東離劍遊紀

鬼鳥夢幻 (『東離劍遊紀』)

 ←相身互い身もつれる縁 -後編-  (『東離劍遊紀』) →誇りの在り処 (『東離劍遊紀』)
えっと‥‥‥。一応、いたしちゃってるワケですが、どうしても色っぽい話にならないようでしてw

 ただの遊び心に過ぎなかったのだ。
 煙草の煙が見せる、一夜の夢と高をくくっていた。
 殤不患とて、男である。
 健康な大人の男であるからには、女を抱くのは当然のこと。はて、この男はどんな女とどんな睦言をかわすのであろうかと、少々悪趣味な好奇心が、頭をもたげたのだ。
 昨夜、酒を酌み交わした。
 常の如くに憎まれ口をたたき合いながら杯を重ね、頃合いを見計らって煙管に仕込んだ媚薬を紫煙と共にくゆらせた。
 紫煙はやがて不患に幻を見せる。そこにいるはずのない女の姿を、雪鴉の上に重ねるのだ。
 果たせるかな、不患はとろりとした眼差しを雪鴉に向けてきた。可笑しくなって、雪鴉はわざとしどけない仕草で不患の肩に寄り添って見せた。
 すると、不患は呼んだのだ。その女の名を。
 『鬼鳥』と。
 それはかつて。
 雪鴉が初めて不患と出会った折りに名乗っていた名であった。

 「鬼鳥‥‥‥」
 夜が明けて、眠る不患の呟きに、雪鴉はびくりと眼を開けた。 
 不患の無精鬚が、頬に当たる。
 不患の腕から抜け出そうと身体をよじった途端、雪鴉は痛みに顔をしかめた。
 辛抱して起き上がり、牀台から降りて立ち上がる刹那に、ずきりと躰の芯を痛みが貫く。思わず膝を折りそうになるのを踏みとどまって、痛みの波をやり過ごしてから、雪鴉は情事の痕跡を片付けた。
 足を引きずるようにして、部屋を横切る。
 自分の寝床に潜り込んでも、いまた心が高ぶって、身体のほてりはとれそうにない。
 (さても、罪作りな御仁だねェ‥‥‥)
 自分の悪戯は棚に上げて、雪鴉はそんなことを思った。
 適当にあしらうつもりでいたものを。
 (腕力では、到底かなわぬさ)
 そう自分に言い訳する。その気になれば逃げようなどいくらもあったものを。
 つい、身を委ねてしまったのだ。



   * * * 



 遅い時間の、目覚めであった。
 夢見のせいだ。

 女が、現れたのだ。
 いつぞや、どこぞの娼館で懇ろになった女だ。
 懇ろと言っても一夜限りの縁で、もう二度と会うこともない。ことさら気に入って離れがたかったわけでもない。
 それなのに、夢に現れた。
 (―――あんな名前で呼ぶんじゃなかった)
 やはりあの名は験が悪い、と不患は寝乱れた髪を指で掻き交ぜる。

 あの夜は、雪鴉にひどく腹を立てていたのだ。
 雪鴉に腹を立てるのは、何もあの日に限ったことでなし、何が原因だったかさえもう思い出せぬが、とにかく苛々して女にも邪慳に当たった。
 女が煙管を玩ぶ仕種が、どこか雪鴉を思い出させたせいもある。
 『おまえ、名前は?』
 そう尋ねたら、
 『さァ? 好きにお呼びなさいな』
などと返してきた。そんな人を食った物言いも、よく似ていたのだ。
 『なら、鬼鳥、だな』
 ふん、と笑ってそう決めた。
 『鬼鳥? ぬしさんのいい人の名かェ?』
 そんなことを尋ねられた。
 『何がいい人だ。一番いけ好かねェやつの名前さ』
 『あれ、憎らしィ。かわりにあたしを懲らしめようッていうんですね』
 女の言葉に、つい煽られた。
 雪鴉への苛立ちを、女にぶつけたのだ。―――まるで、子供である。
 女は勤め柄、そうしたことには慣れているのだろう。不患の苛立ちをほどよく煽り、ほどよく受け止め、ほどよく流した。
 『もっと名前を呼んでいいんですよ。あたしは鬼鳥、あんたの一番嫌いなお人だ。めちゃめちゃにしておしまいなさいな』
 女がくくくと笑った。笑い方さえ、似て見えた。

 鬼鳥、鬼鳥、その夜、何度その名を口にしたか知れない。
 まるで女の妖術にでもかかったように、不患は女の身体を貪り、責め苛んだ。
 あんなふうに女を扱ったのは、後にも先にもあれぎりだ。

 (やれやれ、なんだってあんな女を夢に見た?)
 毛布をめくってみて、不患は溜息をついた。
 夢で精を放つなど、自分もなかなかどうしてまだ若い。
 あきれて、そそくさと着替えをすませた。
 同じ部屋に雪鴉が眠っていたのだ。まさかおかしな寝言でも口走って雪鴉に聞かれはしなかったろうか。『鬼鳥』なんぞと口にしはしなかったか。
 ―――と、衝立越しに、雪鴉の身じろぐ気配がした。
 とうに起き出していたものと思っていたが、雪鴉も今朝は遅いようだ。
 「おい。朝飯を食いに降りるが、おまえどうする?」
 声をかけると、
 「―――やめておく。ひとりで行くがいいよ」
と気だるい返事が返ってきた。
 「なんだ、お前。腹でも下したか?」
 衝立に手をかけてひょいと覗き込んだ。
 雪鴉はやっと牀台に体を起こしたなりで、うなだれて額を片手で支えている。いかにも具合が悪そうだ。
 「腹を下すほど、食い意地は張っておらぬよ」
 溜息をついて反論し、雪鴉はしどけなく髪をかきあげる。
 「‥‥‥ゆうべあまり眠れなかったものでね」 
 その言葉に、不患はどきりとする。
 「その‥‥‥。俺の鼾がうるさかったとか?」
 雪鴉の紅い眼が、ちらりと不患の方を見た。心持ち隈の浮いた顔にはただならぬ色香が漂って、不患はちょとたじろぐ。
 「そうさね‥‥‥、そのせいもあるかもしれない」
 くくくと笑った雪鴉は、しかしひどく疲れて見えた。
 


   * * *



 午後もだいぶ遅くなってから、雪鴉はようやく階下に降りた。
 下でひとり、酒を飲んでいた不患に見とがめられる。
 「なんだ、今まで寝てたのか」
 着替えだけはすませてきたが、髪を結う気力もなく、起き抜けなのは一目瞭然だろう。
 雪鴉はゆっくりと、不患の寛ぐ卓へと歩み寄った。
 腰から下が、―――抜けそうに怠い。
 「わたしにも、一杯おくれでないか」
 酒を、ねだる。
 「‥‥‥かまやしねェが、すきっ腹には堪えるぜ?」
 そうかもしれぬが、気付け代わりである。立ったまま、きゅっと一杯飲み干して、ほう、と一息ついた。 
 濡れた唇を手の甲で拭い、雪鴉は不患の顔を流し見た。
 「もう出かけたかと思っていたのに、‥‥‥わたしを待っていておくれかィ?」
 放って行かれたと覚悟していたのだ。
 不患は鼻を鳴らして盃を呷った。
 「別に待ってたッてわけじゃねェが。ちょいと夢見が悪かったんで、景気づけに一杯やってたとこさ」
 不機嫌にそう言った不患に、雪鴉はにやりと笑って見せた。
 「夢見がねェ‥‥‥」
 あんなにいい夢を見せてやったじゃないか、と思う。おかげで此方は、身体ががたがたではないか、と。
 

   *


 「なァ。‥‥‥なんかやっぱり、どっか具合悪いんじゃないのか?」
 街道の途中で立ち止まって、不患が後ろを振り返る。
 「‥‥‥心配性な男だね。なんでもないと言っているだろうに」
 そう返したが、少し息が上がっているのがはた目にも知れるだろう。案の定、不患が顔をしかめた。
 「なら、なんでそんなにもたもた歩いてやがるんだ?」
 「速く歩こうがゆっくり歩こうが、わたしの勝手ではないか」
 重い脚を励まして、雪鴉は不患を追い抜いた。
 「けど、いつもはもっと能天気に浮かれて歩いてるだろうが」
 その言葉に思わず足を留める。溜息をついて振り返った。今日は喧嘩をする気力もないというのに。
 「‥‥‥誰が能天気だと? もう少しましな言いようはないのかね?」
 そう切り返した声も、我ながら弱々しかった。
 「いや、だからその‥‥‥」
 不患も調子が狂うのか、なんとなく言い淀んでしまう。
 「なんなら、さっきの宿駅に戻って、馬でも調達しちゃァどうだ?」
 「馬だって?」
 雪鴉は思わず声を上げた。
 冗談ではない。
 今、馬になど乗れるわけがないではないか。椅子に腰かけるだけでも一瞬脳天まで痛みが貫くというのに。
 雪鴉が動揺したのを、不患は勘違いしたらしい。
 「まさかお前、馬に乗れねェなんてことは‥‥‥」
 失敬な男だ。
 「わたしとて、馬くらいは乗れる。―――今日は乗りたくないだけだ」
 ほかに言いようがないではないか。
 「おかしなヤツだな」
 不患が首をひねった。
 「いいから先に行ったらどうだ? わたしはあとからゆっくり行く」
 街道の先を煙管で示してやったが、不患は口をへの字に曲げた。
 「―――心配してやってるんだろうが」
 「余計なお世話だと言っているのがわからないのか」
 ぴしゃりとはねつけると。
 流石に不患は鼻白んだ様子だ。
 「‥‥‥勝手にしろ。俺はもう知らん」
 眉間に縦皺を刻んで、不患は踵を返すと、大股に歩き出した。
 ほっとした反面、―――少し心細くなる。
 次の町まで、痛む体を引きずってひとりで歩くのかと思うと、今日はいっそ起き出さずに、一日宿で寝ていればよかったと後悔した。
 (後悔なんぞ、せぬたちなのだがねェ‥‥‥)
 忽ち小さくなってしまった不患の背中を眺めながら、雪鴉はとぼとぼと歩き始めた。


   *


 「よォ。やっとお目覚めかね」
 翌朝のことである。
 ようやく痛みも和らいで、さすがに食事でもとろうかと部屋の戸を開けた途端、そこに不患の顔を見つけたのだ。
 「‥‥‥よくここがわかったな」
 昨日、町に着いたときには、もうすっかり夜が更けていた。
 不患がどこに投宿したか、さすがにその刻限では探すこともできぬ。それよりなにより、一刻も早く寝床に身体を投げ出したかった。
 最初に目に入った宿に、転がり込んだのである。
 「頭の白い派手な男が泊ってねェかと尋ねたら、すぐに知れるこッたろうが」
 不患がにやりと笑ってそう言った。雪鴉は眉をひそめる。
 「頭の白い派手な‥‥‥。少々悪意を感じる表現だな」
 ―――腹の立つ男である。
 にもかかわらず、この腹の立つ男から離れられぬ己が恨めしい。

 「ほれ、飯に行くぞ。昨日はまともに食ってないだろう」
 どかっと背中をどやしつけられた。
 「いッ‥‥‥!!」
 痛みが全身を突き抜けて、雪鴉は叫ぶことすらならずに身体を硬直させた。
 「‥‥‥ッ、ふ、不患、貴様‥‥‥」
 わざとやっていないだろうな、と半ば腰を曲げて全身を硬く強張らせながら雪鴉は歯を食いしばる。ようやく、じっとしていればあまり痛まなくなってきていたというのに、今の衝撃でびりびりと来た。
 「おい、どうかしたか?」
 さすがに心配そうな顔で、不患が覗き込んでくる。
 「なッ‥‥‥、なんでもな‥‥‥」
 冷や汗を浮かべながら一歩踏み出そうとしたが、足が前に出なかった。
 そばの壁によりかからずにいられない。
 「おまえ、真っ青だぞ」
 「うるさい‥‥‥」
 誰のせいで‥‥‥、と雪鴉は壁に片手をついて、もう一方の手で腰を押さえた。
 ゆっくりと痛みが落ち着いていくにつれて、ようやくほっと息をつく。
 「なァ、ほんとに大丈夫なのか?」
 今度は驚くほど優しく、不患の手が背中にそえられた。
 びくり、とまた身体がこわばる。今度は―――、痛みのせいではない。

 木乃伊取りが、木乃伊になったなどと、思いたくもないが。
 ほんの悪戯心から、こうまで自分を追い込むことになろうとは。
 「‥‥‥肩を、貸さぬか。気の利かぬ」
 振り返らずにそう囁くと、不患は素直に雪鴉の腕をとった。

 結局、部屋に逆戻りである。
 牀台に横座りに座って、雪鴉はふうっと息を吐いた。
 不患が茶を淹れてくれる間に、どうやら人心地着く。
 茶で喉を潤して、茶杯を不患に返すとき、指と指とが触れ合った。
 先夜の情事を思い出して、どきり、とする。
 (‥‥‥ありえぬな。自ら男に懸想するなどと)
 自分で自分を嗤いたくなる。

 「待ってろ、何か朝飯を見繕ってきてやる」
 やけに優し気な口調で、不患がそう言った。
 「不患‥‥‥」
 部屋を出ようとするのを、思わず呼び止める。
 「あン?」
 振り返った不患の顔は、ひどく無防備で間が抜けていた。剣を持たせれば魔神を凌ぎ、閨の内ではあれほど無慈悲な男が。
 「‥‥‥いや、なんでもない」
 吹き出しそうになって、雪鴉は顔を背けた。さっさと行けと手をひらひらさせながら、やはり愉快な男だと思う。
 単に惚れた腫れたとは、わけが違う。殤不患という男に、興味が尽きぬのだ。
 まだまだ離れられぬな、と雪鴉はひとりごちた。
 

   *


 「それにしても‥‥‥」
と、不患が言った。
 粥を啜り終えて、雪鴉は目を上げる。
 なんだ? とわずかに眉を上げると、不患はしげしげと此方を見る。
 「‥‥‥若いのに、腰の病とは気の毒だな」
 「なッ?」
 唐突な言葉に、思わず蓮華をとり落としそうになる。
 不患は眉を寄せ、本気で気の毒そうに首を振った。
 「ぎっくり腰なんだろう? 辛いらしいからな。昔、近所に住んでた爺さんがよくヒイヒイ言ってやがった」
 「じ、爺さんだと?」
 まことのことがバレておらぬのはよいとしても、言うに事欠いて、爺ィ呼ばわりとは。さしもの凜雪鴉とて聞き捨てにできぬ。
 しかし。
 「よくこうやって面倒見てやったもんだよ」
 甲斐甲斐しく膳を片付けながら、不患はそう言った。
 「‥‥‥ッ」
 この男に、色っぽいことを考えた己が愚かであった、と雪鴉は眉間に皺を刻む。

 まったく。
 腹が立って―――。

 ‥‥‥笑えてしまうではないか。

 「なんだ?」
 苦笑する雪鴉に、不患がいぶかしげな顔をする。
 「いやいや、なんでもないよ」
と雪鴉は肩をすくめる。
 「せいぜいわたしの世話をしてくれるがよいさ。なんならお前を、わたしの孫にしてやってもよい」
 「おまえの孫なんざ、こっちから願い下げだ」
 思い切り嫌な顔をされた。
 「遠慮することはないぞ。しっかりと孝養を尽くせば、可愛い孫に小遣いのひとつもやろうものを」
 せっかくそう言ってやったのに。
 「盗んだ金は要らん」
 「おやおや、欲のないことだね」

 いまは爺ィと孫でも構わぬ、と雪鴉は笑って煙管に火をつけた。
 ぽかり、と煙草の煙を吐く。
 
 (因果なことだ)
と雪鴉は煙のゆくえを追う。
 この鈍感な男と、一夜の過ちを犯してしまったとは。
 
 顛末を知ればきっと怒るであろうが。
 (なってしまったことはしかたがない)
 覆水は盆に返らぬのだ。
 
 ならば。
 これからの成り行きを楽しむしかないではないか。

 ふふふ、と笑う凜雪鴉を、殤不患が不思議そうに眺めていた。   
 
スポンサーサイト

もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 琅琊榜
もくじ  3kaku_s_L.png 東離劍遊紀
もくじ  3kaku_s_L.png 古剣奇譚
もくじ  3kaku_s_L.png 花千骨
もくじ  3kaku_s_L.png 偽装者
【相身互い身もつれる縁 -後編-  (『東離劍遊紀』)】へ  【誇りの在り処 (『東離劍遊紀』)】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
  • 【相身互い身もつれる縁 -後編-  (『東離劍遊紀』)】へ
  • 【誇りの在り処 (『東離劍遊紀』)】へ