東離劍遊紀

子狐と姑獲鳥 (『東離劍遊紀』)

 ←邂逅 (『琅琊榜』 #1以前) →后援 (『琅琊榜』 #1以前)
『鬼鳥夢幻』、ひっばっちっゃてます(^^;
うーん、あんまり生々しい場面はないのでR18指定してませんが、どうなんですかね? どうもよくわからない。
今回、ちょっとメルヘンちっくになっちゃいましたね。


 「起きろ。もう昼になるぞ」
 不患の怒鳴り声に、雪鴉は頭から毛布を引き被った。
 「‥‥‥今日は起きぬ。勝手に出掛ければよいではないか」
 今朝はとりわけ寒い。寝床から出たくなかった。
 「なにを縮こまってやがる。ほんとに爺ィになっちまったのか」
 「うるさい。寒いから寒いと言っているだけだ」
 こう寒くてはたまらない。『腰』は痛むし、怠くて眠い。
 「―――勝手にしろ」
 少し不機嫌な声で、不患がそう言った。
 「ほれ、これでもかぶって、せいぜい冬ごもりしてるこッた」
 ばさっと身体の上に何かが放り投げられて、雪鴉はようやく毛布から首を出した。毛布の上にかぶさっているそれを手繰り寄せてみて、軽く目を瞠る。
 部屋を出て行こうとする不患を、雪鴉は慌てて呼び止めた。
 「これ、待たぬか、せっかちな。すぐに着替える」 
 嬉々として、雪鴉は寝床から抜け出した。


 不患が稼いで買ってくれたというそれは、雪鴉をこのうえなく喜ばせた。
 このところ少し痩せて肉の厚みが落ちたせいか、あるいは情交の度の出血で血が足りておらぬのか、この冬はことのほか寒さが身に堪えていたところである。
 真っ白な天鵞絨の外套には、銀鼠色の絹の裏地と、襟元には真っ白なふさふさした狐の毛皮がついていて、とても温かそうだ。
 たまたまありついた用心棒の口が、なかなかよい稼ぎになったとかで、不患はこの二、三日しこたま飲み食いし、珍しく奢ってなぞくれたものであったが、それでも尚余ったからと、こんなものを買ってきたのには驚いた。
 「よし、では早速これを着て、食事にでも出掛けるとしようかね」
 そう言って、雪鴉は真新しい外套を羽織る。
 思った通り、軽くて温かい。これなら外の寒さも凌げそうだ。
 
 浮かれて宿の階段を下り、外へ出た途端。
 「娘(にゃん) !」
と白っぽい塊にぶつかってこられた。
 「は?」
 不意を突かれて二、三歩後ろへよろけた雪鴉は、不患の腕に止められた。
 「おまえ‥‥‥」
と不患の困惑したような声がする。
 「隠し子がいたのか」
 雪鴉にぴったりしがみついている子供を、不患は疑惑に満ちた眼差しで見下ろしている。
 「―――そんなわけがなかろう」
 子供はひどく警戒したように不患を見上げ、雪鴉の外套の中に隠れようとする。
 「けど、なついてるじゃねえか。第一、よく似てる。―――毛並みが」
 「毛並み‥‥‥」
 子供は笠をかぶっていたが、その笠から顔の両脇に垂れている髪は、雪鴉と同じ白銀色であった。
 雪鴉は眉を顰める。
 「‥‥‥残念ながら、よくご覧」
 子供の体をくるりと回して、不患のほうへ背中を向けさせた。
 不患の目が丸く見開かれる。
 「尻尾!?」
 子供の上衣の裾からは、こともあろうにふさふさとした白い尻尾がはみ出していた。
 「―――まさかな。玩具か何かだろう?」
 ひきつった笑いを浮かべて、不患が尋ねる。
 「ならこれは?」
 雪鴉は子供のかぶっている笠をひょいと持ち上げた。
 「み、耳?」
 雪鴉の外套によく似た、天鵞絨のような手触りの大きく尖った白い耳が、髪の上にぴょんと二つ立っている。
 不患が引っ張ると、子供はきゃわんと小さな声をあげた。
 「その‥‥‥。こいつは、何だ? 犬‥‥‥か?」
 「はて。狐‥‥‥のようだね。その尻尾から察するに」
 はたはたと、子供の尻尾が揺れる。
 雪鴉は小さくため息を吐いて、子供の前にしゃがんだ。
 「わたしが思うに‥‥‥、この外套の襟についているのが、この子の親ではなかろうかね」
 「ええッ!?」
 不患は驚いて声を上げたが、子供は襟元をくんくんと嗅いで雪鴉に抱きついている。
 「こいつは困ったな」
 「困ってもしかたあるまい。構うでないよ」
 雪鴉は子供に元通り笠をかぶせ、尻尾を裤子の中へ押し込んでやると、素知らぬ顔で歩き出した。不患もためらいがちについてくる。
 子供は、慌てて雪鴉の外套を掴みにきたが、その手をぴしゃりとはねつける。
 「買ってもらったばかりの外套でね。汚れた手で触られては台無しになる」
 優しく、しかし厳しい言葉で、雪鴉は子供を追い払った。
 


 軽く食事と酒を済ませて通りへ出ると、子供はしゃがんで待っていた。
 「娘(にゃん)」
 雪鴉の姿を見るなり、嬉しそうにぴょんと立ち上がって、またあとをついてこようとする。
 「あっちへお行き。おまえなどに関わる気はないのだよ」
 振り返って、強めの口調でそう言うと、子供はびくん、と足を留めた。
 少々不憫になったのか、不患が眉をひそめる。
 「おい、あんまり無慈悲なことを言ってやるなよ」
 「中途半端な情けをかけてどうする。親が死んだ以上、この子はひとりで生きてゆくしかあるまいさ」
 ならば人の情けなぞ、知らぬほうがよいのだ。
 「さっさとお帰り。人里はおまえの住むところではないよ。母御のようになりたくなくば、山の奥に潜んで人目に触れぬことだ。おまえの毛並みは人のここれを惑わせる」
 雪鴉には、大いに身に覚えがあるのだ。
 白い鴉が大空で生きづらいように、雪鴉もまたそうであった。それでも、生き抜いてきたのだ。この子狐も、そうでなくてはならぬ。

 とはいえ―――。 
 「‥‥‥まだ、ついてくるぞ」
 振り返り振り返り、不患が言った。
 「ほうっておけ」
 雪鴉はすげなく吐いて捨てる。
 「あッ、転びやがッた」
 不患がまた、声を上げた。雪鴉はぴくりと柳眉を震わせる。
 「あァッ、荷馬車に泥を跳ね上げられちまッたぞ」
 我知らず、眉根が寄る。
 「ああァッ」
 「‥‥‥今度はなんだ?」
 ついに雪鴉は、足を留めた。
 「あ、いや。‥‥‥片足あげて、小便してる‥‥‥」
 「‥‥‥ッ」
 雪鴉は額を押さえた。


 次の町に着く頃、子供の姿は見えなくなった。
 大方、あきらめて山へ戻ったのだろうと、雪鴉はほっと胸をなでおろしたのだ。



   * * * 



 また―――。
 『鬼鳥』が、現れた。
 女の肢体は、ゆらゆらと煙って見える。
 紅い唇の片端が吊り上がり、女は妖しく笑って見せた。それが誘っているようにも、泣いているようにも見えて、不患はついまた昂ぶってしまう。
 女の身体は豊満に見えるのに、抱きしめるとほっそり引き締まって感じる。その落差が、猶更不患の欲情を煽った。
 不患とて男なれば、旅の慰みに女を抱くことはしばしばある。決して自分が優しいほうだとも思わない。だが、これほど手荒に扱ってしまう女は、ほかにはなかった。この女の何が、これほど自分を苛立たせるのか、不患にはわからない。『鬼鳥』なんぞと名付けてしまったせいかとも思うが、凛雪鴉を嫌うことと女を乱暴に抱くこととは、不患の中で結びつかない。第一―――、自分は口で言うほど雪鴉を嫌ってはいない。腹の立つことの多い相手には違いないが、血も涙もない、というわけでは決してない男である。
 それなのに、夢の女に煽られる。
 幾度も幾度もその躰を穿ち、深く貫いてしまう。これまでにも増して、荒々しく。
 女の細首に手をかけ、指に力をこめる。
 女の紅い瞳が、切なげに潤んだ―――
 (紅い、目―――?)
 一瞬、頭の隅に疑問がよぎった瞬間。

 がぶり!

 不患の腕に、痛みが走った。

 「‥‥‥ッてェー!」
 たまらず不患は叫んだ。
 「な、なんだ?」
 「虐めちゃ駄目だよ。娘(にゃん)が、痛い!」
 は? 
 不患は我に返った。
 腕にかみついたのは、あの狐の子供である。
 いつの間に部屋に潜り込んだものかは知れぬ。だが、そんなことよりも。

 呆然と、不患は己の組み敷いた相手を見下ろしていた。
 夢を―――、見ていたはずだ。あの女の、夢を。
 あの女を、『鬼鳥』と呼んで、さんざんに責め苛んで。
 不患は『鬼鳥』を見下ろした。
 紅い瞳がすいとそらされる。
 (これが、『鬼鳥』なのか?)
 雪白の髪に縁どられた、ほっそりとした美しい貌。。
 鬼鳥、にはちがいない。が、あの女ではない。
 鬼鳥を名乗っていた、当の本人。凛雪鴉に、ほかならぬ。

 「―――なんで、てめェが俺の寝床にいやがる」
 声が、掠れた。
 雪鴉の髪を、鷲掴みにする。他愛もなく引きずり起こされた雪鴉の、胸元に赤い花びらがいくつも散っていた。
 (俺が―――?)
 狐の子が鼻に皺を寄せて、不患と雪鴉の間に割って入ろうとするが、不患は気にもとめなかった。
 「てめェ、俺に何しやがった」
 くっ、と雪鴉がその唇に笑みを浮かべる。
 「ご挨拶だね、こっちの台詞ではないか。お前、わたしに何をしたとお思いだい?」
 よくも抜け抜けと‥‥‥と思う。
 「妖しげな、薬か術を使ったろう」
 「ちょっとした遊び心じゃないか」
 雪鴉は肩をすくめた。
 「遊び心だと!?」

 思わず。
 雪鴉の身体を、力任せに牀台から払いのけた。
 ほっそりした躰が、易々と床へ叩きつけられる。
 
 ずっと。
 夢を訪っていた『鬼鳥』は。
 (凛雪鴉。てめェだったのか)
 腸が、煮えくり返るようだった。
 
 「さぞかし、―――面白かったろうよ」
 冷たい床の上に転がった相手に、不患は呻くようにそう言った。
 忌々しくて、ならない。
 ここまで虚仮にされる謂れが、果たしてあるだろうか。
 道理の通じぬ、腹の立つ男であることは、とうにわかっていた。だが、ここまで人を人とも思わぬ、心無いやつだとは思いもしなかった。
 「―――最悪、だな」

 不患は手早く身支度をすると、少ない旅荷を引っ掴んだ。
 まだ床に倒れ伏している雪鴉には一瞥もくれず、不患は足早にその部屋をあとにしたのだった。


   * * *



 荒々しく、扉が閉まるのを、冷たい床の上で雪鴉は聞いた。
 ふわり、と躰に毛布がかけられる。
 「娘(にゃん)・・・・・・?」
 狐の子供である。
 子供は心配そうに、頬を摺り寄せてきた。
 「ぼく、悪かった?」
 叱られるとでも思うのか、首を縮め、耳をぺたりと倒している。
 雪鴉は苦笑いして、子供の頭を撫でた。
 「いつかは、ばれることだからねェ‥‥‥」
 わかっていたのだ。
 そして、不患が腹を立てることも。
 わかっていたから、明かせなかった。
 夢の女を、演じ続けた。
 「ほどほどで、やめておけばよかったのだよ、わたしも」
 夢が夢で終われるうちに。
 ―――寒かったせいだ、と雪鴉は自分に言い訳した。
 寒くて、人の温みが恋しかった。
 いつもの冬なら、―――酒と女で冷えた身体を温めていたものを。
 (手近に、いかにも温かそうな男がいたからね)
 笑って、子供の身体を抱き寄せる。
 「悲しいの?」
 「どうして? わたしは、笑っているだろう?」
 くす、と雪鴉は小さな笑い声を漏らした。
 それでも、子供はかぶりを振る。
 「笑ってない」
 雪鴉はすこし驚いて、それから子供の柔らかい髪に顔を埋めた。
 「‥‥‥そうか、わたしは笑っていないのか」

 最悪だ、と不患は言った。
 流石に、その通りだと思う。
 「仲直り、できる?」
 心配そうに、子供が頭を撫でてくれる。
 「できるといいが、どうだろうねェ‥‥‥」
 今度ばかりは、無理かもしれぬ。
 「‥‥‥ごめんなさい」
 「お前のせいではないよ」
 自分が、悪い。
 「ごめんなさい‥‥‥」
 子供は何度もそう言った。
  

 
 柔らかい、子供の身体を抱いて眠った。
 手荒に扱われた躰はひどく痛んで、体を丸めていても全身が疼いたが、それでも子供の滑らかな髪を撫でていると、その痛みが紛れる気がした。
 いつの間にか眠りに落ちて、目覚めると窓の外はとうに明るくなっていた。 
 腕の中に、子供の姿はない。
 鉛のように身体が重く感じられる。それでも、無理矢理身を起こした。
 「これ、子狐‥‥‥。おらぬのか」
 近くにいるなら、呼べば必ず飛んできそうなものを。
 ふらつく足を励まして、雪鴉は階下へ降りてみる。折よく帳場から出てきた宿の主に、問いかけた。
 「子供を見なかったか? その‥‥‥、わたしによく似ているかもしれぬ」 
 主は、ああ、とうなづいた。
 「ありゃあんたの子かい? 確かによく似ていたが」
 雪鴉は曖昧に笑った。
 「あの子なら、朝早くに出かけていったよ。なんでも、薬草をとりにいきたいと言うから、そこの裏山に色んなのが生えてると教えてやったのさ」
 「薬草‥‥‥」
 主の言った裏山へ、雪鴉は痛む体を引きずるようにして行ってみた。
 辺りの草をかき分けてみる。子狐の潜り込みそうな藪の中、体を丸めて眠れそうな木のうろ。手当たり次第に探したが、人の子の姿も、白い狐の姿もまるで見えない。
 日が暮れて、疲れ果てて宿へ帰った。部屋はしんと静まって、子供も不患も、戻った気配はない。
 ぐったりと、雪鴉は牀台に体を横たえた。
 熱があるのは、今朝からわかっていたのだ。もう指一本動かすのも億劫で、雪鴉はそのままじっと横たわっていた。
 夜が更けても、狐の子は戻らない。
 空が白んで、やがて日が高く昇っても、とうとう子供は帰ってこなかった。
  


   * * *



 もう二度と、凛雪鴉に関わる気はなかった。
 そう思うなら、さっさとこの町を出るべきであったものを、と不患は自分でいやになる。
 酒楼でひとり盃を重ねているところへ、雪鴉がふらりと現れたのだ。
 不患はふふんと鼻を鳴らして笑う。
 「ほう。まだ俺に何か用かイ? 人肌恋しいなら、ほかを当たってくンな」
 「―――酔っているのか」
 わずかに苛立ちを含んだ声で、雪鴉がそう言った。
 「悪いかよ。お前に咎められる謂れはねェぞ!」
 卓の上の皿や徳利を、不患は片手で乱暴に跳ねのけた。それらはガシャンと大きな音を立てて床に砕け、店にいた客たちがこちらを見るのがわかった。
 店の者が慌てて飛んできて、床のものを片付けて行った。

 酔いが、―――冷めた。せっかく、やっと酔えたものを。
 床から目を上げ、ようやく雪鴉の顔をまともに見る。そして、すこし驚いた。
 「―――どうかしたのか」
 かつて見たこともないほどに、雪鴉は憔悴しきっていたのだ。
 がくりと、雪鴉は卓に片手をついた。
 結い上げでもいない白銀の髪が、窶れた頬を隠す。
 「あの子が―――。あの子が戻らない」
 雪鴉の声が、震えていた。
 「なんだ? それくらいで大袈裟な‥‥‥。おおかた遊びにでも‥‥‥」
 「そうじゃない!」
 ばん、と雪鴉の拳が卓を叩いて、不患の言葉を遮った。
 「薬草を‥‥‥、摘みにいったのだ」
 雪鴉は、言った。
 「昨日の朝だ。‥‥‥わたしは抱いて眠っていたのに。あの子は、耳や尾を隠すことすらできぬのだ。‥‥‥わたしの為に薬草を。朝になったらいなかった。‥‥‥薬草は裏山に沢山生えていて。なのに、あの子は帰らぬのだ」
 雪鴉らしくもない、支離滅裂な話しようだった。こんなふうに取り乱す雪鴉を、不患は初めて見た。
 「昨夜はとうとう戻らなかった。今日も一日‥‥‥」
 「おいおい、しっかりしろよ」
 雪鴉の肩をつかんで揺する。
 雪鴉は紅い瞳をゆらりと向けてきた。
 「わたしは‥‥‥、しっかりしているよ」
 血の気のない唇に、笑みを浮かべる。これほど憔悴していても、笑って見せられる雪鴉に、不患は鼻白んだ。
 「俺がもういっぺん探してきてやる。おまえは宿に戻ってろ。餓鬼が帰ってくるかもしれねェだろ」
 言いおいて、不患は酒楼を出た。
 雪鴉の顔を、見ていたくなかったのだ。 
 

 
 「―――しかたあるまい」
と雪鴉は言った。
 一晩じゅう、町の隅から隅まで探し回った。
 「またその話かい。昨日も髪の白い、やけに綺麗な男に、おんなじことを聞かれたぜ」
 どこへ行っても、そう言われた。雪鴉もすでに、この町を隅々まで探し歩いたのだと、改めて知る。
 結局、何の手がかりもないままに、宿へ戻った。

 雪鴉はすっかり落ち着いて見えた。
 「人に心をゆるせば、遅かれ早かれ命はないのさ。あんな美しい毛皮を持っていればなおのこと」
 まるでもう、子狐は既に命を落としたのだと言わんばかりに、そんなことを言う。
 暢気そうに、雪鴉は煙草をくゆらせた。
 「鬼鳥のまたの名を知っているか? 姑獲鳥というのだよ」
 こんな時に何を、と不患は眉を寄せた。
 『鬼鳥』なぞという名は、聞きたくもない。
 だが、雪鴉はなおも、言葉を連ねた。
 「姑獲鳥に見いだされた子供は、魂をとられるさだめだそうな。わたしと縁を持ったがあの子の運の尽きであったのだろうよ」 
 ふふふ、と笑った雪鴉の心を量りかねて、不患は軽く首を振り、黙って部屋をあとにした。



   * * *



 ひとりでいることなど、なんでもなかった。
 元々、誰も信じはしない。
 師であり、他人からは己の盟友とさえ目された廉耆にさえ、ほんとうに心を許したことなどなかったのだ。
 不患と道連れになったのは、たまたま自分にとって都合がよかっただけだ。執着するほどのことでもない。
 ひとりきりの部屋は、人の温みがなく寒い。ただ、それだけだ。
 不患と寄り添って眠った夜も、あの子を抱いて寝た夜も、ひどく温かかった。ひとりの閨はしんしんと冷える。それゆえ少し、ほんの少しだけ気がふさいで、眠れなかっただけなのだ。

 母狐の毛皮がついた外套を着こんで、雪鴉は冬の町を歩いた。
 もう丸三日、何も食わず、眠ってもおらぬことに気づいて、雪鴉は苦笑した。
 (なにをやっているのかね、わたしは)
 やれやれ、と自分にため息をついて、どこか腹ごしらえでもできそうなところはないかと辺りを見回す。
 そして、ふと見つけたのだ。
 ある店先にぶらさがっているものを。

 ふらふらと、雪鴉はそこへ足を向けた。
 だが、そばまで近づくことが出来ない。
 足を留めて、じっとそれに見入った。
 店先で喋る男の声が聞こえた。
 「しかし、見事な毛皮だろう。まだほんの子狐だったが、こんな毛並みは滅多にねェ」
 「全く、いいものを仕入れさせてもらったよ。子狐は警戒心が強いってェのに、よくまァつかまえなすったね」
 猟師と店の主とが、有頂天になって話しているのだ。
 「そいつが滑稽な話さ。必死に草をほじくってやがったのよ。俺が近づいてッても気づかねェほど夢中になって」
 「草を?」
 「あとで見ると、熱冷ましの薬草だったがね」
 雪鴉はその場に立ち尽くしていた。
 息をするのさえ、忘れてしまうほど、ただ呆然と立ち尽くしていた。
 「へえ、狐が薬草なんぞほじくってどうするのかねェ」
 「全くだ」
 げらげらと笑う声がする。
 
 顔がこわばるのは、寒さのせいだ。
 それなのに―――、瞼だけがひどく熱い。
 男たちの笑い声を聞きながら、雪鴉は長いことその場に佇んでいた。



   * * *



 「おや‥‥‥、まだこの町に留まっていたのかい。物好きな御仁だねェ」
 その日の晩方、不患は雪鴉の逗留する宿を訪れていた。
 「余計なお世話だ」
 むすっとして、不患は椅子にどかりと腰かけた。
 「あの子を探していたのなら―――、とんだ無駄足だったねえ」
 ゆったりと、雪鴉が笑う。
 「見つかったのか!?」
 思わず、腰を浮かせた。
 くくく、と雪鴉が笑い声を立てた。
 「ちゃんと連れて戻ってきたさ」
 「え‥‥‥」
 不患は部屋を見渡した。
 燭台ひとつきりの部屋は薄暗いが、子供ひとりが隠れているようには見えない。
 雪鴉はつと立ち上がると、衣桁に掛けた外套の内側から、するりと襟巻きをぬきとった。
 ふわり、と雪鴉は襟巻に頬ずりして見せる。
 不患は、大きく目を瞠った。
 「おい―――、まさか、それ‥‥‥」
 言葉が、続かない。
 雪鴉は柔らかそうな毛並みに口づけた。
 「襟巻きにされても、美しいだろう? それに大層温かい」
 そう言って笑うと、雪鴉は嬉しそうに真っ白な襟巻を首に巻いた。
 「雪鴉、てめェ‥‥‥」
 詰めよって胸ぐらを掴んで初めて、雪鴉の頬がげっそり窶れていることに気づく。
 その痛ましさに、不患は言葉を失った。
 雪鴉はふわりと微笑んだ。
 「言ったろう? 姑獲鳥に気にいられた子供は魂をとられると」
 「雪鴉‥‥‥」 
 首に巻いた襟巻のふさふさした毛に、雪鴉は気持ちよさげに口元まで埋める。
 「莫迦な子だ、山へ帰れと言ったのに。わたしなんぞについてくるから」
 「‥‥‥もう、いい」
 雪鴉の穏やかな声がやりきれなくて、不患は遮ろうとした。それでも雪鴉は微笑むのだ。
 「たかが畜生の身で、人に情など持つから‥‥‥」
 「もういい、なにも言うな」
 言えばいうほど、雪鴉は己を傷つける。
 思わず―――。
 雪鴉を抱きしめていた。

 「不患‥‥‥?」
 「黙ってやがれ」
 どうせろくなことを喋らぬのだ。口を開けば、腹の立つことしか言わぬ。
 今は―――、雪鴉に腹を立てたくはなかった。  

 寒々とした部屋の真ん中で、雪鴉は黙って大人しく抱きしめられている。
 随分たってから、雪鴉が低く言った。
 「母子一緒に、葬ってやってよいかな‥‥‥」
 「‥‥‥ああ、そうしてやろうぜ」
 不患がそう答えると、雪鴉が小さく笑った。
 「気に入っていたのだがね、お前の買ってくれた外套‥‥‥」
 「そうか」
 初めて外套を羽織ったあの朝、雪鴉が無邪気なほど上機嫌だったのを思い出す。
 

 その夜は。
 ふたり静かに飲み明かした。
 ちびりちびりと不患は杯を傾け、雪鴉はゆっくりと煙草の煙を吐いていた。





 目がさめると、男ふたり、ひとつ寝床で雑魚寝していた。
 「て、てめェ、まさかまた何か‥‥‥」
 思わず慌てたが。
 「なんだ、もう起きたのか‥‥‥」
 欠伸をしながら髪をかき上げる雪鴉は、悪びれた様子もない。
 昨夜は、夢を見なかった。
 (何もなかった―――ってことか)
 少しほっとしたが。
 「ちび狐の通夜のつもりだったが、眠っちまったな」
 不患がそう言うと、雪鴉は首を傾げた。
 「狐?なんの話をしているのだ?」
 「え‥‥‥」
 牀台から降りて髪を整えながら、雪鴉が可笑しそうに笑っている。
 「大方どこぞの女狐に、鼻毛の数でも数えられたかね」
 「ばッ‥‥‥」
 狼狽えながら、不患はふと気づいた。窓から射す朝陽に照らされた雪鴉の横顔が、痛々しいほど窶れていることに。
 衣桁に目をやる。
 そこにあの白い外套はない。

 どこからが夢で、どこまでがうつつか。
 既にわからぬ不患である。


 ―――まあ、いいか、と思う。
 (たとえ夢でもうつつでも、俺が覚えてさえいりゃいい)


 雪鴉の目は、窓の向こうを見ている。
 その目の先の林には、狐の母子が眠っているはずであった―――。









スポンサーサイト

もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 琅琊榜
もくじ  3kaku_s_L.png 東離劍遊紀
もくじ  3kaku_s_L.png 古剣奇譚
もくじ  3kaku_s_L.png 花千骨
もくじ  3kaku_s_L.png 偽装者
【邂逅 (『琅琊榜』 #1以前)】へ  【后援 (『琅琊榜』 #1以前)】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
  • 【邂逅 (『琅琊榜』 #1以前)】へ
  • 【后援 (『琅琊榜』 #1以前)】へ