琅琊榜

怀念 (『琅琊榜』#1. 2. 12補完)

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郡主にも触れておきたいと思い、とりあえずドラマの場面を抜き書きしてみました。

 城門を目前にして、梅長蘇は馬車の帷を少しひらいた。
 感無量、などという言葉では足りぬほど、想いが溢れる。
 十二年ぶりの都である。
 あの日、この門を出て北へ向かったのは、若く、希望に満ちていた、十九の林殊。
 大梁への忠誠と、戦いへの高揚で、胸を熱くしながら。
 今ようやく戻ってきた自分は。
 もはや林殊でさえない。
 姿も、心も。
 あの日の林殊は、もういない。
 今から自分が都でやろうとしていることは……。

 そんな感慨に、道を空けさせようとする声と、幾つもの馬の蹄の音が割り込んできた。
 梅長蘇は帷の陰からそちらを覗き見た。
 その途端。
 (霓凰)
 胸に懐かしさが溢れた。
 一目でわかった。
 あの頃の霓凰は、まだたった十七の少女であったというのに。
 いま、目の前の霓凰は、景睿と豫津を相手に惜しげもなくその剣の冴えを披露している。
 こんなにも凛々しく、逞しく、そして美しく成長したそのひとの中に、あの頃のあどけない笑顔が蘇る。
 胸が苦しくなって、梅長蘇はそっと帷を引いた。
 薄暗くなった馬車の内にも、凜とした霓凰の声は届いた。
 覚悟はとうに出来ていたはずなのに。
 霓凰の前に、今の己をさらす勇気がない。
 仇となら、今すぐ対峙しても平静を装える。けれども。
 霓凰は眩しすぎた。
 この薄暗い帷の内で、血腥い謀略ばかりに心を砕く、青白い顔をした男が、明るい陽射しの下、颯爽と馬に跨がり、快活な笑顔を見せるその人に、何のかんばせあって会いまみえることができよう。
 誰よりも近くにいた二人は、光と闇ほどに隔たってしまった。
 いま初めて思いしる。
 今日から己を苛むものは、憎むべき仇ではなく、かつて愛し、共に笑い合った懐かしき人びとなのだと。
 霓凰の馬が、馬車の脇を通りすぎて行く。
 梅長蘇は息を殺して、耐えた。
 景睿と豫津の前で梅長蘇を演じることに慣れて、存外容易いと高を括っていたのかもしれぬ。しかし、この二人をあざむくことは、どこか少年の日の遊びの延長のようで、梅長蘇の中の林殊はそれを楽しんでいた部分もある。あの頃、二人はまだほんの子供で、林殊はよくからかって遊んだものだ。
 だが、これから梅長蘇が出会わねばならぬ人びとは。
 愛し、友情を誓い、馬を駈り、剣を競い、世を論じ、夢を語った者たちなのだ。
 そして今の自分は、見る影もない。

 霓凰の率いる一群が去ってゆく。
 遠ざかる蹄の音に、梅長蘇はようやく深い息を漏らした。
 情けなくて、苦い笑みがこぼれる。
 こんなことでどうするのか。
 梅長蘇の仮面は、もっと厚く、強くあらねばならない。





 思いがけず、太皇太后に召し出されたのは、武芸大会の初日である。
 皇太子や誉王との顔合わせとして臨んだこの日、懐かしい曾祖母に逢うことになったのだ。
 曾祖母の御前へ進む直前、梅長蘇は飛流に言い含めた。
 「これからお婆様に会う。呼ばれたら返事をし、菓子を渡されたら素直にいただきなさい。天下一穏やかなお婆様だ。言うことを聞くんだぞ」
 飛流は怪訝そうに首を傾げ、けれども真面目な顔をして頷いた。
 曾祖母は、飛流を気にいってくれるだろうか。そんな期待に、胸が高鳴った。
 それは、林殊として曾祖母の前にでることのかなわぬ寂しさをすりかえようとするかのようで、我ながら胸の内で苦笑が漏れる。
 せめて自分の代わりに、飛流を愛でる曾祖母の優しい微笑みに接したかったのだ。
 だが。
 梅長蘇は、この日のことを決して忘れはしないだろう。
 随分お齢を召したなと、懐かしさと寂しさの入り混じった想いで、梅長蘇は曾祖母と豫津らのやりとりを見守っていたのだ。
 やがて曾祖母は飛流に目を留めるだろうか。その子は誰の子かと問い、そばへ招きよせて菓子を賜るだろうかと、そんなことを思っていた。
 けれど。
 曾祖母はほかでもない、この梅長蘇に、「小殊」と呼びかけたのだ。
 景睿や豫津の顔さえ忘れるほどに老いた曾祖母が、変わり果てた姿の自分に、あの頃と変わらず「小殊」と。
 ――― 一瞬で。
 身の内を熱いものが駆け抜けた。
 「小殊。曾祖母のところへいらっしゃい」
 昔と変わらぬ、優しい声音に、こみあげてくる涙を必死に抑えねばならなかった。
 「どうしたの」
 促されて、梅長蘇は狼狽えた。
 『梅長蘇』として何か気の利いた台詞を吐かねばならぬと思うのに、曾祖母の手招きに応えて、ただぎくしゃくとそばへ近づいた。
 間近で顔を見せれば、がっかりさせてしまうやもしれぬと思った。
 林殊とは似ても似つかぬ、見知らぬ男であったと。
 顔を上げるのが怖かった。
 それなのに、すぐ近くで顔を覗き込んで、曾祖母は気づかわし気にこう言ったのだ。
 「小殊。痩せたのではない?」
 迸りそうになる激情を、梅長蘇は身を固くして堪えた。
 一言でも発すれば、熱い涙がこぼれ、嗚咽を漏らしてしまいそうだった。
 越貴妃がとってつけたような笑顔で口を挟む。
 「流石は太皇太后ですね。名高い天下の才子を、『小蘇』と呼ぶなんて。先生も驚いているわ」
 皇后や越貴妃の耳にも『小殊』と確かに聞こえたはずであった。
 それでも、彼女たちはそれを認めまいとしている。
 忌まわしい名。
 この十二年、決して誰も口にしてはならなかった、逆賊の名前である。
 『殊』と『蘇』の音が、いくぶん似通っているのを幸いに、笑い話として流そうとしている。
 しかし、曾祖母は聞いてもいなかった。
 「さあ、小殊。食べなさい。おまえの一番の好物でしょう」
 梅長蘇は恭しく両手を差し出してそれを受けた。
 まるで金銀にも勝る尊い宝を授かるように。
 『おばあさま』と呼びたかった。
 貴女の林殊が、ようやく戻ってきたのだと。
 曾祖母の膝にすがって、十二年の間堪えに堪えてきたものを、何もかも吐き出せたなら。
 どれほど幸せなことだろう。
 きっと昔のように頭を撫でて慰めてくださるはずだ。
 そうすれば何もかもが、元通りにいくのではないか。そんな夢のようなことさえ思った。
 曾祖母が、さらに霓凰をそばへ呼び寄せる。
 霓凰が、すぐ隣に膝まづいた。
 曾祖母の皺深い手が、梅長蘇と霓凰の手をとって重ねる。
 温かい手だ。曾祖母も、霓凰も。
 「二人ともいい子だね」
 日だまりのような笑顔で、曾祖母が言った。
 つらかった十二年が、まるで嘘のように溶けていく気がする。
 そして、曾祖母は言った。
 「いつになったら結婚するの?」
 瞬間。
 その場にいた一同が、失笑した。
 「勘違いをさせてしまったわ」
 困惑気味に莅陽長公主が苦笑する。
 霓凰は婿選びの最中で、この男は婿ではないのだと、皇后が説明した。
 驚いて、太皇太后はふたりの手を放す。
 その拍子に離れかけた霓凰の手を、しかし、梅長蘇は咄嗟に掴み直していた。

 混乱した皇太后を休ませると皇后が言い、一同はその場をさがることになる。
 今度はいつ会えるだろう、あの慈悲深い微笑に。
 あの優しい手で、小殊、よく頑張った、と抱きしめてもらえる火は、果たして来るのだろうか。
 景睿に促されてようやく我に返り、梅長蘇はまだ握りしめていた霓凰の手を慌てて離した。
 つないだ手を通して、霓凰には心の震えが伝わってしまいはしなかっただろうか。
 「行くのかい?小殊まで帰ってしまうの?」
 まるで小さな子供のように、心細げな声で曾祖母が言った。
 胸がふさがれる。
 後ろ髪を引かれながら、梅長蘇はその場をさがった。






 あの日から既に。
 霓凰は疑念を抱き始めていたのだろうか、と梅長蘇は思う。
 あれ以来、霓凰の前では完璧に梅長蘇を演じてきたはずであったのに。

 「もう隠せぬな」
 梅長蘇は黎綱にそう漏らした。
 馬蹄の音は、すぐそばまで近づいている。
 霓凰は問い詰めてくるだろう。
 もはや、限界だ。
 「私にとって霓凰は他人ではない。梅長蘇で無理ならば、林殊が説得しよう」

 妻となるはずであった人。
 いつも自分のあとを追いかけてきた愛しい少女は、勇敢な武人となり、それでもまだこの自分を恋い慕う。
 できることなら、隠しおおせたい。
 名乗ったところで何になろう。霓凰は二度も林殊を失うことになる。
 それでも。
 真実を求めてやまぬ霓凰を、もはや振りきることはかなうまい。
 馬の蹄が、地面を穿ってその脚を止めた。
 鮮やかな身のこなしで、霓凰が馬の背から降りる。

 今日こそは、向き合わねばならぬ。

 その美しき女丈夫の姿を、梅長蘇はまぶしい想いで見つめた。




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~ Comment ~

Re: NoTitle

わたしも、男女問わず『琅琊榜』の登場人物はみんな好きです。
それぞれの立場に立ってみたときに、その言動のすべてにナットクがいくというか。

えっと、読み返していただいたのは『怀念』ですか?
郡主という人は、男勝りではあってもやはり女性だし、
だから宮羽の存在にちょっと引っかかったりする乙女心もある。
男っぽい、さっぱりして雑で乱暴なところと、
やっぱりどこかしら女特有の感情とか、
そういうのひっくるめても、44集の郡主登場シーンは
ちょっとほかに類を見ないくらいカッコいいヒロインだなと思急てくれますね。

林殊は郡主のことも含めて、いっぱい心残りはあるだろうな。
一番大きな大望はちゃんと果たして、その意味では思い残すことはないだろうけど
それでも大切な人をいっぱいおいていくわけだから。
切ないですよね。
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