琅琊榜

毒蛇7 『进攻』 (『琅琊榜』 #18~22 補完) 

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『毒蛇』その7です。


 「そなたが庭を見たがったから連れて行ったものを」

 蘇宅での宴席から戻った誉王は、不機嫌さを隠しもしなかった。
 梅長蘇が余興にと催した宝探しの際に、般弱がうっかり飛流の宝箱を落として、かれの大事にしている木彫りの鷹の翼を折ってしまったのだ。
 相手は子供である。怒らせてはしまったが、木彫りの鷹そのものはべつだん高価でもなんでもない。誉王にとってさほど頓着すべきことではないのだ。
 但し。
 その折の般弱の目的が、宝さがし以外にあったとすれば、話はべつである。
 般弱の目論見は見え透いていた。
 「狙いは屋敷を探ることか。なぜ早く言わぬ」
 当然、梅長蘇も、いや、同席していた人々にも気づかれたはずである。
 般弱は神妙な面持ちながらも、言葉を返した。
 「この時機に景観を変えるという理由で庭を回収しますか?」
 探りを入れるべきは当然のことだと言いたげな般弱に、誉王はさらに苛立つ。
 「他に理由があって悪いか? 仕掛けを設けたとろで密室を造る程度だ。私兵を隠しているわけではあるまい」
 誉王はため息をついた。

 「純粋に祝うつもりだったが、これでは下心があったかのようだ。誤解されたぞ」
 本音である。
 誉王にとって梅長蘇は、かけがえのない謀士であり、初めて心を許せる友でもあった。
 梅長蘇にもまた、信頼してほしいと誉王は心底願っているのだ。
 二心なき思いを、どうやって示せばよいか、その術を誉王は知らない。これまで、友と呼べる者を持ったことがなかったためである。
 ただ、ひたすらに贈り物をし、大袈裟なまでに誉めそやすことでしか、誉王は己の友情を表すことができない。それでも、そうして心を表して見せることそのものが、誉王にとっては嬉しく清々しく、楽しかったのだ。
 招かれもせぬのにのこのこ出かけていった誉王を、梅長蘇は物腰柔らかに迎え入れてくれた。
 つい先日、闇砲坊の爆発事案に関してちょっとした言い争いはあったが、今日の梅長蘇はもう常と変わらず穏やかで、むしろこのまえの諍いの埋め合わせをしようとするかのように、優しく朗らかでさえあった。
 誉王は嬉しくて、舞い上がっていたのだ。

 それを。
 台無しにされてしまった。

 般弱はすこしうなだれた。
 「勝手な真似をいたしました。どうか罰を」
 内心、舌打ちする思いながらも、誉王は言った。
 「罰には及ばん」
 いまさら般弱を罰してどうなるというのだ。
 「余興を提案したのは梅長蘇だからな。今思えば、我らを試していたのかもしれん。私も早々に気づくべきだったな」
 あの優し気な顔の裏で、自分を試していたのかと思うと幾分腹立たしくもあり、寂しくもある。いまだ自分は『江左の梅郎』の信頼を勝ち得てはおらぬのかと、落胆せずにはいられない。

 誉王の物憂い表情をなんと受け止めたか、般弱もまた悄然とする。
 「殿下にはご迷惑をおかけしました」
 誉王は再び溜息をついた。
 「それで。・・・・・・何か突き止めたのか?」
 半ばお座成りな気分で、それでも少し声音を改めて誉王は尋ねた。結果を聞いてやらねば、般弱とて引っ込みがつくまい。
 般弱は目を上げた。
 「殿下の言う通り、密室の中に秘密の棚があり、重臣の詳細な資料が見つかりました。梅長蘇は琅琊閣のあの言葉がなくとも、都に乗り込む気だったかと」
 誉王は酒杯を空けて、うっすらと笑った。
 「当然だろう。琅琊閣の言葉には裏付けがある。野心と朝廷を掌握する才能があるからこそ、梅長蘇の名を出したのだ」
 「殿下の見識にはかないません。今後ともご指導ください」
 誉王はふっと微笑んだ。手を伸ばし、般弱の鼻先を指先でちょんと突く。
 「そなたも聡明ではないか」
 梅長蘇を知るまでは最も寵愛した、才色兼備の女謀士である。もとより手放す気などない。
 「視野を広めれば、わたしが指摘することもなくなる」
 梅長蘇と秦般弱。まさに両手に花とさえ言えるふたりの美しき謀士を、誉王はいかにしてもつなぎとめておきたいのだ。



   * * *




 「でも、あなただって怒っていたわ」
 霓凰の言葉に、梅長蘇は一瞬答えに窮した。
 景琰の前では梅長蘇でいるほうが気楽に画策できるのだと、嘯いた途端に霓凰がそう切り返したのだ。
 「何を?」
 事情を知らぬ蒙摯が、怪訝そうに尋ねる。
 「闇砲坊の爆発よ。靖王が林殊哥哥の策だと疑ったの」
 そう蒙摯に説明しながら、霓凰は梅長蘇へと視線を戻す。
 「私も腹が立った。あなたも内心不愉快だったはず。違う?」
 梅長蘇は幾分視線をさまよわせ、苦し気にため息をついた。
 哎呀、と蒙摯が嘆息した。
 「疑われれば怒って当然だ」
 蒙摯もまた、靖王に対して憤慨する姿勢を見せる。
 梅長蘇の中で、苛立ちがむくむくと頭をもたげた。
 「梅長蘇を疑って何が悪い」
 思わず、そう言い返していた。
 案じてくれるふたりに、どういうわけかひどく腹が立つ。
 霓凰の言う通り、あの日確かに、自分は不快な思いをした。悔しく、切なかった。
 だが、しかし。
 (そうだ。このわたしを景琰が疑ったとて何が悪いというのだ)

 あれから幾度も幾度も、そのことを反芻してきたのだ。
 なにがつらいものか。
 あれこそが、わたしの景琰ではないか、と。

 「―――帝位争いの道は険しい。少しでも躊躇すれば道を誤る。一歩謝るだけで大勢の命を巻き込むのだ」
 己も、景琰も、それぞれが慎重すぎるほどに慎重であらねばならぬ。互いが情に流されぬためにこそ、自分は景琰に告げぬのだ。自分こそが、林殊であると。
 朝も、昼も、夜も。己にそう言い聞かせてきた。納得させてきたのだ。それを、目の前の二人ときたら、いともたやすく突き崩そうとするのだ。

 さすがに霓凰は聡い。
 「・・・・・・あなたの心配はわかったわ。私も慎重になる」
 そう言って微笑さえして見せたが……。
 「靖王が知らなくても、あなたに嫌な思いはさせない」
 霓凰の不敵な笑みに、蒙摯もまた「没錯」と便乗した。
 「靖王が知らなくても、我らがお前を守る!」
 ふたりの言葉に、梅長蘇はやりきれない思いでうなだれた。



 その夜・・・・・・、いや、翌朝、まだ明けきらぬ時分のことである。
 夢を、見ていた。
 いつもの夢だ。梅嶺の。

 雪と、炎と、血と。

 「蘇哥哥。蘇哥哥―――蘇哥哥」

 飛流の声に、はっと目覚める。
 全身に、ぐっしょりと汗をかいていた。
 すぐには、いま自分がどこにいるのかさえわからなかった。
 「・・・・・・怎么了?」
 あえぎながら、やっとのことでそれだけを尋ねた。
 飛流は少し困ったような顔で、隠し扉を指さした。
 「戸を叩いてる」
 「戸を?」
 痺れたようにぼんやりしている頭を必死に動かして、梅長蘇はまだ喘ぎつつもようやく我に返った。
 「起こしてくれ」
 飛流の手にすがって身体を起こし、睡衣の上から慌てて部屋着を身に纏う。顔の汗をぬぐい、髪の乱れを撫でつけた。 身体の汗も拭いて着替えたかったが、客を待たせるわけにもいくまい。
 手燭を掲げて、書棚を左右に開くと、そこに景琰の姿があった。
 「蘇先生、お邪魔する」
 拱手した景琰に、梅長蘇もまた礼を返し、身振りで入るよう促す。
 「夜が明ける前から申し訳ない」
 非常識を詫びる景琰に、梅長蘇は座を勧めた。
 「わたしは眠りが浅いゆえ、お構いなく」
 夢見が悪かっただけに、いまだ身体は綿のように疲れている。ひどい顔色をしているだろうが、幸い部屋は薄暗い。それでも憔悴したさまを悟られはすまいか、と梅長蘇は気が気でなかった。
 が、景琰は目の前の謀士のようすなどまるで案じるふうもなく、早速本題を切り出した。
 「任務で西山営へ行く。夜明けに出発し、戻りは三日後になろう」
 ほっとしたような、がっかりしたような、なんともいえぬ気分で、梅長蘇はため息混じりに微笑んだ。
 「殿下の為に働くのが私の務めです。なんなりとお申し付けください」
 汗が、冷え始めていた。

 景琰は南楚からやってきた公主が、自分に嫁ぐことにならぬよう、謀士の知恵を借りに来たのである。
 そもそも此度の南楚の動きは、藺晨が手を回した結果である。景琰の為にならぬことには、とうに手を打ってある。
それでも、こうして朝早くから自分を頼ってきてくれたことは嬉しかった。
 とはいえ。
 (また風邪をひいてしまうやもしれぬな)
 汗の冷えた背中が寒かった。



   * * *




 般弱に肩を揉まれながら、誉王の気分は冴えない。
 「今後は頻繁に―――蘇宅を訪れるべきだな。替え玉を用意する前に―――相談するべきだった。今やこの有様だぞ」
 囚人のすり替えは見事に露見し、己は一夜にして吏部と刑部の尚書という大切な駒を失った。失った駒の代わりに打つ手すら、今の自分にはないのだ。

 『……何敬中の息子のこともしかり、猛大統領の減刑嘆願もしかり、そして、此度の闇炮坊のこともまたしかり。殿下はわたしに諮ることもなく、姑娘の意見をお容れになった』
 梅長蘇の、どこか恨みがましい言葉を思い出す。
 あれはまるで般弱への悋気のように聞こえたものであったが、実際、梅長蘇に諮らずに進めた手は、いずれも下策に違いなかった。挙句の果てに、梅長蘇の誘導にうまうまとはめられて、蘇宅を探るような真似までしたとあっては、
 (この程度の器であったかと、失望されても文句は言えまい)
と、誉王は頭を抱えたい思いである。
 般弱は、皇太子が再起出来ねば、その位は誉王のものになる、と慰めたが……。
 父皇には、まるでその気がないように見える。
 「景宣は簡単に皇太子となった。だが私にはこれほど難しい」
 自分が兄に劣るとは思えぬ。苛立ちが膨れ上がる。
 「大臣たちは皆わたしに傾くも、父上はどうだ? いつもつかず離れずではないか」

 思えば、幼いころからそうであったのだと、誉王は思う。
 生母を失い、皇后の手元に引き取られて、誉王は必死で自分を磨いたのだ。よるべなき身にとって、父と皇后だけが頼りであった。愚昧な皇子だと思われてはならぬ、英明でなければならぬと、自分に言い聞かせてきた。
 思いがけず手に入れた賢い子供を皇后は可愛がってもくれ、父もまたその聡明さを愛でてはくれた。
 何かにつけて誉王の才覚は高く評され、七珠親王の位も得た身である。
 しかし。

 なにかがおかしい。
 なにが、とは、誉王にもうまく説明がつかなかったが。

 

 そうこうする内に、誉王の身の回りにも幾分波風が立ち始めた。
 後宮では靖王の生母である静嬪が妃へと昇格され、皇太子は東宮へ戻された。戻されはしたが、いまだ禁足中という、なんとも曖昧な措置である。
 そこへもってきて、誉王自身には父皇からの聖旨が届いた。南楚の使節団の接待役を『朕に代わって』務めよというものである。
 父の腹が読めず、誉王は苛立ちを募らせた。
 般弱から、天子の代わりを務めさせるのは信頼の証であり、本来その役目を任ずるにふさわしい皇太子をさしおいて誉王にそれを命じたのは、皇帝がいまだ皇太子を許してはおらず、誉王が他の皇子よりも貴いことを表わしたのほかならぬと説かれ、いくぶん気持ちも和らいだが、やはり釈然とせぬ思いが、誉王の中に残った。
 梅長蘇に・・・・・・、尋ねてみたいと思った。答えなど得られずともよい、この悶々とした心の内を、聞いてもらいたかった。




   * * *




 早春の氷雨がそぼ降る中、霓凰が蘇宅を訪れた。
 雲南へ帰されるのだと、告げるために。
 南楚の動きに不安を募らせた皇帝が、南の衛りに霓凰を雲南へ戻さぬわけにいかぬと判断したのだ。ただし、弟の穆青は都へとどめると言う。無理もない話だ。なぜなら皇帝にとって、霓凰その人もまた、脅威と感じられるためである。
 雲南の地で絶大な信頼と尊敬を集め、南楚にさえ一目置かれる霓凰とその軍は、梁帝にとってもまた諸刃の剣となり得るのだ。
 雲南へ帰されることそのものは冷静に受け止めている霓凰の顔が、それでもどこか浮かない。
 「弟が心配なのだろう?」
 梅長蘇はそう言った。
 俯いていた霓凰が目を上げる。
 「わたしが守る。安心してくれ」
 霓凰の眸が潤んだ。
 祖母の残した玉牌を、梅長蘇に託す。弟は、これを持つ者に従うと。
 穆青が梅長蘇に従う。―――それは、穆青を守るためでもあり、また……。
 そうと知りながら、梅長蘇は気づかぬふりで、穆青は聡明だから、あまり未練を残さぬようにと、霓凰を慰めた。
 けれども、ついに霓凰は口にした。
 「弟にだけ未練があるのではない」
 梅長蘇の中の林殊が、目の前のいいなづけの涙に胸を熱くせざるをえない。
 「知道……」
 わかっているのだ。霓凰の気持ちは、痛いほどに。
 「本当ならあなたの手を取って、都から離れたい」
 霓凰はまっすぐに目を見てそう言った。
 「一緒に雲南へ行って、何にも縛られずに生きる。郡主や梅長蘇という立場は捨ててしまうの」
 強く聡明な霓凰の双眸が、このときばかりは夢見るようにけむった。
 「あなたは・・・・・・林殊哥哥よ・・・・・・」
 一瞬。
 堰を切ったかのように、梅長蘇の胸の内に思い出が溢れ出した。
 愛らしかった霓凰。
 花のように可憐で、よく笑い、女だてらにいつも自分についてきた。
 ―――林殊哥哥
 小鳥が囀るように、可愛らしい声でそう呼んで、あとを追ってきた。
 あの乙女に・・・・・・、自分はどれほどつらい思いをさせてきただろう。
 この十三年。
 そして、今、この瞬間にも。
 女の口から、このように掻き口説かせて。
 思わず、霓凰の身体を抱きしめた。
 妻となるはずだった女。
 いつもそばにいて守ってやりたいと思った、ただひとりの女性。
 「わたしもそんな日を望む。―――いつか林殊に戻れる日を」
 思いは同じなのだと、せめてそう言ってやることくらいしか、今の自分にはできぬのだ。
 自分に心を残しながら去っていく霓凰を、ただ黙って見送ることしかできぬ身が、恨めしかった。


 今はただ・・・・・・、粛々と計画を進めるだけだ。
 時は止まらない。

 次の標的はいよいよ寧国侯・謝玉だ。
 従弟にして、友である、簫景睿の誕生日の宴……。その日に向けて、宮羽を、宇文念を、そして誉王を・・・・・・、全ての者たちを、あるべき位置へと配してゆく。
 ようやく、始まるのだ。



   * * *



 気が気ではなかった。
 寧国侯府の中はいま一体どうなっているのか。
 般弱が皮商人から耳にしたという噂―――、謝玉の妻・莅陽長公主が、嫁ぐ前に南楚の皇子と懇ろになり、こともあろうに子を孕んだまま嫁いだのではないかという話を、梅長蘇に知らせたのはほかならぬ自分である。
 そして、般弱の営む紅袖招に、手負いの身で転がり込んだ宮羽の話もまた。その昔、宮羽の父が、謝玉の命を受けて、長公主の産んだ子供を亡き者にしようとし、誤って卓鼎風の子を殺したのだというそれも、誉王はすべて梅長蘇に告げた。
 梅長蘇はそれらの情報を、瞬く間にひとつの戯曲として頭の中で組み立て直した。
 簫景睿の誕生日の宴。
 この日に、すべてが暴かれる。

 二十五年前の今日起こったことが、いま、目の前の屋敷の内で、暴露されているに違いないのだ。
 今宵こそ、皇太子の懐刀である謝玉を倒せるのだ。それは、誉王にとって望むところであったが。
 (蘇先生は大丈夫なのか)
 春は身体が怠いらしいと、黎綱から聞いた。
 旧悪を暴かれた謝玉が、梅長蘇に牙をむきはせぬのか。梅長蘇のことだ、それらは見越して、万全の備えはあろうが。
 心落ち着かぬ誉王の目の前で、物々しい装備の一群が現れ、寧国侯府の門前を固めた。巡防営である。誉王は舌打ちした。
 巡防営に阻まれたのでは、迂闊に謝玉邸へ踏み込めぬ。これでは謝玉の息の根を止めるどころか、梅長蘇の危難に駆けつけることさえできぬ。
 やがて、救いの狼煙が夜空に花を咲かせた。懸鏡司の使う狼煙―――、屋敷の中から夏冬が打ち上げたものだ。これで、屋敷へ押し入る口実ができたとばかりに、誉王はおのが軍を静かに進めた。




 謝玉邸は、惨憺たる有様だった。
 たった数名で、一品軍侯の私兵にこれだけ甚大な被害を与えるとは……と、誉王は舌を巻き、それから素早くあたりへ視線を巡らせた。
 戦場と化した庭園に、ほっそりと儚げな姿が、そこだけ月明かりにぼんやりと浮かび上がって見えた。
 「蘇先生」
 池にかかった石橋の欄干によりかかるようにして、その人は悄然と立っていた。
 疲れ果てた姿が、誉王の胸を締め付ける。
 もっと早く邸内に乗り込めていたなら、梅長蘇をこれほど疲れさせずにすんだのだ。謝玉と巡防衛の頑なな抵抗に遭って、ひどく手間取ってしまった。覚悟を決めた叔母の協力がなくば、どうなっていたかと冷や汗が出る。
 叔母と景睿、卓一家らの愁嘆場を、少し離れて見守る梅長蘇は、今にも倒れそうに見えた。
 そばにいて支えてやりたかったが、事態の収拾にあたるのでいっぱいいっぱいで、ひとしきり部下らに指示を終えて、ようやく誉王は梅長蘇に声をかけることができた。
 「ご苦労だった。邸まで送ろう」
 謝玉邸の門を出てきた梅長蘇は、足取りさえおぼつかぬさまで、飛流に支えられながらやっと歩いているといった塩梅だ。
 それでも、梅長蘇は誉王の申し出をやんわりと退けた。
 「お構いなく」
 自分は蒙摯に余計な疑いを持たせぬよう弁明するゆえ、殿下は事の対応に当たるように、と言い含められ、誉王は従わざるをえない。麒麟の才子の言うことに間違いはないのだ。現に、今宵はこうして、素晴らしい成果を上げてくれた。これほどまでに疲労困憊しながら。
 誉王は梅長蘇をねぎらってから、その場を離れた。

 
 誉王府に帰りついても、いまだ興奮が冷めやらぬ。
 「見事だ。麒麟の才子だけある」
 迎えに出た般弱に、意気揚々とそう話した。 
 「今夜は大勝だぞ。謝玉を失った皇太子など、牙を失った虎も同然だ」
 「恭喜、殿下」
 般弱は慎ましやかに軽く膝を折って、頭を下げた。

 誉王は有頂天になっていた。なってはいたが―――。
 ふと。
 「般弱」
 真顔になって、般弱に問う。

 「―――蒙摯と梅長蘇の間柄は特別だと思わぬか?」

 般弱が怪訝そうに首をひねる。
 「蒙大統領が邸宅を勧めたこと以外は、……何も感じませんが」
 慎重にそう答えた般弱に、誉王もしばし考えつつうなづいた。
 「わたしの考えすぎか」

 正直、なぜそんな考えが浮かんだものか、自分でもよくわからなかったのだ。
 (少しばかり、妬けただけやもしれぬ)
 そう思って誉王は自分で自分が可笑しくなった。邸の外で自分がじりじり気を揉んでいた頃、蒙摯は梅長蘇のそばにいて、おそらくその身を守ったのかと思うと、少々面白くなかったのだ。
 そのうえ、送って行くと言ったのを梅長蘇に断られた。梅長蘇はあれからまだ、蒙摯と話をすると言っていた。だが、それも皆、この自分のためにしてくれることだ。立っているのもやっとなほどに疲れた身体で、まだ骨折りしてくれようというのだ。有り難く思いこそすれ、面白くないなどと思ってはばちが当たろうというものだ。
 誉王は口辺に笑みを浮かべた。
 あれほど尽くしてくれる梅長蘇を、なんとしてねぎらったものか。
 早々に事を片付けて、蘇宅を訪れねばならぬ、と心浮き立つ思いで誉王は私房へと足を向けた。


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