琅琊榜

胡枝子 (『琅琊榜』 #1以前 補完)

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まだ出会って間もない頃の、宗主と飛流です。

 風邪をこじらせて寝付いてから、もう六日目になる。
 江左盟の宗主が聞いてあきれる、と梅長蘇は自嘲した。
 月のうち、まともに動ける日など数えるほどしかありはしない。
 私房の褥に横たわって、半ばひらかれた障子の向こうに、遠く近く聳える山並みを眺める日々ばかりが続く。

 「飛流」
 声を張ったつもりだったが、出たのはかすれた弱々しいそれで、途端に咳き込む羽目になった。
 それでもどこからともなく現れた子供が、軒先から逆さまにぶら下がって、部屋を覗きこむ。
 褥に俯せて咳き込む梅長蘇を、すこし不思議そうに眺めた。
 梅長蘇は身体を起こして手招きする。
 「过来」
 子供は素直に軒から降りて、膝で廊下へ上がった。
 「鞋を脱いでこちらへおいで」
 そう声をかけると、足から鞋を引き抜き、庭へぽんぽんと放り投げて、子供は部屋に入ってきた。
 何をして遊んできたものか、顔も体も泥だらけになっている。梅長蘇は笑って、その顔へ手を伸ばした。びくん、と子供は身をこわばらせたが、逃げはしない。睡衣の袖口で子供の顔を拭ってやる。
 「蘇哥哥」
 子供がどこか舌足らずな口調で言った。
 近頃やっと、そう呼んでくれるようになったのだ。
 子供の眸は、いくぶん虚ろだ。
 「いい子にしているか?」
 「……啊」
 子供がそう答えた途端。
 「何が『いい子』だ!」
 どかどかと足音がして、梅長蘇は溜息をついた。
 「藺晨……」
 藺晨が衣を手に部屋へ入ってくると、子供はまるで体中の毛を逆立てるような様子で梅長蘇にしがみついてきた。
 「着替えろと言っているのに、まるで言うことをきかん」
 仁王立ちになった藺晨に、梅長蘇が苦笑を向ける。
 「でも、顔は綺麗になっただろう?」
 「ん? ああ……」
 藺晨は少し顎を上げて二人を睥睨する。そして、梅長蘇の袖口の汚れに目を留めた。
 「お前まで袖を汚してどうする」
 「しかたあるまい。手近に手巾が見つからなかった」
 肩をすくめて見せると、藺晨は大袈裟に溜息をついた。
 「相変わらず大雑把なやつだ」
 それには答えず、梅長蘇は子供の髪を撫でつけてやる。
 「飛流。藺晨哥哥のいうことをきいて、着替えをするんだ」
 顔を近づけてそう言うと、飛流は少し口をとがらせたが、しぶしぶ頷いた。
 「……うん」
 藺晨が呆れたように前髪をかきあげる。
 「おまえの言うことしか聞かんのだから、手に負えぬ」
 梅長蘇は笑った。
 「それでも藺晨、おまえと一緒にいるときの飛流は、嬉しそうだ」
 「どこが!?」
 即座に藺晨が異議を唱えたが。
 「目が、生き生きしている」
 笑って梅長蘇はそう言った。本当にそうなのだから、しかたがない。
 藺晨は不服そうに口を曲げたが、すぐに顎を上げてにやりとした。
 「長蘇、次はおまえだ。ついでに身体も拭いてやるから待ってろ」
 そう言いおいて、藺晨はまたどかどかと廊下を去って行った。




   * * *




 「蘇哥哥が好きか?」
 どういうわけか、梅長蘇はこの質問を日に幾度となく繰り返してしまう。
 飛流は、怪訝な面持ちで首を傾げるばかりだ。
 この子に、好きや嫌いは難しすぎるのだと、梅長蘇は合点している。好きも嫌いもない、戦うだけのからくり人形として身体のみを育てられた子供である。怪しげな薬と術で縛られて、飛流の心はもう長いこと、閉じ込められたままだったのだから。
 「尋ね方が悪かったな」
 梅長蘇は微笑んだ。
 「ここと、前にいたところと、どちらが気持ちいい?」
 そう尋ねた途端、飛流の顔色が変わった。
 しまった、と梅長蘇が悔いる間もない。
 「不得!!」
 そう叫ぶなり、飛流は梅長蘇の胸に身体を投げ出してきた。勢い余った子供の身体を、もとより支え切れるだけの力のない梅長蘇である。ふたりして褥にひっくり返る羽目になった。
 「・・・・・・不得?」
 しがみついている飛流の身体が、小さく震えていた。
 「・・・・・・不行。戻したら駄目だ」
 涙声に驚いて、子供の顔を覗き込むと、既に涙でぐしゃぐしゃになっている。
 言葉足らずで要領を得ないが、『もといたところへ、戻さないでくれ』と、飛流はそう訴えているのだ。
 出会ってからこの子が見せた、初めての強い意思表示である。

 梅長蘇は半ば狼狽えて、己の心無い問いを愧じた。
 「好啦・・・…。是个好孩子」
 飛流の頭を撫でてやりながら、宥めることしか出来ない。

 好きと言わせて、どうするつもりだったというのか。梅長蘇は己が情けなくなる。

 自信を、失いかけていたのだ。

 思うに任せぬこの身体。
 日々の営みさえまともに送れぬひ弱な身体で、この先悲願を成就できるのか。

 変わり果てたこの姿。
 かつて慣れ親しんだ人々にさえ、もはやそうと見分けてさえもらえまい。

 心細くて、ならなかったのだ。

 いま、ここにある己は誰だ。
 林殊では、すでにない。
 この、梅長蘇という怨念の塊を、自分自身どこかで認められずにいる。

 だから。
 誰かに、認めてほしかったのかもしれない。
 この、まるで生まれたばかりのような無垢な心を持った子供から、偽りのない、親愛の情をささげてほしかったのだ。

 「蘇哥哥が悪かった。どこにもやらないから」
 「・・・・・・真的吗?」
 不安そうに、飛流が顔を上げた。その顔の涙を、着替えたばかりの睡衣の袖で拭ってやる。
 「おまえが好きなだけ、ここにいればいい」
 「ずっと蘇哥哥といていい?」
 「・・・・・・」
 梅長蘇は言葉に窮した。
 「・・・・・・蘇哥哥と、いたいか?」
 「嗯!」

 思わず。

 梅長蘇は両腕を回して子供の身体を抱きしめていた。
 「蘇哥哥?」

 ずっとそばにいてほしいのは、むしろ自分のほうなのだと、梅長蘇は決して言えなかった。言葉にして、この子を縛ることはできない。
 この子はもう充分に、縛られてきたのだ。
 これからは自由にさせてやりたい。身も、心も。

 梅長蘇は手を緩め、子供の身体をそっと押し上げた。
 「飛流」
 穏やかに、微笑んで見せる。
 「そろそろ降りてもらえると助かるな。蘇哥哥は力持ちではないから」
 「あ」
 子供は目を瞬いて、のそりと梅長蘇の腹の上から降りた。
 そして、手を差し出す。
 「・・・・・・」
 梅長蘇は、その手を眺めた。

 まだ梅長蘇のそれよりもだいぶ小さな、少年の手だ。
 この手がたやすく武器を操り、平気で人を傷つけ、殺めてきた。

 仰向けに転がったままの梅長蘇に、飛流は小首を傾げている。
 「蘇哥哥」
 うながされて、梅長蘇はようやくその手をとって、体を起こした。

 「飛流」
 梅長蘇は飛流の手をそっと放した。
 「庭の胡枝子の花が見ごろなはず。幾枝かとっておいで」
 「胡枝子?」
 ああ、花の名も、おいおい教えてやらねばならぬなと梅長蘇は思った。手振りで花の形や枝ぶりを示してやる。
 「紫色の、これくらいの花が沢山咲いて、枝が垂れているから、行けばすぐにわかる」
 「・・・・・・うん」
 飛流は返事をするなり、廊下から軽やかに外へ飛び出していった。

 あの手に似合うのは、人の血ではない。
 生き生きと、今を盛りの花こそが。

 これから自分は、あの子といくつの季節を迎えることができるだろう。
 春には春の、夏には夏の、それぞれの季節の営みを、あの子に教えてやりたい。

 「蘇哥哥のそばに、いてくれるのか?」
 小さく、つぶやいてみる。
 
 己に残された時を、共に過ごしてくれるだろうか。
 夕暮れの風に、梅長蘇は少し身震いした。

 やがて、軒先に飛流の顔がひょいとぶら下がった。
 片腕にいっぱい、紫色の小花をつけた枝を抱えて。
 「おかえり、飛流」
 微笑んだ梅長蘇に、あどけない満面の笑みが返ってきた―――。


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