一枝梅.風中の縁

百花魁2(『怪侠一枝梅&風中の縁』)

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2016.3.6の作品w

 「すごいよ、ゴー兄さん」
 小梅が興奮気味でやってきた。
 「どうした」
 酒杯に注いだ酒を飲み干してから、歌笑は小梅のほうへ顎を上げた。
 「すごいんだよ、あの人」
 「あの人?」
 再び酒を注ごうとするのを見とがめて、小梅は歌笑から酒甕を取り上げる。
 「朝から飲みすぎでしょ」
 歌笑が「口うるさいやつばっかりだな」と肩をすくめる。
 「で? 誰がどうしたって?」
 「ああ、それそれ。九爺だよ」
 歌笑の向かいに腰かけて、小梅は桌子の上に身を乗り出した。
 「九爺?」
 「ああ、あの莫循て人だよ」
 歌笑はいぶかしげに眉を寄せた。
 「あいつには八人も兄がいるのか?」
 「んー」
 どことなくあどけなさの残る仕種で、小梅が首をかしげる。
 「それは思い出せないみたいなんだけど、九爺って呼ばれてたって」
 歌笑は、ふうんと気のなさそうな返事をひとつして、小梅の傍らに置かれた酒甕へ伸ばしかけた手を、ぱちんと叩かれる。
 「それでさ。その九爺だけど、もしかするとお医者様だったかもしれないよ」
 歌笑の手を払いのけながら、小梅は勢い込んだ。
 「医者?」
 半ば不貞腐れて明後日のほうを向きつつ、歌笑が問い返す。
 「医学の知識がすごいの。薬草のことなんて、びっくりするほどよく知ってる」
 へえ、と相槌を打って、歌笑は莫循の秀麗な面差しを思い浮かべた。知的で物静かな佇まいは、医者と言われればそんな気もする。
 「ご機嫌伺いにでも行ってみるか」
 とっくに空になっている杯から未練がましく最後のひと滴を口に流し込んでから、まだ熱心に喋り続けている小梅を置いて、歌笑は立ち上がった。

 
 

 莫循にあてがった奥の部屋を訪ねると、そこには既に三娘と柴胡がいた。
 「お揃いだな」
 戸口に凭れて腕組みしながら、歌笑は口辺にだけ短く笑みを浮かべる。
 「自分だけ仲間外れで妬いてるの?」
 三娘が揶揄するのへ小さく肩をすくめて見せてから、歌笑は寝台に腰かけた莫循へと歩み寄った。
 「九人兄弟で、医者だって?」
 莫循の前に立つと、顎を聳やかし、視線だけを下げて問いかける。莫循に対して必要以上に尊大な態度をとろうとしてしまう自分に、歌笑はすこし戸惑う。
 莫循のほうは、格別気を悪くした様子もなく、穏やかな笑みを浮かべた。
 「さあ。まだなにひとつ思い出せなくて」
 昨日の混乱からは既に落ち着いた様子で、莫循は柔らかな物腰と慎ましやかな表情を身にまとっている。
 「よかったら、隣に腰かけてもらえないだろうか。見上げているのも存外骨が折れる」
 緩やかに微笑まれて、歌笑は一瞬どきりとした。
 優しげに見えて、莫循の言葉には有無を言わさぬ威厳があったからだ。
 歌笑は莫循から視線を外し、小さく息をついてから、おとなしく従った。
 なんとなく主導権を握られたようで、忌々しい。
 そんな歌笑の気も知らぬげに、莫循が微笑んだ。
 「酒の匂いがする」
 言い当てられて、歌笑は眉根を寄せた。
 「俺の常備薬だ」
 「確かに酒は百薬の長というが、過ぎたるは及ばざるがごとしだ」
 穏やかだが、厳しさを含んだ声だ。
 「飲みすぎたことはない。常に適量だ」
 「よくそんなでまかせが言えるわね。この飲んだくれが」
 すかさず三娘の声が飛んだ。
 「誰が飲んだくれだ。俺は風雅を楽しみながら酒を飲んでいる。とやかく言われる筋合いはない」
 苦しい言い訳だ。案の定、三娘のほうが勢いを得る。
 「つらいと言っては飲み、嬉しいと言っては飲み、年がら年中酒浸りのくせに」
 「你っ…」
 言いつのろうとした歌笑は、莫循が深いため息をついたのに気づいて大きく息を吸い込んだ。吸った息をゆっくりと吐き出す。
 「確かに人よりすこし酒量が多いのは認めるが。ほんの少しだ」
 莫循が笑った気がして、歌笑は顔を背けた。
 柴胡が桌子の上に何やら図面らしきものを広げているのを目に留め、歌笑は慌ててそちらへ話題を移す。
 「なんだ、それは?」
 「ああ、これか」
 柴胡が図面を歌笑のほうへ向けた。
 椅子らしきものと車輪、その他さまざまな部品が描きこまれている。
 「わたしが頼んだのだ」
 静かな声で莫循が言う。
 「わたしの足はこの様子ではとても動くようにはなるまい。いちいち人の手を煩わせるのでは申し訳ないから、車椅子を作ってもらえればと思ったのだ」
 「車椅子…」
 改めて図面を見る。莫循の手によるものだろう、細やかで的確な図面だ。
 「きっと以前もこれを使っていたのね。ずいぶん具体的に描かれているもの。大丈夫、これだけ詳しく描かれていれば、チャイフーにだって作れるわ」
 三娘が太鼓判を押す。
 「チャイフーにだって、ってのはどういう意味だ!?」
 聞きとがめた柴胡の言葉を三娘は遮る。
 「いいから、早速作るわよ。遅い仕事なら牛だってやるんだから。賢いチャイフー兄さんなら、ちょちょいのちょいでしょ」
 図面を丸めて抱えると、三娘は柴胡の耳を引っ張って連れ去った。
 途端に、部屋の中が静まり返る。
 「皆、仲が良いのだな」
 微笑んだ莫循に、歌笑はくすっと鼻を鳴らした。
 「騒々しくて悪いな」
 莫循がかぶりを振る。
 「賑やかで、うらやましいよ」
 ゆったりと微笑う莫循の顔はどこか寂しげで、歌笑は思わず目をそらせて立ち上がった。
 「あれだけ細かく図面を描いてたんじゃ、ろくに眠れていないだろう? すこし休んだほうがいい」
 相手の顔を見ずにそれだけ言うと、歌笑は莫循を残して部屋を出た。
  
 



 三娘に尻を叩かれながら、柴胡は明るいうちに車椅子を作り上げた。
 実際に莫循を乗せてみて微調整をし、どうにか日暮れまでに完成する。
 「ありがとう。とても助かるよ」
 莫循が柴胡の手をとった。柴胡は柄にもなく照れて、赤くなっている。
 自分の手でゆっくりと車輪を回して莫循が真っ先に向かった先は、庭の隅の梅の木だった。
 柴胡と小梅、三娘がそれに従い、少し遅れて歌笑も続く。
 「また、少し蕾が開いたようだ」
 嬉しそうにつぶやいて莫循はほっそりした手を枝に伸ばしたが、花には到底届かない。
 車椅子からでは、 歌笑に抱かれて見たようにはいかない。
 莫循は小さな溜息をこぼして少し目を伏せた。
 次の瞬間、なにかを感じたように、莫循は思わず視線を上げる。
 小さな梅の花が、莫循の目の前にあった。
 歌笑の手が、一番下の枝を自分の鼻先まで撓めてくれているのだと、ようやく莫循は気づいたらしく、こうべを巡らせた。
 歌笑はこともなげに片頬で笑む。
 歌笑の手が離れると、梅の枝は元の位置に戻っていった。
 一番低い枝には、花がたったひとつしかついてはいなかったが。
 それでも莫循は嬉しげな微笑を見せた。
 「あ」
 と三娘が小さな声を上げる。
 小梅も、ああ、と顔をほころばせた。
 「なんだ?」と柴胡。
 「しっ。鶯だわ」
 遠く、鶯の声が聞こえる。
 まだおぼつかない囀りだが、春を告げる初音に、五人は耳をそばだてる。
 「じきにこの庭にもやってくるだろう」
 莫循が言う。
 春はもう、そこまで来ているのだ。
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