琅琊榜

银岭 ( 『琅琊榜』 #54 補完)

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自分の中で、最終回の宗主をとめどなく想像してますw 気持ちのどこかでは、きっと生きてこれからも幸せに暮らすんだという希望があったり。でも、因縁のある北の地で有終の美を飾らせてやりたくもあり。いろんなパターンを妄想してます・・・・・

 近頃、林殊の顔をまともに見ることができない。
 病みさらばえた姿を目にするだけで、涙が出そうになるせいだ。

 ここまでひどくなっているとは、つい数日前まで気づかなかったのだ。
 都を出てから、林殊は人前で甲冑を脱がなかった。それゆえ、甲冑の下の身体が日に日に痩せ衰えてゆくさまを蒙摯は想像もしなかったのだ。

 都を出る前、病状を心配した蒙摯に、林殊は冰続丹を見せた。
 「これがあれば過酷な戦場にも耐えられる。馬とて駆れる。心配は無用だ」
 茶目っ気のある笑顔で、林殊はそう言った。
 「なんだ、そんな薬があったのなら、なぜもっと早く服用せんのだ。案じて損をしたぞ」
 手放しで喜んだ蒙摯に、林殊は優しい微笑みを浮かべたが、藺晨は渋い表情で顔を背けた。
 「そんな有り難い代物なら、とっくに私がこいつの首ねっこを押さえて無理にでも飲ませている」
 そう言い捨てて、藺晨は立ち去ってしまった。

 その意味が。
 今になってわかる。

 あの時の藺晨のそぶりから、薄々わかってはいたのだ。冰続丹が諸刃の剣であることは。
 それでも元気そうな様子の林殊を見ると安心して、つい考えぬようにしてしまっていた。
 馬上の林殊は、顔こそ違ってはいても、かつての姿を思い起こさせた。林殊自身も嬉しそうで、それが何より蒙摯を喜ばせたのだ。

 数日前、軍儀が終わったあとに、林殊は倒れた。
 甲冑を脱がせて、蒙摯は目の前が真っ暗になる思いがしたのだ。
 林殊は―――、痛ましいほどに痩せ細っていた。

 こんな身体で。
 甲冑を身に纏い、軍略を練り、馬を駈り、兵を鼓舞していたのかと、蒙摯はこのふた月を振り返る。
 味方の兵に迫った敵へ、弓を引いたことさえあった。文人と侮っていた軍師の弓の腕前に、味方の兵は沸き立ったものだ。
 その林殊が、―――これほどに病み衰えていたとは。

 天幕を出て、蒙摯は地に伏して号泣した。
 あとから出てきた藺晨が、そばに佇む。
 「‥‥‥長蘇に聞こえるぞ」
 そう窘められ、ぐっと息をつめて声を殺す。それでも、強く噛みしめた奥歯の間から嗚咽が漏れた。
 「‥‥‥わたしはなんと愚かなんだ!? 何も知らず、ただ元気そうな小殊に喜んでばかりいたのだぞ」
 拳で、地面を幾度も叩く。
 傍らで、藺晨が溜息をついた。
 「長蘇がそれを望んだのだ。しかたなかろう? やつは人をだますことにかけては天才だ」
 ―――そうだ。自分は見事に騙されてばかりで。
 それは林殊がまだ少年の頃、年かさの者たちをからかって遊んだあの時分から、少しも変わることがない。愚鈍な自分は、他愛もなくたばかられては地団太を踏んだ。その様子が面白いと言って、林殊は笑い転げたものだ。
 いまも林殊は、面白がっているのだろうか?
 悔やむ自分の姿を見て、笑い転げてくれるなら、むしろ喜ばしいものを、と蒙摯は思った。
 しかし。
 もうあの頃の、稚ない林殊ではない。
 自分が泣けば、林殊もまた悲しむのだ。

 蒙摯は土で汚れた拳で、涙を拭いた。  




 「今日は随分元気そうではないか。顔色もよい」
 見え透いた嘘に、蒙摯は自分の髭がぴくぴく動くのを感じた。
 「だろう? 朝から具合がよいのだ。この分なら、無事に都へ戻れそうだ」
 林殊はごく当たり前のように、微笑んで答えた。
 ―――やつは人をだますことにかけては天才だ
 そう言った藺晨の言葉を反芻する。
 嘘で励ますつもりが、嘘で慰められている。自分は到底、林殊にはかなわない。
 「戻れなくてどうする」
 蒙摯は笑みを取り繕った。
 「なに、都へ帰りさえすれば、病などどうということもない。藺閣主と晏太夫が手立てを講じてくれる」
 笑って見せたが、その笑い声は我ながら空々しく聞こえた。
 気休め一つまともに言ってやれないもどかしさに、自分がいやになる。

 「まあ、しばらくは大人しく寝ていろ。なにしろ軍功著しい軍師様だからな。都へは馬車で、丁重にお送りする」
 そう言って恭しく一礼すると、
 「多謝」
と林殊も微笑んで、横になったまま拱手して見せた。
 蒙摯は頬に力を込めて、懸命に笑顔をつくる。
 「都へ戻ったら、まずは太子にお目通りだ。静貴妃にもご挨拶をせねばなるまいし、郡主や景睿たちも戻る頃合いだろうから、凱旋を祝って宴も催さねばならぬな」
 一気にそうまくしたてるのを、林殊は愉し気に聞き、「そうだな」と相槌を打った。
 「吉さんに腕をふるってもらわねば」
 そう言って、林殊は柔らかく微笑む。
 「丁度年越しの宴に重なるやもしれぬ。吉さんの水餃子は天下一品ゆえ、黎綱も甄平も好物だ。誰よりも飛流が大喜びするだろう‥‥‥」
 林殊が懐かしそうに目を閉じるのを見て、蒙摯の目頭は熱くなる。
 「そうとも。‥‥‥そうだとも、小殊」
 そう答えて。
 ―――たまらず蒙摯は嗚咽を漏らした。
 
 「蒙大哥‥‥‥」
 膝の上で震える蒙摯の手に、林殊の冷たい手が重なる。
 「今年は聂大哥や衛崢も加わるから、去年の年越しよりも多目にご馳走を用意してもらわるばならないな」
 優しい声音で、林殊は言った。
 「そうだな、小殊。賑やかな宴になる」
 林殊にそっと手を握られて、蒙摯はぼろぼろ涙を流しながらそう答えた。
 「今年も言侯が蜜柑を届けてくれるだろう。大哥もたらふく食べてくれ」
 「無論だ、小殊。食べて食べて食べまくってやろうではないか」
 涙で髭がしとどに濡れた。

 ―――泣くな、とは林殊は言わない。
 そのやさしさに、蒙摯はますます胸が熱くなる。

 共に年を越すことはかなうまい。
 いや、林殊が都へ帰ることは、もう決してあるまいと思う。それを泣く蒙摯を、林殊は受け入れているのだ。二度と皆で食卓を囲むことのない己を、そしてその己を悲しむ蒙摯を、林殊は全て受け入れて微笑む。

 ―――とてもかなわぬ、と蒙摯は思った。
  
 「‥‥‥すこし眠る。大哥も休めるときには休んでくれ」
 掠れた声で林殊が言った。
 ほんの短い会話でも、いまの林殊を疲れさせるには十分だ。
 「ああ。‥‥‥そうしよう」

 蒙摯は立ち上がり、ゆっくりと牀台を離れた。
 
  



 夜明け前―――。
 
 「兵たちが、会いたがっている」
 蒙摯がそう言った時、林殊は弱々しくかぶりを振った。
 「駄目だ。こんな痩せさらばえた病人の姿など見せては、士気に関わろう」
 林殊の細い指が、毛布の端を握りしめる。それを見ながら、蒙摯は苛立った。
 「それは違う。皆、よくわかっている。お前が病をおしてこの軍を支えてきたことを。一目お前に会えれば、士気はさらに高まる。お前のために、なにがなんでも夷狄を払う」
 そう言った途端、毛布を握っていた骨ばった拳が、大きく震えた。
 「それはならぬ!」
 林殊は出来うる限り声を張った。そのたった一喝で、細い肩が大きく喘ぐ。
 「‥‥‥この軍は、大梁の軍だ。やがて、皇帝となる景琰の軍だ。‥‥‥兵たちが命を捧げる相手は、景琰ただひとり。わたしの為などであってよいはずがない」
 喘ぎ喘ぎ、林殊は言葉を絞り出した。
 蒙摯は思わず癇癪を起す。
 「ええい、もう。小難しいことをうだうだと!!」
 足を踏み鳴らして、蒙摯は焦れた。 
 「おまえの言い分など、わたしはもう知らぬ。行くぞ」
 言うが早いか、蒙摯は毛布ごと林殊を抱えあげた。
 ―――軽い。
 翼でも生えているのかと思うほどに。
 林殊の身体は軽かった。

 「蒙大哥。よせ」
 抗う林殊の腕の力は弱すぎて、哀しみしか誘わない。
 蒙摯は返事をせずに、大股で歩き出した。
 
 蒙摯が天幕を出た途端、周囲からどよめきが上がった。
 皆が集まり、しかし遠巻きに群がる。
 蒙摯は一同を見渡した。
 明けきらぬ早朝の風から守るように、林殊をしっかりと抱え直す。
 
 「お前たちの軍師さまのおでましだ。出陣前によく顔を拝んでおくがいい」
 そう言って、腕の中の林殊を、兵たちの方へ掲げて見せる。

 ざわめいていた群衆が、水を打ったように静まり返った。

 やがて―――、そこここから、すすり泣く声が聞こえた。

 「軍師さま―――」
 「‥‥‥蘇先生」

 押し殺した男たちの嗚咽が、さざ波のようにひた寄せるのを、蒙摯は深い感動と共に聞いていた。
 
 腕の中の林殊が、何か言おうと口を開きかける。
 蒙摯は一言、
 「静まれ!」
と怒号を響かせた。

 しん‥‥‥と。
 ふたたび降りた静寂の中、林殊が言う。

 「みな‥‥‥、無事に戻ってくるのだ」

 弱々しい声だったが、不思議にそれは凛として遠くまで響いた。

 「‥‥‥あと一息だ。北燕は今日にも兵を退こう。―――どうか皆、無事に戻って、その命を新しき世のために捧げてくれ」

 耳を聾する歓声が、上がった。
 この日の為に、林殊が命を削って戦局を主導してきたのだ。北燕が撤兵するのは時間の問題だった。勝利は目前である。
 それでも尚、「無事に戻れ」と林殊は言う。
 誰よりも、命の尊さを知ればこそ。
 
 ―――わたしの分まで
と小さく付け加えた林殊の言葉は、蒙摯にしか聞こえなかった。

 久し振りに天幕の外へ出た林殊の目は、どこか遠くを見ていた。
 何を思うのか。
 これから兵たちが戦う敵のことか。
 都に残した人々のことか。
 あるいは先に逝った者たちの‥‥‥

 いや、と蒙摯は思う。
 林殊は過ぎ去った昔と、己でが見ることの叶わぬ先の世を、その眼で遠く見晴るかしているのだと。

 やがて山の端を、朝日が照らし始める。
 銀嶺が、光り輝いた。 
 
 北の戦場に、ようやく朝がきたのだ―――。
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~ Comment ~

NoTitle

また、泣かされました。

遥華様に泣かされるたびに、
胸の中に痞えている塊の一つ一つが
溶かされていく気持ちがします。

私は、林殊が自分たちの命が背負っているのは、
父上や、先輩方、7万の赤焔軍の希望だと言ったことが
心に残っています。
恨みや憎しみによる復讐ではなく、
林殊が命を懸けたのは希望と再生の為だったことが、
こんなに心を打つのだと。

梅長蘇が愛されるのは、
彼のうちにある深い愛と哀しみを感じるが故だと。

彼を知る人の数だけ、#54補完は書けそうですね。
楽しみにしています。
もちろん、藺×蘇+飛のお話も

Re: NoTitle

いつも過分のお言葉ありがとうございます。

そう、決して、「倍返しの復讐劇」ではないのです。
赤焔軍の仇をとることは、恨みを晴らすではなく、汚名を雪ぐわけだし、
それだけが目的ではなくて、その先にある未来・・・
もう同じ過ちが繰り返されることのない世の基礎固めというか。
靖王の新しい政治を滑り出させてやる、そこまで見据えてるわけですよね。
本当はその先も見届けたいに違いないけど、それは叶わない。
だから、自分がいなくなってもすべてがうまくいくようにと
心を砕いたわけですよね、宗主は。

私情におぼれることなく大局を見据えることのできるスゴイ人ですよね。

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