東離劍遊紀

賽の目のままに (『東離劍遊紀』)

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『珊瑚の子守唄』&『明けの鴉が啼くまでは』の後日談です。

 重湯を口に運んでやるところから始めて、やがて卓を挟んで普通の食事を共にできるまでに、およそ十日も費やした。
 その間、雪鴉はさんざんな我儘放題だったが、それでも不患の言うことを聞いて、宿で大人しく臥せっていた。
 さすがにだいぶ痩せはしたが、久し振りに艶やかな衣に身を包んだ雪鴉の姿は、やはり美しく華やかだ。
 宿の階下の酔客たちが、皆ちらちらとこちらを見る。
 「なあ、殤の旦那よ。今日はまたえれェ別嬪を連れてるじゃねェか。ちょいと紹介してくンなよ」
 毎日ひとりで飯を食ったり酒を飲んだりしていた不患は、すでに顔見知りを何人か作っていた。その連中が物珍し気に寄ってくるのだ。
 「あんたら、悪いこたァ言わねェ、こいつと馴染みになろうなんてェ料簡は、今すぐ捨てるこッた」
 不患はこめかみを押さえながら、そう言った。
 「随分ケチ臭いことを言うじゃァねェか」
 男たちがそう言えば、
 「然様、この男ときたら、ひどい焼餅焼きでねェ」
などと、雪鴉も調子を合わせている。元気になった途端に、これである。
 「不患。わたしとてこの半月近くもの間、おまえの顔しか見ておらぬのだよ。人恋しくてならぬのも無理はあるまい」
 「おお、そいつァ気の毒だ。別嬪サン、こっちへ来て俺たちと一杯やンな」
 ちやほやされるのが嬉しいのか、雪鴉はそれこそ上機嫌である。
 「ではお言葉に甘えるとしよう」
 男たちににっこりと笑みを向けて、雪鴉は不患にひらひらと手を振る。
 「勝手にしろ」
 不患はひとり、離れた席に陣取ると、手酌で茶碗酒をつぐ。
 掃き溜めに鶴とはこのことで、むさ苦しい連中に囲まれた雪鴉は殊更に華やいで見える。
 (まァ、いい。奴とて久し振りに賑やかな場所に出て有頂天なんだろうよ)
 愉しげな雪鴉の姿を肴にして、不患もまたそれなりに一人酒を楽しんでいた。


 
 「そろそろ引き揚げるぞ」
 白銀色の頭の上から声をかけて、雪鴉の指からひょいと酒杯を取り上げる。
 雪鴉は見上げて、一瞬何か言いたそうにしたが、結局は黙って微笑み返してきた。
 「では、皆さん。焼餅焼きの亭主がこう言うので、わたしは失礼しますよ」
 雪鴉がほんのり染まった目元を細めて、男たちに笑いかけると、そこここから不平の声が上がったが、不患は聞こえぬふりで雪鴉の腕を引いて、さっさと階段を昇り始める。
 「莫迦が。病み上がりのくせに、飲みすぎだ」
 そうたしなめると、雪鴉は笑った。
 「なかなかに心配性だな、おまえは」
 「足元もおぼつかないくせに、何をえらそうな。本調子なら、あれくらいで酔いの回るおまえじゃあるめェに」
 ほろ酔い加減で足取りも怪しい雪鴉を、引きずるようにして階段を上りながら不患がそう言うと、雪鴉の手が、腕に絡みついてきた。
 「おまえがそばで見ていてくれたゆえ、安心して飲めたのさ」
 ふふふと笑って身を摺り寄せてくる。
 「え‥‥‥」と、不患は思わずたじろいだ。
 「なんだ? わたしが何かおかしなことを言ったか?」
 紅い眼差しがとろんとして不患に向けられる。
 「‥‥‥おまえにそんなしおらしいことを言われると、おかしな気分だ」
 「おや。日頃のわたしがよほど太々しいかのようない言いぐさじゃァないか」
 「―――まるで、違うとでも言いたそうだな」
 不患が足を留めて溜息をつくと、雪鴉も肩をすくめた。
 「やれやれ、おまえとはどこまでも意見があいそうにないね」
 そう言って、雪鴉は小さな欠伸をひとつする。ゆらゆらする身体が階段から落ちはすまいかと、不患はほとんど雪鴉の腰を抱えあげているような恰好だ。
 「とっとと寝ちまえ、この酔っ払いが」
 そう言った途端。
 「では、そうさせてもらおうか‥‥‥」
 答えるが早いか、腕にかかる重みが増して、忽ち寝息が聞こえ始めた。
 「おい待て! 今じゃない! 部屋に戻って‥‥‥、この莫迦野郎が」
 すっかり酔いつぶれた雪鴉は、気持ちよさそうに眠り込んでしまっている。
 「しようがねェなァ」
 ぐにゃりとした身体を片手で支えたまま、不患は腰を折ってもう一方の手を雪鴉の膝の裏へ挿し入れた。
 「ッこいしょ‥‥‥と」
 足場の悪い階段の途中で、大の男の身体を抱き上げるのは難儀だったが、引きずっていくよりは、よほど早かろう。
 「こんなに軽くッて大丈夫なのかね」
 不患は溜息をついたが、
 (まァ、こいつは盗ッ人だからな。身は軽いに越したこたァねェってか)
 苦笑いして、ゆっくりと雪鴉を部屋へ運び入れた。




   * * *




 すっかり日も高くなってから、不患はようやく起き出した。
 昨夜は雪鴉が寝たあと、更にひとりで一杯やって、なんとなくいい気持ちで眠り込んだのだ。
 牀台に、雪鴉の姿がない。
 不患は舌打ちした。
 (やりやがったな‥‥‥)
 いかな掠風竊塵といえども、大の男一人が寝床を抜け出して、自分が少しも気づかずにこんな刻限まで眠りこけているなどということがあろうか。
 そういえば、明け方、夢うつつに煙草の香りがした気がする。雪鴉が、煙管にまた何か仕込んだに違いないのだ。
 舌打ちしたところへ、雪鴉が飄々と戻ってきた。
 「てめェ、俺を眠らせてどんな悪さをしてきやがった!?」
 思わず怒鳴りつけたが、雪鴉はまるで動じず旅支度など始める。
 「悪さなんぞと人聞きの悪いことを言っていないで、おまえもさっさと支度をするがいい。もういい加減、ここにも飽きた頃合いだろう?」
 「飽きたッておまえ、けど、ここの‥‥‥」
 言いかけて、不患はもごもごと口ごもる。それへ雪鴉がにこりと微笑んだ。
 「ここの払いなら済ませてきたから、何か面白いことでも探しにゆくとしようじゃないか」
 「済ませただと!? まさかお前、また泥ぼ‥‥‥うぐッ」
 誹ろうとした不患の口は、しかしながら投げつけられた風呂敷包みに塞がれる。
 「何しやがる!」
 風呂敷包みを払いのけて喚こうとしたが、つい、と雪鴉の白い人差し指が、不患の唇に当てられた。
 「そう事を荒立てるものではないよ。わたしが知らぬとでもお思いか? おまえが昼間、荷運びだの溝さらいだのして小金を稼いでいるのをさ」
 うッ、と不患は言葉に詰まった。
 が、ここでくじけるわけにはいかない。疚しいことをしたわけではないのだ。
 「そ、それのどこが悪い」
 「悪くはないさ。悪くはないが、不患‥‥‥」
 雪鴉は気の毒そうな目を向けてきた。
 「ここの宿代にわたしの薬代、それにおまえの酒代と、随分溜まっていたではないか。おまえのしみったれた稼ぎでは、いつこの宿を引き払えるか知れたものではなかったろう?」
 「そ、それは‥‥‥」
 ぐうの音も出なかった。
 「それに‥‥‥」と雪鴉は微笑んだ。
 「盗んできた金で支払いをしたのではないから、安心するがいい」
 そう言われて、不患はなんとなくきまりが悪くなった。はなから、盗んだ金だとばかり決めつけていたのだ。
 だが、盗んだのでなければ一体どうやって金を工面したものか。それはそれで、嫌な予感がする。
 尋ねるより先に、雪鴉が得意げに話し出した。
 「昨夜の方々に、少々無心してみたまでのこと」
 「えッ」
 無心したとはどういうことだ。
 「あの方々が、おまえよりよほど懐が温かくて助かったよ」
 「おまえ、ひょっとして‥‥‥」
 思わず、眉をひそめて雪鴉の首筋や胸元を盗み見ると‥‥‥。
 「不患‥‥‥。おまえ、何を考えているのだィ?」
 雪鴉の方がひどく顔をしかめた。
 「いや、何ッておまえ‥‥‥」
 不患は慌てて視線を泳がせた。
 (いくらなんでも、それはないか‥‥‥)
 雪鴉の器量ならそのへんの女よりは‥‥‥なぞと一瞬でも思った己に、不患は自分で照れた。不患には、幸か不幸かその趣味はまるでない。ないだけに、どんどん明後日の方向へ向いてしまう想像に、自分で照れるしかない。
 不患がひとりで赤くなっていると、雪鴉も不機嫌そうな顔を少し赤らめた。
 「そうじゃない。これで少々稼がせてもらったまでだ」
 ひょいと掲げた雪鴉の手の、細い指の間に賽子がふたつ。
 「面白いほど、勝ってしまってね」
 ふふん、と鼻で笑った雪鴉に、不患はため息をついた。
 「いかさましやがったな‥‥‥」
 賽の目に細工をするくらい、雪鴉にはわけもないことなのだ。なにせ、この男がかの廉耆先生から教わったのは剣だけではない。いかさま道具を作り出す技を仕込まれたのである。
 「いかさまとは人聞きが悪い。魔道具と呼んでくれないか」
 「なァにが魔道具だ‥‥‥」
 だから言ったのだ、連中に。こいつと馴染みになろうなどという料簡は、今すぐ捨てろと。忽ちの内に身ぐるみはがされたに違いない。
 不患は観念して、旅支度を始めた。
 こんなことをしでかされては、のんびりこの宿にも滞在してなどおれぬ。せっかくできた飲み仲間たちだったが、今夜は合わせる顔もない。いや、もう今夜は飲みにも現れまいが。

 ほとんど着の身着のままの気ままな旅だ。あっという間に支度を終えた不患に、雪鴉が満足そうな笑みを向けてくる。
 「さて、不患。それではいずこへ参ろうか」
 旅立ちが嬉しくてしようがないといった風情だ。
 「西へ向かうか東へ行くか。なんならこの賽子で決めようか」
 冗談じゃねェ、と不患はげんなりした。
 凛雪鴉の振る賽子に導かれる旅なぞ、金輪際ご免である。

 「おい、待たぬか、殤不患」
 大股で部屋を出た不患の袖を、雪鴉の指が嬉々として掴む。

 いつまで道連れにならねばならぬのか。
 この出鱈目な男を連れ歩くのが、吉と出るか凶と出るのか。

 殤不患にとって、これこそ乾坤一擲、運まかせの大博打であった。
 

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