琅琊榜

羽翼  (『琅琊榜』 #1以前 補完)

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やっぱり基本は藺×蘇な私ですが、この二人、なかなか素直ではないのですよねーw

しばらく、コチラ留守にして、琅琊榜ツアー日記書いてました。
http://blog.goo.ne.jp/harukanbo66
よかったら読んでくださいw


 皮膚の再生も順調ゆえ、あとひと月もすれば包帯を全部とっても差し支えあるまいと、父が言った。
 正直、あまり興味がない。
 あの白くふさふさした毛並みの生き物ならば、ずっとそばに置いて愛でたいと思ったものを、ご苦労なことに、皮を剥ぎ、骨を削って、まるで別の姿かたちを手に入れるのだという。命を縮めるという、大きな犠牲を払ってまで。
 莫迦莫迦しい、と思った。
 充分、美しかったではないかと。
 
 梅長蘇はもう幾月もの間、包帯にくるまれ床に伏している。父が包帯を取り換えるとき、藺晨は決して部屋に入らなかった。
 (新しい姿など、見たくもない)
 そう思っていた。
 それなのに、父が言う。
 「今後、あの者の世話はおまえに任せる」
と。
 冗談ではない。
 そうは思ったが、父はほんとうに病人を顧みなくなった。
 琅琊閣の仕事も、医者としての務めも、この数年でほとんど自分に委ねられた。変わり者の父のことである。早々に浮世の雑事からは手をひいて、隠棲するのか、はたまた江湖をさすらうつもりなのか。
 世にも稀な火寒の毒に関してだけは、相手が親友の息子ということもあって、さすがに父自らが治療を施した。自分の手には負えなかっただろうことは、藺晨も自覚している。
 その火寒の毒を抜く治療も、あらかた目途がついた今、父は何もかも自分に丸投げする気なのだ。

 父が顧みぬのなら、自分が面倒を看るしかしかたがない。
 藺晨はしぶしぶ梅長蘇の部屋へ足を向けた。
 「長蘇?」
 声をかけたが。 
 寝床はもぬけの殻。病人の姿が見えぬ。
 庭で、かさりと音がした。
 藺晨は回廊へ出て、庭へ目をやった。
 庭にはいくつかの奇岩が配されている。
 ひときわ奇妙な形の巨大な太湖石の傍らで、うずくまっている姿が見えた。
 「長蘇!」
 まだ包帯もとれぬ身で。巨岩にすがって、立ち上がろうとしている。
 藺晨は舌打ちして、裸足のまま庭へ降りた。
 「長蘇、何をやっている。まだ歩くなぞ無理に決まっているだろうに」
 皮を剝ぎ、骨を削ったのは、わずか数か月前のことだ。
 こんな身体で、一体どうやって寝床を抜け出し、回廊から庭へと降りたものか。
 「うるさい」
 まだ幾分たどたどしい口調で、梅長蘇はそう言った。
 「一日も早く、都へ上るのだ」
 「莫迦なことを言うな」
 藺晨はあきれた。
 たとえ立って歩けたとしても、こんな包帯でぐるぐる巻きにされた恰好で、呂律もまだ怪しいというのに、人前になど出られるわけがない。
 それでも梅長蘇は頑として聞き入れない。
 「幾月、臥せっていると思う? 昼も、夜も、床の中でわたしが一体どんな思いでいると?」
 肩であえぎながら、梅長蘇は太湖石に爪を立てた。震える膝で、懸命に立ち上がろうとする。
 「‥‥‥見ろ、脚はすっかり萎えて、ひとりで立つことさえかなわぬ。こんなことで、父や同胞たちの雪冤を果たせるわけがない。‥‥‥このままでは二度と立ち上がれなくなる」
 包帯の下で、泣いているのだと初めて気づいた。
 心細さと苛立ちとで、この男はもう耐え切れなくなっているのだと。
 無理もなかった。
 これまで取り乱さなかったことのほうがおかしいのだ。
 いや、今までにもこうして癇癪を起していたのかもしれない。父に任せきりで、自分が知らなかっただけだ。
 「はじめからわかっていたことだろう? 新しい貌と声を手に入れるためには、一年は動けぬと」
 「黙れ!」
 悔しそうに、梅長蘇は声を荒げる。怒鳴るだけでも大変な消耗であるらしく、梅長蘇はよろめいて必死で岩にしがみついた。
 「長蘇!」
 慌てて抱きとめようと腕を伸ばしたが。
 「どけ!」
 振り払われるに及んで、さすがの藺晨もかっとした。
 「いい加減にしろ!」
 つい、手が出たのだ。
 ほんの軽くはたいただけであったのに、長蘇の軽い身体は、あっけないほど簡単に弾け飛んだ。

 長蘇はそのまま、丸一日、人事不省に陥った。傍らにあった幾分小さな奇岩で、顔と肩を打ち付けて気を失ったのだ。 
 駆けつけた父が、腹を立てて藺晨を部屋から追い出した。
 ようやく部屋から出てきた父に、
 「再生したばかりの膚は、赤子のそれと同じ。このものが新しい顔と声を手に入れるために、どれだけの犠牲を払ったことか。やっとの思いで得た新たな容貌を、おまえの短気のせいで大きく損なうことがあれば、取り返しがつかぬ。まだお前には任せられぬな」
と言われ、藺晨はさすがにうなだれた。
 知らなかったのだ。ここまで弱々しいなどと。
 少なくとも、火寒の毒を抜く治療が施される前は、異形ではあってももっと人並に力があった。
 (あれでは―――)
と藺晨は思う。
 長蘇が不安になるのも、無理はないと。
 

 数日がたったころ。
 何かが割れる音を聞いて、藺晨は梅長蘇の部屋を覗いた。
 既に衛崢や黎綱、甄平らが駆けつけている。
 割れたのは、鏡であった。
 梅長蘇は、割れた鏡の前で突っ伏していた。
 包帯の解けた顔を覆って。

 「何をしている。まだ包帯を外してよいとは言われていないだろう」
 鏡の破片を避けながら、藺晨は梅長蘇の側へ寄って片膝をついた。
 抱き起そうとすると、梅長蘇は肩を激しく振って抗う。
 「莫迦。落ち着け」
 そんなに興奮すると身体に障る、と梅長蘇の片腕を掴みよせて、藺晨ははっとした。
 覆っていた手が離れて、乱れた髪の間から白い貌が垣間見えたのだ。
 「長蘇‥‥‥」
 「見るな!」
 腕を掴まれたまま顔を覆うこともならず、梅長蘇は顔を背けた。
 「驚いたな」
 どうせ大した代物ではないと思っていたのだ。あの異形の姿から生まれ変わる新しい顔など。
 「好! 上出来ではないか」
 造作の美しさもさることながら、藺晨はほっと胸をなでおろしていた。
 右目の上に傷が残っていたが、やがてさほど気にならなくなるだろう。
 「おいおい、勿体ぶらずによく見せろ」
 もう一方の手も引き剥がしてふたつの細い手首をひとまとめに掴むと、藺晨は梅長蘇の身体を抱き寄せて顔を覗き込んだ。
 思わず、溜息が漏れる。 
 「‥‥‥見事な化けっぷりではないか。これなら苦もなく都の者どもをたぶらかせる」
 それなのに、梅長蘇は泣く。
 涙が滑らかな頬を伝い落ちる。
 「何が気に入らんのだ。申し分ない『顔』だぞ? 女どもが放ってはおくまい」
 茶化しながら、それでも梅長蘇の気持ちは痛いほどわかる。
 親からもらった顔かたちとは、似ても似つかぬ姿となり果てたのだ。
 白い毛に覆われていたときには、まだあきらめもついただろう。だが。
 どれほど美しい貌だとて、身も知らぬ他人の顔を、今日から自分のものとして生きてゆかねばならぬのだ。

 声を立てずに、梅長蘇はただ涙を流している。 
 その痩せた身体を、藺晨はそっと抱き、ふんと鼻を鳴らした。
 「よしよし。泣いて折り合いをつけろ。いまに慣れる」
 とんとんとお座成りな調子で背中を叩いて、宥める。
 臥せっている間に肩まで伸びた黒髪が、やがて背中に届く頃には、きっとこの貌この姿も、自分のものだと思えるだろう。
 赤子と同じ、と父が言ったが、髪も、膚も、生まれたての儚い瑞々しさだ。
 心もまた。
 まだこれから育つのだ。生まれ変わった梅長蘇として。
 ゆっくりと、育てていってやらねばならぬ。藺晨はそう思った。決して自分が短気を起こしてはならぬのだと。



 雨の降る夜や雪の日は、いまだに身体が疼くのか、梅長蘇は起き上がることができない。
 そんな己に嫌気がさすのか、ろくに口もきかず食も細る。 
 庭木にそぼ降る雨を見やりながら、藺晨は少しため息をついた。回廊を黎綱が膳を掲げてやってくる。 
 「長蘇の膳か?」
 「はあ。相変わらずあまり召し上がりません。小閣主からも言ってもらえませんか」
 今下げてきたらしい膳には、ほとんど手つかずの粥が載っている。
 「まったく。世話の焼ける男だ」
 ぱちん、と扇子を鳴らして、藺晨は大股に梅長蘇の部屋へと向かった。
 「おい」
 声をかける。
 返事はない。
 梅長蘇は床の上に半身を起こして、ぼんやりしていた。
 「長蘇」
 名前を呼んでも顔を向けもしない。
 「黎綱がぼやいていたぞ。飯はちゃんと食え」
 やはり返事はなく、かわりに梅長蘇の眉が少し寄せられた。
 「なにを不貞腐れているのだ」
 そう尋ねると。
 「寒い」
 不機嫌な声が、返ってきた。
 藺晨はあきれて腕組みをする。
 「だから言ったろう、あのままでいろと。自前の毛皮で一生ぬくぬくしておれたのだぞ?」
 火寒の毒は抜いたというのに、ひとたび雪蚧虫の寒毒に侵された身体は、いまだにひどい寒症を患っている。そうでなくとも、自然の摂理に逆らって得た新たな身は、あまりに脆く果敢ないのだ。
 梅長蘇はいよいよ機嫌を損ねた様子で、顔を背けた。   
 「なんでもいいから、飯は食え。なにごとにも本分というものがある。病人の本分は何だ? それは病を治そうと努めることだ」
 「わたしの病が治らぬと言ったのはおまえとその父上だ」
 拗ねた口調に、藺晨は苦笑いする。
 「何もせぬうちから、もう意気阻喪しているのか」
 そう言うと、梅長蘇はぎゅっと毛布の端を握りしめた。
 藺晨は梅長蘇の寝床の傍へ歩み寄って、どかりと腰を下ろした。
 「治らぬなら治らぬなりに、頭を使え。親父はおまえに江左盟を預けると言っている。丁度宗主の座が空いていることだしな」
 自分が動けぬならば、人を動かすことを考えればよい。
 命さえあれば、あとはなんとでもなるものだ。
 梅長蘇はようやくその顔をゆるゆるとこちらへ向けた。
 「こんな死に損ないに、猛者たちを束ねることが出来ると?」
 らしくもない、心もとなげな面持ちで、梅長蘇は言った。
 「出来なくてどうする。いつもわたしに食ってかかるあの勢いがあれば、何の問題もあるまい」
 ふんと鼻で笑ってやると、梅長蘇は少し頬を赤らめてまた目をそらせた。
 
 ほんとうは。 
 梅長蘇を励ます気など、さらさらない藺晨である。
 病人は病人らしく、大人しく養生すればよい。こんな身体で、権謀術数の渦の中に身を投じる必要などありはしない。 
 林殊など知らぬ。
 そんな男の為に、わが友梅長蘇が命を削る意味がわからぬ、と藺晨は思うのだ。

 だが、それでも。
 梅長蘇がそれを望むなら。
 つきあってやりたいと思う。
 梅長蘇が短い生涯をよりよく生きることのできるように。
 いつか、悔いなく逝くことのできるように。

 『小閣主は近頃勉強熱心だな』
 『もともと老閣主譲りの天才肌だ。じきに正式に後継者とおなりだ』

 近ごろ琅琊閣で、そんなことが囁かれているのを藺晨は知っている。
 俗世のあらゆる事情に通じる琅琊閣と、神の技とさえ言われる並外れた医術とを、藺晨は父から受け継ぐのだ。
 そのふたつを以て、自分は全力で友を支えるだろう。
 
 梅長蘇は、やがて都へと戻ってゆく。
 そして、二度とは戻ってくるまい。
 自分はその後姿を見送ってやることしかできぬのだ。

 『わたしがついている』とは言わぬ藺晨である。
 優しい言葉など、かけてやる気もない。
 
 しかたがあるまい。親父に押し付けられた病人の面倒は、わたしが見るしかないではないか。
 藺晨は自分にそう言い訳した。
 
 友が満を持して都へ帰るその日まで。
 そして、全てを成し遂げるまで。
 
 時をかけて。
 『梅長蘇』という男を育てていくのだ。
 いつかこの手から飛び立つ、儚い蝶と知っていても。
 
 「夕餉は残さずに食うのだぞ。でなければ、いつもの倍は苦い薬を無理にでも飲ませてやる」
 こつん、と扇子の先で梅長蘇の頭を軽く叩いた。
 梅長蘇はまだ顔を背けたままで、それでも、
 「―――-わかった」
と、小さな声で応えた。
 「好」
 藺晨は笑い、そうして立ち上がった。
 
 なにも明日や明後日の別れではない。
 己と友との間には、まだまだ時があるのだ。

 春が来て、夏になり、秋を過ごし、また冬を迎え。
 ともに季節を過ごしてゆく。

 ―――わたしが、ついている

 心の中でだけ、そう呟いた。

 今宵あたり、また雪になるだろう。
 (長蘇の身体が、あまり痛まねばよいが)
 そう思いながら、藺晨は梅長蘇の部屋をあとにした―――。
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~ Comment ~

おかえりなさい!

琅琊榜ツアー!本当に素晴らしかったようですね。
旅行記が完了するや早々にこちらにも戻ってきていただいて、
本当に嬉しいです。

>ゆっくりと、育てていってやらねばならぬ。
藺晨はそう思った。
決して自分が短気を起こしてはならぬのだと。

この過程があるからこその、あの藺晨の包容力なんですね。
きっと飛流のこともそうやって癒し、守り、育てていくのでしょうね。

藺蘇飛のお話もどうぞゆっくりと育てていってください。

Re: ymさま

旅行記、結局一気に書き終えちゃいましたからねえ・・・。
何か書いてないと落ち着かなくてwww
藺×蘇の愛をゆっくりはぐくんでいただきたいですわ・・・・・(´艸`*)
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