琅琊榜

眷属 (『琅琊榜』 #1以前 補完)

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林殊と靖王と郡主とです。

 引き合わされた子供は、自分よりもさらにふたつ年下なのだと聞いた。
 名は霓凰。雲南王の娘である。
 いずれ己の許嫁となるのだと、そう教えられた。
 「いいなずけ?」
 「いつか大人になったなら、あなたのお嫁さんになるのですよ」
と母が微笑んだ。
 ふうん、と林殊はその子供の顔を見た。
 幼い霓凰ははにかんで、乳母の衣の裾にしがみついていたが。
 それでも気恥ずかしそうに笑って、そして鈴のような声で呼んだのだ。
 「林殊哥哥」
と。



 
 「靖王殿下」
と霓凰は恭しく膝を屈めて礼をとった。
 こんな大人びた作法ができるのか、と林殊は意外な心持ちだった。林府に連れられてきたときは、お辞儀もそこそこに乳母の背中に隠れたものを。
 「なんだ。霓凰郡主か」
と景琰が言う。
 霓凰は親王の娘であるから、景琰も皇宮で幾度か顔を合わせたことがあるのだろう。
 「小殊の妻になる子だというから緊張したのに」
 半ば安心したようにも、またがっかりしたようにも見えるさまで、景琰はそう言った。その途端。
 「わたしではいけなかった?」
 愛らしい眉を逆立てて、霓凰が食ってかかったのだ。
 景琰が大きな目を瞬く。
 「そんなことは言ってない。知らない娘かと思っていたから、拍子抜けしただけだ」
 たじろいだ景琰に、霓凰は精一杯背伸びして小さな顎をそびやかせて見せる。なんという気の強さだろう。
 林殊はすこし、恥ずかしくなった。いつか自分の妻となる娘だ。それが自分の無二の友に、女だてらに挑みかかっている。
 (妻になるなら、もうちょっとしとやかにしてくれないとな)
 夫の面目が丸つぶれではないか、とまだ許嫁にもならぬうちから、林殊は子供心にそんなことを思った。
 (まだ小さいから、しかたがないけれど)
と。
 

 父親と雲南で過ごす時期を除いて、霓凰はしげしげと林府へ通うようになった。 
 霓凰は林殊を慕い、いつでもなんでも林殊の真似をする。虫を採ったり、木に登ったり、棒切れを振り回して戦ごっこをしたりと、林殊と景琰のあとを追い回しては、乳母が悲鳴を上げるような遊びに興じた。
 
 その日も、霓凰は林殊のあとをついて回っていた。
 やはり景琰も一緒で、三人は林府に迷い込んできた野良猫を捕まえようとしていた。
 躍起となっていたのは主に林殊と霓凰で、景琰はふたりを手伝って猫の行く手を阻んだに過ぎない。猫を林殊のほうへ追い立てようと、景琰が小腰をかがめて両手を差し出した途端、恐慌をきたした猫が、景琰の顔に飛びかかったのだ。
 しゃー!と濁った声を立てて、猫は景琰の顔を思い切りひっかいた。
 「うわっ」
 景琰が叫んだときには、猫はもう雲を霞と姿をくらましていた。
 そして。
 「だ、大丈夫か?」
 慌てて駆けよった林殊は、景琰の顔を覗き込んで、―――思わず、ぷーっと吹き出したのだ。
 景琰の顔に、幾筋もの猫の爪痕がついて、それが気の毒やら可笑しいやらで、林殊は腹を抱えた笑った。
 「ひどいな、小殊」
 むすっとした景琰の顔つきが可笑しくて、ますます笑いがこみ上げる。
 そんな林殊を。またも霓凰が真似たのだ。忽ち傍らで笑い転げた。

 不意に、―――腹が立った。
 自分はよいのだ。
 自分と景琰は、生きるも死ぬも一緒なのだから。少しくらい笑おうが謗ろうが嘲ろうが、どうということはない、と林殊は思った。
 でも―――、と。
 あとから自分たちの仲に割り込んできた霓凰に、どうしてこんなふうに笑われねばならぬのか。大事な大事な、友のことを。
 自分の真似を霓凰はしただけなのだと、頭でわかってはいても。
 
 林殊のそんな心も知らず、霓凰はまだ、ころころ笑っていた。
 「見て見て、林殊哥哥。もう、殿下のあのお顔ったら」 
 思わず。
 ―――突き飛ばしていた。
 あっ、と思ったときにはもう。
 霓凰の小さい身体は後ろへ飛んで、どすんと尻もちをついていた。
 「霓凰郡主!」
と声を上げたのは景琰で、霓凰自身は土の上に尻をついたまま、呆気にとられたように林殊を見上げていた。
 「‥‥‥対不起」
 そう言ったものの、林殊はまともに霓凰の顔を見ることが出来なかった。
 武人となる身の自分が。こんな小さな女の子に手を出すなどと。考えられないことだった。
 次の瞬間。
 火が付いたように、霓凰が泣き出した。
 驚いた景琰が、慌てて霓凰を助け起こす。
 林殊は呆然としていた。
 
 霓凰が声を上げて泣くのを見たのは、後にも先にもそれ一度きりだった。



 
 あれからも。
 霓凰は何事もなかったかのように、林殊と景琰のあとをどこへでもついてくる。
 幼な児が少女になり、やがて花も恥じらう乙女の年頃にさしかかっても、やはり霓凰は女だてらにふたりのあとを追ってきた。
 武人の妻になるのだからと、荒馬を乗りこなし、剣の腕も上げた。男同士の荒っぽい遊びに、おくれをとったことのない霓凰である。
 相変わらず、霓凰は林殊のすることなら何でも真似をした。武骨で意固地な景琰を林殊がからかえば、霓凰も一緒になってからかった。林殊と景琰が諍いを起こせば、霓凰は必ず林殊の肩を持って景琰を罵った。
 「霓凰はいつも林殊の味方ばかりする」
と、さすがの景琰も呆れてそう言ったことがあるが、
 「だってわたしは、林殊哥哥のお嫁さんになるのだもの」
そう言って霓凰は笑った。

 霓凰は年ごとに愛らしく美しくなり、そうやって慕われれば林殊とて満更ではない気分で、この許嫁を愛しいと思った。
 思いはするが―――。
 やはり時折、腹が立つ。
 霓凰が自分の真似をして景琰をそしるとき、言いようのない苛立ちが林殊を苛む。
 景琰のことをそんなふうに言っていいのは、自分だけだと。
 そして思い出さずにはいられない。幼い日、そんな霓凰に腹を立てて、突き飛ばして泣かせたことを。
 霓凰は、あのとき何と思ったのだろう。
 自分が何に腹を立てたのか、ついに言葉にして話したことはない。それゆえいまだに霓凰は自分の真似をして、景琰をからかうのだ。 
 そして、相も変わらず自分は心の中で向かっ腹を立てる。

 「頑固すぎるぞ。"牛に対して琴を弾ず"だな。どこまでも偏屈な牛だよ」
 そう言って、景琰の頑なさを非難したことがある。
 霓凰は笑って、
 「偏屈な牛だから、水ばかり飲んでる」
と自分のあとを受けた。
 「牛というより水牛だな。鳴くしか能がない」
 林殊がグルグルグルグル‥‥‥と水牛の声を真似てからかうと、すぐさま霓凰も、グルグルグルグル‥‥‥と繰り返した。
 可笑しくて笑って―――、けれどもやはり、すぐにいやな気分になった。
 「水ばかり飲んで悪いか」
と反論はしたものの、景琰が実は少しも怒ってなどいないことに、猶更不愉快になる。霓凰にこんなふうに笑われて、なんとも思わないのか、と。
 自分は、いやだ。
 自分の友が、自分の妻になる女に笑われるのは。
 真っ先に笑った自分を棚に上げて、林殊は不機嫌に押し黙った。
 あんなに愉快だった気分は、すっかり鳴りを潜めてしまっていた。


   *



 「姐姐と喧嘩したそうだな」
 穆青が言った。
 「喧嘩? 郡主がそうおっしゃったのですか?」
 「言わなくたってわかる。蘇先生のところから帰って来てからずっと不機嫌で、わたしも八つ当たりをされて閉口しているんだ」
 言葉とは裏腹に、穆青は面白くてたまらないといったふうに、目をくりくりさせている。
 梅長蘇は溜息をついた。
 「勘違いなさらないでください。喧嘩ではありません」
 「わかってるとも。蘇先生ともあろう人が、おなご相手に喧嘩なんぞなさるはずもない。姐姐が勝手につむじを曲げているんだ」
 うなづきながら、穆青はこらえきれぬように笑う。
 喧嘩ではない。
 喧嘩ではないが‥‥‥。
 (霓凰がしつこいからいけないのだ)
 梅長蘇は少し眉を寄せた。
 いつまでも景琰を誹るゆえ、と。
 闇砲坊の爆発のあと、景琰が自分を疑ったことを、霓凰はいまだにことあるごとに持ち出すのだ。
 「あの時だってそうだわ。靖王殿下ときたら‥‥‥」
 二言目にはそう言う。
 霓凰は女にしておくのが惜しいほどさっぱりした気性で、細かいことにはこだわらないが、あの件に関しては余程腹が立ったと見える。
 自分の為に腹を立ててくれたのはわかかっているが、それにしても過ぎたことをいつまでも持ち出すのは、やはり女の悪い癖だ。
 それでつい。少し強くたしなめてしまったのだ。

 くすくすと穆青が笑った。
 「実はほっとしているんだ。姐姐にもあんな愛嬌があったかと思って」
 「愛嬌‥‥‥ですか」
 うんうん、と穆青はうなづく。
 「なにしろ姐姐ときたら、あのとおり強くて勇ましい。長年甲冑を身に着けて戦場に出ていたゆえ、なにごとにも動じないだろう? 弟のわたしにとっては頼もしい反面、女としては少々可愛げが‥‥‥」
 言いかけてさすがに不味いと思ったか、穆青はごほんと咳払いしてみせた。
 「‥‥‥随分、命知らずなことをおっしゃいますね‥‥‥。鞭が飛んできても知りませんよ」
 「もちろん内緒にしておいてくれるだろ、蘇先生」
 茶目っ気たっぶりに首をすくめた穆青に、梅長蘇も苦笑する。当たり前ならば義理の弟になっていた青年である。
 「喧嘩するほど仲がいいと言うからな。これからも姐姐のことを頼みますよ、蘇先生」
 ばん、と背中をはたかれて、梅長蘇は思わず咳き込んだ。
 「ああ、悪い悪い。また姐姐に叱られてしまう」
 慌てて背中をさすってくれる穆青が可笑しくて、梅長蘇は咳き込みながら笑った。

 (喧嘩するほど仲がいい‥‥‥か)
 そうなのかもしれぬと思う。
 霓凰だから。
 自分は安心して、腹を立てられるのかもしれない。
 初めて出会った幼い日から。
 妻だと思えばこそ。
 わが友をあしざまに言われると腹が立つのだ。
 霓凰も、景琰も。
 自分にとっては大切な身内だ。

 「王爺」
と梅長蘇は言った。
 「郡主にお伝えください。美味しいお茶を用意してお待ちしておりますゆえ、いつでもまたお越しくださいと」
 そう微笑むと、穆青は嬉しそうに「好!」とうなづいた。
 「蘇先生の度量が広くて助かる。少々無神経なところのある姉だが、よろしく頼むぞ」
 もう一度思い切り背中を叩こうとして、今度は寸前で思いとどまったらしい。行き場をなくした手をひらひらさせてから、おもむろに顔を寄せてくる。
 「くれぐれも、わたしが可愛げがないなどと言っていたことは内密に‥‥‥」
 声をひそめてそう言うと、笑いながら穆青は去って行った。
 
 ふと、思い出した。
 あれは掖幽庭の子供たちと百里奇との手合わせの日。 
 景琰と霓凰、そして穆青と、宮中で顔を合わせた。
 あの時、ひどく幸福な気持ちになったのだ。
 梅長蘇としての務めも、あの瞬間、頭から消え去っていた。そして、嬉しくて頬がゆるんだのを、見とがめられた。
 「お三方の堂々たるお姿を拝見して‥‥‥」
と言い逃れたが。
 あの温かい気持ちを、自分はこの先も忘れまいと思う。

 自分が一番心許せる者たち。
 どんなにからかっても、罵っても。苛立っても、腹を立てても、傷つけあっても。
 やはり愛おしいのだ。

 赦し、赦されて、元の鞘に収まる。
 たとえ反発しあっても、互いにまた惹かれ合う。心はまた、あの温もりの中へ戻りたがる。

 景琰に、素性を明かすことはできなくとも。

 自分がいて、霓凰がいて、そして景琰がいて。それだけで充分、温かい。

 これからも霓凰は自分を慕い、自分の肩を持ち、時に景琰を責めるかもしれない。
 そして、そんな霓凰に、自分は苛立ちを覚える。
 だが、それこそがしあわせなのだと。

 友と、妻と。
 
 渠らの温もりに癒される日々も、もうそう長くはないだろう。
 それでも、残された日々を、その幸せを、自分は噛みしめて生きようと思う。

 わが友。
 わが妻。
 
 ―――梅長蘇の頬に、穏やかな笑みがのぼった。

 
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~ Comment ~

気が置けない仲

遥華さん、こんばんは♪
わーい、お子ちゃま林殊たちのお話だ~
あまりに嬉しくて速攻で拝読致しました(笑)

気が置けない仲だからこそ、自分の本音を霓凰にぶつけてしまった林殊。
ドラマではあの雪の中で靖王に向かって『情義はあるのに、何故、能がないのだ‼』と叫んでしまった宗主(バレなくて良かったけど)
姿形は変わっても心根は変わらない。

自身に課せられた復讐と世直し。
長い長い年月を掛け、薄氷を踏むように慎重に事を運ぶ宗主を支えているのは彼らとの温かい思い出と絶対の信頼。
(勿論、支えているのは彼らだけではありませんが)
林殊にとっての運命の二人。
今回も遥華さんの描くお話にホロッとさせられっぱなしの私(涙)
凍えそうに寒い冬の木漏れ日のような存在。
きらきらと永遠に輝くもの。
林殊にとってそれは景琰と霓凰で、宗主にとっては藺晨と飛流なのかなと。

今宵は些か寒いので、寝付く前にまたこのお話を読んで心をホカホカにしたいと思います。
そしたら体もきっと温まるに違いない(笑)

Re: 気が置けない仲

いつもありがとうございます~~♡

わたしはもちろん宗主大好きなのですが、何気に『林殊』という子も好きなので、
今後も時たま書くかも?(笑)

ほんと、宗主はいろんな人たちに支えられてますよねー。
今実際に手足となって動いてくれる江左盟の人たちもそうだし、
かつての『林殊』を知る人々もそう。
宗主自身は今は自由に動き回ることもできない体だけど、
宗主のプランを実行してくれる人たちがいる。
宗主のメンタルを支えてるのは、
思い出や未来への希望も含めたそういうものですよね。
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