琅琊榜

实心4 (『琅琊榜』 #26)

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相変わらずな感じですw

 蕭景睿が、金陵を去った。
 景睿と豫津の別れを目の当たりにして、若者たちの友情に梅長蘇は胸を打たれた。
 己にも、若き日はあったのだ。
 景琰との日々が、永遠に続くと思っていた。今日と同じ朝日が、明日も明後日もお同じように昇って自分たちを照らしてくれると信じていた。
 景琰は東海へ旅立ち、自分もまた大渝との国境へと向う。しかし、遅くとも数か月先には、東海の真珠を手土産にした景琰と再会を果たすはずだったのだ。
 あの頃信じていたものは、何もかも全て潰え去った。名も姿も変えたこの身は、もはや林殊とは呼べぬ。
 景琰は、―――気づきはすまい。『翔地記』を見ても。
 己の字は、かつてとは似ても似つかぬ。景琰の知る林殊は、既にこの世に亡いのだ。
 (気づいてなどもらえはせぬ)
 そう自分に言い聞かせた。
 いや、気づかれては困るのだ。だが。
 心の奥底で、気づいてほしいと願っている自分に、梅長蘇は腹を立てた。何を甘えたことを、と己を戒める。
 机に向かい、紙を広げた。筆をとって、梅長蘇は文字を書いた。林殊の、筆跡で。
 一文字、一文字、力を込めた。それでも、文字にかつての勢いはなく、ほんの数行で疲れ果ててしまう。
 くしゃっ、と紙を丸めた。やはり、林殊はもうおらぬ。
 筆が転げ、拭き清められていた机の上を、墨が点々と汚した。
 澄み切っていた林殊の心にも、今では黒い滲みが黒々と影を落とし、やがてはその滲みに覆いつくされるだろう。こんな男が林殊だなどと、決して知られてはならぬのだ。
 机の上で握りつぶした紙の上へ額を押し付け、梅長蘇は声を殺して泣いた。


   * * *


 父皇の誕生日の宴が、間近に迫っている。
 今年はこれまでとは違う。自分は既に、親王の特権を持っているのだ。あとは冊封を待つばかりの身である。それだけに、父への礼品選びには注意を払わねばならない。その手の気働きが苦手な景琰にかわって、梅長蘇が引き受けてくれた。
 「その弓が何か?」
 そう声をかけられて、景琰はふと我に返る。
 手にした大弓から、梅長蘇へと視線を移した。
 「―――いや。よい弓だと思ってな」
 「ええ、見事な。陛下への礼品にするにはふさわしいかと」
 「‥‥‥うむ」
 頷きはしたが、内心は惜しい。その気持ちを見透かしたかのように、梅長蘇が笑った。
 「とはいえ、畏れながら宮中の奥で飾っておくには勿体のうございますね」
 景琰も苦笑いする。
 「まことにな。戦場でこそ、この弓の値打が出るというものだ」
 ふと笑いをおさめた景琰に、梅長蘇が怪訝そうに首をかしげた。
 「どうかなさいましたか」
 「‥‥‥亡き友の、好みそうな弓だと思ってな」
 つくづくと、弓を眺めて景琰は答えた。
 威力もありそうだが、その拵えも林殊が喜んで手に入れたがりそうなものだ。
 「―――」
 梅長蘇は黙っている。林殊を知らぬのだから、無理もなかろう。
 少し悔しかった。林殊は景琰にとって自慢の友だ。林殊の美点は、言葉では説明しきれぬ。この人を食ったような謀士に、わが友がいかに素晴らしかったか、言い表せぬことがもどかしかった。
 「小殊の腕ならば、この強弓をさぞ易々と操ろうにな」
 この弓は、林殊にこそふさわしい。こんな謀に使うべきものではないのだ。そう思うと、悲しかった。
 「‥‥‥さようでございますか」 
 うなだれた梅長蘇の声がどこか弱々しく、景琰ははっとした。折角、梅長蘇が骨折りしてくれたものを。
 少しうろたえて、景琰はふと口にした。
 「―――引いてみぬか」
 「え?」
 たまたまの思いつきであった。他意はない。
 梅長蘇が武功を持たぬはわかっている。ただ、なんとなく見てみたかっただけだ。この男が弓を引く姿を。
 勘は悪くないはずである。現に、あの傷を負ったとき、梅長蘇の放った石礫は過たずに刺客の弓手を打ったという。
 知力と言い、胆力と言い、武人であればさぞ使える男であったろうにと思う。
 しかし。
 「滅相な。わたしは不調法にて、武芸はまるで嗜みませぬ‥‥‥」
 そう言って固辞しようとした梅長蘇は、なぜかひどく狼狽した様子だった。
 「いや―――、この大弓はその細腕ではさすがに扱えまいが‥‥‥」
 そう苦笑いして、景琰は控えていた戦英を振り返る。
 「蘇先生が使えそうなものを見繕って参れ。―――先生はこちらへ」
 夕暮れの迫る庭へと二人が降りる間に、戦英はすぐさま華奢な作りの弓を携えて戻ってきた。父皇へ贈る品と比べれば、いかにも子供だましだ。
 渋る梅長蘇の手に、弓矢を持たせる。
 梅長蘇は、しかたなさそうに矢をつがえた。やはり一通りの作法は心得ているようだ。手つきも悪くない。動きや姿勢の全てが、道理にかなっている。―――が。
 「もそっとこう、強く引けぬか」
 筋が悪くないだけに、力の足りぬのが歯がゆく見える。景琰は梅長蘇の腕に手を添えた。
 そして気づく。薄い肉が、小さく震えるほど極限まで張りつめいることに。―――力を惜しんでいるのではない。これが精一杯なのだと知った。
 梅長蘇の指が緊張に耐えきれず矢を放つと、矢はふらふらと飛んで、すぐそこへぽとっと落ちた。
 しばし、二人は落ちた矢を声もなく見ていた―――。
 「‥‥‥申し訳ありません」
 梅長蘇が、細い声で詫びる。
 「いや、わたしこそ無理強いをしてすまぬ」
 梅長蘇が決して手を抜いたわけではないのは、よくよくわかった。有らん限りの力を、確かに振り絞ったのだ。額に汗が浮かび、息が上がっている。
 「―――少し休まれよ」
 「‥‥‥大事ありません」
 そうは見えぬ。
 梅長蘇は真っ青になっていた。具合が悪いというよりは、ひどく心が傷ついた様子だ。
 「どうしたというのだ」
 景琰は困惑した。
 「‥‥‥なんでもありません。自分が、情けないだけです。これしきの弓すら、満足に引けぬとは―――」
 可哀想なことをしたと悔やんだが、もう遅い。梅長蘇の自尊心を、いたく傷つけてしまった。
 「そなたは武人ではないのだ。そう気を落とすこともあるまい」
 そう慰めた。
 「わかっています。―――ですからほんとうに、なんでも‥‥‥」
 梅長蘇は、微笑んだが、いつもの完璧な微笑にはほど遠い。むしろ泣いているようにさえ見える。
 そこまで悲しむことだろうかと、思う。
 「‥‥‥これでは、わたしがよほどひどいことをしたかのようだ」
 つい、憮然としてしまう。すると、梅長蘇が少し慌てた。
 「殿下のせいではありません。お許しください」
 「いちいち謝るな!」
 かっとして、景琰は声を荒げた。
 「すみま‥‥‥、是―――」
 梅長蘇が、萎れた。
 (また―――)
と思う。
 なぜいつも、こうなるのだろう。
 やりきれなさで、胸がいっぱいになる。
 景琰は荒く息を吐き、梅長蘇をおいて部屋へ上がった。


   * * *


 景琰は。
 こんな怒りっぽい男ではなかった。
 頑固ではあったが、日頃はむしろ、どちらかといえば愚鈍に見えるほど鷹揚で、優しい友であった。
 歳月は、人を変える。
 十二年たって再会した景琰は、常にぴりぴりとして全身の毛を逆立ててでもいるかのようだ。殊に、梅長蘇に対しては、ひどく気が短い。
 それほどまでに、この長い月日は景琰にとっても重いものであったのだ。そうとわかってはいたが。
 景琰のあとについて部屋へ戻りながら、梅長蘇は悄然としていた。
 ―――打ちのめされた気分だった。
 自分は既に林殊ではないと、とうにそう割り切っていたはずなのに。こうもはっきり思い知らされると惨めでならない。
 こんなふうに萎れていては、景琰が気を悪くするのも道理だ。
 ―――なんでもないことではないか。そう思おうとするのに、まるで駄目だ。
 あんな情けない姿を景琰に見られるなど、消え入りたいほど辛かった。
 「蘇先生。いい加減に機嫌を直してはどうなのだ。これではわたしがいたたまれぬ」
 景琰がたまりかねて、苦々し気に言った。
 「機嫌を損ねてなどおりません‥‥‥。殿下の思い過ごしです」
 自分は、梅長蘇である。弓など引けずとも不思議はない。みっともない姿を景琰に見られたからとて、林殊の恥であるものか。
 梅長蘇は懸命に微笑を浮かべたが、景琰は忌々しそうに眉を寄せた。
 「―――もうよい」
 吐き捨てるようにそう言うと、景琰は手にしていた茶杯を乱暴に置いた。
 「殿下。お怒りなきよう。わたしが、悪うございました」
 「謝るなと言っているのだ!」
 景琰の手が、膳の上の茶杯を払いのけた。
 がちゃん、と大きな音を立て、茶杯は柱に当たって砕けた―――。
 「―――!」
 欠片が飛び散り、梅長蘇の頬に微かな痛みが走る。
 思わず、指で頬に触れた。
 指先を、わずかながら紅い血が染める。
 はっと、景琰の顔色が変わった。
 「蘇先生! すまぬ。大事ないか―――」
 慌てて景琰は、膝を寄せてきた。
 「血が―――」
 頬の傷に触れようとする景琰の長い指から、梅長蘇は思わず顔をそむけた。
 刹那。
 景琰の顔にまた、怒りがのぼるのを梅長蘇は感じた―――。
 ああ!と思う。
 また、怒らせてしまった。
 梅長蘇が景琰に好かれる必要はないが、これほどに互いの心がすれ違っては、成せる大事も成せはせぬ。
 麒麟の才子と呼ばれたこの自分が、己と景琰との間合いだけは測り損ねてばかりだ。
 迸る景琰の怒りの波に、梅長蘇はまたしても飲み込まれていった。


   * * *


 夜には、虫のすだく声が聞こえる季節になっていた。
 虫の音に隠れて押し殺したような咳が、回廊の向こうから聞こえる。雑務を片付けてすっかり遅くなった戦英は、目をすがめた。
 「蘇先生?」
 星明りの下、烈戦英は足早にそちらへ向かう。 
 「―――列将軍」
 回廊の片隅に座り込んでいた梅長蘇が、夜目にも白い顔を上げた。
 「大丈夫ですか」
 その薄い背を、さすってやる。
 「ご心配には及びません。すこし、外の風に当たりにきたまでのこと」
 病弱な梅長蘇に限って、それはあるまいと戦英は思った。梅長蘇は寒症を患っている。真夏でさえ、風に当たれば身をすくめるほどの弱々しさだ。この季節に、寝間着のままで夜風に当たりに出るなど、本来ならばありえまい。
 今宵、梅長蘇は蘇宅へは戻らなかった。戻れなかった、のである。戦英自身が、そう黎綱に知らせにいった。
 「―――申し訳ありません」
と、戦英は梅長蘇に詫びた。
 「常は沈着で、思いやりのあるかたなのですが」
 主を庇うわけではない。ほんとうにそうなのだ。靖王府の者は皆、景琰を慕っている。
 「存じています」
 そう言って、梅長蘇は微笑んだ。目の下に、うっすら蒼い隈が浮いている。
 情事のあとのただならぬ色香に、無骨一辺倒の戦英でさえ鳥肌の立つ思いだ。蒼白い頬についた、ほんの小さな傷までもが、どことなく艶めいて見えるのである。
 「‥‥‥どういうわけか、蘇先生には‥‥‥」
 なんと言い訳したものかと、戦英は梅長蘇から目を逸らせながら溜息をついた。
 「それでよいのです、将軍。わたしのような生業の者をお嫌いになる殿下であればこそ、わたしは信じてついてまいれるのですから‥‥‥」
 そう言って、今一度微笑もうとした梅長蘇が、また咳き込む。 
 「しっかりなさいませ、蘇先生」
 思わずその身体を支えると、梅長蘇は口許を手巾で押さえながら、もう一方の掌を向けてくる。
 「なんでも‥‥‥、なんでも、ありません」
 その言葉とは裏腹に、咳はすぐにはおさまらず、白い手巾がみるみる赤く染まった。戦英は慌てた。
 「蘇先生、部屋へ。すぐに晏太夫をお呼びしますゆえ」
 狼狽えた戦英の腕に、梅長蘇がすがってきた。
 「将軍、どうか、―――どうかお騒ぎくださいますな」
 「しかし‥‥‥」
 血を吐くなど、ただごとではなかろうに。
 「持病なのです。大事ありませぬ」
 梅長蘇が、笑みを浮かべる。
 「まことにもう、‥‥‥おさまりましたゆえ」
 息を調えながら、梅長蘇は手巾を畳んで袂へ入れた。咳は確かに、おさまったようだ。
 「‥‥‥戻ります。殿下がお目覚めになったときにわたしがおらぬのでは、またご機嫌を損ねましょう」
 苦笑いして回廊の手すりにすがって立ち上がった梅長蘇は、もうなにごともなかったかのように歩き出す。
 「蘇先生‥‥‥」
 引き留めることは、できなかった。主と梅長蘇の間に、口を挟むべきではない。なぜかそんな気がするのだ。
 梅長蘇の細い影が二、三度よろめくのを、ただ気を揉みながら見守ることしか、戦英にはできなかった。






 
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