一枝梅.風中の縁

百花魁5(『怪侠一枝梅&風中の縁』)

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2016.3.13の作品

 明け方の冷え込みに身震いして、莫循は目を覚ました。
 いつの間にか居眠りをしていたらしい。
 はっとして歌笑の脈をとった。
 大丈夫だ。
 ほっと息をつくと、歌笑が身じろいだ。
 瞼が重そうにひらかれる。
 「歌笑」
 その目がしばらく天井をぼんやり眺め、あたりをさまよい、そしてようやく莫循に向けられる。
 「……九爺、無事だったか」
 歌笑の目が優しく細められた。
 「ああ。おまえのおかげだ」
 莫循は両手で歌笑の手を握りしめる。
 すると、歌笑がわずかに眉をひそめた。 
 「つめたいな」
 はっとして、莫循は手を離そうとした。
 が。
 「いや……、このままでいい」
 強く握られて、左手が歌笑の手の中に残される。
 「おまえの手まで冷えてしまう」
 困惑して手を引き抜こうとしたが、弱っていたはずの歌笑の力は存外強かった。
 歌笑が微笑う。
 「こうしていてくれ」
 しかたなく莫循はされるがままになっていた。
 触れ合った手のひらから、互いの鼓動が伝わるようで、莫循は改めて、歌笑の命が助かったことを胸にかみしめる。
 やがて、歌笑が小さく笑った。
 「あれほど剣が使えるとは驚いたな」
 少しからかうような眼差しが向けられる。
 「それでも、わたしのせいでおまえに傷を負わせた」
 自分がもっとしっかりしていれば。 
 「先にかばってくれたのはおまえだろう?」
 歌笑はそう言って微笑んだが。
 結局は役立たずだ、と思う。
 うなだれた莫循の耳に、歌笑の小さな呻きが聞こえた。
 「だいじょうぶか」
 慌てて顔を覗き込む。
 歌笑がもう一方の手を自分に差し伸べようとして、傷に障ったのだと気づいた。
 自分を慰めようとしてくれたのかと胸が痛くなる。
 「まだ動くな」
 「……离歌笑も形無しだな」
 歌笑は額に汗を浮かべて痛みを堪えながら苦笑している。
 汗をふいてやろうと手を伸ばした莫循に、歌笑がつぶやいた。   
 「着物を……、よごしてしまったな」
 ああ、と気づいて莫循は自分の着物を見下ろした。
 胸元にも膝にも、袖にも、歌笑の血が、赤黒く大きなしみを作っている。
 歌笑の汗を拭いてやりながら、莫循は笑った。
 「幸い、三娘が買ってくれた新しいものがある」
 「どう見たってあっちのほうが安物だ」
 歌笑が気の毒そうな顔をするのへ、莫循はゆるやかに首を横に振った。 
 「ここで上等の着物を着る必要があるか?」
 それに、町へ出てみて気づいたことがある。
 自分の着ているものは、どうやら町の人たちとは少し違っている。大仰というか、古風、というのだろうか? 
 町には、さまざまな地域から流れてきた人間も多くいたし、身分もいろいろだったが、自分と似たような着物を着た者にはついぞ出会わなかった。
 自分がどこから来たか。
 そんなことは、もはやどうでもよい。
 ただ、ここで生きていくならば、古い着物に用はないのだ。
 「ひとつだけ、頼みがある」
 莫循は少し声を低めた。
 「なんだ?」
 一瞬ためらって、望みを口にする。
 「もうしばらく、この家においてはもらえまいか」
 「もうしばらく?」
 歌笑が聞き返した。
 「おまえの傷が治るまででいい」
 言ってから、虫のいい話だと思った。
 出ていくと約束したのに。
 もっと早く出て行っていれば、歌笑にこんな怪我をさせることもなかったかもしれぬのに。
 「九爺」
 低く名を呼ばれて、莫循は小さくため息をついた。  
 「すまない。無理を言った」
 歌笑を見守るだけの力が、自分にはない。
 せめてこの足だけでも動いたなら、と莫循は目を伏せた。
 しかし。 
 「ここにいればいい」
 「え?」
 思いがけぬ言葉に、莫循は歌笑の顔を見る。
 歌笑の表情は柔らかかった。
 「好きなだけ、いろ。ずっと、だ」
 莫循は軽く目を瞠った。
 
 そのとき、部屋の戸が開いた。
 「おお、公主さまのお目覚めだな」
 柴胡のにぎやかな声が飛び込んでくる。
 「誰が公主様だ」
 歌笑が苦笑いした。
 「ほんとだわ。こんな小汚い公主様がいるものですか」
 三娘が腕組みしたまま肩をすくめる。
 「けど、九爺はまるで公主様みたいに大事に扱ってたぜ?」
 柴胡がそう言ったので、莫循は思わず顔を赤らめて、寝台から少し下がった。そっと盗み見ると、歌笑も少し目元を赤くしている。
 「それより九爺から聞いたわ。ゴー様を襲ったやつら、このまえの母娘のことを言っていたそうね」
 三娘が寝台の縁に腰をかける。
 「ああ。悪いが、それを確かめてきてほしい」
 歌笑の言葉に三娘がうなづく。
 「わかったわ。じゃあ……小梅はゴー様をお願い」
 そう言った三娘の言葉を、しかし、歌笑はさえぎった。
 「ここはいいから、三人で行ってくれ」
 でも、と不安げな三娘に、歌笑は少し眉を上げて、大丈夫だと請け合った。
 「この家は知られていないはずだし、医者ならここにいる。ふたりで大丈夫だ」
 「……それもそうね」
 こういうときの三娘の判断は素早い。当たり前の女性のように、いつまでも話を引っ張らない潔さが好ましいと莫循は思った。
 歌笑はよい仲間たちを持った、と思う。
 自分も歌笑の役に立てたなら。
 歌笑を守ってやれるならと。 




 「九爺、私たちの留守中、ゴー様をお願いね。それとこの子も……」
 白い鳩の入った鳥籠を三娘が莫循の鼻先へかざして見せる。
 ふっと、莫循の頭を何かがかすめた。
 「九爺ったら、ずっとゴー様につきっきりなんだもの。この子が干上がっちゃう」
 苦笑を返そうとして、莫循は微かに眉を寄せた。
 三娘の顔。
 白い鳩。
 あれは、誰だったろう?
 遠い日に、自分の名を呼んで、涙をこぼした人。
 「……ねえ、聞いてる? 九爺」
 「え、……ああ」
 我に返って、すこし狼狽える。
 「大丈夫? 疲れてるんじゃない?」
 小梅が心配そうに顔をのぞきこんできた。
 「いや、なんでもない」
 笑みを返すと、三娘と小梅は顔を見合わせてから、ちょっと肩をすくめてうなづいた。
 「それじゃゴー様。無理を言って九爺を困らせてはダメよ」
 「いいからさっさと行け」
 寝床から歌笑がしっしっと犬でも追い払うようなしぐさをし、三人は苦笑いしながら部屋を出て行った。

 夕方近くになって、歌笑が言った。  
 「すこし風が出てきたな」
 ふたりきりだと静かで、外の物音にも敏くなる。
 「ああ。この分だと明日はかなり風が強まりそうだ」
 莫循がそう言ったとたん、ふたりは思わず顔を見合わせた。
 「起こしてくれ」
 歌笑が少し慌てたように、頭をもたげる。
 莫循はそれを押しとどめた。
 「無理を言うな。わたしでは庭まで運んでやれないぞ」
 「俺が傷を負ったときは、ここまで連れて帰ってくれただろう」
 歌笑は起き上がろうとする。
 「あの時は……」
 必死だったのだ。
 だが、思うにまかせず、あやうく歌笑を死なせるところだったではないか。
 困ってため息をついた莫循に、歌笑は笑った。
 「冗談だ。歩ける」
 言い出したら聞かない男だ。
 莫循はしかたなく歌笑の着物をとって手渡した。
  

 莫循の車椅子に寄りかかりながら、歌笑は梅の花に顔を近づけた。
 「やっと見ごろを迎えたというのに、明日の風でどうなることやら」
 蓬髪と無精髭が武骨に見せているが、离歌笑という男は意外に繊細な心の持ち主であると莫循は思う。優しい顔立ちと深い悲しみを湛えた目は、世の無常と美しさを知り尽くしているように見える。
 「氷肌玉骨、といったな」
 歌笑が静かに言った。 
 莫循はうなづく。
 「ああ。まさにその風情だろう?」
 「玉骨とはいっても、ずいぶん老骨だが」
 歌笑が小さく笑ったので、莫循も苦笑した。
 「……わたしも同じかもしれない」
 莫循がそう言うと、歌笑は不思議そうに視線を下げた。
 莫循は目を合わさなかった。ただ、深々と息をつく。
 「……はるかな時を経て、いまここでこうして、おまえといるのかもしれぬと、そう思ったのだ」
 「おかしなことを言う」
 歌笑が小さく鼻を鳴らした。
 梅の小枝を指先でもてあそびながら、歌笑は優しい口調で言った。
 「たとえ老木でも、こうしていま目の前で花を咲かせているだろう?」
 莫循は黙ってその言葉に耳を傾ける。
 「おまえがどこから来て、何者なのか、そんなことはどうでもいい。いま、目の前にいて、同じ花の香りをかいでいる。それで充分だ」
 歌笑の手が、莫循の肩に置かれた。

 大切な人々を時の向こうに置いてきた歌笑だからこそ言える。
 いまこうして触れ合えること、同じ時を刻めること、それがいちばん大切なのだと。

 莫循は素直にうなづいた。

 ふたりはあたりが真っ暗になるまで、そこでそうして佇んでいた。
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