琅琊榜

毒蛇11 『决裂』 (『琅琊榜 #28.29.30 補完)

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毒蛇11です。

 ついに。
 景琰が五珠親王に封じられた。

 なんということだ。
 ようやく皇太子が自滅してくれたというのに。これでは相手が変わっただけで、皇位は一向に近づかぬ。いや、靖王という頭の固い男が相手では、むしろ皇太子より御しがたい。そして、こちらは以前よりも父皇の寵愛は薄れ、勢力も衰えた。今の自分に比べれば、景琰は破竹の勢いと言っても過言ではない。
 どう戦えというのだ。

 「先生にしたがい靖王を抑えずにきたが、……結果は?」

 忌々しい。

 いや、忌々しいのは景琰ばかりではない。
 目の前のこの男。
 麒麟の才を持つ我が謀士にして、唯一無二の友。
 この男を喜ばせたいが為に、この幾月どれほど労力を割き、心を砕いてきたことだろう。
 だが、こうして今差し向かいで座っていると、どこか空恐ろしささえ感じる。友だと思ってきた相手が、なにやら得体のしれぬ怪物に思えて、誉王は漠然とした恐怖と戦うため、丹田に気を込めた。
 己の顔が険しくなっていることは自覚している。初めて名を知った時から恋い焦がれ、誠を尽くして手に入れた麒麟の才子を前に、こんな気持ちを抱く日が来ようとは。

 梅長蘇は、小面憎いほどゆったりしている。穏やかに微笑んで、まもなく東宮の位が空くではないかと宥めてくる。
 これまでもずっとそうだったではないか。
 父皇の不興を買わぬことこそ大事。焦って皇太子を追い詰めてはならぬ。靖王は、太子と誉王との諍いに均衡をもたらそうという父の思惑ゆえに俄かに寵愛を受けただけで、とるに足らぬ身であるから、敵に回さず静観せよと、実に言葉巧みに言い含められてきた。
 梅長蘇の言葉ゆえ、信じた。理にもかなっていたためだ。
 だが。

 もう随分前から、何かがおかしいと感じていたのではないか、自分は。
 そう思い至って、誉王は眉根に一層力をこめた。
 おかしいと思いながら、それでも信じずにはおれなかったのだ。
 病がちの身に鞭打って尽くしてくれるこの男の心を、疑いたくはなかった。

 いや。
 今とて疑いたくはないのだ。
 自分の心の内のどこから、そんな疑念がわいて出たものか。
 渠の功績は決して小さくはない。梅長蘇の策によって、父皇から賞賛されたことも一度や二度ではなく、太子に与えた痛手も少なくはない。
 朝堂に儒家を招いての討議の折りも、梅長蘇の骨折りによって大いに面目を施した。あの翌日、病に斃れた梅長蘇に、誉王は深く感謝したものであった。
 謝玉に引導を渡した寧国侯府でのあの夜、疲れ果てて今にも頽れそうな風情で佇んでいた梅長蘇の姿が、今も瞼の裏に焼き付いているではないか。
 まさに命を削って働いてくれたのだ。長くはないその命を、である。自分にとって、かけがえのない男である。
 
 (この男を疑うなど、どうかしているではないか)
 それでも拭えぬこの気持ちは何なのだ、と誉王は地団太を踏みたくなる。
 自分はこの男に、誠を尽くしてやろうと思っていたはずではないか。

 優れた主のもとで、残された命の限り、己が才を振るって仕えたいのだと梅長蘇は言った。ならば、梅長蘇に選ばれた自分は、なんとしてでも皇位につかねばならぬと思ったのだ。無論それ以前から、誉王は皇位を欲してはいた。だが、梅長蘇を知る前とあととでは、思いがまるで違う。
 梅長蘇に、生きた証を与えてやりたかった。麒麟の才が白羽の矢を立ててくれたこの簫景桓が、皇位を手にするさまを、見せてやりたいと思った。
 ただの野心ではない、梅長蘇という友のために皇位を希んだのだ。友の命のある内に皇位につくことは無理でも、せめてその未来を約束された東宮の主にならねばならぬと、誉王はこの幾月か、そればかりを考えてきた。
 それなのに、当の梅長蘇ときたら。

 まるで他人事ではないか。

 ―――そうなのか? と、ふと思ったのだ。
 他人事―――。実は梅長蘇にとって、この自分が皇位を手に入れることなど、まるで関心のないことなのではないか。近頃になって、不意にそんな疑いが心に芽生えた。
 確かに梅長蘇は、皇太子・景宣を東宮の座から引き下ろす為の謀を巡らせてくれた。だが、と思う。誉王自身が攻撃に転じようとするたびに、やんわりと止められた。そして、靖王がじわじわと台頭してくるのを、ただただ静観させたではないか。
 皇太子を叩き潰すことにはあれほど熱心でも、この自分を押し上げることにはほとんど興味がないように見える―――。

 そんな莫迦な、と誉王は思った。
 この自分に、さまざまな思いを吐露したときの梅長蘇は、偽りを言っているようには見えなかった。
 憂わしげに少しうなだれた姿、どこか稚気を含んだ微笑、気持ちを昂らせたときの仄かに紅潮した頬。いずれも嘘ではなかったはずだ。

 誉王は混乱していた。
 信じ切れぬ自分に腹が立って、どうしても微笑み返してやることができないのだ。
 (そなたの為ではないか―――)
 その言葉を、誉王は飲み込んだ。
 誉王にも意地があるのだ。つれなくされて狼狽えたのでは、あまりに惨めだ。
 
 硬く強張った表情のまま、誉王は梅長蘇に背を向けた。 
  


   * * *



 「さすがにもう、誤魔化せませんね」
 梅長蘇は、そう言った甄平の顔から視線を外した。
 「長年、東宮側と争ってきた誉王なのだ。いずれは察知する」
 当然ではないかというように、こともなげに梅長蘇は答えた。だが、目を上げることができず、ついつい投げやりな口調になる。これではまるで、不貞腐れた子供のようだ。

 近頃では朝臣や宮女たちの間でも、誉王と景琰を比べてあれこれ口さがない噂が飛び交っているという。中には、誉王の出自を卑しむ類の物もあると聞いた。
 自尊心の高い誉王には、耐えられぬ屈辱であろう。
 生母の位の低かったことは、誉王にとって泣き所である。誉王自身そう心得ていればこそ、養母である言皇后に、ことさらまことの母に対するがごとく孝養を尽くしてきた。三十年にも渡って皇后の養い子であった誉王は、傍目にも他の妃嬪の子供たちに比べて高貴に映ったものだ。誉王の生母のことなど、誰もあまり気にかけてはいなかったのだ。
 それが今になって取り沙汰されるのは、靖王という存在が浮かび上がってきたからにほかならぬ。いやが上にも人々は事あるごとに二人の皇子を比べる。功績、人となり、その出自に至るまで。
 誉王は耐えられまい。これまで歯牙にもかけなかった七弟と、こうして比べられるなど。
 (皇子としての品格を、何よりも尊んできた男だ)
 生母に死に別れ、友もなく、ただ高貴な身の上だけを恃みとして誉王は生きてきたのだ。己の尊さに対する自負までも傷つけられたなら、誉王の苦痛は計り知れまいと思う。

 ―――もう、頼ってはくれまい。
 誉王がふたたび、この家を訪れることはあるだろうか。

 納得しきれず憤然として帰って行った後姿を思う。
 今日はとうとう一度も、誉王の笑顔を見なかった。当たり前である。甄平の言うとおり、さすがにもう誉王とてだまされはすまい。
 (今までもったのが不思議なほどだ)
 とうに疑われてもおかしくはなかった。ただの主と謀士の間柄であれば、とっくに誉王はこの梅長蘇を見限っていたかもしれぬ。

 ―――謀士たるまえに、先生は既に我が友である
と。かつて誉王はそう言った。あの折、梅長蘇は少なからず驚いたものだった。麒麟の才子として取り入るつもりが、「友」とは聞いてあきれるではないかと。
 だが、あれ以来、誉王は常にその言葉通り、梅長蘇を友として扱ってくれた。友なればこそ、誉王は梅長蘇を信じ、その言葉に従ったのだ。

 皮肉なものだと思う。

 梅長蘇を信じるべきだと思いながら信じ切れぬ景琰と。
 梅長蘇を疑うべきだと気づきながら疑いきれぬ誉王と。

 (さても因果な男だな、『梅長蘇」とは)
 苦笑せずにはおれぬ。

 卑しい毒蛇一匹……。取り入って、欺いて、利用して、その挙句踏みつぶしてしまうことなど、なんでもないと思っていた。
 これほど心が痛むとは。思いもしなかったのである。

 「警戒しませんと」
と甄平が言う。
 さもありなん。追い詰められた毒蛇が、やがて自分に対しても牙をむいてくるのかもしれぬ、と梅長蘇は目を伏せた。
 


   * * *




 誉王は打ちひしがれていた。
 凶作の地域への救済の主事の座を、ついに靖王に奪われたのである。
 一度はそれを手中にしていた誉王である。だが、干ばつの被害を最も受けていた岳州の知府から、誉王府へと送られてくる礼金の荷を、江左盟に襲撃されたのだ。この事実は忽ちの内に岳州全土に流布され、民は怒り、その醜聞は都へと届いた。悪事千里を走るというが、まさにあっという間の出来事で、手を打ついとまとてなかった。
 さすがに事態を重く見た父皇が、救済の任務を靖王へと振ったのだ。
 確かに、この凶作地への救済は例年、不正の温床となっていた。これほど実入りの良い役目はないのだ。皇太子も自分も、毎年この座を争ったものである。
 それを、今年は靖王に持っていかれた。

 このところ、ずっと靖王と争ってきた。靖王など、皇太子にくらべれば赤子の手をひねるがごとく容易い相手とたかを括っていた。これまでは梅長蘇に止められたゆえ、競わなかっただけのことだと。
 だが、どうだ。これがなかなかに手ごわかった。

 酒に逃げても、芯から酔えぬ。
 己の中のさまざまな感情の中で、屈辱ほど御し難いものはない。取るに足らぬはずであった靖王に出し抜かれ、しかも己と靖王とを比べる噂が飛び交う。靖王ごときと比べられるだけでも腹が煮えるのに、挙句の果てには自分の出自をあれこれ言う者さえ出る始末と聞く。
 何もかもが、業腹であった。
 捨て鉢な気分になって、ただただ酒をあおる。

 救済の任務を靖王などに与えてどうなるのだ。まさに豚に真珠ではないか。
 『水清ければ魚棲まず』
 少年のころから、誉王はその言葉をもっともだと思っていた。
 清廉なだけでは人は靡かぬ。救済の任務が不正の温床であるからには、そこには甘い汁を吸う者たちが少なからずある。この任務は、主事のみならず、大勢の人間にとっての金づるでもあるのだ。そこにぶら下がる者が多ければ多いだけ、靖王のような莫迦正直な者が上につくことで思惑の外れる人間が増えるのだ。
 「どれだけ殺し、首を挿げ替えても、いつかは皆の不満が爆発するぞ」
 それゆえ、不正はほどほどに見逃さねばならぬ。そうして自分の懐もほどほどに潤わせる。これで八方丸く収まるではないか、そうやって長年均衡を図ってきたのだ。それを靖王は滅茶苦茶にしてしまうだろう。
 
 反撃せよと般弱が言う。
 できるものならとうにやっている。
 持ち駒が、ないのだ。反撃するための。
 この一年で、まるで身ぐるみはがされたかのようだ。

 「今まで一度も、疑わなかったのですか?」
 般弱の言葉が、胸に刺さる。
 おかしいと感じなかったわけではない。 
 「だが‥‥‥」
と誉王は額に手をやった。梅長蘇の功績は少なくはないのだ。もうすでに幾度も己の中で行ったり来たりしている思いを、誉王はもて余している。
 (まだ性懲りもなく信じたいのか、わたしは)

 目を閉じれば、美しい謀士の顔が浮かぶ。酒はその面影を忘れさせるどころか、まるで幻のように四六時中、瞼の裏に張り付かせるのだ。
 「淡い望みは抱かないでください。靖王こそが梅長蘇を得たのです」
 般弱にぴしゃりと言われた。

 わかっている。
 言われずとも、もうわかっているのだ。
 それでも‥‥‥。
 誉王は杯を投げつけ、頭を抱えこんだ。

 女は残酷だ。ずけずけと、認めたくない現実をつきつけてくる。
 そう、認めたくはなかった。
 生まれて初めて、友と見込んだ男である。

 これまで、あの男は幾つ自分に手柄を立てさせ、あるいは政敵たる皇太子の鼻を明かしてくれたことだろう。
 一笑千金とはよく言ったもので、わずかに微笑を向けられただけで、誉王は有頂天になり、なにもかも信じたものだった。

 (あれも偽りというのだろうか)
 先の短い命であると言った、あの涙も。
 拳が、震えた。

 「負けを認めるので?」
 般弱の問いに、静かな怒りが沸き上がる。
 「馬鹿を言え」
 このまま引き下がってなんとするのだ。屈辱を受けたままで終われるはずがない。 
 「五珠親王など粉砕してくれる」

 般弱は言う。梅長蘇に対抗できねば靖王を倒すことはできまいと。
 「梅長蘇と江左盟に対抗する? 簡単に言うな」
 麒麟の才は侮れぬ。それはこの自分が一番よくわかっているのだ。あの才をこそ、自分は愛し、敬ったのだから。
 般弱がこの自分を奮起させようとするなら、それに乗ってやろうではないか。
 だが、もはや梅長蘇さえ片付けてすむ問題ではない。この一年の間に、靖王はすでに確固たる志を持った。たとえ梅長蘇という存在が消えても、靖王がいる限り自分の大望は果たせぬ。靖王は朝廷の中で、もう足場を固めつつあるのだ。
 誉王の酔いが、すっと冷めた。

 「梅長蘇ではなく、靖王に狙いをさだめるのだ」
 まずは靖王の息の根を止めてやる。 
 「主がいなければ、たとえ麒麟の才子でも、ただの野良犬と同じではないか」
 そうだ、病みさらばえた野良犬一匹、この手にかける価値もない。靖王さえ叩き潰せば、梅長蘇には押し戴く主とてないのだ。その時になって自分を頼ってきても、もう遅い。

 「梅長蘇の弱点は知らぬが、簫景琰の泣き所ならば明白だ」
 そう。
 赤焔事案―――。
 それこそが、父皇と靖王を隔てる最大の壁ではないか。
 靖王の泣き所であり、そして、梅長蘇もまた、この事案に関わっている気がしてならぬのだ。
 「今は単なる勘だが、"敵であるほど心は通じる"」
 『敵』という言葉を口にしたとき、ずきりと胸が痛んだ。
 梅長蘇はすでに敵なのだと、言葉にして改めて心に響く。敵として心通じるより、友として情を通わせたかった。そんな囁かな望みすら、天は容易には叶えてくれぬのだ。
 怒りがふつふつと沸き上がった。
 「いずれわたしの力を思い知らせてやる」

 赤焔事案を蒸し返すには、契機が必要だ。十三年もの間、天子の逆鱗に触れることを恐れて口にするさえ憚られてきた事案を持ち出すのであってみれば、よほどの策を練らねばならぬ。
 そして、般弱が進言したのだ。
 懸鏡司主尊・夏江の知恵を借りよと―――。
 

 

 
   * * *





 このところ、身体がひどく弱っているのを、気づかぬわけではない。晏太夫をはじめ、蘇宅の者たちが案じてくれているのもわかっている。それでも、梅長蘇は日々忙しく策謀を巡らせることをやめずにいる。
 休まず頭を働かせている間は、あの男のことを考えずにすむからだ―――と梅長蘇はため息をついた。

 牀台に横たわると、いやでもその顔が瞼の裏に浮かんでしまう。
 誉王。
 この自分を、友と呼んだ男。
 その面影がちらついて、もうずっと眠れずにいる。気が咎めてならぬのだ。
 梅長蘇は力なく咳き込んだ。

 たとえ苦しくとも、もうあの男が自分を労ってくれることは二度とないのだ。あの肉厚な手で背中をさすられると、それだけで冷えきったからだに温もりが湧く気がしたものを。
 友との接し方に慣れぬ誉王は、まるで女人を扱うがごとく自分を慈しんでくれたものだ。男とはいえ病がちのこの身には、それはひどく居心地の良いものであった。
 誉王の労りは隅々まで心配りが行き届いていた。景琰には逆立ちしても真似できまい、そう思うと少し可笑しくなった。
 あれは性分なのだろう。本来、人の感情の機微に敏いのだ。

 誉王など―――、と梅長蘇は慌てて思い直した。
 己の私利私欲を抑えることさえ出来ぬ小さな男ではないか、と軽く頭を振る。民の窮状を知ろうともせず、飢饉に苦しむ地方の官吏からその上前を撥ねるとは。
 民の舐める辛酸など、思いもしない。闇砲坊の一件がよい例ではないか。
 そうとわかってはいてもなお。
 梅長蘇は嘆息した。
 自分に向けられるあの優しさを知ってしまったからには、心のどこかで誉王を擁護しようとする自分がいる。

 民の暮らしを顧みぬのは、無慈悲なのではなく、あまりにも己のすむ世界とかけ離れすぎて、実感が伴わぬせいだろう。親しく民の暮らしに触れれば、存外多くの事を学ぶに違いない。もっとも、あの誇り高き皇子が、市井の者と交わること自体、決してありはすまいが。
 誉王は、得られぬ肉親の愛のかわりに、地位と権力を求めたにすぎぬ。
 かつて、祁王にすがろうとしたあの頃の誉王を、すげなく遠ざけたのはほかでもない林殊である。祁王のもとで人並に兄弟の情を交わしていたら、誉王という男はこれほどまでに権力に執着しなかったのではないか。
 ならば自分のせいだ、と梅長蘇は思った。誉王をあんな男にしたのは、林殊だ。

 梅長蘇は今一度、長いため息を漏らした。
 早々に片をつけねばならぬ。
 『兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり』という。これ以上長引かせては、こちらのこうむる痛手も更に深くなるというものだ。
 明日はなんとしても言侯のもとへ赴こう、と梅長蘇は思った。
 己が次の皇帝として支持する皇子が、誉王ではなく靖王であると、今こそ言侯に明かすのだ。宿願を果たすまでの道のりの、既に半ばまでは達した。この先へ進むために、言侯父子の力添えはなんとしても必要だ。
 自分は、誉王の謀士ではないのだ。梅長蘇は改めて自分に言い聞かせた。
 そんなことは、はじめからわかっていたことだ。誉王の懐に入って見せたのは全て狂言、いずれ己のまことの立ち位置を、敵にも味方にも明かすつもりであったのだ。
 それが、今はこうもつらい。

 「鼈、人を食わんとして、却って人に食わる‥‥‥か」
 毒蛇の甘い毒に、自分はすでに侵されてしまっているのか。

 可笑しくて。
 背中を丸めて咳き込みながら、梅長蘇はひとり嗤った。 




   * * *



 ―――夏江との密談を終えて、誉王はため息をついた。
 火を焚いて尚、寒々とした部屋を見渡す。
 あれは夏が来る前のことであった。
 この別院で、梅長蘇と語り合った。
 もう初夏であったというのに、梅長蘇は夜気に震えていた。
 今の季節ならば、とてもここへ招くことはできぬなと、そんなことを考える自分が可笑しい。
 もう二度と、ここで笑いあうことなどないのだ。

 友ではなかった。
 己の独り相撲であったのだ。

 ほんの幾月かの間に、全ては変わり果てた。
 もう帰れはせぬのだ。あの頃に。
 (いや……)
 あの頃とて、あの男は肚の内で笑っていたのだ。有頂天になっていた自分を、嗤い、蔑んでいたに違いない。

 生涯で最も幸福な日々だと勘違いしていた自分が莫迦莫迦しくて、誉王はひとり笑った。
 確かにこの手につかんだと思ったものは、全て幻であったのだ。

 (手に入らぬのならば)
 誉王は遠い昔を思い起こした。
 そうだ、かつても同じことを思った。
 美しく聡明な兄。

 なぜだ。
 またしても景琰に出し抜かれた。
 自分と景琰の、何がそれほど違うのか。
 思い出したくなかった長兄の最期が、誉王の脳裏をよぎる。
 (わたしのものにならぬなら)
 いっそ消えてなくなるがいい。
 今度は景琰諸共に葬ってやる。金輪際、大切なものを奪われぬように。

 

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~ Comment ~

Re: NoTitle

過分のお褒め、恥ずかしいです(>_<)。

本筋からはあまり外れないようにしています。
原作小説はほとんど読めていないので、
基本的にドラマの設定と筋に沿って進めています。

本当に梅長蘇というキャラクターは愛されキャラですよね!!
それをまた胡歌さんが見事に演じきっていて。
このドラマに出会えたのは本当に幸せです♡
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