
 泣いているのは、自分ではない。
 自分と言う古き剣が、その刃に映しているものは、目の前にいる主の心だ。
 自分の目から零れているこの涙は、そのまま主のものにほかならぬ。
 紅玉はゆるゆるとかぶりを振り、ついに両手でその顔を覆った。
 主は黙ってそこに立っている。
 この沈黙が、いつまでも続けばよい。
 主とただふたり、古き剣たちの見守る中で、黙ってこうして悠久のときを刻みたいと、紅玉は思った。
 「泣かずともよい。屠蘇も、陵越も、私が望むより遥かに成長した。これほど悦ばしいことがあろうか」
 「……仰せの通りです」
 師の深い無償の愛情が、ふたりの弟子をここまて導いてきたのを、もっとも間近で見てきた紅玉である。
 ふたりの弟子らの成長が、確かに紫胤真人を満足させるに値することも、紅玉は充分承知している。
 しかし、頭で納得しても、心がついてゆかないのだ。
 悦ばしいと言いながら、主のこの、まるで半身をもがれたかのような憔悴ぶりはどうだろう。掌中の珠を手放す覚悟を決めた、その痛みと哀しみを思うとき、紅玉はやり場のない憤りをどうすることもできぬのだ。

 なぜ。

 なぜ誰もかれも、この人を悲しませるのか。
 どうして、この人にこんな哀しい顔をさせるのか。

 この人は、確かに強い。
 誰よりも強く、高潔だ。

 しかし、強く高潔であるがゆえに、孤独でもある。
 愛するもののために己れの身を削ることを厭わず、己れから去るものを赦し、そうしてこの人の魂は血を流す。

 せめて私は、と紅玉は涙にぬれた顔を上げた。
 そこに主の穏やかな顔がある。

 「この先、私があの子たちにしてやれることは、守ることではなく、見届けることかもしれぬ」

 ならば。

 共に見届けようと思う。
 そうだ、せめて自分は、いつまでもこの人の傍らにあって、同じものを見、同じ痛みを分かち合おう。
 己れのごときものが、この気高き剣仙を支えられるとは思わぬ。だが、そばにいて、その心を受け止めたい。

 「はい」
 
 この命のある限り。
 たとえいつか、刃がこぼれ、身は錆びつこうとも、命ある限りこの人に仕えよう。

 紅玉はいま一度、己れにそう誓った。


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