東離劍遊紀

誇りの在り処 (『東離劍遊紀』)

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『鬼鳥夢幻』の続き(?)です。

 『鬼鳥』は、度々不患の夢を訪うようになった。
 かつて何処ぞの娼館で、一夜限りに睦んだときより、夢の女はずっと美しく見えた。
 『鬼鳥』の夢を見たあとは、不患は決まって寝過ごした。
 (そんなにいい女だったかね‥‥‥)
 正直、よくは思い出せぬのである。

 雪鴉はこのところ、少し痩せた。
 持病の腰痛が、よくないらしい。しょっちゅうぶり返しているようだ。
 「泥棒なんぞと、やくざな稼業をしてきた報いだろうよ。ちッとは痛い目も見たがいいさ」
 そう口にはしたものの、ろくに言い返す元気もないさまを見るにつけて、やはり少々気の毒になる。
 ―――ちょっと前までは、雪鴉から逃げることばかり考えていた不患である。それが近ごろは、妙に気にかかる。
 窮鳥懐に入るは、仁人の憫む所なりという。いかに小憎らしい鴉ではあっても、弱っていれば哀れを催すも道理である。無論、へそ曲がりの雪鴉にそんなことは言えぬが。
  
 
   * * *


 雪鴉は生欠伸をしながら、不患の後ろを歩いていた。
 小春日和で、市はよく賑わっている。べつだん買いたいものがあるわけでも、市が見たかったわけでもないが、このところ出かけるのが億劫で、ついつい宿に引きこもっていたせいで、さすがに退屈し始めていたのだ。
 「たまにはお天道さまでも浴びちゃどうだ?」
 不患にそう言われて、出かけてみる気になった。

 だいぶ、躰が慣れてはきたのだ。慣れてはきたが、やはり堪える。情事の翌朝は、昼になるまで起き上がれない。
 なにも、男に嬲られるのが初めてというわけではない。この姿に生まれついたのが身の不運と開き直っている。雪のごとき髪や膚と、血の色の瞳が、不吉と忌み嫌われる一方で、この姿に惹かれて群がる者もまた後を絶たなかった。女も、男も、である。
 まだほんの子供の時分から、雪鴉は己の身体を贄にすることを覚えた。そうやって大人たちの庇護を引き出し、江湖を生き抜いてきたのだ。
 そのことに、疚しさはない。

 躰など、生きるための道具に過ぎぬ。
 そんなところに、雪鴉の誇りはあるわけではないのだ。

 これまで、もっと、ずっと、手荒く扱われてもきた。
 が。
 (流石と言おうか、何と言おうか)
 初めての夜、その一物を目にして、雪鴉は思わず腰が引けたのだった。 
 思い出すだけも、頬が火照る。
 あんな恐ろしいものを、隠し持っていたとは。
 魔剣目録なぞよりも、よほど怖ろしく、秘すべきものであると雪鴉は苦笑いする。
 (もしや、西幽の者は皆ああなのか?)
 そう思ったが、すぐ自分で否定した。西幽と東離は、もともとひとつの国であったのだ。そう遠い昔の話ではない。言葉さえそう変化せぬほどの歳月しか、流れてはおらぬ。人の身体だけが変わるはずもない。
 (やはり、あやつは特別なのだ。すべてが人間離れしている)
 あれを見たときに、やめておけばよかったのだ。
 いかに姿かたちが美しくとも、雪鴉は男である。男の身体には、それを受け入れるだけの懐の深さがありはしない。
 それなのに。
 雪鴉の好奇心もまた、人間離れしていたのだ。

 (不患のやつめ、精力絶倫だな)
 此方の身体がばらばらになってしまいそうなほど、一夜に幾度も幾度も穿たれる。自棄糞のように殊更乱暴に振る舞うのは、よほど『鬼鳥』に恨みでもあるのか。
 ‥‥‥無論、恨みがあるとすれば、女ではなく、まことの『鬼鳥』、すなわち自分に対してであろうと思う。
 さんざん、不患には煮え湯を飲ませてきたのだ。その都度、不患は腹を立てたが、それが積もりに積もっていたとて不思議はない。女を『鬼鳥』に見立てて憂さを晴らすなど、不患らしくもないが、面白くはある。
 それでついつい、情事を重ねてしまうのだ。
 
 情を交わした翌朝、不患より早く目覚めて情事の後始末をするのは、何よりも億劫だった。
 身体はいうことを聞かぬし、なによりも、こうして秘さねばならぬことが、苦痛であった。
 (つまらぬ小細工なぞ、するのではなかったね‥‥‥)
 今更、あれは幻術で、お前が女と信じて抱いていたのは、実はわたしであったなどと、明かせるはずもない。どれほど不患が激怒することか。人の心を弄んだと。
 (まァ、それはそれで見てみたい気もするが)
 憤慨する不患の顔を思い浮かべて、すこし嬉しくはなるが、そうなったが最後、二度と膚を重ねることも叶うまい。いや、口さえきいてはくれぬかもしれない。
 それには惜しい、と思うのだ。
 まだ、遊び足りぬ。
 しばらくは、成り行きに任せるしかあるまい、と雪鴉は暢気に考えた。


   *


 市を冷やかしたあと、酒楼で一杯やって、まるでごく当たり前の友人どうしのように、雪鴉は不患と連れだって宿への道を辿っていた。
 話すことといったら、相も変らぬ皮肉の応酬ばかりだが、雪鴉にはそれも愉しくてならぬのだ。 
 不患をからかいながら、後になり先になりして歩いていると、ふと、殺気を感じた。
 宿への近道にと、裏通りを来たのが災いした。灯りもなく、道行く人の姿もない。雪鴉も不患も、夜目はきくので不自由がないが、少々軽率であったかもしれぬ。
 「掠風竊塵だな」
 闇の中から、声がした。
 「野暮だね、いきなり二つ名でお呼びとは。わたしには凛雪鴉という歴とした名があるのだよ。なかなかに気に入っているのだがねェ」
 「残念ながら、その名も今日を限りに名乗れまい。貴様は俺の手にかかって死ぬのだからな」
 姿を現した男は、若かった。捲殘雲と同じくらいか、いや、更に若いかもしれぬ。しかし、殘雲のような明るさは、微塵もなかった。
 「はて、おまえは誰であったかな」
 まるで、覚えがない。
 「知らぬも道理。俺とあんたは初対面だからな」
 「おや。初対面だというのに、わたしはお前に殺されねばならぬのかい?」
 少々うんざりして、雪鴉はこめかみに指をあてがった。
 以前の殘雲のように、己の名を上げたい、というのであれば、それはそれで可愛げもあるが、目の前の若者にはそんな覇気は感じられなかった。
 若者は、背中に負うていた矛を掲げた。
 「この矛に、見覚えがあるだろう」
 「さて‥‥‥。そんな短い矛には初めてお目にかかるね」
 矛にしては、あまりに短い。普通の半分‥‥‥、つまり柄の半ばで断ち切られているのであった。
 若者はわずかに眉根を寄せた。
 「親父の形見でね」
 「それはそれは。お父上は病か何かで?」
 雪鴉がゆったりと問うと、若者の顔に鈍い苛立ちが走った。
 「とぼけてもらっては困る。―――貴様がその手にかけたのだろう」
 大方、そんな話だろうとは思っていたのだ。心当たりなら、山ほどある。ありすぎて、この若者の父親を思い出すことなど、不可能であったが。
 余程の悪党であったか、あるいは力と技を誇って闇雲に挑んできたものか。自分は容赦なく相手の誇りを傷つけ、命さえ奪ったであろう。
 「おやおや。それでは、わたしは父の仇というわけか」
 「俺の腕は、既に親父より上だ。貴様を斃してそれを証明する。親父も草葉の蔭で喜ぼうさ」
 重く沈んだ声音で、若者はそう言った。
 「お前、この坊主の親父さんを殺したのか」
 横合いから、不患がそう尋ねてくる。
 ここまで黙って成り行きを見守っていたようだが、さすがに痺れを切らせたらしい。 
 「とんと覚えはないが、息子どのがそういうのだから、そうに違いあるまいね」
 「よくもまあ、あちこちで恨みを買うやつだな、お前は」
 呆れたように、不患が言う。
 「実に不思議だねェ。思うままに生きていたら、なぜかこうなってしまうのだよ」
 やれやれ、と不患がため息をつく。
 若者が不患をちらりと見て、牽制する。
 「どこのだれかは知らないが、邪魔だては無用に願いたいな」
 「邪魔だてなんぞ、する気は毛頭ないんだが‥‥‥」
 不患が困ったように頭を掻いて、雪鴉に問うてくる。 
 「お前、腰の調子はどうだ? なんなら今日のところは、俺が代わりに相手をしてやったっていいんだが」
 「‥‥‥おや、随分優しいことを言っておくれではないか」
 少し嬉しくなる。確かに『腰』は万全ではないが‥‥‥。
 しかし。
 「せっかくの心遣いだが、そうもいくまいよ‥‥‥」
と、雪鴉は溜息をついて微笑んだ。
 不患も肩をすくめる。
 「―――そうだな。お前が相手をしてやるのが、本筋ってもんだろうよ」
 不患が話のわかる男で助かる。
 「剣を借りてよいかな」
 丸腰で来たのだ。得物がない。
 不患はちょっと眉をひそめた。
 「生憎、剣はこれしかないが」
 己の拙剣を投げてよこす。
 「充分だ」
 雪鴉は不患に、もう一度微笑した。

 次の刹那、その身体が、衣の裾を翻して跳ぶ。
 手の中の拙剣に、気を込めた。
 「凜雪鴉。覚悟!」
 若者も地を蹴る。
 月を背景に、雪鴉と若者の蔭が交差した。

 ―――三手と撃ち込ませず、拙剣は若者の胸を貫いていた。
 若者は双眸を瞠ったが、恐らく痛みすら感じぬままに絶命したことだろう。
 ぐらり、と若者の身体がかしぐ。
 「‥‥‥愚かよな」
 雪鴉はすい、と体を開いて斃れる骸を避けた。
 どさっ、と屍が地に伏した。
 雪鴉は憂わし気に眉を寄せる。

 身体も、技も。―――生きるための道具に過ぎぬ。
 そんなものを誇って、そんなものを拠り所に生きて、なんとしよう。

 自分は。
 身体なぞ疾うに穢れ、剣の技さえ道半ばに捨てた。

 (―――それでも、わたしは生きている)
 恥知らずと後ろ指差されようとも、生きていてこそこの世の愉しみも味わえようというものだ。

 この若者に比べれば、蔑天骸や殺無生のほうが、どれだけましか知れぬ。天骸は無双の剣と覇者たらんという欲望とに、無生は勝負に買って殺戮することに、それぞれ渠らなりの愉悦を見出していたのだから。
 だが、この若者はどうだろう。たとえ雪鴉を斃して父の仇を打ったとて、それがこの者に何をもたらすというのか。暗い眼差しが前を向くことは、決してなかったろう。

 「雪鴉」
 呼ばれて、我に返る。
 提げた切っ先からは、まだぽたぽたと、血が滴っていた。
 「帰るぞ」
 そう促されて、拙剣を返しはしたが。
 「―――歩けぬ」
 雪鴉は不患の顔も見ずに、そう言った。
 「なんだと?」
 「もう、一歩も歩きたくない」

 腹が、立っていた。
 せっかくのほろ酔い気分で会ったものを。台無しである。
 ひどく、情けない気分だった。
 「なに餓鬼みてェなこと言ってやがる。先に行くぞ」
 言いおいて、不患がさっさと離れてゆく。
 
 『腰』が、ひどく痛んだ。
 

   * * *


 雨が、降り出した。
 昼間はあんなに天気がよかったのに。
 やけに温かかったのも、この雨の前触れであったのか。

 ぽたり、と来たかと思ったら、忽ち雨脚が強くなる。
 振り返ると、雪鴉は骸の傍で、まだ立ち尽くしていた。
 (あの莫迦)
 舌打ちして、不患は引き返す。
 こちらを向いた雪鴉は、すでに髪も顔も雨に濡れそぼっていた。
 「風邪をひいちまうぞ」
 腕を掴んで曳いていこうとしたが。
 「‥‥‥歩けぬと言ったろう」
 雪鴉は肩をゆすって、不患の手を振り払った。
 なにを駄々をこねているのかと思うが、やり切れぬ気分もわからなくはない。あんな若い命を奪ったあとでは。
 「しょうのねェやつだな、―――そら」
 雪鴉に、背中を向けた。
 「‥‥‥え?」
 「腰が痛むんだろう? 負ぶってってやる。ほれ」
 促すと。
 やけに素直に、身体を預けてきた。
 男にしては、軽い。衣や装身具の重さを差し引けば、せつあの目方なぞ知れていようというものだ。
 こんな細い体で、拙剣を使いこなしたのかと思う。無論、そう長くは無理だろうが、このただの木剣に己の気を乗せ、鋼刃を相手にした内功は、なかなかのものだった。

 ―――二手、待ってやったのだろうと思う。
 己の力を恃んだ若者への、せめてもの餞であったのだろう。
 凛雪鴉ともあろう者が、随分甘い。

 「‥‥‥冷えてきやがったな」
 そう話しかけたが。
 雪鴉は、答えなかった。
 (‥‥‥寝ちまったか?)
 眠ったならば、―――それもよい。
 眠って、明日の朝には綺麗に忘れることだ。


 その夜、雨は雪になった。

 初雪、である―――。








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