琅琊榜

半身 (『琅琊榜』#1補完)

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閣主にとっては、宗主と飛流まとめて大事な家族。
三人で『家族』してるのを見る1のが大好きです。


 美事というほかはなかった。
 毛虫が蛹になり、……そして生まれ変わった梅長蘇という名の蝶に、藺晨は心を奪われた。
 その儚い躯を手に入れるために、この男がどれほどの苦痛に耐えてきたか、藺晨は目の当たりにしてきたのだ。
 包帯がとれて、初めて鏡の中の己の姿を見たときの、梅長蘇のあの表情が忘れられない。悲しみとも、喜びとも、絶望とも、満足とも、いかようにも受け取れる複雑な面持ちで、渠は鏡に見入っていた。
 そこからようやく、梅長蘇の一歩が始まった。
 梅長蘇の躯と声とが、林殊にはなんとしても必要だったのだ。
 だが、そのために渠の払った代償の大きさを、藺晨はよく知っている。知っているからこそ、その儚い姿を美しいと思う。
 「あれほど父親に似ていたものを」
 たった一度だけ、父がそう漏らしたのを、藺晨は聞きのがさなかった。
 父は根っから江湖の人間である。息子の自分が言うのも何だが、豪放磊落かつ才叡なる人で、武芸も医術もいまだ藺晨は父に遠く及ばぬと自覚している。
 その父は、けれど情に脆くもあった。亡き友の忘れ形見の変わり果てた姿を、朝な夕な見続けることに、渠は耐えられなくなったのかもしれない。
 それゆえ、散り散りになった赤焔軍ゆかりの者の中から、黎綱と甄平を呼び寄せ、梅長蘇につけると、己は俄に姿を眩ませてしまった。
 藺晨は、琅琊閣と梅長蘇を託された恰好だ。
 父の信頼に応えるだけの才は、すでに備えているつもりの藺晨である。また、赤焔軍で育ったという黎綱らは、実によく梅長蘇の世話をした。何の問題もありはしない。
 けれども。
 (わたしとて辛いのだ、クソ親爺め)
 つい肚の内で、父を詰る。
 梅長蘇の命を預かるつらさは、藺晨とて同じだった。父に先を越され、今更自分が逃げ出すこともならぬ。
 歩み出した梅長蘇に、すでに関わってしまったのだ。このままその生を見届けるしかない。まさに、騎虎の勢いというやつであった。

 梅長蘇の身体の脆弱さは、おそらく林殊の予想をはるかに上回っていたのだろう。
 もともと健康で逞しい武人であった林殊にとって、気力だけではままならぬ病身など、考えもつかなかったのかもしれぬ。
 焦って無茶をすれば、忽ち身体は言うことをきかなくなった。脆すぎる梅長蘇の身体に、林殊はなかなか折り合いをつけられずにいたのだ。
 癇癪を起こす林殊に辛抱強くつきあうのは、藺晨にとって骨の折れる作業だった。
 それでも、渠を『梅長蘇』として見ることができた分、藺晨は父より幸いであったと思う。その点において、林殊を知りすぎる黎綱と甄平は気の毒であると言うほかない。

 拾ってきた子供を梅長蘇が気に入ったのは、たまたまのことである。
 赤焔軍に縁のある者たち、同じ仇を持つ者たちを密かに募って、もともと琅琊閣とゆかりの深かった江左盟に組み込みつつあった中、相変わらず思うに任せぬ己が身を、梅長蘇は持て余し、苛立っていた。
 そんな時に、その子供を拾ったのだ。
 怯え切った獣のようなその子供は、相手かまわず威嚇し、手の付けようがなかった。
 互いに己を御すことさえかなわぬ中で、梅長蘇と飛流は出会ったのだ。
 梅長蘇は飛流をことのほか可愛がり、飛流もまた、治療してやった藺晨よりも梅長蘇によくなついた。
 粗暴でろくに他人と意思の疎通も図れぬ飛流が、梅長蘇の言うことだけはよく聞き、自身も梅長蘇の世話をしたがった。
 藺晨にとって意外だったのは、飛流よりも梅長蘇の変化である。
 飛流をそばに置くことで、目に見えて梅長蘇は落ち着いていった。
 次第に『林殊』は影を潜め、姿かたちだけでなく、梅長蘇というひとりの男が息づき始める。
 追い詰められ、苛立って、その眼に暗い焔だけを宿していた男が、飛流を前にすると頬を緩め、時に声を立てて笑いもした。
 梅長蘇と飛流が戯れ合うさまを見るのが、藺晨は好きだった。


 江左盟の規模が膨らみ始めると、梅長蘇は琅琊閣から廊州へとその居を移した。
 そろそろ出ていくつもりだと告げられた時、藺晨は一瞬言葉に窮したのだ。もうずっと前から、いつそう切り出されてもいいように身構えていたにもかかわらずである。
 深入りする気など、もとよりなかった。
 やがてここを出ていく男であることはわかっていたのだ。
 廊州でさえ、渠の終の住処とはなり得まい。
 梅長蘇はいずれ都へと去り、そして、恐らく帰ってはこない。
 そして、それを止めることなど誰にもできはしない。
 都で目的を果たすため、渠は儚い蝶のさだめを選んだのだから。
 虫籠に籠めて愛でるわけにはゆかぬのだ。
 (まあ、いい)
 藺晨はため息混じりにそう思った。
 まだ都へ打って出るまでには年月を要する。
 それまでは、廊州もわが庭と思おう。
 父が行方を眩ませた以上、梅長蘇の身体を最もよく知るのは自分である。たやすく縁が切れることはない。
 もう充分、深く関わってしまったのだと、藺晨は苦笑いせずにいられなかった。





  ***




 「藺閣主からは何と?」
 黎綱が尋ねる。
 梅長蘇は信鸽の背を軽く撫でてねぎらってから、黎綱へと手渡した。
 「いよいよ金陵に風が起ち始めたようだ」
 胸の内の興奮を抑えて、梅長蘇は殊更静かにそう告げた。
 「誉王と太子が、動き始めた」
 「……」
 黎綱の顔が曇る。
 梅長蘇は少し目を伏せた。
 「金陵へはおまえを伴うつもりだったが、気が進まぬようなら甄平と飛流を……」
 「いえ、是非にもお連れください」
 慌てて黎綱が言葉を遮った。
 梅長蘇は微かに笑う。
 「すまぬ。おまえの言いたいことは、わかっている」
 黎綱は、自分の身体を案じてくれてるのだと。
 「やっとここまで漕ぎつけたのだ。今更引き返すわけにはゆかぬ」
 「心得ています……」
 黎綱はうなだれた。
 誰よりも梅長蘇の心を汲むことのできる男である。
 「頼りにしている」
 梅長蘇はそう言ったが、それには答えず、黎綱は信鸽を抱いて立ち上がった。
 それ以上は梅長蘇も言葉のかけようがなかった。

 部屋を出ていこうとした黎綱が、丁度やってきた配下の者から何やら耳打ちされている。
 その顔が振り返った。
 「なんだ?」
 「慶国公の案件です」
 黎綱の言葉に、梅長蘇は軽く目を瞠り、それから微笑を浮かべた。
 もう止まらぬ。
 全ての歯車が、噛みあい、回り始めるのだ。
 「例の老夫婦が、天泉山荘の卓青遥と共に都へ向かっています。追手には双殺幇が手を貸しているとのことですが、間もなく江左の領域に入るかと」
 「―――わかった」
 梅長蘇は、ゆっくりと立ち上がった。
 「宗主自らおでましに?」
 「最初の一手は、わたしが指そう」
 梅長蘇の言葉に黎綱は小さなため息をつき、それでも力強くうなづいた。
 「飛流をつけましょう」





 慶国公府からの追手は、愚かにも江左盟の支配下にある水域へと踏み込んだ。追手は飛流が苦も無く水中へ放り込み、慶国公府に協力して船を出した双殺幇の幇主は江左盟に恐れをなして引き返していった。
 慶国公の案件を明るみに出す為には、証人となる老夫婦をなんとしても皇太子側の手に委ねる必要がある。
 寧国侯・謝玉を通じて皇太子に与する天泉山荘の卓青遥が、夫婦を金陵まで送り届ける役割を果たしてくれるだろう。
 いよいよ始まるのだ。
 静かな興奮が、梅長蘇の冷えた身体を這い上がる。

 「帰ろうよ」
 飛流が見かけよりずっと稚げな口調でそう言った。
 すっかり背も伸び、恐らくは琅琊達人榜上位の者を相手にしても引けを取るまい手練れに成長しながら、飛流の心はいまだ幼子のようだ。
 幼きがゆえに強く健やかな心を、梅長蘇はまぶしく思う。
 「わかった。そうしよう」
 梅長蘇は微笑んでそう答えた。
 水面にたちこめる霧が、肌に冷たい。
 飛流のかけてくれた外套の襟元を深く掻き合わせて、梅長蘇は霧の彼方へ眼をやった。
 「これから忙しくなる」
 飛流が首を傾げた。
 出来ることなら、この子を巻き込みたくはないと思う。
 けれど。
 飛流ならば大丈夫だとも、梅長蘇は思うのだ。
 都の穢れの中にあっても、飛流はきっと清いままでいられる。
 そしてその清さは、恐らく自分にとって救いとなるに違いないと、梅長蘇は思った。
 「蘇哥哥をたすけてくれるか?」
 「うん」
 即座に返ってきたあどけない笑顔に、梅長蘇の頬も緩んだ。




  ***



 「脈を診るたび渋い顔をする」
 梅長蘇がそう言って困ったように笑う。
 当たり前だ。十二年このかた、梅長蘇の体調がよかったためしなどないのだ。
 藺晨にしてみれば、そんな梅長蘇を都へなど行かせたいはずもない。
 だが。
 「引き留められるか? 金陵に戻ることは十二年前からわかっていた」
 とうにあきらめてもいる。
 「わかっているなら身体が動く間に決着をつけさせてくれ」
 身体が動く間に。
 近い将来、それさえかなわなくなることを、この男は承知しているのだから。
 「どれだけもつ?」
 「どれだけ必要だ?」
 「……二年」
 たった二年を問題にせねばならぬほど、渠の命は切羽詰まっているのだ。
 「構わんぞ、医者が十人同行すればな」
 つい嫌味が口をついた。
 梅長蘇の眸が、じっと藺晨を見つめる。
 駄目だ。
 そんなふうに見つめられたら、抗えるはずがない。
 藺晨はしかたなく、懐から薬を出した。
 この薬を渡さねばならぬことなど、はじめからわかり切ってはいたが。
 「憔悴したときに一粒飲め。飲み終える前に私を都へ呼ぶのだぞ」
 そう言うと、梅長蘇の顔が柔らかくほころぶ。
 これまで見たどんな表情よりも優しく美しく微笑んで、渠は言ったのだ。
 「お前がいれば十人の医者にも勝る」
 なんという殺し文句だろう。
 痛ましくて、まっすぐ見ていられなかった。
 「飛流!」
 外へ向かってそう呼ぶ。
 かまいすぎる自分を嫌って、飛流は姿を現さないが。
 「蘇哥哥は金陵へ行くぞ。わたしと南楚で遊ぶか?」
 そう尋ねた途端。
 「駄目だ、行く!」
 軒先にいきなりぶらんと飛流の頭が垂れた。
 そんなことで驚きはしない。
 飛流に軽功を教えたのはほかでもない藺晨なのだ。
 軒先からぶら下がった飛流の顔には、迷いがない。
 「どこへ?」
 答えを知りながら、藺晨はそう尋ねた。
 そして、思った通りの返事を、飛流は力強く口にした。
 「金陵」
 藺晨の胸に、熱いものが込み上げる。
 飛流には、復讐も政も関わりない。
 ただ、梅長蘇についてゆきたいだけだ。
 大好きな蘇哥哥を守るという、単純明快な理由だけがそこにある。
 これほどまでに無垢で健やかな心を、藺晨はほかに知らない。
 恐らくは梅長蘇も、それを愛するのだろう。
 梅長蘇は飛流を、それは大切に慈しんできた。融通の利かぬ、稚なすぎる心を、決して撓めようとはせずに、ありのままの飛流を愛でた。
 かつて『林殊』が持っていた、明るくまっすぐな、強くて清い魂。
 『林殊』が損ねてしまった清らかな魂を、飛流には失わせぬように。
 梅長蘇は、飛流という、決して穢れることのない器の中に、かつての『林殊』の欠片をしまい込んだのではないか。
 梅長蘇という名の儚い蝶に生まれ変わるために手放した全てを、渠は飛流の中に見出していたのだろうか。




 梅長蘇は金陵へと旅立っていった。
 遠ざかる馬車の轍の音を門の内で聞きながら、藺晨はため息混じりに微笑した。
 自分にはすべきことがある。
 友の大望を扶けるために。
 そばにいるだけが友情ではあるまい。
 飛流がついていてくれるなら。
 梅長蘇はきっと大丈夫だ、と藺晨は思う。
 飛流は梅長蘇の半身だ。
 半身がそばにある限り、どれほど過酷な試練にさらされようとも、梅長蘇の心が折れることはあるまい。
 自分は自分のやりかたで、梅長蘇と飛流を見守っていこうと思う。
 そして渠らが戻れる場所を、用意しておいてやりたい。

 「だから、帰ってこい」
 藺晨は、通りへ出た。
 もうとっくに馬車は見えないが。
 走り去ったであろう先へ眼をこらす。
 (ちゃんと『林殊』を終わらせてこい)
 梅長蘇が、そして飛流が、『林殊』から解き放たれて戻ってくるのを、藺晨は待っていてやりたかった。

 二年など、あっという間だ。
 行ったきりにはさせぬ。

 「さて、二年たったらどこで何をして遊ぶか、だな」
 藺晨は小さく笑って、腕組みしながら門の内へと入った―――。


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~ Comment ~

Re: NoTitle

ほんとに、あのOP.については、初見のときはすぐには気づかず、
気づいたときには「ああ!!」と感動しました。

藺晨、梅長蘇、飛流の関係というのは、
やはりものすごく好きです。
この三人が幸せになれたらいいのになあって、やっぱり今でも思っちゃいます。
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