一枝梅.風中の縁

百花魁4(『怪侠一枝梅&風中の縁』)

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2016.3.7の作品

 柴胡に大荷物を持たせて、三娘が意気揚々と帰ってきた。
 「ほら、もたもたしないでここに並べなさい」
 首から肩から幾重にも風呂敷をぶら下げ、背には梱を背負い、両手にも荷物を提げた柴胡がよろよろと入ってきた。
 食料や当座の暮らしに必要なこまごました物を、まとめて買いだしてきたらしい。
 「あとは、ほら、ゴー様の着物も新調したわよ」
 もう春だし…と三娘は買ってきた着物を歌笑にあててみた。歌笑が迷惑そうに明後日の方を向いているのを、莫循はそばで茶を飲みながら笑って見ている。
 三娘は、右から左から歌笑の着物を眺めて悦に入った様子だ。
 「うん、いいわね。寸法もぴったりのはず。それと…」
 風呂敷包みの中から、三娘はもう一着取り出した。
 「こっちは九爺に」
 「え…」
 不意に自分の名が出て、莫循は口にしかけた茶杯を茶卓へ戻した。
 「わたしに?」
 「着たきり雀というわけにはいかないでしょう? かと言って、この連中の着古しなんて以ての外だもの」 
 特に…と三娘は後ろでへばっている柴胡を一瞥して肩をすくめた。
 「ああ、やっぱり九爺には白が似合うわね」
 莫循の胸にも着物をあててみて、三娘は自分の見立てに満足したらしい。
 歌笑と莫循は、顔を見合わせてすこし笑った。
 「…医館に必要なものも、そろそろ揃えないとな」
 笑みをおさめて、歌笑が言う。
 莫循は微笑をたたえたまま、すこし眼を伏せた。
 「じゃあ、わたしが九爺と明日あたり出かけてこようか。私なら薬屋に顔も効くし」
 小梅がそう申し出るのを、歌笑が遮った。
 「いや、明日は俺がついていこう。ついでがある」
 「ゴー兄さんがそんなに面倒見いいなんて、雨でも降らなきゃいいけど」
 肩をすくめて小梅が笑った。 






 見渡す限りの梅の花に、莫循は満足げに眼を細める。
 薄墨を流したような夕闇が、白梅の姿を浮かび上がらせていた。
 医館のための買出しにかこつけて、歌笑が莫循を連れ出したのは町の南側にあるこの梅林だった。
 「庭の古びた木じゃあ、物足りないかと思ってな」
 車椅子を押しながら、歌笑がそっけなく言った、
 「いや…、あれはあれで風情がある」
 莫循は目を閉じ、花の香りを楽しみながら言った。
 「氷肌玉骨という言葉があるのを知っているか…」
 問われて歌笑がうなづいた。
 「美人のたとえだろう。滑らかな肌と美しい容姿。たぐいまれなる美女のことだ」
 自分の答えに、歌笑は満足げに眉を上げた。莫循は顔を上げてうなづき、補足した。
 「梅の花と、梅の幹を表す言葉でもある」
 「ああ、…そうだったな。それが?」
 歌笑が首をかしげる。
 莫循は小さく笑った。
 「庭のあの梅を見ていると、ふとその言葉を思い出すのだ」
 歌笑が、頬に短く皮肉げな笑みを浮かべる。
 「俺にはただの老いぼれた木に見えるが」
 さもあきれたように歌笑はそう言ったが、莫循は気にする様子もなく微笑んでいる。
 「だが、あの木に惚れこんであの家を買ったのは、ほかならぬ貴方だろう?」
「それはそうだが…」
 言いかけて、唐突に、歌笑が言葉を切った。

 ―――ヒュ……

 空気を裂いて何かが飛んでくる。
 歌笑が車椅子をぐいと押しやって自分も仰け反りながら、腰に帯びた短剣を鞘ごと引き抜いて、暗器を叩き落とした。
 間をおかずに、いくつかの暗器が飛来する。
 「九爺、下がってろ!」
 力任せに車椅子を突き飛ばし、歌笑は油断なく身構える。
 黒覆面の一団が、宵闇の中から姿を現した。
 「……何者だ?」
 低く、歌笑が問う。
 じりっ、と間合いをはかって後ずさりながら、囲みの輪が崩れる瞬間を待つ。
 頭立った男が、覆面の下でくぐもった笑い声を立てた。
 「何者だと? それよりもっといいことを教えてやろうか?」
 歌笑は四方の気配を注意深く探りながら、男の声に耳を傾ける。
 「貴様らが西域へ逃した母娘がどうなったと思う?」
 その言葉に一瞬、歌笑がひるんだ隙をついて、輪が崩れた。
 歌笑はさっと身を沈めて一人目の剣を躱すと、その鳩尾へ拳を繰りこむ。身を折った相手の手首に手刀を落とし、剣を奪った。 
 「歌笑。剣を!」
 不意に声をかけられて、歌笑ははっと莫循を振り返る。莫循は、車椅子から半ば身を乗り出すようにして、片手を差し出していた。
 「…使えるのか!?」
 歌笑は自分の手の中の剣と、莫循の顔を交互に見た。
 そうする内にも左右から斬りこんでくる敵を躱して、ひとりの胸へ剣を突き立てる。
 「やってみなければわからない」
 そう答えた莫循へ、一瞬ためらったあと、歌笑は血濡れた剣を投げた。
 車椅子が滑るように動いて、莫循が過たずに剣の柄をその手に受け止める。
 それと同時に、その剣は暗器をつづけさまに叩き伏せた。
 その手並みの鮮やかさに、歌笑は舌を巻いた。
 莫循が剣を使えるとなれば、歌笑も憂いなく動ける。高く跳躍して剣を突き立ててくる相手から軽く身を翻し、背後へ回ってその背へ鋭く肘を落とす。血反吐を吐いて地に伏す相手には目もくれず、後ろからの剣をかわした。
 歌笑の蹴りに、またひとり、梅の花を散らせながら斃れる。
 歌笑はふっと息をついて、莫循を振り返った。
 車椅子はまるでそれ自体が莫循の脚ででもあるかのように、軽やかに舞っていた。
 剣を振るう姿さえ優雅で、ほんの一瞬、歌笑は見惚れたのだ。
 「歌笑!」
 不意に莫循が叫び、車椅子が猛烈な勢いで歌笑めがけて走り寄る。
 カン! と歌笑の耳元で、暗器が莫循の剣に撃ち落された。
 続いて莫循は、すかさず歌笑の腰から短剣を引き抜くと、鞘を払って暗器の飛んできた方へと投げる。断末魔の悲鳴が上がった。
 その声で、ようやく歌笑は我に返った。
 そして。
 最後に残った頭目らしき男の剣が、莫循の胸に迫るのを、歌笑は目の端にとらえた。
 暗器が放たれてからここまで、ほんの瞬きひとつふたつの間の出来事だ。
 歌笑は、咄嗟に莫循の身体を突き飛ばす。その手から剣をもぎとりながら。
 莫循は車椅子から横倒しに転げ落ちた。
 ぐさり、肉を抉るいやな音がする。
 歌笑と相手の男は、刺し違えて互いにその場に膝を折った。
 「离歌笑!!」
 倒れた莫循の声が、宵闇の梅林に響いた。



   * * *



 「九爺。少し寝んだほうがいいよ。ゴー兄さんはわたしが看てるから」
 小梅の言葉に、莫循はかぶりを振った。
 ここへたどりつくのに、どれほどかかったことか。
 己れの身を車椅子に引き上げることだけでも、莫循にとっては難儀なことだっのだ。
 傷ついた歌笑を膝へ抱き上げ、闇にまぎれて人目を忍びながら、ようやく帰り着いた。
 「わたしのせいでこんなことになったのだ。目を覚ますまでここにいさせてくれ」
 小梅は三娘と柴胡を振り返る。ふたりとも溜息をついて首を横に振った。
 しぶしぶ小梅も二人と一緒に部屋を出る。  
 「あれじゃ九爺まで倒れちまうぞ」
 「しかたがないよ。そうなったらわたしが二人まとめて面倒看るから」
 小梅が力なく苦笑いする。
 「ゴー様だけでも手がかかるのに、九爺も案外頑固ね」
 三娘も深くため息をついた。

 歌笑の傷はわずかに急所をそれてはいたが、かなりの深手だ。
 手当てするまでに失血が多すぎた。
 連れ帰るのに手間取った自分のせいだと、莫循は唇を噛む。
 今日ほど動かぬ足を怨んだことはない。
 車椅子を漕がねばならぬ両手は、朱に染まって喘ぐ歌笑をしっかり抱き支えていることさえままならなかったのだ。膝から力なくずり落ちていく身体を、幾度も幾度も引き上げながら、莫循はもどかしさに涙を止めることができなかった。一刻も早く、連れ帰って手当をせねばと思う苛立ちで、気がおかしくなりそうだった。
 間に合ったのは、ただ運が良かったとしか言いようがない。
 莫循は自分の脚を拳で打った。
 「ふがいない脚め…」
 危うく歌笑の命を失わせるところだった。
 莫循はため息をつき、歌笑の額に当てた布をとり、水に浸した。
 車椅子を漕ぎ続けた手は傷だらけになっていたが、夜の水の冷たさに痛みさえ鈍る。手はすっかり冰のように冷えていた。
 ふと、莫循は眉を寄せた。
 「まえにも…」
 こんなことがあったような、と思う。
 冷たい水に、幾度も幾度も手を入れた。
 誰のために?
 ―――莫循は首を振って、雑念を払った。
 いまは歌笑を助けることだけ考えよう、と。
 莫循はこまめに歌笑の脈をとり、熱を確かめ、小梅に用意させた薬草を乳鉢の中ですり合わせる。
 白湯で溶いた薬を、一匙ずつ歌笑の口に運ぶ。
 しかし、薬は空しく歌笑の口の端から毀れるばかりだ。
 莫循は眉を寄せ、乳鉢の中の薬を見下ろした。
 すこし逡巡してから、薬を自分口に含む。
 歌笑の首をそっと持ち上げ、その口に自分の唇を重ねた。
 すこしずつ、薬を流し込む。
 ごくり、とようやく歌笑の喉が動いて、薬を飲み下したようだ。
 ほっとして、莫循は幾度か同じことを繰り返した。
 できることなら、いますぐ自分の血を与えてやりたい。
 莫循は今一度、歌笑の脈をとった。
 大丈夫だ。
 幾分乱れはあるが、先刻よりもだいぶ落ち着いてきている。
 「歌笑」
 低く、名を呼んでみる。
 まだ、いらえはなかったが。
 乱れた髪をかきあげてやる。
 一見、男くさい風貌に見えるが、歌笑は存外綺麗な顔立ちをしている。
 いつも寂しい眼をして。
 傷ついた獣のような。
 「かわいそうに」
 ろくに櫛も入れていない髪を、そっと撫でた。
 過去を失った自分と、過去に縛られた歌笑。
 失った?
いや…、と莫循は思った。
 自分は恐らく、過去から逃げてきたのだ。
 そのつらさに耐えきれず。
 「おまえは、……まだ戦っているのだな」
 痛々しい、と思う。
 支えてやりたい、と。
 両手で、歌笑の手を包み込んだ。
 「もう、苦しむな…」
 その手にくちづけて、莫循は一筋涙を流していた。
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