一枝梅.風中の縁

百花魁3(『怪侠一枝梅&風中の縁』)

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2016.3.6の作品

 「九爺。九爺」
 朝餉をとってしばらくした頃だ。三娘が慌てて莫循の部屋へ飛び込んでいく。
 のんびり朝酒を酌み交わしていた歌笑と柴胡は顔を見合わせて、あとに続いた。
 「鷹にやられたらしいの。なんとか飛べるようにならない?」
 三娘の手の上には、白い鳩が朱に染まって横たわっている。信鴿として使ってきた鳩だった。
 「そんな血まみれになってたんじゃ、もう無理だろう。可哀想だが、焼いて食っちまおうぜ」
 柴胡の言葉に三娘が睨み返す。
 「なに言ってるの、この子には随分働いてもらったんだから。あんたなんかよりよっぽど賢い子よ」
 柴胡は大袈裟に肩をすくめて見せたが、それ以上何も言わない。柴胡自身、できることなら鳩を助けてやりたいと思っているのが歌笑にもわかる。
 「見せてごらん」
 莫循が両手を差し出した。
 白い着物の袖が血で汚れるのも構わず、傷口を丹念に確かめる。
 「ごめんなさい。こんな時に限って小梅は舞台の仕事が入って留守なのよ」
 「肝心な時に役に立たねえ野郎だな」
 柴胡が顔をしかめた。
 「大丈夫。なんとかするから」
 穏やかな声で、莫循が言った。
 「真的!?」
 顔を輝かせた三娘に、莫循は安心させるように微笑む。
 「やれやれ、食い損ねたな」
 がつん、と三娘の拳が柴胡の顎に命中した。
 





 久しぶりにいい酒が手に入って、昼だというのに歌笑はもうだいぶ飲んでいた、
 そういえばまだ一度も酒を酌み交わしていなかったと気づき、酒甕と盃を持参で莫循の部屋を訪れる。
 部屋には誰もいない。
 窓の外へ目をやる。
 案の定、梅の木の下に、車椅子に乗った仄白い姿があった。
 「九爺!」
 窓越しに声をかけると、莫循はすぐに気づいて歌笑を振り返った。
 歌笑は莫循に向かって酒甕をぶらぶらと振って見せた。既に見慣れた微笑が返ってくる。莫循はゆっくりと車椅子の向きを変えた。
 自分で車椅子を漕いで部屋に戻ってきた莫循に、歌笑は早速酒を注ぐ。
 「たまにはつきあってくれ」
 盃を渡す時に、少し手と手が触れた。
 莫循の手の冷たさに、歌笑は眉をひそめる。
 「どれだけあそこでぼうっとしてたんだ?」
 莫循はすこし困ったように微笑って目を伏せた。
 「…そう長い間ではないよ」
 どうだか、と歌笑は少し腹立たしげに息を一つついた。
 「温めてくればよかったな」
 酒甕を一瞥して言う。
 莫循は微笑して首を振った。
 「飲めば温まる」
 そう言って盃を干すしぐさも、また優雅だ。
 歌笑は窓を閉じ、それから莫循にもう一杯酒を注ぐ。
 「今日は冷える。もう外へ出ないほうがいい」
 莫循の体力は、まだ回復していない。もともとそう丈夫なたちではないのだろうと小梅は言っていたが。
 歌笑は、自分も手酌で一杯空けた。
 「梅の花も、綻ぶのをためらっているようだ」
 花が増えない、と莫循が苦笑しながら甕を受け取り、歌笑の盃に酒を注ぐ。
 それもすぐさま歌笑は飲み干した。
 「もうだいぶ聞し召しているようだな」
 「なに、大した量じゃない、これからが本番だ」
 莫循から酒甕を取り返すと、またふたつの盃にそそぐ。
 「鳩は、助かりそうか?」
 「大丈夫。急所は外れていた」
 鳥かごの中で、鳩はじっとうずくまっている。
 「そうか。無理をさせて悪かったな」
 「いや、役に立ててわたしも嬉しいよ」

 莫循と飲む酒は、いつになく歌笑をほろ酔い気分にさせた。 
 「もうそれくらいにしておいたほうがいい」
 甕を傾けようとする手を止められて、歌笑はぼんやりと莫循の顔を見る。その顔から眼が離せなくなった。
 「なんだ?」
 穏やかに問いかけられて、歌笑はようやく息を吐き出し、視線を手の中の盃に戻した。 
 「いや…、自分の過去が思い出せないというのは、どんな気分なのかと思って」
 空の杯を眺めて、そう呟く。
 莫循は黙って睫毛を少し伏せた。
 「どうだと思う?」
 逆に問われて、歌笑はすこし自嘲気味に笑ってかぶりを振る。
 「想像もつかないな。俺はずっと、過去にしがみついて生きてきた男だから」
 時の向こうに置いてきた忘れえぬ人たちを想って、歌笑は寂しく微笑んだ。
 桌子に置いた歌笑の手に、柔らかく莫循の手が重ねられる。痩せて骨ばった、しかし思いのほか大きな手だ。
 歌笑はすこし驚いて、その手を見た。
 莫循の手が、優しく歌笑の手を揺さぶる。
 「今の貴方には、慕ってくれる仲間がいるだろう?」
 歌笑はその言葉をかみしめ、眼を閉じて小刻みにうなづいた。
 「ああ、そうだ…」
 喉をごくりと鳴らし、歌笑は重ねてうなづく。
 歌笑の手は、いつの間にか莫循に力強く握られていた。
 不思議に安らいだ心地で、歌笑は己れの手を莫循に委ねている。
 どう考えてもこの男のほうが、今は不安なはずなのに、と歌笑は胸の内で苦笑いする。
 いや―――。
 つらい過去なら、失ったほうが楽になれるのか?
 歌笑は黙って莫循の手を握り返した。


 


  
 
 「なんだ? 九爺の身の振り方って…、厄介払いしようって気か?」
 夕餉の席で莫循の今後について口にした歌笑に、柴胡が異論を唱えた。
 「本人の目の前でよく『厄介払い』なんぞと言えるな」
 歌笑は呆れたように顎を上げて眉を寄せた。
 「厄介払いじゃないなら何だってんだ?」
 「いつまでもここに置いておくわけにはいかないだろう」
 しつこく食い下がる柴胡に少し苛立って、歌笑は声をとがらせる。
 「いいじゃねえか、一人増えようが増えまいが、大した変りはねえだろう」
 「そういう問題じゃないでしょ」
と小梅が歌笑を支持する。
 「九爺を、危ない目に遭わせることにだってなりかねない」
 三娘も思慮深くそう続けた。
 あ、と柴胡が口ごもる。
 ようやくほっと息をついて、歌笑は三娘の言葉を引き取った。
 「俺たちはべつに、後ろ暗いことをしているわけじゃない。だが、俺たちのすることをよく思わない連中はいくらでもいる」
 事実、幾度も死線をくぐってきた―――、とはさすがに口にしづらく、四人は言葉を飲み込んだ。
 黙って四人のやり取りを眺めていた莫循が、箸を置いて静かに微笑した。
 「私もいつまでもここで世話になるわけにはいかないと思っていた。もっと早くに、私から言い出すべきだったのだ」
 「ああっ、べつに急かすわけじゃないのよ、ちっとも」
 三娘が慌てたように手を振った。
 「うん。俺たちは少しも迷惑だなんて思っちゃいねえ。食い扶持が一人増えたとはいえ、あんたはそうガツガツ食うわけじゃなし、俺には何の差し障りもないからなっ」
 「ちょっと、食べ物の心配しかしないわけ!?」
 小梅がぐいっと自分の肩で柴胡の肩を押した。
 莫循は笑って、三人に掌をかざした。
 「いや、心遣いは嬉しいが…。私はこの身体だ。ここにいても、貴方がたと行動を共にするわけにはいかない。幸い、わたしには医学の知識があるらしいから、それを人の役に立てて暮らしていければと考えている」
 莫循の言葉に、小梅が顔を輝かせた。
 「それがいいよ。九爺なら立派にお医者様としてやっていける。わたしが保証するから」
 三娘も、悪くないわね、とうなづく。
 「町なかに家を一軒借りるか買うかして、そこで医館を開けばいいわ。しばらく小梅に手伝わせて、そのうち誰かマトモな助手を雇えばいいわね」
 「ちょっと。それじゃまるでわたしがマトモじゃないみたいじゃないの!」
 また口論になるのを、今度は歌笑が手で制する。それから莫循へと向き直った。 
 「わかった。あんたにその気があるのなら、その線で当たってみよう」
 わずかに微笑んで、歌笑はそれ以上なにも言わずに夕餉の菜を黙々と口に運んだ。
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