琅琊榜

不死 (『琅琊榜』 #47~54以降 補完)

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誉×蘇が終わって一息、藺晨と飛流でまとめてみました。

 鳥の羽音に、藺晨は耳をそば立てた。
 窓の外に目をやると、白い姿が蒼天から舞い降りてくる。
 藺晨は少しばかり眉をひそめて、翼をばたつかせながら桟にとまった信鴿の赤い脚を見た。
 脚に付けられた鈍く光る円筒の中身は、既に察しがついている。そろそろ来る頃だと、思っていたのだ。
 両手で鳩の柔らかな身体を掴んで、卓の上へと移した。筒の中から小さな紙片を摘み出す。
 文を寄越した相手は案に違わなかったが、文面には思いのほか興味をそそられた。

 ここ南楚から大梁の都・金陵まで、さて、馬で飛ばして幾日かかるか。
 強情で自尊心の強いあの男が文を寄越してきたからには、いよいよ己の扶けを必要としているには違いない。一日も早く行ってやらねばならぬことはわかっている。
 わかってはいるが。

 藺晨自身にも意地がある。
 こんな小さな紙切れ一枚で慌てふためいて駆けつけたのでは、己の沽券にかかわるのだ。
 ―――ゆるゆると行くことにしよう、と藺晨は思った。
 文の筆跡は、あの男本人のものだ。
 とりあえず。
 「自分で筆が持てるならば上等だ」
 藺晨は鼻で笑い、文を袂深くしまいこんだ。
 飛流がそばについているのだ。長蘇の身体に指一本触れさせはすまい。その点では、藺晨は飛流に絶対の信頼を置いている。

 また埃臭い道を、幾日も行かねばならぬ。
 ゆるゆると。
 馬の蹄が泥など撥ね上げて衣の裾を汚さぬ程度に、のんびり行こうではないか、と鳩の背中を撫でながら、藺晨はひとりごちた。
 



   * * *



 一年半ぶりに会う藺晨の相変わらずな騒々しさに、梅長蘇は笑いを噛み殺した。
 よく言えば自由闊達、悪く言えば傍若無人なその振る舞いに、言葉では言い尽くせぬ懐かしさが込み上げる。
 十二年を経て故郷の人々に会ったときの、胸を抉られるようなそれとは違う、温かく穏やかな感慨が、梅長蘇の身の内をゆるゆると満たした。
 都に入ってもすぐには顔を見せもしなかったくせに、会うなり鬱陶しいほど身体の心配をしてくれる。
 聂锋よりもおまえの身体の方が深刻だと藺晨は言った。確かにそうなのだろう。静姨も聂锋の毒は三層まで及んではいないと言っていた。藺晨から自分の「三分の一」ほどと聞かされて、幾分はほっとする。あの苦しみは、誰にも味わってほしくなかった。無論、三分の一でも常人には耐えられぬ苦しみであろうが。
 藺晨の頭の回転は呆れるほど速い。口もよく回るが知恵の巡りはその比ではない。藺晨と話すのは、梅長蘇にとって愉快でならない。絶え間なく知力を巡らせ、言葉の応酬を楽しむ。はた目には喧嘩腰に見えても、当人たちは好きでやっているのだ。馬や弓で友らと競うことのできぬ梅長蘇にとって、数少ない娯楽のひとつとも言える。



 その日の夕餉はひどく賑やかだった。もっとも、賑やかだったのは主に藺晨一人で、飛流などは不貞腐れて口もきかぬ有様だったが。
 梅長蘇の隣に陣取り、ひとしきり黎綱や飛流らを相手に、どこまでが冗談かわからぬような話を喋りに喋った藺晨が、ようやくその目を梅長蘇に向けてくる。顔はまだ明後日の方角にやったまま、わずかに眉を顰めて不機嫌そうな眼差しを寄越す藺晨に、梅長蘇はゆったりと余所行きの笑顔を見せた。途端にむっとした表情で、藺晨が身体ごと向き直ってくる。
 「いいか、わたしが来たからにはおまえの好き勝手にはさせんぞ」
 閉じたままの扇子の先を向けてくる藺晨の表情は、廊州で別れた頃とまるで変わらない。鼻が触れ合うほど間近まで詰め寄られ、穴があくほど顔を見つめられて、さすがに梅長蘇は苦笑した。
 胸元に突き付けられた扇子の先を指でやんわりと払い、笑みを湛えたままで、藺晨の目をまっすぐに見返す。
 「遠路はるばる足労をかけた。改めて礼を言う」
 藺晨は何か言い返そうと息を深く吸い込み、しかし軽く眉を上げて、結局その息を吐き出す。眼は梅長蘇を見つめたまま、藺晨は細かく幾度か頷いて見せた。
 「好。そう思うなら、せいぜい私を大事にするんだな」
 扇子で梅長蘇の頬を二、三度軽く叩いてから、藺晨は点心をもうひとつ口に放り込んで席を立った。



   * 



 夜も更け、寝支度も終えようかという頃になって、藺晨が梅長蘇の書房を訪ねてきた。
 「もう寝むところなんだが」
 梅長蘇が軽く肩をすくめて見せると、藺晨は小さく鼻を鳴らした。
 「茶の一杯くらい飲ませろ。おまえのことだ、どうせ火は落としておらぬのだろう」
 火鉢を覗き込んで、その前へどかりと座りこむ。梅長蘇はため息をつき、向かい合って座った。寝間着の袂を押さえ、鉄瓶から急須へと湯を注ぐ。
 「こんな時分に茶など飲んで、眠れなくなっても知らぬぞ」
 「酔い覚ましだ。黎綱め、いやに酒を勧めてきたが、私をさっさと眠らせるために酔い潰す心算だったのだろう」
 茶杯を受け取りながら渋い顔をする藺晨に、梅長蘇は小さく吹き出した。
 「黎綱は、私が疲れぬように気を遣ったのだろう」
 「莫迦を言え。私がいつ、お前を疲れさせたと?」
 藺晨はいかにも心外だといった様子で殊更に溜息をついて見せ、茶を飲み干す。
 茶杯を置くと、藺晨は両手を後ろについて居汚く脚を投げ出した。
 「私が静かにしていたところで、同じだろうが」
 ぽつりとそう呟く。その様がまるで拗ねた童のようで、梅長蘇は目を細めた。


 梅長蘇にとって藺晨は、文字通り己の命を預けて、十二年の年月を共に過ごした相手である。
 自信家で口が悪く強引なこの男が、実は自分にはとても甘いことを、梅長蘇はよくよく心得ている。態度や口ぶりこそ傲慢でも、梅長蘇の言うことにだけは結局いつも折れてくれるのだ。
 金陵へ旅立つと告げたあの時も。
 決して同意はしなかったものの、強く止めることもなかった。

 そんな藺晨だからこそ、久し振りに会った自分に、憐みや慰めの言葉をかけることをしない。 
 都へ上ってよりこの方、無理に無理を重ねてきた梅長蘇は、正直、疲労困憊している。平静を装っても、藺晨の目は誤魔化せまい。

 それでも。
 素知らぬ顔をしてくれる。
 梅長蘇には、それが何より心地よいのだが。

 今夜の藺晨は、少しばかり違って見える。
 まさかあれしきで酔いが回ったとも思えぬものの、藺晨の口から深いため息が漏れた。
 「‥‥‥なぜもっと早く呼ばない」
 不機嫌そうなそのつぶやきは、なぜか今にも泣き出しそうに、梅長蘇には聞こえた。




   * * *



 
 少々荒療治が過ぎたかもしれぬ、と藺晨は渋面を作っていた。
 つい、腹が立ったのだ。
 (どいつもこいつも、のほほんと能天気な顔をして長蘇に委ねっ放しとは)
そう思うと忌々しくてならなかった。
 無知はそれだけで罪だ。
 しかし、当の梅長蘇自身がそれをよしとして、更には周囲の労りに頑ななまでの壁を作っているのも更に苛立たしい。
 大体、南楚へ寄越したあの文は何か。己のことなど一言も触れず、聂锋の解毒を依頼してきた。だが、来て見ればどうだ。おおかた確信してはいたが、聂锋などより梅長蘇の病状は遥かにひどいものだった。

 梅長蘇ひとりの痩せ我慢の上に成り立つ見せかけの平穏に、波風を立てて引っ掻きまわしてやりたくなったのだ。
 強情な梅長蘇への罰でもある。

 それゆえ、無神経なほどあからさまに、暴き立てた。
 火寒の毒がどれほど恐ろしい奇毒であるか。
 その解毒にどれほどの苦痛が伴うか。
 新たな姿を手に入れるために、どれほどの代償を払わねばならぬか、と。
 一同の顔が見る見る青ざめ、そして梅長蘇も硬く身をすぼめていた。あんな不安げな梅長蘇を見たのは初めてで、それだけでも痛快な気分になった。……はずであったのだ。

 梅長蘇の寿命が、あれでまた一月は縮んだやもしれぬ、と藺晨は溜息をついた。
 事実、あのあと梅長蘇は倒れた。
 「林殊」としてかろうじて持ちこたえていた長蘇が、己と二人だけになった途端、初めて弱音を吐いてその場に昏倒したとき、藺晨は何とも言えぬ思いを味わったのだ。

 いま梅長蘇の周りにいるのは「林殊」に縁の者ばかりだ。皆が梅長蘇を通して「林殊」を見ている。
 長蘇は「林殊」として彼らに接し、彼らは「林殊」の身を案じる。
 梅長蘇は知っている。遠くない将来、己が消えてなくなることを。
 「林殊」は皆の胸に遺っても、「梅長蘇」はその痕跡をとどめまい。また、そうあらんことを渠は望んでいる。
 だが、と藺晨は思うのだ。

 自分は違う。
 自分にとって渠は、あくまでも「梅長蘇」だ。父の親友である林變の息子・林殊ではあっても、藺晨自身は渠を梅長蘇として見てきた。
 跡形もなく消えゆく「梅長蘇」を、そのままの姿で思い起こすのは、己と飛流だけかもしれぬ。
 それが、もどかしかった。
 もどかしくもありながら、どこか甘い心地よさも感じずにいられない。

 梅長蘇と、飛流と、そして自分。
 三人だけの、濃密な関わりである。

 いつか、三人きりで日々を過ごしたい、と藺晨は思う。
 どれほど幸せだろう、そうなれば。 
 
 叶わぬ夢と知りながら、藺晨はそっと笑みをこぼした。



   *



 蘇宅に数日寝起きして、藺晨は思う。
 廊州にいた時よりずっと、梅長蘇と配下の者たちの距離が近くなっている。
 黎綱や甄平、衛崢など、梅嶺以前の部下がつききりで世話をしているせいもあるだろうが。
 江左盟はもともと琅琊閣と密接なつながりを持つ江湖の組織であり、梅長蘇自身が興したというわけではない。だが、わずかな年月で、しかも病に侵された身でありながら、梅長蘇は見事に江左盟の猛者たちを心酔させた。その手並みには、さしもの藺晨も舌を巻くほどであった。
 愛されているのだ、この男は。
 皆が、この男を愛さずにはおれぬ。そして、この男がいなくなる時、皆が等しく哀しみを味わうのだ。
 「長蘇が倒れるわけだ」
 そんな悪態をつきながら、藺晨はかれらに優しい眼差しを向ける。
 無条件に愛されること。それが梅長蘇にとって何よりの薬であることを藺晨は知っているのだ。


 「吉さん。あんたにはいつも苦労をかけるな」
 厨房の入り口に凭れて、藺晨は声をかけた。
 「おやまあ、藺公子がそんなことをおっしゃるなんて、雨が降りやしませんかね」
と吉が笑う。
 「我が儘な病人だからな。食事にもさぞ気を遣うことだろう」
 「なんでもありませんよ。どうすりゃ宗主に美味しく召し上がっていただけるか、あれこれ工夫するのも張りがあるってもんですからね。藺公子に教わった薬草を使った料理もお出ししていますよ」
 手を休めることなくてきぱきと動きながら、吉はそう言った。
 「長蘇の命がもっているのも吉さんのおかげということだな」
 「おやおや、随分持ち上げるじゃありませんか」
 吉は笑ったが、ふと小さなため息をついた。
 「それでも近頃はますます食が細くおなりで、さすがにあたしも困っちゃいるんですけれどもね。まあ、宗主が召し上がらなかった分は、ここには腹を年がら年中すかせた連中がごろごろしてますから、無駄になることだけはありゃしないんですが」
 自分の不安を打ち消すかのように、吉はことさら大きな声で笑った。
 藺晨は少し目を伏せ、笑みを浮かべる。
 「ここの連中は皆、長蘇のことが好きでたまらんようだな」
 「そりゃそうですよ」
 なにをいまさら、というように吉が答える。
 「長蘇は果報者だ」

 幸せな男だと思う。
 たとえ命が短くとも、どれほどの人々の心に己を刻み付けていくことか。
 それでも‥‥‥、と藺晨は思うのだ。
 それでも、生きていてくれるほうが、ずっといい。たとえ取るに足らぬ人生でも、誰の記憶にも残らずとも、生きて笑っていてほしいと。

 藺晨は竈に近づいて吉の手から団扇をとった。
 「今日は私が夕餉の支度をしよう。わたしの患者にとびきり精をつけてもらうためにな。あんたもたまにはのんびり骨休めするといい」
 「あれまあ。宗主はお幸せだ。藺公子にこんなに大事にされて」
 吉はそう言って笑い、素直に場所を譲った。
 「さすが吉さんはよくわかっている。長蘇にもそう言ってやってくれ。少しはありがたがってみせろとな」
 「いやですねえ、宗主が一番よくわかっておいでに決まってるじゃありませんか。藺公子にだけですよ、宗主があんなにあかさらさまに甘えたり我が儘を言ったりなさるのは」
 どん、と背中をはたかれて、藺晨は苦笑いをした。
 


   * * *




 「随分おかしな形の山だな、飛流」
 藺晨が部屋に入ってきたとき、ちょうど甄平が飛流の手元を覗き込んでそう言った。
 梅長蘇は飛流の隣で微笑んでいる。
 以前から、気が向くと梅長蘇は飛流に文字を教えたがる。
 手習いをさせて、それから絵も描かせる。
 飛流は面白がって、手も顔も墨だらけにしながら楽しそうに描くのだ。
 今日は、山の絵を描いている。
 「長蘇、薬だ」
 藺晨は三人に近づき、少し眉を寄せて飛流の絵を見下ろた。何か嫌味でも言われると思ったらしい飛流は、慌てて紙の上に覆いかぶさって隠そうとしたが。
 「よく描けているではないか」
 藺晨は口辺に笑みが浮かべた。
 「しかし、こんな山の絵は見たことがありません」
 甄平が異論を唱えたが。
 「それはおまえの見識が狭いだけだ」
 一刀のもとにそう斬り捨てる。
 「飛流の育った土地では、山はその絵のごとくなだらかな稜線を描いて、優美に裾野を広げていたぞ」
 あ、と甄平が小さく声を上げた。
 
 遥かなる海の向こう。東瀛の国で。
 飛流はかの国の山を見て育ったのだ。
 愛することも、愛されることも知らず。
 喜びも、哀しみも知らず。

 行くも帰るもならずに、途方に暮れていた子供。
 それはまるで、梅長蘇と対を成すかのようだった。

 希望にあふれ、愛と喜びに満ちた少年時代を送った林殊に明日はなく。
 見知らぬ国で愛を知らずに育った飛流には、まだ見ぬ未来が先にある。

 梅長蘇が自分の形代のごとくこの少年を愛するのも、無理からぬことだろう。
 
 そして、自分は―――。
 と藺晨は思った。
 ふたりの過去も未来も受け止めて、大切に守って行きたい。
 ただ、それだけなのだ。




   * * *




 「おい、長蘇、長蘇」
 手招きされるのはもう何度目か。
 いい加減うんざりしながら、梅長蘇は椅子から立ち上がって藺晨のそばへ歩み寄った。行かぬことにはいつまでも大声で呼ばれるので、みっともないことこの上ない。
 「これはどうだ、なかなか美しい」
 水緑の地色に淡い靛青色の織模様が鮮やかだ。藺晨は反物を梅長蘇の肩にあてがった。
 「いや。顔色が沈んで見えるな。いっそうんと派手なものがよいやもしれん」
 そう言って藺晨がむずと掴んだのは、水紅色の生地だ。
 「見ろ、長蘇。華やかだろう。これを着て歩けば老若男女が振り返るぞ」
 藺晨が広げて見せたそれには、大胆に朱い龍爪花が描かれたものだ。
 生地を扱うこの店に入って、もういったいどれくらい時がたつことか。ここへ来るまでにも、何軒もの店で長居している。
 梅長蘇は溜息をついた。
 「そんなものを着て出て悪目立ちする位なら、家に引きこもっていたほうがましだ」
 「何を言っている。せっかく見栄えのいい顔をしているのだ。着飾らなくてどうする」
 見栄えがいいかどうかなど、考えたこともなかった。所詮、親からもらった顔ではない。
 「気に入ったならお前が着ればいいだろう。わたしはこれでいい」
 梅長蘇は適当に手近にあった白鼠色の反物を手にとった。
 「またお前は地味なものを……」
 藺晨が不服げにそれを取り上げ、広げて見る。ひそめていた眉が、次第に開かれた。
 「好!」
 え?と梅長蘇は藺晨の手元を覗き込む。
 無地の白鼠色と見えたそれには、光沢のある地模様が浮かび、光に当たると美しく映えた。更に広げてみると、淡く石楠花の大きな柄が上品に描き出されている。
 「石楠花……」
 「よし。これに決めよう。おまえもなかなか見る目が出てきた」
 「待て。わたしは……」
 花の柄など、と慌てて反物を掴み返そうとして、思わず咽せ込んだ。
 「飛流。蘇哥哥を馬車に戻せ。こんなところで倒れられては店の者に迷惑だ」
 自分が散々騒いで店に迷惑をかけたことは棚上げして、藺晨は店主を大声で呼ばわった。
 「おい、藺晨」
 止めようとするが‥‥‥。
 こんな時に限って飛流が藺晨の言うことをきく。
 「蘇哥哥。戻って」
 脇からがっしり抱えられて、無理矢理馬車へ連れ戻された。

 ―――まあ、いい。
 梅長蘇は苦笑して馬車に乗り込んだ。
 どうせ仕立てあがる頃には、起き上がることもままならぬ身やもしれぬ。
 もうそれを着て、藺晨と出かけることもないだろう。
 そう思った途端、隣に乗り込んできた飛流が言った。
 「―――見たい」
 「飛流?」
 何を言われたか解せずに、梅長蘇は首を傾げた。飛流が真っ直ぐに見つめ返してくる。
 「蘇哥哥に似合う。見たい」
 大真面目な様子でそう言った。
 「見たいって、何を?」
 「蘇哥哥が、着たところ」 
 梅長蘇は一瞬目を瞠り―――、それから飛流の髪を撫でた。
 「そうか。飛流も気に入ったのだな」
 やれやれ、と梅長蘇はため息混じりに笑う。
 さて、着て見せてやることができるものかどうか、梅長蘇自身にも見当がつかぬのだった。
 


   * * *



 半日引きずり回しただけに、梅長蘇は馬車の中で疲れ切って眠っていた。
 御者台から下りた黎綱が、帳をあけて梅長蘇に声をかけようとしたのを、藺晨は制した。
 梅長蘇の長身を無造作に抱き上げて馬車を降りる。決して小柄ではない梅長蘇の身体の軽さに、胸がしめつけられた。
 「いつもは眠りが浅くておいでなのに」
と黎綱が言う。
 「わたしと飛流がついているのだ。安心して眠れなくてどうする」
 当然と言わんばかりにそう返したが、藺晨にはそれが嬉しいのだ。いつも気を張って過ごしている梅長蘇が、こうも無防備な姿をさらす。なんともいい気持ちであった。 
  
 「治療の邪魔だ。とっとと行け」
 梅長蘇の私房に入るなり、藺晨はそう言って黎綱を手で追い払う。
 藺晨の言う治療の意味を察したのだろう、黎綱も真顔でうなづいた。
 「わたしがよいと言うまで、書房には誰も入れるな」
 自分の内力を梅長蘇に分け与えるのだ。それはもはや医療というより、命を注ぎ込む行為に等しい。
 治療の途中で気が乱れることがあっては、梅長蘇ばかりか藺晨の身も危ういのだ。

 眠り込んでいる梅長蘇を、座禅を組んだ恰好で座らせる。藺晨はその背後に座して、ぐったりと傾きかける梅長蘇の身体を両の掌で支えた。
 眼を閉じ、己が気息を整える。充分に気を練り、身の内に巡らせてから、藺晨は掌を通じてゆるゆるとそれを梅長蘇の身体へ注ぎ始めた。
 冷たい梅長蘇の背中が、仄かに温みを帯びる。
 梅長蘇の確かな鼓動を掌で感じながら、藺晨は一心に気を注ぎ続ける。
 障子の外が夕日に赤く染まり、やがて薄暗くなって、ようやく藺晨は大きく息をついた。
 ゆらり、と梅長蘇の身体が後ろへ傾いてきて、受け止めた藺晨もそのまま仰向けに倒れた。
 「―――重いぞ」
 そう抗議すると、
 「‥‥‥嘘をつけ。いつももっと肉をつけろと小言を言うではないか」
と、いつの間にか目覚めていた梅長蘇の声が返ってきた。
 「このままもう一寝入りさせろ」
 梅長蘇はそう言った。
 「わたしを寝床代わりにするのはやめろ」
 「‥‥‥辛抱しろ。温かくて、ちょうどいい‥‥‥」
 うっとりと気持ちよさげにそう言って、梅長蘇はそれきり静かになった。ほんとうに、眠ってしまったようだ。
 「‥‥‥人をなんだと思っている」
 そう溢しながらも、藺晨は笑みを浮かべていた。

 ―――藺公子にだけですよ、宗主があんなにあかさらさまに甘えたり我が儘を言ったりなさるのは。

 昨日の吉の言葉が、耳によみがえった。




   * * *




 ―――飛流。
 呼ばれた気がして、梨に食らいついていた飛流はぴくんと頭をもたげた。
 「どうした?」
 甄平が問いかけてくる。
 「行ってくる」
 残りの梨を全部口に押し込んで、汁で濡れた手を衫の腰のあたりで拭うと、飛流は立ち上がった。
 「行ってくるってどこへ……。おい、宗主の部屋は駄目だぞ」
 慌てて止めようとする甄平を振り返って、飛流はきっぱりと言った。
 「藺晨哥哥が呼んでる」
 「え?」
 藺晨が梅長蘇に内功で治療を施していることは、飛流も黎綱から聞いている。詳しく理解はできなかったが、藺晨が梅長蘇のためにしているのだということは、飛流にも漠然とわかった。それゆえ、言いつけを守って、書房へは近づかない。
 が、その藺晨が呼んでいるのだ。
 藺晨は騒々しくて、いつも自分をからかってばかりで、飛流にとっては煩わしい存在だ。しかも、腕でも軽功でもかなわないと来ている。藺晨が自分をつかまえて弄ぶ気になれば、決して逃げられはしないのだ。それが悔しい。飛流の敵わぬ相手は、今のところ藺晨と蒙摯だけである。
 それでも、飛流は感じていた。藺晨が、ほかの誰よりも『蘇哥哥』を助けてくれることを。
 かつて自分も、藺晨によって救われたのだ。はっきりとはわからない。自分を治療しようとする藺晨に、飛流は暴れて突きや蹴りを喰らわそうとしては躱され、しまいには噛みついて、それでも敵わずついに強引な治療を受ける羽目になったのだ。
 何がどうなったのか、自分がどういう状態だったのか、飛流にはわかっていない。ただ、助けられた、ということだけは本能的に知っていた。それゆえ頭が上がらない。毛嫌いしながら、信用はしている。自分を闇の底から拾い上げてくれたように、梅長蘇を救えるのもまたこの男だけなのだと。
 
 「来たか」
 部屋に入ると、折り重なって仰向けに倒れている梅長蘇と藺晨の姿が目に入った。
 仰臥したままの藺晨にくいくいと指先で招かれ、飛流はふたりのそばへと近づく。
 「蘇哥哥を寝床へ運んでやれ」
 「……うん」
 藺晨をじっと見下ろしてから、飛流は自分より上背のある梅長蘇の身体を、いともたやすくかつぎあげた。
 梅長蘇を寝床に寝かせて布団をかけてやる。いつものようにその綺麗な寝顔にうっとりと見入っていると、「おい」と藺晨に呼ばれた。
 振り返ると、藺晨はようやく身体を起こしたところだった。
 「藺晨哥哥のことも手伝ってくれると助かるんだがな」
 飛流は首をかしげ、しかたなく藺晨のそばへ戻った。
 「悪いが手を貸してくれ。蘇哥哥のところまで。腹が減って力が入らん」
 飛流はちょっと考えてから、しぶしぶ藺晨の傍へ寄った。
 「よしよし、いい子だ」
 肩にずっしりと藺晨の重みがかかる。無論、飛流にとってはなんでもなかったが、それでも少し嫌そうに眉をひそめて見せてやった。
 「そんな顔をするな。念のため、長蘇の脈を診ておかないとな」
 飛流に支えられて牀台の傍に座り込むと、藺晨は梅長蘇の脈をとる。飛流はそれをじっと見守った。
 藺晨が疲労困憊しているのは、飛流にもわかる。そしてそれが、『蘇哥哥』のためだということも。
 飛流は大人しく隣に胡坐をかいて、牀台の脇にちょこんと顎を乗せた。
 藺晨が少し笑って、ぽんぽんと頭を撫でてくる。
 髪に触れられるのは嫌いだったが、今はいい。うっかり気を許すと自分の髪を玩具代わりにしてくる藺晨も、いまの様子ではそんな元気すらあるまい。
 「蘇哥哥の容体は落ち着いている。明日はまたおまえと遊んでくれるから、心配しなくていいぞ」
 藺晨の言葉に、飛流は嬉しくなって、こくん、とうなづいた。

  


   * * *




 「毎日が千客万来だな」
 藺晨は苦笑いした。
 このところ、蘇宅は常ににぎわっている。毎日、ひっきりなしに誰かが見舞いに訪れるからだ。
 日々幾度となく梅長蘇に訪れる発作は、その身体をますます疲弊させている。
 とうに限界は超えているのだ。
 「よいのですか。あれでは宗主のお体に障ります。晏太夫なら、きっと誰にも会わせぬはず」
 甄平が不平を訴えた。
 藺晨は顎をそびやかせ、ふんと鼻を鳴らす。
 「晏太夫とて今なら許すに決まっている。晏太夫の役割はわたしが不在の間、長蘇の身体をもたせることだったからな。それは口うるさくたしなめもしたことだろう」
 藺晨は、ふいと甄平から眼をそらせた。
 「だが、すでに長蘇の大望も成った。どうせ先は 長くないのだ。話の出来る間に会いたい奴に合わせて何が悪い」
 ―――どうせ先は長くない、とずけずけ言ってから、藺晨は自分でもうんざりして眉をひそめた。
 「それなのに、藺閣主は宗主を都からお連れになるのですね」
 甄平が恨みがましくそう言った。
 飛流を連れて、梅長蘇と三人だけで旅に出る、と今朝、藺晨が言ったためである。置いて行かれると聞いて、黎綱と甄平はそれこそ不平たらたらだった。
 (当たり前ではないか)
と藺晨は思う。四六時中貼りついて、あからさまに身体の心配をし、何から何まで世話を焼きたがる。そんな者がいては、蘇宅にいるのと変わらぬ。それに‥‥‥と藺晨は内心ため息をついた。
 (泣くだろう? おまえたちは)
 いよいよ梅長蘇の命が燃え尽きようとするときに、泣くに決まっているのだ、この者たちは。逝こうとする長蘇を、取りすがって引き留めようとするだろう。 
 「‥‥‥長蘇が自分の臨終を、親しい者たちに診せたがっているとでも?」
 そう言った己の声は、いつになく低かった。
 甄平が少し狼狽えたように目を伏せる。
 「わたしと飛流ならば、長蘇の死に目にあっても取り乱しはせん。はたで泣かれては奴もあの世へ旅立ちづらかろうさ」
 甄平はもう何も言い返さなかった。

 藺晨は大きなため息をつきながら笑みを浮かべる。

 「ふたりだけで見送ってやれるなら、旅先でも廊州でも琅琊閣でも構わんさ」





 『おめでたい江左盟の連中』が自分に寄せる期待を、藺晨は充分知っている。天下広しと言えど、自分ほどの名医は父を除いてそうそういるものではあるまいと、自負してもいる。その自分をもってして尚、現実は動かしがたい。
 「藺晨哥哥がついてる」
 せんだって飛流から曇りのない目でそう言われたとき、やるせなさに柄にもなく目頭が熱くなった。どうせ長蘇はもうすぐ死ぬのだと言ったとき、飛流はそう言って、蘇哥哥は死なぬと言い張ったのだ。
 飛流は、信じてくれている。
 その信頼に、できればこたえてやりたい。
 だが。

 「なあ、飛流」 
と藺晨は飛流の顔を覗き込んだ。
 「おまえが描いていたあの山は、蓬莱山だろう?」
 いつぞや、甄平におかしな形の山と揶揄された絵のことである。
 飛流はもう忘れてしまったのか、小首をかしげていぶかしげな顔をした。 
 「あの山はな、神仙が棲む山だ。またの名を、不死という」
 なんと眉唾な名ではないかと思う。それでも、そんな伝説さえ信じずにはおれなかった。
 「かの国では最も高い山ゆえ、天に一番近いそうだ。かの山の霊草を食べると、寿命が千年伸びるらしい」

 遠い遠い東瀛の国の、都から更に東の荒ぶる地に。
 霞たなびく美しき霊山。
 その蓬莱山の、千代三草。

 ―――そのようなものが、まことこの世にあるならば。
 そう思って、藺晨はかつてかの地へと渡ったのだ。
 病身の梅長蘇を連れて。

 「もっとも、おまえがそこまで知っていてあの絵を描いたとも思わぬがな」

 もうじき、あの石楠花の衣が仕立てあがる。
 石楠花もまた、不老長寿の薬草と言われ、延命の効果があるとされる。これには少々、異説あるらしいが。
 (林主帥の名が長寿の薬とは、また皮肉なものよ)
 藺晨は深くため息をついた。

 不死の山も、不死の花も、梅長蘇の頑固な病には太刀打ちできぬ。 
 だが‥‥‥と藺晨は苦笑いして飛流を見た。
 「東瀛の地での一番の収穫は、飛流、おまえだな」
 いぶかしげに顔を見ている飛流の頭を、藺晨は撫でる。飛流は嫌がりもせず、ただ少しだけ目をしばたかせた。

 どんな薬よりも。
 この無垢な魂に、梅長蘇は癒されているのだ。

 遥かな国まで足を延ばした甲斐があったというものだ、と藺晨は己を褒めたくなった。





   * * *




 「飛流」
と藺晨が言った。
 「今日からは藺晨哥哥と一緒に、ずっと蘇哥哥についていよう」
 そう言われて、飛流は嬉しくなる。
 「うん」
 北の地へ遠征して二月。
 戦場での梅長蘇は、当然ながらあまり飛流をかまってはくれなかった。冰続丹のおかげで『蘇哥哥』が元気なのは、飛流にとっても嬉しいことではあったが。

 日を追うにつれ、梅長蘇は弱り、臥せることも多くなった。
 病は次第に重くなり、ついには起き上がることもできなくなったのである。
 弱ってゆく『蘇哥哥』を見るのはつらかったが、それでも近くにいられて、微笑みかけてもらうだけで、飛流は満足だった。時折、髪を梳いてくれる『蘇哥哥』の手の冷たさが、飛流は好きだ。

 「誰も近づけてはならんぞ。蒙大哥でもだ」
 「うん」
 蒙にいさんは悔しがるだろうが、そんなことは自分のあずかり知らぬことだ。飛流はただ、『蘇哥哥』のそばにいたかった。

 「飛流‥‥‥」
 白く細い手が、自分の顔へとのびる。
 「蘇哥哥」
 頬に当てられたその手に、飛流は自分の手を重ねた。ひんやりとした心地よさに、飛流は目を細めた。
 横臥したままの梅長蘇も、穏やかに微笑む。
 「今日は兵営も静かだな‥‥‥」
 兵営が静かなのではない。この天幕から人を遠ざけているだけだと、梅長蘇がわからぬはずはなかったが。
 どのみち、戦はもうあらかたけりがついているのだと蒙大統領が言っていた。飛流には戦の勝敗などどうでもよかったが、勝つと決まれば『蘇哥哥』も安心して休める。 

 「言っただろう。飛流とふたりだけで見送ってやると。愁嘆場は嫌だろう?」
と、藺晨が言った。
 見送ってやる、とはなんだろう? 『蘇哥哥』はどこかへ行くのだろうか? と飛流は少し怪訝に思った。それなら自分もついていかねばならぬ。
 「ああ。おまえと飛流がいればいい」
 梅長蘇が微笑んでそう答えた。
 梅長蘇の顔は幸福そうで、その手が優しく自分の頬を撫でてくれるので、飛流はそれだけで嬉しい。
 「見ろ、飛流も蘇哥哥を独り占めできて喜んでいる」
 藺晨が言うと、梅長蘇は少し申し訳なさそうな顔をした。
 「ずっと構ってやれなかったからな」
 そんなことは、飛流にはもうどうでもよかった。
 いま、『蘇哥哥』の手に撫でられているだけで、飛流は満たされた心地になるのだった。

 

   * * *


 
 
 飛流が見よう見真似で、梅長蘇の髪を編んでいる。
 背に枕をあてがって牀台の上で身体を起こした梅長蘇は、目を閉じて静かに微笑んでいる。
 黙々と髪を編むことに没頭している飛流を、藺晨は何も言わずに見ていた。
 静かな、夜明けであった。

 「できた」
 梅長蘇の髪を編み上げた飛流が、満足げに藺晨を振り返る。
 「ああ、上手い上手い。上出来だ。とても人前にはだせぬが、もうその必要もないことだしな」
 そう言って笑い、藺晨は少しだけ眉を寄せた。

 平気なはずがない。
 取り乱しこそせずとも、自分とて平気なはずなどなかったのだ。
 それでも、藺晨は大きく息を吸って、それをゆるゆると吐き出した。泣いてどうなるものでもない。

 「蘇哥哥が笑ってる」
 飛流がそう言った。
 そうだ。
 長蘇は―――、微笑んで逝った。
 まるで今にもまた眼を開けそうなほど、柔らかな表情だ。
 「飛流がよい子ゆえな」
 そう言ってやると、飛流は嬉しそうな顔をした。
 「飛流がよい子だと、蘇哥哥は嬉しい?」
 「嬉しいとも。だからずっとよい子でいるんだぞ」
 飛流がこくりと頷く。
 「これからは、藺晨哥哥や黎兄が髪を梳いても怒るんじゃないぞ?」
 それには少しためらって、
 「‥‥‥蘇哥哥に梳いてもらう」
と飛流は答えた。
 藺晨は飛流から目をそらせた。
 『蘇哥哥』が飛流の髪を梳くことは、もう二度とないのだ。
 黙り込んだ藺晨に、飛流はおずおずと言った。
 「‥‥‥いいよ」
 「ん?」
 藺晨が問い返すと、
 「いいよ、藺晨哥哥でも」 
 「そうか」
 笑って藺晨は飛流の頭を撫でた。
 「甄兄とも仲良くせねばな」
 「‥‥‥うん」
 飛流の答えに満足して、藺晨は天幕の隅に置いてあった行李箱から衣を一着取り出した。
 その衣を、梅長蘇の身体に着せ掛ける。
 梅長蘇の身体は冷たかったが、それは今に始まったことでもない。
 「そら見ろ。やはりよく似あう。わたしの見立てはいつも正しい。なあ、飛流。蘇哥哥は綺麗だろう?」
 そう言うと、うん、と飛流が微笑んだ。

 淡く描き出された大きな石楠花の花の柄が、梅長蘇の白い顔に映えている。
 飛流は覚えているだろうか。石楠花は神にささげる花だと、かの東瀛の地で、そう聞いたことを。

 飛流がただひとり、心を捧げたこの男は。
 飛流にとって、神よりもなお、侵しがたい存在かもしれない。

 たとえその身が喪われても、梅長蘇は死することなく飛流の心に生き続ける。

 ―――藺晨の心にも、である。
 
 

   * * *



 「おい、いったいいくつめだ」
 藺晨は木の上に呼びかけた。
 「さすがに食いすぎだ。腹を下しても知らんぞ」
 梨は一日ひとつにさせろと、長蘇がよく言っていたというのに、と藺晨は鼻息を荒げた。 
 「来い。髪を束ね直してやる」
 「いやだ」
 飛流があかんべえをする。
 「蘇哥哥のところへ行くんだろう? そんな頭ては蘇哥哥がどう思う」
 そう言ってやった途端、飛流の手からかじりかけの梨がぽろりと落ちた。
 「‥‥‥がっかりする?」
 不安げな声に、藺晨も思わず声音をやわらげた。
 「そうだ。‥‥‥だから来い」
 舞い降りた飛流の背丈は、既に藺晨と変わらない。まだあと少しは伸びるかもしれぬ。
 長蘇が生きていたなら、飛流の成長をどれだけ喜ぶことだろう。
 


   *



 「ああ、また閣主が飛流哥哥を連れておいでになるね」
 鳩の世話をしていた少年が、向こうの峰を行く二人連れに目を留めた。
 「梅宗主のところへおいでになるんだろう?」
と、同輩の少年もそちらへ眼をやる。
 「今日もふたりとも両手いっぱいに花を抱えて」
 「あの姿を見ると涙が出そうになるって、こないだ黎舵手がお見えになったときにおっしゃっていた」
 来る日も来る日も、藺晨と飛流は山道を梅長蘇の墓へと通う。
 遥かに都の方角を望める場所に、その墓はある。
 「だけど、見てみろよ。飛流哥哥の嬉しそうな様子」
 ぴょんぴょん飛び跳ねるさまは、遠目にも楽し気だ。
 少年たちはまだ幼く、梅長蘇を知らない。
 「うん。閣主も」
 藺晨と飛流の軽功を、少年たちは崇拝の眼差しで見ている。
 ひとりが首を傾げた。
 「今日は何の花だろう?」
 いまひとりが目を凝らす。遠くてさだかにはわからぬが。
 「ああ‥‥‥。きっと石楠花、かな」
 「うん。石楠花だ。ここいらは寒いから、まだ咲いているんだね」
 少年たちはしばらくそちらを眺めてから、また仕事に精を出し始めた。 




   *




 見えるだろう、長蘇。
 今日もおまえの都は平穏だ。
 飛流も日に日に逞しくなる。
 何の憂いもないだろう?


 藺晨が墓碑の向こうに広がる風景に目を細めていると、飛流が懐から梨を取り出した。
 「蘇哥哥の分」
と、墓の前に置く。
 「なんだ。食い残しを蘇哥哥にくれてやるのか」
 呆れてそう問うと、飛流はいかにも心外だといった様子で、頬を膨らませた。
 「違う。とっておいた」
 すっかり男らしくなった声と拗ねた口調が不釣り合いで、藺晨は思わず笑った。

 命ある限り。
 自分と飛流は、こうしてここへ会いに来るだろう。

 琅琊閣の者たちも、ここまでは登ってこない。
 自分と、飛流と、そして梅長蘇と。

 三人だけでひとときを過ごすのだ。   
 

 夏の風に乗って、梅長蘇の笑い声が聞こえた気がした―――。
 
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~ Comment ~

Re: タイトルなし

とんでもないです、いつも読んでいただけて、
ほんとにほんとに感謝です。
コメントってほとんどいただけないので、
ああ、読んでいただけてるんだ、って思うだけで嬉しくて。
これ、お愛想でもなんでもなく、ほんっとうに実感なんですよ。

藺晨、梅長蘇、飛流の関係は
自分の中でもとても大切なものなので、
「鉄は熱いうちに」琅琊榜熱の冷めぬうちに
とりあえずまとめておこうと思いました。
やっぱりこのトリオ好きだわー。

NoTitle

本編をみていいるだけだと、いまいち判然としないことが、こちらの二次創作を読むととてもよくわかります。藺晨なんて、これを読まなかったら謎のままです。それに、実は私、誉王が好きだったんですが、この小説をよんで、自分が誉王を好きな訳が分かりました。誉王にいい最後を用意してくれてありがとう。

Re: NoTitle

とりあえず最終回まで御覧になってくださいね♡
藺閣主はまだまだこれからですw

誉王、魅力的なキャラクターですよね。
ただのバカな小悪党ではない。
優雅だし、彼なりの美学があるし、もう少し庶民に近い目線で育てられていれば、
ほんとうに賢王であったかも、と思います。

うっうっ…何度読んでも泣けてしまいます。。

藺晨は軽口をたたいていても、宗主の事を常に心配し、全て分かっていて受け止めてくれている。
藺晨がいると宗主も安心出来る感じがしました。

飛流は宗主と、宗主は飛流と、お互い必要で出会うべくして会ったんでしょうね。
そして、その2人を藺晨が包んでくれているように感じました。
藺晨は大きな人ですね。

飛流が宗主の髪を結う最後のシーンは本当にうるうる。。
「いいよ、藺晨哥哥でも」…その言葉は飛流なりに何かを感じたのかも。。
2人に見守られ宗主は穏やかな最後を迎えられてよかった。。
石楠花の衣装を着た宗主を見たかったですが…。。

最後、藺晨と二人でお墓参りに行くシーン、飛流もそこに大好きな蘇哥哥がいると納得出来ているんでしょうね。
飛流に藺晨がいて本当によかった。。飛流のその後を心配していましたから。。

この「不死」、本当に好きです♪
読む度に悲しく涙が出るけれど、悲しい中にも安らぐというか、心が少し温かくなるような気がします♪
宗主はいつでもみんなの心にいますね。

思いつくまま、長々とコメントしてすみません。素晴らしいお話を有難うございました。

>>わた雪さま

何度も読んでいただけたなんて、すごく嬉しいです(>_<)。
自分は原作を読めているわけではないし、色々穴だらけなんです。
この話では、石楠花が出てきますが、
石楠花と楠とはまた全然違う植物ですしね。
だからパパの名とは直接関係はないんだけれど、
字ヅラでイメージしています。
飛流が日本にいた時も、その頃の日本はきっと
奈良から今わたしが住んでいる辺りに向けてが中心だったのかなと思うので
(歴史には明るくないので全くわかりませんが・・・)
富士山なんて見えやしないし、中国にだってなだらかな山はいくらでもありますが
わたしの書く話はどれも「字ヅラ」「イメージ」で流していく感じです。
あまり理屈にはとらわれたくなくて。
ただ、中華ドラマファンのかたは、結構歴史や言語に関して真面目に考察されているので
そのへんではちょっとお恥ずかしいというか、
別に間違ったことを得々と知ったかぶりをしているのではなく、
間違ってるかもしれないけど、自分はこういうイメージを思い描いた、
というだけの感じで書いていますです、はい。

なので、わたし自身も珍しくこの話は気に入っているのですよ。

私も原作読んでいないし、歴史にも詳しくないので(中国語もわからないし)、実際はどうだったんだろう、原作には疑問に思っている事が書かれている?…と思う事はありますが、ドラマと原作は違うものだし、特に2次についてはそれぞれの方のイメージで色々なパターンやバージョンで自由に創作されていると思っているので、細かい事は全然気になりません。

石楠花だって、元々石楠と楠自体もお互い違う植物だし、衣装の美しい映像が浮かび素敵と思っただけ…♪
色々な所に繋がる、富士山の話もよかった…。。。

素敵なお話でした(^-^)

>>わた雪さま

ありがとうございます!!
そんなふうに言っていただけるとホッとします!!
わたしも基本的に、細かいことはこだわらない主義なんですが、
なかなか自分の主義が一般的というわけではないらしいと、
ひとつ年を取るごとにひしひしと感じましてwwww
でも、割り切って楽しんでいただけたら幸いです♡
ほんとにいつもありがうございます♡
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