琅琊榜

榛子 (『琅琊榜 #28 補完)

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親友同士なのにヘーゼルナッツ好きの靖王とヘーゼルナッツアレルギーの宗主ー・・・・・。

 「莫迦、よせ」
 道すがら、屋台の料理にひょいと手を出した林殊を、景琰は慌てて止めた。
 「外でなんでもかんでも口にするなと、いつも言われているだろう」
 少なくとも景琰は、その言いつけを頑なに守っている。それなのに、林殊ときたら。
 「私はお前と違って誰に毒を盛られる身分でもないからな。お前とて、兄弟の中では味噌っかすだろう? そんなに心配せずとも、ほら一口食えって。旨いぞ」
 味噌っかすで悪かったな、と景琰は太い眉を寄せた。
 「わたしは要らん。行くぞ」
 そそくさとその場を離れる。
 「㗏! 全く、頭の固いやつめ。あ、亭主、旨かったぞ」
 ちらっと振り返ると、林殊が慌てて屋台の主に銀子を渡すところだった。
 「えっ。ああ、小爺、いまお釣りを」
 過分な銭を渡したのだろう、主が困惑した声で呼び止めたが、林殊は肉を頬張りながら片手をひらひらさせた。
 「いいからとっておいてくれ。また来る」
 気前のいい若様である。
 「へへえ、毎度あり……」と主の威勢のいい声が追いかけてきた。
 前を歩きながら、景琰はため息をついた。
 「全く呆れたやつだな。年がら年中食い意地が張っているのだから」
 「お前の石頭のほうが呆れるぞ」
 肉を食べ終えて、行儀悪く串をぽいと道端に捨てた林殊は、ぽりぽりと首筋の辺りを掻きながら笑った。


 靖王府への道を辿りながら、林殊が次第に遅れがちになる。
 景琰は眉をひそめて振り返った。
 「どうした、小殊?」
 のろのろとついてきていた林殊が、とうとう足を留めて、両ひざに手をついた。
 「なんか……、さっきから変なんだ。胸が……。息が、しづらい……」
 常にも似ぬ弱々しい声で、やっとそれだけ言った林殊は、今にもうずくまってしまいそうだ。
 景琰は慌ててそばへ寄り、友の身体を支えた。そして、はっとする。
 「おい、首のところが真っ赤だぞ。手も……」
 苦し気に胸をあえがせながら、林殊は自分の手の甲に目をやった。
 「ああ……。痒くて……」
 「見せてみろ」
 景琰は林殊の襟元を開いて覗き込んだ。
 されるがままの林殊は、立っているのもつらくなったらしい。景琰の腕に林殊の重みがずっしりとかかった。
 「くそ……、さっきの親爺、毒でも盛りやがったのか」
 ぼやく言葉も、消え入りそうにか細い。
 景琰は、はっとした。
 「違う! 榛子だ。料理に榛子が入っていたんだ」
 「榛子……?」
 そう問うたきり、林殊はぐったりと頭を垂れた。 
 「小殊!?」
 「じん……いぇ……ん」
 助けを求めるようなその声を最後に、林殊は景琰の腕の中で気を失った。


   *


 「榛子ですわ、殿下」
 寝所から出てきた母が、言った。
 あれはもう、随分昔のことだ。母の華奢な膝にさえ抱き上げてもらえるほどに、幼かった頃のことである。
 景琰は、寝所の外で立ち尽くしていた。身体がこわばって、喉がひりついて、ただ、あとからあとから涙が溢れてきた。
 「榛子?」
 叔母の晋陽長公主は、もう取り乱してはいなかったが、それでも不安そうに鸚鵡返しした。
 母は思慮深げにちょっと視線をそらせてから、
 「小殊は榛子を初めて口にしたのでは?」
と問い返したのだ。
 「さあ……、どうだったかしら……」
 叔母は記憶を手繰るふうだったが、早々にそれもあきらめたようだ。
 「稀に、榛子を食してこうした症状を起こす者がいると聞きます。少量ならば体の痒みや少々咳が出る程度ですみましょうが……」
 母の言葉に、叔母は大きくため息をついた。
 「あの子ったら、いじましくもあれだけ食べては……。そういえば、これまでにも体が赤くなって痒がったり、風邪でもないのにひどく咳が出たりしたことがあったけれど……、あれはもしかすると料理に榛子が使われていたのかもしれない」
 叔母が言い、母もうなづく。
 「今後は食事にも気を付けるよう、賄い方にもよくよく言い含めたほうがよろしいかと」
 「そうしましょう。此度は貴女のところでよかった。おかげで命拾いした上、わけもわかって助かりました」
 叔母が恭しく頭を下げるのを見て、母は慌てたようにそれを遮った。
 「いいえ、殿下。わたくしのほうこそ、もっと気を配るべきでした。お許しくださいませ」
 その場に膝をついた母を、「起来吧」と叔母が手を取り立たせた。
 そして、景琰を優しく手招きする。
 「もう泣くのはおやめ」
 叔母に頭を撫でられて、景琰は袖でごしごしと涙をふいた。
 「‥‥‥泣いてなどおりません」
 そう強がったが、拭ったあとからまた涙がじわりと湧いて出たものだ。
 「小殊のために泣いてくれて、ありがとう」
 柔らかく、叔母に抱きしめられた。
 「小殊は、今宵はこちらへ泊めおきましょう。明日には元気になることでしょうから、林府へ送り届けさせます」
 母がそう言うと、叔母はほっとしたように頷いた。
 「そうしていただけると助かるわ。よろしく頼みます」
 
 叔母が林府へ帰って行ったあと、景琰は母の手をそっとつかんだ。
 「母上。……今夜は小殊と一緒に寝ても構いませんか」
 母は微笑んで言った。
 「そうね。そうしてくれると母も安心です」
 幼い景琰に向かって小腰をかがめ、母は真摯な眼差しでこうも言ったのだ。
 「あなたは皇子には違いないけれど……、私にとって、小殊は主筋にあたる林家の若君。我が子のあなたと同じように、とても大切に思っているのです」
 景琰は黙って聞いていた。
 「あなたは小殊よりひとつ年上なのだから、よく面倒を見て、守ってあげてちょうだい」
 「はい」
 言われるまでもなかった。
 母にとってそうである以上に、景琰にとって林殊は特別な存在だったのだ。
 いつ、どうしてそうなったのか、景琰自身にもわからない。ただ、物心ついたときには、林殊はすでにかけがえのない者となっていた。まだろくに舌も回らぬよちよち歩きの林殊が、景琰の衣の袖をつかんでついて歩こうとしたその頃から―――。

   

 「……じんいぇん?」
 「目が覚めたか? 気分はどうだ?」
 大人の真似をして林殊の額に手をやった途端、小さな従弟の目からぽろぽろと涙が零れだした。
 「まだ苦しいのか? 待ってろ、今、母上を‥‥‥」
 駆けだそうとした景琰の衣を、林殊の小さな手がきゅっと握った。
 「違う」
 首を傾げた景琰を、涙でいっぱいの眸が見上げている。
 「怖かったから‥‥‥」
と、林殊は言った。
 「苦しくて。息ができなくて。このまま死んでしまうんだと思って」
 「小殊。ばか。死ぬわけないだろ」
 すこし腹を立てて、景琰は声を荒げた。
 死ぬなどと、簡単に口をするものではないと、子供ながらそう思ったのだ。
 「でも、死にそうなくらい苦しかったから」
 ぐすんと林殊は鼻を鳴らした。
 「死ぬのが怖かったわけじゃないんだ。私は武人の子だもの」
 幼いくせに、精一杯大人びた口調で林殊はそう言った。そして、「でも」と言葉を連ねる。
 「景琰に会えなくなるのが、悲しくて、怖くて」
 そう言われて、景琰は目を瞠った。
 たったひとつしか違わないこの年下の従弟が、いじらしくて、愛おしくて、胸がずきんとしたのだ。
 林殊が目に涙をためたままで、少し笑った。
 「‥‥‥目が覚めたら景琰がいて、そしたら嬉しくて涙が出たんだ。―――よかった、また景琰の顔が見られて」
 またさらに、小さな胸がどきんとして、景琰は俯いた。
 「あ、当たり前だ。わたしとお前は、ずっとずっと一緒なんだからなっ」
 照れくさくて、頬を熱くしながら景琰はそう怒鳴った。
 めったに大きな声を出さない従兄に怒鳴られて、林殊は目を丸くしていた。景琰には、何をしても何を言っても怒られないと、林殊はたぶんずっとそう思っていたのだろう。
 少ししょげながら、それでもどこか嬉しそうに、林殊はあどけなく笑った。
 「うん‥‥‥。ずっとずっと一緒だ、景琰」

 景琰の胸は、まだどきどきと早鐘を打っていた。
 同じだったのだ。
 林殊がこのまま死んでしまいはすまいかと、悲しくて恐ろしくて、景琰とてさっきまで涙が止まらなかった。

 守ってやりたいと思った。
 離れたくないと。
 会えなくなるなど、ありえない。
 死に分かたれる日など、あってはならない。   



 翌朝、長兄が飛んできた。
 「もう大丈夫なのか」
 景琰の母に手を曳かれた林殊のそばに、長兄はしゃがみ込んでその無事を確かめた。
 「平気です、兄長」
 ぴょんぴょんと跳ねて見せた林殊に、ほうっと長く安堵の溜息をもらして、長兄はようやく破顔した。
 「小殊、景琰、おまえたちに何かあったらと思うと、わたしは生きた心地がせぬのだよ」
 床に膝をついて、長兄は景琰と林殊を抱き寄せた。
 「兄長」
 景琰も林殊も、兄の温かい懐に抱かれて目を細めたものであった―――。




   *



 「小殊?」
 うっすら眼を開けた林殊に、景琰は呼びかけた。
 たちまち林殊の目に力が戻る。
 「景琰‥‥‥」
 すっかり焦点の合った目で見つめ返してくるのを見て、景琰はようやくほっとした。
 「よかった、もう大丈夫だな」
 子供の頃に母が対処するのを見ていた景琰は、林殊の不調が榛子のせいだと気づくや、すぐさま食べたものを吐きださせた。靖王府へ担ぎ込んで侍医に診せ、どうやら大事に至らずすんだのだ。
 「みっともないな。榛子ごときでこんな大騒ぎになるなんて」
 林殊がばつの悪そうな顔をする。
 「しかたがないだろう。おまえの体が榛子を受け付けぬのだから」
 慰めながら、景琰は白湯を差し出した。一口飲んで、林殊は溜息をつく。
 「もう長いこと榛子を口にしていなかったから、すっかり忘れていた」
 「周りが気をつかって、お前の口に榛子が入らぬようにしていたからな」
 景琰がそう言って苦笑すると、林殊は申し訳なさそうな顔をした。
 「そうか‥‥‥。みんな、私を大事に思っていてくれるのだな」
 「当然だろう」
 なにをいまさら、と景琰は少し呆れたが。
 林殊はふと不安げな顔を向けてきた。
 「お前も?」
 言葉の意味をはかりかねて、景琰は少し首を傾げた。
 「景琰、おまえもわたしのことを大事に想ってくれているのか?」
 ますます呆れて、景琰は大きな目をさらに大きく見開いた。
 「莫迦、今さら訊くな」
 話にもならぬ、と景琰は顎を上げて見せた。
 「莫迦だから、訊かなければわからないんだ」
 起き上がろうとして、林殊はほんの少し咳き込んだ。
 忽ち景琰は不安になって、従弟の体を支える。背中をさすってやると、林殊は気持ちよさそうに目を細くする。
 「―――大事でないはずがないだろう。誰よりも一番大事に決まっている」
 そう言った途端、林殊の背中がぴくりとこわばった。景琰は思わずその顔を覗き込んで、はっとする。
 「小殊? 顔が赤い。また具合が?」
 「莫迦。おまえのせいだ」
 言うなり、林殊はいきなり傍らの枕をつかんで、景琰の顔に圧し付けた。
 「你っ‥‥‥」
 枕を払いのけ、何をするんだと怒鳴ろうとしたが、林殊はすでに衾を頭からかぶって丸くなってしまっている。
 照れて赤くなったのだと、遅ればせながら気づいたが、大事かどうかと尋ねたのは林殊のほうだ。訊かれたから答えたものを、莫迦呼ばわりされて、枕まで圧しつけられたのではたまったものではない。
 それだけ元気になったのは喜ばしいが‥‥‥、と景琰はため息をついて、牀台の端に腰かけた。
 衾の上から、林殊の背中を撫でてやる。
 「よく覚えておくのだ、小殊。わたしとお前は兄弟も同然。これから先も一蓮托生だぞ」
 もぞもぞと衾の中で林殊が身じろいだ。
 林殊も来年は十七。
 林燮の跡継ぎとして、立派に赤衛軍の一翼を担ってゆく。
 常に一緒にいることは叶うまいが、林殊が助けを必要なときには、何をおいても駆けつけてやりたい。

 衾の中から、林殊の手がにゅっと突き出た。もうすっかり赤味は引いたようだ。
 林殊が手さぐりに、景琰の手を求めてきた。
 握ってやると、林殊もきゅっと握り返してくる。

 林殊の手は、温かい。
 
 この温もりを、生涯守ってやりたいと、景琰は改めて思った。
 


   *



 「いかがなされたのです?」
 提盒の中身を眺めてぼんやりしていた景琰は、戦英に
 「いや‥‥‥。榛子の菓子が、ないと思ってな」
 「は?」
 「近頃、母上は榛子の菓子をおつくりにならぬようだ」
 「榛子、ですか」
 榛子の菓子は、景琰の好物である。しばしば作って食べさせてくれたものである。それが、ここしばらくは、息子の好物を忘れ果ててしまったかのように、母はそれを作らなくなった。
 そのせいで。
 昔のことを思い出したのだ。
 一度、林殊が榛子の菓子で発作を起こして以来、母は決して子供たちの手の届くところに榛子を置かなくなった。
 「守ってやれと、言われたものを」
 「は?」

 何もしてやれなかった。
 林殊が雪深い梅嶺で炎に炙られているとき、自分は何も知らずにいたのだ。

 涙が頬を伝った。
 その涙が、菓子の上にぽたっと落ちる。

 景琰は苦笑いした。
 「せっかくの点心が、しょっぱくなってしまうな」
 「殿下‥‥‥」

 涙を吸った菓子を指でつまみあげると、景琰はそれをぱくりと頬張った。

 林殊が一番好きな菓子であった―――。
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~ Comment ~

良いっすね~

遥華さん、こんばんは♪
久しぶりの『毒蛇』じゃない作品!
わーい、わーい\(^o^)/

ごめんなさい、遥華さん。
『毒蛇』が嫌いな訳ではありません。
林殊がモフモフな作品もありましたけど、あれは相手が違うし。
今回は私が書いて欲しかった(私的にLOVEな)二人のお話なので、ニヤニヤしながら拝読致しました。
脳内は幼少期から既に王凱×胡歌(笑)
うんうんうん、良いっすよ~
このまま大人版でもLOVEなお話読みたいなぁ(爆)
今夜はとても良い夢見れそうです。

Re: 良いっすね~

あはは、ここんとこ誉×蘇モードでしたからねーwww
わたしは好きなのは藺×蘇(プラス飛流)なんですが、
そのほかも大抵なんでも受け入れます(笑)。
宗主が愛されればなんでもよいのです(笑)。
靖×蘇(蘇×靖も可)も好きなんですが、
このふたりの接点が意外と少ないのが残念なところです。
でも、自分の中でまさかだった誉×蘇でも、
書き始めてみればこのありさまだったので、
その気になって妄想すれば、靖×蘇は立派に成立するはず(笑)。

Re: NoTitle

黎綱さんや甄平さんの目線でもかけたらいいなとは思ってるんです。
飛流目線のお話も・・・とも思うんですが、あの子自身は語彙が乏しいので、
なかなか大変そうだなあと二の足踏んでます(笑)。
静妃のことや、あと祁王のこととか、色々書きたいんですが、
まだドラマの本筋からつかず離れずの状態です・・・。

人質、ですか。
確かにそういう側面もあるかもですよね。
実際、言侯も乐瑶を皇帝に奪われて恨み骨髄だろうに、
皇帝が乐瑶に産ませた祁王のことも大切に想ってるんですよね。
林燮も靖王を大事にしていたし‥‥‥。

林燮を失った痛手は静妃も林殊に負けないでしょうね。
12年、後宮の中で冷遇されながら、じっと息をひそめて
一言も発さずに来た胸中を思うと、すごい人ではありますよね。
林殊が帰ってこなければ、あのまま黙って一生を終えたのかもしれないけれど、
春猟のときに林殊に言うでしょう? あとは自分に任せてくれって。
『梅長蘇』のやろうとしていることを自分が引き継ぐくらいの覚悟は、
静妃にはあるんですよね‥‥‥。やっぱりスゴいですね。

あ、鍵コメ、全然OKですよ。
どちらでもご都合のよいようにしていただいて結構です(^^)


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