東離劍遊紀

珊瑚の子守唄 (『東離劍遊紀』)

 ←紫煙の残り香 (『東離劍遊紀』#5 補完) →明けの鴉が啼くまでは  (『東離劍遊紀』)
いきなり長くなってしまった(>_<)

 「もう起きて平気なのか」
 祠に戻ると、凛雪鴉は既に体を起こして欠伸を噛み殺しているところだった。
 少々呆気にとられて、殤不患は雪鴉を見下ろした。
 ひどい、恰好である。
 白銀の髪は無惨に乱れ、身に纏っているものといえば、衣というよりもはや襤褸布に近かった。その襤褸の至る所にこびりついた黒い血染みが、雪鴉の受けた苦難を物語っている。
 にもかかわらず、雪鴉はゆったりとした笑みを浮かべて不患を見上げるのだ。
 「わたしを誰だとお思いか」
 乱れた髪を指で弄びながら、雪鴉が不敵に問う。
 「‥‥‥泣く子も黙る掠風竊塵、かね」
 不患は肩をすくめて、雪鴉のそばに腰を下ろした。
 「よくご存じではないか。おかげさまで、わたしはこう見えて元来丈夫なたちでね」
 得意げにそう言われて、不患は困惑する。昨夜、雪鴉の傷の手当てをしたのは不患自身である。当分は起き上がれまいと踏んでいたのだ。一晩でこれだけ大口を叩けるようになるとは、確かに常人とは違う。
 「成る程、厚いのは面の皮だけじゃねェときたか」
 辟易して溜息をついた不患に、雪鴉が艶めいた笑みを向ける。
 「おや、何やら棘のある言い方に聞こえるが、わたしの思い過ごしであろうな? よもや殤不患どのともあろう男が、傷ついて弱った友を悪しざまに言うはずもなし」
 これは聞き捨てならぬと、不患は眉を寄せた。
 「おいおい、誰が弱っているッて? 第一、誰が友だと?」 
 「なに、照れることはない」
 「照れてるんじゃねェ!」
 思わず声を荒げた不患には構わず、雪鴉はにんまりと笑った。
 「それでだ、友と見込んで頼みがあるのだが」
 もはやどう抗っても無駄と知って、不患はげんなりと深くため息をついた。
 「へいへい、承りましょうかね」
 不患の答えに満足そうに微笑んで、雪鴉が顔を寄せてくる。
 「着るものを調達してきてはくれまいか。さすがにこの恰好で出歩けるほどの面の皮は持ち合わせてはおらぬのでな」
 あてこすりは聞き流し、不患は寄せていた眉を開いた。
 「あァ‥‥‥、こいつは気が利かなかったな」
 どうせしばらくは、そと出もままなるまいと思っていたせいもある。それゆえ、今日は朝から薬草を摘み、兎を狩って、いま戻ってきたのである。着るものの算段までは考えが及ばなかった。
 「おまえに見立てを頼むのは、いささか不安ではあるが‥‥‥。この際、贅沢は言っておれぬ。背に腹は代えられぬというやつだ」
 「おい、ご挨拶だな。おまえ好みのド派手でチャラチャラしたやつを見繕ってくりゃァいいんだろうが。‥‥‥と言いたいところだが、あいにく手もと不如意でなァ、安物の古着くらいしか手が届きそうにねェんだが」
 不患はこめかみを掻いた。雪鴉が気に入りそうなものを贖うだけの持ち合わせはない。
 雪鴉は小さなため息をついた。
 「やむをえん。とりあえず表に出られさえすれば、あとはなんとでもなる。ともかく、いつまでもこの荒ら莚の上で横になっているなど、辛抱ができぬからな」
 さもありなん、と不患も思う。
 華やかな衣、絹の褥。雪鴉に似合うのは、そういったものなのである。 



   * * *


 
 そもそも、雪鴉の受難は自分に端を発している、と不患は思うのだ。
 自分の持つ魔剣目録が、悪党を引き寄せたのである。
 若くしおらしい娘を使われて、つい油断したのがいけなかった。まんまと盗み取られた目録を、奪い返してくれたのはほかならぬ雪鴉である。
 「おまえのお人よしには開いた口がふさがらんな」
 雪鴉にそう言われて、返す言葉がなかったのだ。
 それからひと月ばかり、雪鴉は顔を見せなかった。
 いいかげん、自分に愛想を尽かせたのであろう、と不患は思っていた。雪鴉のように世知に長けた男からすれば、自分のごとき情に流されやすい人間は、さぞかし愚かに見えることだろう。
 不患にしてみたところで、人の心を弄んで生きているような雪鴉とは、正直相容れぬと思う。もとより、たまたまの縁で知り合っただけだ。袂を分かつならば早いにこしたことはない。
 (せいせいする)
そう思っていたのだ。
 宿に矢文が射込まれるまでは。
 文の主は、せんだって魔剣目録を盗んだ一味の頭目である。こともあろうに、雪鴉を質に、魔剣目録を寄越せというのだ。
 まさか、と思った。
 凛雪鴉は手練れである。その剣技のほどをしかと確かめたわけではないが、かの森羅枯骨・蔑天骸を破ったとなれば、その腕は推して知るべしであろう。その雪鴉が囚われたとは、俄かには信じがたかった。
 しかし。
 矢文には雪鴉の髪飾りの一部が、結わえ付けられていたのだ。
 一体どんなしくじりをしでかしたものか、雪鴉が敵の手の内にあることはどうやら疑いようがなかった。
 魔剣目録を取り戻してもらった恩がある。そうでなくとも、見知らぬ仲ではないのだ。捨ておくわけにもいかぬ。
 (ええィ、面倒だな)
 そう思いつつも、不患は雪鴉を救い出しに向かわずにはおれなかったのである。
 
 

 「おや。まさか本当に来るとは、どこまでも呆れた男だね、おまえは」
 両手を縛められた格好で、雪鴉はそんな減らず口を叩いた。呆れたのは、むしろ不患のほうである。
 雪鴉がどれだけの責め苦を与えられたかなど、一目でたやすく知れた。にもかかわらず、雪鴉は常と変わらぬ人を食った笑顔で不患を迎えたのた。
 「さすがは殤不患どの。簡単に片が付いたようだな」
 縛めを解かれた雪鴉は、可笑しそうに笑った。
 「全く、あの連中ときたら、身の程知らずにも程がある。魔神すら時空の彼方へ飛ばしてしまうような御仁に挑もうというのだから、無知ほど恐ろしいものはない」
 そう言って一歩前へ踏み出そうとした雪鴉は、しかしながら、がくりと膝を折って不患の腕に抱きとめられた。
 「随分ひどくやられちまッたな」
 「なに、このくらいの傷は放っておいても癒えようが‥‥‥。すまないが不患、ちょっと奥の部屋へ行って、青い薬壺をとってきておくれでないか。このくらいの小さなものなのだが」
 雪鴉は両手の指で壺の形と大きさを示して見せた。その細い指が、わずかに震えている。
 不患は言われるままに頭目の居室を探ると、薬瓶を持って雪鴉のもとへ戻った。
 「少々下手を打ってしまってね。ちょっとした毒に、当てられたのさ」
 「こいつが毒消しってわけか」
 雪鴉の身体を支えてやりながら、不患は薬壺の栓を開けた。中から丸薬が一粒、不患の掌に転がり出る。それを抓んで、雪鴉の口に入れてやる。
 ごくり、と雪鴉がそれを飲み下した。
 「おまえ、もしやあの時に」
 雪鴉が魔剣目録を賊の手から取り返した折りに、手の甲に細いひっかき傷のような傷を受けていた。どうしたと問うと、雪鴉自身、そのとき初めて気づいた様子で、さあ、と首を傾げたものだ。朱い舌でちろりと傷を舐めるさまが艶めかしく、不患は思わず顔を背けてそれぎりとなったのであったが。
 あの時の傷から、毒が入ったのだ。さもなくば、小悪党の手に易々と落ちる雪鴉ではあるまい。
 「わたしとしたことが、とんだ油断をしたものだよ。おまえのことは笑えぬな」
 そう言って苦笑する雪鴉に、不患は肩を貸して立ち上がらせた。
 「まァ、おかげでこのひと月、退屈だけはせずにすんだがねェ」
 くくく、と雪鴉が笑う。 
 「一体全体、どういうこッた。目録は俺の手にあるッてェのに、連中、なんだってひと月もの間、おまえさん相手に愚図愚図してやがった」
 いや‥‥‥、と不患は思い当って溜息をついた。聞くまでもない。悪党どもは、雪鴉に弄ばれたのだ。ひと月もの間、このイカれた男の遊び相手をさせられたとは、同情に堪えぬ。
 「わたしが掠風竊塵だと明かしたら、連中えらく驚いてねェ。初めはなかなか信じてくれなかったのだが、わたしの姿かたちを聞き知っている者がいたと見えて」
 「大方てめェ、魔剣目録は自分が俺から掠め取って、どこぞに隠したなんぞとほざきやがったな」
 ため息混じりに不患が言うと、雪鴉はにっこり微笑んだ。
 「おや、ご明察。魔剣目録なんぞ手に入れて、使いこなせるはずもないのに、莫迦な連中だ。随分熱心に在り処を聞きたがるものだから、つい面白くなってね」
 莫迦はどっちだ、と思う。そんなお遊びのせいで、自分も襤褸襤褸ではないか。
 「とっとと俺に振っておけば、痛い目を見ずともすんだろうに」
 「これしきのことでお前に助けを求めたのでは、掠風竊塵の名が泣くと思ってねェ。適当な頃合いを見計らって抜け出すつもりでいたのだが、なにしろ毒で身体が痺れていたものだから」
 毒の効き目が薄れてきたと思うと、また薬を飲まされたのだと、しれっとした調子で言う。おかげで結局おまえの手を借りる羽目になった、と雪鴉は笑った。
 手を借りるも何も、もとはといえば不患自身が蒔いた種だ。雪鴉はとばっちりを受けたに過ぎない。過ぎないのだが‥‥‥。そこで話をややこしくして、自分の首までしめてしまうのが凛雪鴉という男である。愉悦の為には自分の命すら顧みない。正気の沙汰とも思えぬが、これがこの男の性分なのだ。




   * * *



 
 「ほらヨ、着替えだ」
 風呂敷包みを荒ら筵の上へ放り投げる。
 町へ出て、有り金はたいてきたのだ。
 到底、大盗賊・掠風竊塵どのにはお気に召すまい代物だか、それなりに似合いそうなものを見繕ってきたつもりだ。
 決め手となったものがある。
 『こちらのベベにゃァ、この簪もおつけ致しますよ、旦那』
 古着屋の親爺にそう言われたのだ。
 血の色をした珊瑚玉を、白銀の細工で縁どった簪は、そのまま雪鴉を思い起こさせた。
 「ほう。女物を買ってきたのか」
 包みを広げて、雪鴉が笑う。
 「しかたあるめェ。お前サンに合いそうなものといったら、そんなものしか無かったンだから」
 「それは雑作をかけたね」
 笑って衣を手にとった雪鴉の前に、ころりと件の簪が転げ落ちた。
 「おや。これもおまえの見立てかね」
 小首を傾げられて、照れくさくなる。
 「そ、そういうわけじゃねェ。店の親爺が勝手に付けがったのさ」
 ふうん、と雪鴉は微笑んだ。
 「では、早速着替えさせていただくとしようか」
 そう言って、雪鴉はかつてきらびやかな衣であった襤褸を脱ぎ始めた。
 「ああ、待て。包帯を取り替えておこう」
 昨夜は、ありあわせの布で手当てをしたのだ。それゆえ、町に出たついでに、薬と布を買ってきた。
 「大した傷でもないと思うのだが」
 本当に大したこともなさそうに雪鴉は言うが、縦横無尽に笞で打たれた膚はあちこち裂けて今もまだ血を滲ませている。決して軽い傷とは言えなかった。
 手当てをする間、雪鴉はわずかな呻き声さえ立てなかった。黙ってされるがままになって、口元には淡く微笑さえ浮かべて見えた。
 (全く大した玉だな、お前ッてやつァ)
 感心するやら呆れるやらで、不患は深々とため息をついた。
 「そら、終わりだ。さッさと着替えな」
 ぽんっ、と大きな掌で背中を叩いてやると、さすがに「痛ッ」と雪鴉が声を上げた。
 「非道いことをする男だな、お前は。怪我人への慈悲はないのか」
 「煩い。勝手な時だけ怪我人ヅラするんじゃねェよ」
 ぶつぶつと文句を言いながら、雪鴉はそれでも不患の買ってきた衣を身に着け、髪を無造作に束ね上げた。仕上げに珊瑚の簪を髪に挿す。
 「どうだ? 安物の衣でも、わたしが身に着ければそれなりに恰好がつくであろう?」
 なにを偉そうな、と思うが、正直、不患の目から見ても雪鴉という男は艶やかだ。安っぽい衣も、中身次第で華やかに見える。
 不患の思いを見透かしたように、雪鴉は満足げな顔をした。
 「では、出かけるとしようか」
 衣の下にあれほどのひどい傷を負っているとは微塵も感じさせぬ、優雅な足取りで雪鴉は不患の脇をすり抜け、祠を出てゆく。
 やれやれ、と肩をすくめて、不患はそのあとに続いた。
 
 

 町の雑踏の中でも、雪鴉の姿は人目を引く。おかげではぐれる心配はないが、こう悪目立ちしたのでは、連れとしてはどうも居心地が悪い。
 不患は少し離れて、雪鴉の後ろを歩いていた。
 雪鴉がくるりと振り返る。
 「もそっとそばにいてくれねば、話をするにも面倒なのだがね」
 ちょいちょい、と手招きされて、しかたなくそばへ寄った。
 「いつまでもこのみすぼらしい格好というわけにもいくまい。どこぞでまともな着物を贖いたいものだが」
 雪鴉の唇に笑みが刷かれる。有り金はたいて買ってやった衣に、随分な言い草だ。
 「贖うったって、文無しでどうする気だ?」
 「おや、誰が文無しだと?」
 雪鴉は懐から出した財布を、ひらり、と振って見せる。
 不患は思わず口を開けた。
 「て、てめェ、人サマの懐からくすねやがっ‥‥‥」
 喚こうとしたその口を、雪鴉の白い手がふさいだ。
 「人聞きが悪いね。余っていそうな所から少々拝借したまでのこと。そう目くじら立てなさんな」
 不患はずっと、雪鴉のすぐ後ろを歩いていたのだ。なのにである。いかに雑踏の中とはいえ、雪鴉が他人の懐から財布を掏り取るところには、まるで気づかなかった。
 「さすがは掠風竊塵だな」
 「こんなところでその二つ名を出すのはやめてもらえまいか。掠風竊塵の本分は、決して掏摸などではないのだからね」
 どっちにしたッて盗ッ人にかわりはなかろうに、と不患は胸の内で思ったが、雪鴉にとっては大違いなのであろう。一寸の虫にも五分の魂、盗っ人にも三分の理、というやつである。
 なにはともあれ、他人の懐から拝借した金子で、自分好みの豪奢な衣を手に入れた雪鴉は、早々に装いを改めた。
 「ああ、着てきた衣はそちらで処分しておいておくれ」
 店主に雪鴉がそう言った。不患がそれなりに心を砕いて選んだ古着は、あっさりと見捨てられたわけである。
 (まあ、構やしねェがな‥‥‥)
 少々鼻白みつつも、美しく着飾った雪鴉を前にして、なんとなくほっと気持ちが落ち着いた不患である。
 「ああ、そうだ」
 ふと思い出して、不患は懐に手を入れた。
 「こいつを返しておかねェと」
 雪鴉の煙管、である。
 例の悪党の根城で薬瓶を探した折に、見つけて咄嗟に懐へねじ込んだのだ。
 「おや、有り難い。これが無いとどうも手持無沙汰でね」
 煙管を受け取ると、雪鴉はその羅宇の表面を指先で撫でた。
 「これはなかなかに会心の作で、諦めるには惜しいと思っていたのだよ。いや、恩に着る」
 珍しく素直に喜ぶさまを見て、不患も悪い気がしない。
 第一、やはりこの男にはこの煙管がよく似合うのだ。瀟洒な造りの煙管を弄ぶさまは、婀娜で小粋で艶めかしい。

 さっきまでより更に華やかさの際立った雪鴉から、やはり少し遅れて不患は町なかを歩く。町はすでに黄昏時で、道行く人々の足もどこか慌ただしい。
 次第に空は茜色へ、そして薄墨を流したような色合いへと、刻々と変化する。さて、今宵の宿を決めねば、と不患はこうべを巡らせ―――。
 「雪鴉!」
 咄嗟に。
 雪鴉の腕を強く引いていた。
 飛来した何かが、雪鴉の鼻先すれすれを掠めて、傍らの地面に突き立つ。
 「―――ほう。やはり持つべきものは友だな」
 暢気に雪鴉が振り返って微笑む。
 「うるさい。ぼやッと歩いてねェで自分でよけやがれ。怪我人だと思うから庇ってやったンだからな」
 「おやおや、さすがは英雄好漢だ」
 笑う雪鴉を脇へ押しやり、路地の暗がりから湧いて出た幾たりかの影に向かって、不患はすらりと剣を抜き放った。
 剣と言ってもこの『拙剣』は木刀に過ぎないが、それでも不患の気功を以て振るえば、充分すぎる殺傷力がある。
 「こそ泥どもの生き残りかィ、性懲りもねェ」
 うんざりした調子で不患が言うのを、雪鴉が聞きとがめた。
 「おまえ、一網打尽にしたのではなかったのか」
 呆れたような雪鴉の口調に、不患は鼻に皺を寄せた。
 「うるせェ。好き好んで殺生をするまでもなかろうサ。手向かうやつは叩き伏せたが、逃げたいやつは好きにさせたまでのこッた」
 「愚かな。無駄な遺恨を遺してどうする。第一、魔剣目録のことがこの東離でまで津々浦々まで広まっても知らぬぞ」
 雪鴉の言うことには返す言葉もない。
 はるか西幽の地で魔剣目録を狙う悪党らから逃れようとさすらう内に、鬼歿之地を越え、ここ東離へと流れてきたのだ。常人には越えることのかなわぬ鬼歿之地を渡ってきたればこそ、魔剣を狙う者どもを振りきれたというのに、東離でまでもうわさが広まれば、またも厄介なことになる。
 そもそも件の連中が、一体どこから魔剣目録のことを嗅ぎつけたかはわからぬ。東離でこのことを知っている者といえば、凛雪鴉のほかは丹翡と捲殘雲の二人きりだ。丹翡と捲殘雲からその秘密が漏れる気づかいはない。とすれば、雪鴉か?と疑わぬでもないが、恐らくそれもあるまい。そもそも魔剣の恐ろしさなど、皆目わかってもおらぬ者たちが、たまたま懐をねらってきたに違いない、と思う。
 (そういや‥‥‥)
 雪鴉と飲んだときのことだ。
 『おまえのその小汚い懐に、人心を惑わし天下を乱す秘宝が隠されているなぞとは、よもや誰も思わぬことだろうさ』
 戯言ともつかぬ調子で笑った雪鴉の言葉を、一味の誰ぞが漏れ聞いたに過ぎぬのかもしれぬ。
 何はともあれ、連中を生かして逃そうというのは、やはり無理な話であるらしい。
 盗ッ人なりに、頭目の仇を討とうというのだろう。
 「しようがねェな‥‥‥」
 不患がため息を漏らした途端、刺客どもは四方に散り、不患めがけて一斉に斬り込んできた。
 「無駄な殺生なんぞしたかァねェが、おめェらのしつこいのがいけねェのさ。悪く思わないでくれよ」
 振り下ろされる剣を右へ左へ払い、不患はただの木刀である拙剣に気を込めて、まずは一人目の胴を薙いだ。返す刀で次の相手を真っ向から斬り伏せ、逆手に持ち替えて背後の敵を貫き通す。
 次はどいつだ、と振り返りかけたところへ、ヒッュと例の吹き矢が放たれてくる。
 剣で叩き落として、吹き矢の放たれた屋根の上を仰ぎ見る。
 「おッ?」
 不患が相手の姿を確かめるより早く、吹き矢の主が短く悲鳴を上げてぐらりと屋根からその身を傾けた。屋根瓦と共に、がらがらと音を立てて地に落ちる。
 不患は、思わず傍らの雪鴉を顧みた。
 雪鴉は涼しい顔をしていたが、吹き矢の男を仕留めたのはこの男に間違いない。
 「てめェ、いつの間に暗器なんぞ仕込んでやが‥‥‥」
 そう問おうとして、不患は地に転がってる吹き矢の主へ目を留めた。その首筋に刺さっている紅いものには見覚えがあった。
 (珊瑚玉の簪‥‥‥)
 暗器、ではない。
 不患が古着とともに贖った、あの簪であった。
 「雪鴉、おまえ‥‥‥」
 すこし驚いて雪鴉の顔を見やると、向こうはついと目をそらせた。
 「着物と一緒に捨ててきたんじゃなかったのか」
 そう問いながら、残った刺客へ立て続けに剣を繰り出す。
 「護身用になるかと思ってね」
 雪鴉はぼそりとそう言った。
 すでに、不患と雪鴉以外、通りに立っている者はない。今度こそ、全て片付いたのだ。
 不患は骸の首から簪を引き抜いた。屍の衣の裾で簪の血を拭う。
 雪鴉の瞳と同じ色の珊瑚玉は、夜目にも鮮やかに美しい。
 「護身用なら、しまっときな」
 雪鴉の手に、簪を返す。
 指と指とが触れ合って―――、不患は初めてはっとした。
 「おい。おまえ‥‥‥」
 雪鴉の指が、燃えるように熱かった。  
  


   * * *



 「全く。こんなに具合が悪いくせに、よくもまァ平気な顔をしていられたもんだ」
 ようやく宿に落ち着いて、不患は雪鴉を牀台に突き飛ばした。
 「やれ手荒な男だな」
 不服を唱えながらも、雪鴉はさすがに少々ぐったりして牀台に横座りになっている。
 まるで野生の獣だなと、不患は溜息をついた。傷を負っていても、決して弱っていることを悟られまいと虚勢を張る。そうでなければ、敵からは付け込まれ、味方からは見放されるからだ。
 「ちッとは周りを信用しろ」
 不患がそう言うと、雪鴉はふふんと鼻で笑った。 
 「生憎わたしは盗賊でね。性根もこの通り、曲がりくねっている。わたしが人を信用したくとも、相手の方でわたしを信用すまい」
 言いながら、雪鴉はゆっくりと髪の飾りを外しにかかる。その気だるげな様子に、不患は眉を寄せた。
 「日頃の行いが悪いからなァ、てめェは。人をからかって躍らせて、それを眺めるのが何よりも愉しいときている。それに気づけば、相手は傷つく。おまえに多少なりとも好意を感じた者なら尚のこった」
 雪鴉の脱いだ外衣と髪飾りを受け取って、そばの卓へと放り投げながら、不患はうんざりした口調でそう言った。それでも雪鴉は笑っている。
 「残念ながら、この性根は治りそうにないのだ。他人がいかに不快感を示そうと、わたしは己の愉悦を求めずにはおれぬのさ」
 そうだろうよ、と不患は肩をすくめる。
 「それをやめぬ限り、誰も本気でわたしを援けようとはすまいゆえ、わたしは己で己の身を守ってゆくしかないのだよ」
 むしろ『悟り』の境地だな、と不患は思う。誰しも自分の欲望のままに生きたいと願うが、それによって他人ばかりか己までも傷つけるのを恐れて二の足を踏む。やれ情義だ人倫だと理屈をつけて、そこそこの善人を演じようとするものだ。雪鴉の開き直りは、いっそ潔いのかもしれぬ。
 「つくづく因果な奴だぜ、てめェはよ」
 「おまえとて、わたしのやること為すことに、いちいち腹を立てるだろう? まァ、その怒った顔を見るのもわたしにとっては愉快なのだから、せいぜい向かッ腹を立ててくれなくては困るのだが。怒らせる以上は、そういつもお前の手を借りられるなぞと虫のよいことは考えておらぬよ」
 言っていることは無茶苦茶だが、雪鴉の微笑はどこか健気に見えた。つい、ほだされる。
 「腹は立っても、目の前で弱った姿をさらされりゃ、助けねェわけにもいくめェさ」
 雪鴉は目を細めた。
 「そこがおまえの奇特なところよな」
 自分でもそう思う、と不患は溜息をつく。
 「ともかく、俺はお前のようにしち面倒くさく言葉を弄することはねェ。俺の言葉は掛け値なしの額面通りだ。少しは信用しろ」
 「しているとも。東離広しといえども、おまえほど信用に値する男は二人とおるまい‥‥‥」
 くすくすと笑いつつ、雪鴉はゆっくり牀台に横たわった。
 「おい、大丈夫か? 長話をさせて悪かった。少し休め」
 人前でこんな無防備な姿をさらす雪鴉を、不患は初めて見る。よほど具合が悪いのか、あるいは少しは頼りにしてくれるのか。
 牀台に横たわったまま、雪鴉の紅い瞳がゆらゆらと不患を見上げてくる。
 「まァ、そう言うてくれるな。おまえと話していると愉しくてな。もう少し、眠気がさすまで、ここにいて相手をしてはくれまいか」
 ねだるような口調で、雪鴉が言う。
 「そいつは構わねェが、つくづくお前はおかしな野郎だな。俺の苦言が心地よいたァ」
 呆れてそう言うと。
 「なにが苦言なものか。お前の言葉は、わたしにとっては蜜の如く甘い」
 「気持ちの悪いことをヌカしやがる」
 大いに不快感を示してやったが、生憎この男は相手が不愉快になればなるほど悦ぶのだったと思い出し、更にげんなりする。
 案の定、雪鴉はひどく幸せそうであった。
  



   * * *



 「そこのお若いの」
 雪鴉が眠ったので、酒の一杯も引っ掛けようかと不患が宿の一階に降りてきたときである。ひとりの老婆からそう声をかけられた。
 宿は、一階が酒や飯を供する店で、その上が泊り客の部屋になっている。老婆は店の片隅で、ちびちびと酒を飲んでいた。
 不患はきょろきょろと辺りを見渡した。刻限も遅いとあって、客はこの老婆ひとりきりだ。 
 「ええッ、お若いのってなァ俺のことかィ?」
 少々驚いて、不患は間の抜けた声を出した。
 「ほかに誰がおる」
 老婆があきれたように言う。
 「はァ、そんなふうに呼ばれたのは随分久しぶりなんでね、少々面喰っちまったのさ。まァ、婆さんからすりゃ、確かに俺も若造にゃァ違いねェ。―――で、何か用かィ?」
 老婆の前の席にどっかり腰を下ろして、不患は頬杖をついた。
 老婆は酒杯を干してから、不患の顔を覗き込んでくる。
 「お前さんの連れのことだが‥‥‥。さっきチラッと見かけただけゆえ、違っていたなら許せ。あれはもしや、凛雪鴉という男ではないのかェ?」
 問われて、不患はわずかに眉を寄せた。
 なにしろ雪鴉は盗賊である。『月明かりを浴びて影を落とさず、雪道を踏んで足跡を残さず、天地の理さえも欺いて奇計妙策を巡らす』なぞとと謳われる大泥棒なのだそうだ。ここで簡単に、はい、そうです、と答えたものかどうか、少々悩むところである。
 「婆さん、あんた、何者だ? 俺の連れがその凛とかいう野郎だったら何とする?」
 そう問い返すと、老婆はにやりと笑った。
 「べつだん何ともしやしないさ。ただ、喜ばしいことだと思ってね」
 「喜ばしい?」
 不患は油断なく老婆の表情を窺いつつ、その杯に酒をついでやる。老婆は嬉しげにそれを一口飲んだ。
 「なにしろ、白い鴉が生き残るのは、たやすいこっちゃないのさ。ああして生きて、お前さんのような友に恵まれたなら、あの子の人生も満更捨てたもんじゃなかったンだと思ってね」
 不患はあっけにとられた。
 「あの子って、婆さん。あんた、その凛って野郎の何だ?」
 この老婆にかかれば、自分は『お若いの』で雪鴉は『あの子』ときたものである。
 老婆は低く笑った。
 「何でもありゃしないよ、あの子の師匠と、ちょいとワケありだっただけのこと」
 「師匠?」
 不患の問いに、老婆はどことなく遠い目をして答えた。
 「廉耆と言ってな、そりゃァ腕の立つ男であったよ」
 (『廉耆先生』のことか)
 廉耆先生には、結局会い損ねた不患である。
 (ワケありねえ‥‥‥)
 目の前の老婆からは想像もつかないが、昔は美しかったのやもしれぬ。廉耆先生と艶めいた話のひとつもあったとて、不思議はない。
 「その男の許に、ある時毛色の変わった弟子が入ったと聞いてな、ちょいと覗きに行ってみたのさ。なるほど、文字通りほかの弟子たちとは毛色の違う、綺麗な坊やが目に入ったよ」
 昔を懐かしむように、老婆は時折酒を口に含みながらぽつぽつと話した。
 「黒い鴉どもの群れに、たった一羽、雪色の鴉が放り込まれたんだ。外からは恰好の標的にされ、内からは陰口をたたかれて、まあ気の毒なこと、この上もなかったね」
 不患は軽く目を瞠った。
 「なんだって仲間から陰口なんぞ叩かれる?」
 「白い姿が不気味だの、血の色の瞳が不吉だのと言われたもんさ。さすがに廉耆はそんな下らぬ取りざたには耳を貸さなんだがね」
 考えたこともなかった。あの特異な外見が災厄を招くなどとは。少し考えれば想像のつくことであったのに、凛雪鴉の堂々とした立ち居振る舞いからは、思いもよらなかった。
 「あの子には天賦の才があったのだろうよ、廉耆は寝る間も惜しんであの子に剣技を仕込もうとしたが、それもまた、兄弟子たちのやっかみを買ったものさ」
 ありそうな話だと思う。人は、抜きんでた者に対しては、崇めたてるか嫌悪を示すか、ふたつにひとつだ。
 老婆はひとつ溜息をついた。
 「そればかりか、あの廉耆の阿呆めが」
と毒づく。
 「あまりに夢中になりすぎおったのさ。あの子は教えれば教えるだけ、綿が水を吸うがごとくに技を習得したが、その教えようといったら常軌を逸しておった。あの子は生傷の絶え間とてなかったのだよ。その苦痛に歪む顔の美しさに、あの阿呆め、すっかりイカれてしもうたのさ。昼も夜もあの子を責め苛んで‥‥‥」
 忌々しそうに酒杯をどんと卓に置く。
 不患は老婆の顔色を窺いつつ、さらに酒を注いでやった。
 「あれはもう、修練なんぞという代物ではない、廉耆の快楽のはけ口にされていただけであろうな。それでもあの子は、相手が師であると思えばこそか、あるいはいずれ師を越えんと心に念じていたものか、日々じっと耐えておったわ」
 ちょっと想像がつかなかった。あの雪鴉が、いじらしく辛抱などするものだろうか。虎視眈々と、師匠の寝首を掻く機会をねらっていたものか、それとも、その頃にはほんとうにいたいけな少年であったのか。
 いずれにせよ、その師は既にこの世にない。
 「はて、廉耆の阿呆め、今も達者にしておるか、あるいは可愛い弟子の手にかかって果てたものか」
 老婆の言葉に、不患はどきりとした。
 師を手にかけたのは雪鴉自身ではないが、それでもその死に深く関わってはいる。
 むっつりと黙り込んだ不患に、老婆は苦笑いした。
 「まあよい。お前の連れが、あの小僧か否かなど、わたしには何の関わりもありはせぬ。雪白の髪を見て、ふと遠い昔を思い出したに過ぎぬのさ」
 そう言って、老婆は立ち上がった。
 「お若いの、婆の思い出話につきあわせてすまなかったねェ」
 飲み代を卓の上に置いて、老婆は杖を片手にゆっくりと歩き出した。
 「あ、いや、婆さん。あんた、もう夜も更けたってェのに、これから何処へ行くつもりだィ」
 店を出ていこうとする老婆の丸まった背中に、不患は声をかけた。
 「あたしゃもう何十年、風の向くまま気の向くまま、旅から旅の浮草暮らしさ。もっとも、それももう長くは続くまい、この齢だものね」
 老婆は振り返りもせず、くっくっと笑う。ひらりと皺深い手が上げられた。
 「二度と会うこともあるまいよ」
 「そうかィ、気をつけて行きな。長生きすりゃァ、また何かいい目も出ようってもんさ」
 不患の言葉に、老婆はふと足を留めた。やはり振り返りはしなかったが。
 「‥‥‥おまえさんも達者でな。連れを大事にしておやり。白い鴉には生きづらい世だからね」
 そう言いおいて、老婆は店を出て行った。




 雪鴉の寝顔に目を落とす。
 たまたま出逢い、こうして旅を共にしてはいても、互いの過去など少しも知らぬ。知る必要も、さほどには感じぬ不患である。人と人とは、今この時の互いを知れば、それでよいと思うのだ。
 だが。
 重ねてきた時の上に、今の雪鴉が在るのもまた事実だ。
 (白い鴉には生きづらい世―――か)
 眠っている雪鴉に、常のふてぶてしさは感じられぬ。
 髪も、膚も、雪で造られたかのような儚げな美しさだけが目を引いた。
 派手すぎる衣も、芝居がかった大仰な物言いも、この儚さを隠すのに一役買っているのだと、初めてそう気づく。
 美しすぎる雪白の鴉が、たった一人で江湖を渡ってくるのに、どれほどの代償が伴ったか、それを今更聞きだしたいとは思わない。
 額に置いた手巾を、絞りなおしてもう一度あてがってやる。雪鴉は心地よさげに口元をほころばせ、小さく吐息を漏らしながら身じろいだ。
 衾を肩口まで引き上げてやろうとして、布越しに何か堅いものに触れた。
 (なんだ?)
 そっと衾をめくって、はっとする。
 雪鴉の白い手に、あの珊瑚の簪がしっかりと握りしめられていた。
 『護身用になるかと思ってね』と雪鴉は言っていた。
 (俺のやった簪だものなァ。さぞかししっかりと護ってくれようさ)
 だが、と思う。
 (そんな簪よりも、俺自身のほうが、もそっと頼りがいがあるとは思わねェか?)
 大事にしておやり、と老婆は言った。余計なお世話だと思うが、なんとなく老婆の言葉は心の壁に貼りついて離れなくなった。
 しようがねェな、と思う。
 とりあえず。
 さしあたっては雪鴉が恢復するまでは、と不患は苦笑した。まァ、つきあってやってもいい、と。
 「目が覚めりゃ、また癇に障ることをべらべら喋るんだろうがな」
 眠っている顔は清らかで、どこか幼くさえ見える。
 階下でせしめてきた酒徳利から、ぐびりと一口のどを潤す。
 今夜は雪鴉の寝顔を肴に、のんびり酒をたのしむとしよう―――、そう決めて、不患はひとり笑みをこぼした。



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