琅琊榜

蝉蜕27 (『琅琊榜』 #54以降)

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今日、ツイッターで、藺晨にお母さんはいるのか?という話題になり、
意外と生きてるのかも!?って気がしてきたので書いてみることにwww


 信鴿の赤い足から外した小さな書簡を見た途端、藺晨の顔色が変わった。
 「どうかしたのか」
 長蘇の問いに、藺晨が口にした「没什么」は、途中で弱くなって最後までは聞こえなかった。
 「なにかよくない知らせでも?」
 藺晨の案じ顔が、長蘇までも不安にさせる。
 と、その時。
 「どうした?」
 背後で声がして、藺晨の手からひょいと書簡が取り上げられた。
 「爹!」
 長蘇と藺晨が振り返ったときには、既に老閣主の顔色も変わっていた。
 「爹‥‥‥」
 藺晨がなにか言うより早く、老閣主はその紙切れを息子に押し戻した。
 「わたしは梅嶺へ帰る」
 その言葉に、藺晨が眉を寄せる。
 「自分だけ逃げると?」
 「うるさい。わたしにとってはかかわり合いのないことだ」
 「你っ‥‥‥」
 藺晨が柳眉を逆立てるのを無視して、老閣主は長蘇に向き直った。
 「長蘇どの。また近いうちに来るゆえ、赤子共々身をいとうてな」
 「はあ‥‥‥」
 父子の間で交わされていた会話の意味が分からず、長蘇はさすがに心許なくなる。藺晨は自分になんでも打ち明けてくれるが、まだ知らぬこともあったのかと。
 「小晨。くれぐれも長蘇どのと小麟を守るのだぞ」
 「‥‥‥爹。どの口が‥‥‥」
 藺晨が言い募る暇も有らばこそ、老閣主は既に雲を霞とその場をあとにしていた。


   * * *


 「七度目ですよ、大統領」
 茶杯を差し出しながら、高湛がそっと蒙摯に耳打ちするのを、景琰は知らぬ振りで見過ごしてやったのだが。
 「は?」
 当の蒙摯は意味がわからなかったと見えて、頓狂な声をあげた。
 「溜め息の数だ。そうであろう、公公?」
 景琰がそう言うと、老太監は控えめに「是」と頷いた。
 「哎呀ー。さほどに溜め息をついておりましたか」
 景琰は苦笑して「盛大にな」と答えた。
 景琰も気づかぬわけではなかったのだ。実を言うと、蒙摯は北の国境より凱旋してこのかた、ずっとこの調子である。そのわけも、おおよそ察しはついていた。
 林殊在京中、蒙摯は足しげく蘇宅へ通っていた。しかし、その蘇宅には既に主無く、蒙摯も宮中と蒙府を行き来するだけの日々である。
 「退屈そうだな」
 「まさか」
と蒙摯は首を振った。
 「禁軍を預かり、粉骨砕身お仕えしておるこの蒙摯が、退屈などとは滅相もない」
 「これは失敬。言葉が悪かった」
 景琰が肩をすくめつつも詫びの言葉を口にすると、蒙摯は慌てて手を振った。
 「や、さようなことは」
 真剣な顔で、蒙摯は答えた。そして、少し肩を落とす。
 「退屈はいたしておりませんが、―――いささか気が抜け申した」
 蒙摯の言葉に、景琰は苦笑いした。
 景琰とて、同じであったのだ。
 梅長蘇と出会ってからというもの、まるで嵐のなかに放り込まれたように目まぐるしかった。かの者の巻き起こした風雲に、身も心も揉みくちゃにされて、あれよあれよという間に時が過ぎたのである。
 その嵐が、梅長蘇と共に去ってしまったかのような。なんとも言えぬ虚脱感がある。
 「小殊に振り回され過ぎたか」
 景琰が苦笑混じりにそう言うと、蒙摯がまたひとつ溜め息をつきかけ、あっと口を押さえた。
 「‥‥‥蘇宅の前を通る度に、往時が偲ばれてならぬのです」
 「前を通る度?」
 景琰は真面目腐った表情で、眉だけを上げて蒙摯の顔を覗きこんだ。蒙摯は少々狼狽する。
 「いや、たまにはその、‥‥‥塀を越えて中の様子をですな‥‥‥」
 ぷっと景琰は笑った。高湛も袖で口許を押さえている。蒙摯は顔を赤くした。
 「たまにですぞ。ふと懐かしくなって、覗いてみることもあるというだけで」
 「わかったわかった。咎めてはおらぬ。何も禁足地というわけではないのだ」
 「はあ」
 口ひげを掻く蒙摯に、景琰はまた肩をすくめる。
 「小殊がおらぬと、つまらぬか」
 心持ちひそめたその声に、蒙摯もいくぶんうなだれる。
 「―――さようで、ございますな‥‥‥」
 そのさまを見て、景琰は軽く眉を寄せ、目をすがめた。
 「さぞ楽しかったのであろうな、郡主や衛崢、聂锋、夏冬まで一緒になって、さまざま企てたのであろう?」
 「え、それはその」
 蒙摯がまたしてもうろたえる。
 「わたしだけを蚊帳の外において」
 景琰は少しばかり蒙摯を睨んだ。蒙摯は足を踏み鳴らして溜息をこぼす。
 「わたしを責めていただいては困ります、殿下。わたしは散々小殊に申しましたとも。殿下に打ち明けてしまえと」
 いかにもこちらの味方のようなことを言う。景琰は顎を上げた。
 「‥‥‥小殊を随分困らせたのであろうな、そなたは」
 武骨で鈍感なところのある蒙摯に、林殊はさぞ手を焼いたはずである。可哀想に、と思う。
 なぜもっと早く打ち明けてくれなんだのかという林殊への恨めしさと、ひた隠しに隠していた林殊を困らせたであろう蒙摯への腹立たしさ。その矛盾するふたつを、景琰はもてあましている。
 「殿下、どうかご勘弁を」
 困り果てて蒙摯が弱音を吐く。武芸においてはこの金陵で向かうところ敵なしの蒙摯が、情には脆い。忠や義が、この男の強みでもあり、泣き所でもある。
 景琰は苦笑した。
 「冗談だ。そなたも苦しい立場であったろう」
 「それはもう」
 ほっとしたように蒙摯がそう言った。
 「お察しいただき、感謝いたします」
 そう詫びて、蒙摯はまたひとつ溜息をついた。
 その様子に、景琰はふと思ったのだ。
 「そなたがその調子ならば、郡主もさぞ気落ちしたままであろうな」

 林殊が生きていることを、―――霓凰はまだ知らぬはずだ。
 ―――『亡き友の妻』。
 景琰は霓凰のことをそう心得ていた。
 公に夫婦の杯を交わしたわけでもなく、恐らくは男女の契りも結んではおるまい。それでも、林殊の妻は霓凰をおいてほかにない。
 「いかに武人とはいえ、郡主もおなごには違いない。夫を喪い、いまだ心の傷は癒えまい」
 自分とて、つい先ごろまで林殊は北の地で果てたと思い込んでいた。生き切った友に恥じぬよう努めねばと思う一方で、どうにも遣り切れぬ寂しさから逃れられなかったのだ。
 ましてや、妻になるはずであった霓凰は。
 「さあ、それが」
と、蒙摯が言う。
 「なんだ?」
 「せんだってお目にかかりましたが、郡主には至ってご健勝の様子」
 景琰は少し目を瞠った。意外なものだ。
 「‥‥‥そうか。元気にしているならば、それに越したことはないが‥‥‥」
 気丈に振る舞っているだけか。それとも、おなごというのは存外薄情なものであるのか。
 「小王爺の言によれば、郡主の気力些かも衰えること無く、それはもう意気軒昂にして、兵の調練にも余念がないとか」
 「それは‥‥‥、頼もしいな」
 案じていただけに、少々拍子抜けではあったが。
 景琰は暫し思案し、それから目を上げた。
 「蒙大統領」
 「は」
 折り目正しく、蒙摯がこうべを垂れる。
 景琰は表情を緩めた。
 「そなた、まだ小殊の子を見てはおるまい」
 「はあ」
 蒙摯が顔を上げる。
 「よいぞ」
と、景琰は微笑った。
 「といいますと?」
 蒙摯が首をかしげる。
 「琅琊山へ行ってきてよいと言っているのだ」
 そう言ってやると、蒙摯が太い眉の下の大きな目を見開いた。
 「まことでございますか」
 尻尾があれば、ばたばたとちぎれんばかりに振りそうな、喜びに満ちた表情である。
 「このところは禁中も平穏、四、五日ゆるりと羽を伸ばしてきて構わぬ。そのかわり立ち寄ってほしいところがある‥‥‥」
と、景琰は条件を出した。
 耳打ちされた蒙摯が、少々困惑した顔をする。
 「どうも某、そういうお役目は‥‥‥」
 「なんなら、夏冬を連れてゆくがよい」
 「―――それならば‥‥‥」
と蒙摯は頷いた。そして、ふと思いついたらしく、少し身を乗り出してきた。
 「なれば、琅琊山に参るときは、聂锋を伴っても?」
 「聂锋?」
 聂锋はかつて林殊と共に赤焔軍にあって、疾風将軍と呼ばれた男だ。蒙摯とていっときは寝食を共にした仲間なれば、共に林殊を訪ねたいのはわからぬでもないが‥‥‥。少々首を傾げた景琰に、
 「実は‥‥‥」 
と、蒙摯が話し出したのである。


   * * *


 「母上だと?」
 藺麟を膝の上に抱いたまま、長蘇は呆気にとられた。
 藺晨とは長い付き合いだが、母親のことなど聞いたこともなかった。
 子供の頃から、その姿を見たこともない。
 てっきり、藺晨が余程幼い頃にみまかったものと思い込んでいたのだ。
 「―――すまぬ。母御がおいでとは知らず‥‥‥」
 挨拶ひとつしたことがなかった。さぞ気を悪くしておいでではあるまいか、そう思ったあとで、長蘇はさらに困惑せざるを得ぬことに思い当った。―――息子の連れ合いが男だなどというのは‥‥‥?
 少し俯いた長蘇に、藺晨は言ったのだ。
 「長蘇。しばらく麟麟を置いて廊州へでも‥‥‥」
と。
 「―――藺晨」
 微かに、胸が痛んだ。
 藺晨が小さなため息をつく。
 「その‥‥‥、母はひどく気むずかしくて‥‥‥、ああ、その、なんというか、人見知りなたちゆえ。お前と対面せねばならぬと思うと、孫の顔を見にも来れぬらしいのだ。悪いが、そこのところを汲んで、ひとまず琅琊閣をだな‥‥‥」
 藺晨らしからぬ歯切れの悪い口調に、心底困っているのだと知れた。
 長蘇はきゅっと藺麟の小さい身体を抱きしめた。乳の匂いが、ふわりと漂う。
 「―――わかった。明日にはここを発つ」
 藺晨がほっとするのがわかった。
 「母の様子を見たうえで、呼び戻せるかもしれん。なに、それが無理でも、どのみちそう長くは滞在すまい」
 なにしろ母が琅琊閣へ出向いてくるのは、二十年ぶりのことだと藺晨は言う。
 二十年ぶりに訪ねてくる母親ならば、なおさら無碍にもできまいに、と思いつつ長蘇は微笑んだ。
 「お前に任せよう」
 そう答えたときである。
 「宗主」
と、黎綱の声がした。
 「お客様がお見えです」
 「客?」
 「蒙大統領と、聂将軍です」
 いつもなら招かれざる客を疎んじる藺晨が、
 「通せ通せ」
と相好を崩した。藺晨なりに、自分を廊州へやることに負い目を感じているのだろうと、長蘇は苦笑した。 
 

   * * *


 「なるほど、我らが冬姐もついに」
と長蘇が微笑むと、こくこくと聂锋が頷いた。
 「言った通りだろう。その姿でも夫婦の営みには何ら障りはないと」
 藺晨が得意げに言うと、聂锋は更に頷く。
 夏冬が、懐妊したというのである。その報告のために、蒙摯は聂锋を伴ったのだ。
 この知らせは無論、長蘇にとって喜ばしいことだろう。
 長蘇は梅嶺で七万の同胞を失った。そこから生還した者たちが、いま幸せに暮らしてくれることが、長蘇の何よりの願いに違いない。ことに、ふたりの副将・聂锋と衛崢が無事に暮らしを営んでくれることは、長蘇にとって喜び以外の何物でもなかろう。
 藺晨にとっても、自分の治療した聂锋が健やかに暮らし、子宝にまで恵まれるというのは、なかなか満足なことである。 
 「夫人は頑健だが、あの年での初産ゆえ、充分気をつけてやることだ」
 「だ‥‥‥」
 「当然、と言いたいのだろう?」
 またしても聂锋はうなづいた。
 その様子に、蒙摯が少し拗ねたような顔をする。
 「羨ましいかぎりだな。うちにはついに子宝がさずからなんだというのに、殿下に続いて小殊にまで子ができ、聂将軍までとは」
 長蘇が小さく笑った。
 「蒙大哥のところには、立派な養子がいるではないか」
 実子には恵まれずとも、蒙摯夫妻が養子を目の中に入れても痛くないほど可愛がっているのだと、長蘇から聞いて藺晨も知っている。
 「まあ、そうなのだがな」
 照れくさそうに笑う蒙摯に微笑んだ長蘇が、ふと顔を曇らせたのを、藺晨は見逃さない。
 そして、藺晨は蒙摯にこう尋ねた。
 「―――霓凰郡主は何と?」
 長蘇の気にしていることくらい、藺晨には手に取るようにわかる。
 景琰に子が出来、夏冬も身ごもったとなれば、一人身の霓凰は寂しい思いをしているのではあるまいかと。長蘇はそれを気に病んでいるのだ。
 ましてや、江湖にはすでに琅琊閣の赤子の話が広まっている。いつ霓凰の耳に入らぬとも知れなかった。
 蒙摯と聂锋は顔を見合わせた。
 「実は、ここへ来る前に穆王府へ寄ったのだ」
 蒙摯がそう言い、藺晨はちらりと長蘇の顔を窺った。長蘇の表情に変わりはないが、幾分緊張しているように見えなくもない。
 「殿下の御申しつけでな」
と蒙摯は言う。 
 皇太子が蒙摯に言ったというのだ。
 霓凰に、林殊が生きていることを伝えよと。
 「わたし一人では荷が勝ちすぎる。夏冬につきあってもらったのだが」
 蒙摯の言葉を、長蘇は黙って聞いていた。



 「そう‥‥‥」
と霓凰は微笑んだのだという。
 「そんな気が、していたわ。林殊哥哥は生きてるって」
 美しい笑顔であったと蒙摯は言った。
 「わたし、わかるのよ。林殊哥哥のことなら何でも」
 少し面映ゆげに、霓凰は目を伏せた。
 「たとえまた姿が変わったとしても、きっと何度でも林殊哥哥だと気づく自信だってあるわ」
 そう言って、霓凰は穏やかに微笑んだまま、一筋涙を流したというのだ。
 さもありなん、と藺晨は密かに溜息をついた。
 あの女丈夫ならば。
 幾たび生まれ変わっても、愛する者を必ず見分け、やはり守ろうとするだろう。
 女ながら、天晴れであると思う。
 もっとも―――。
 (わたしとて、簡単に譲る気はないが)
 景琰に霓凰。
 来世もまた、面倒なことよと思う。
 『誰が治してもかまわん』
 晏太夫がそんなことを時折口にしていた。
 医術を修める者の心は、そうでなくてはならぬ。
 己の虚栄心を満足させるために病人を治すのではない。誰が治そうと、病人が回復することが一番大切なのだ。
 (晏太夫、まさに医者の鑑だな)
と思う。
 その心がけでいえば、長蘇を幸せにするのは誰であっても構わぬ。長蘇が幸せであってくれるなら、寄り添う相手は自分でなくとも、景琰でも霓凰でも構わぬはずだ。
 が。
 (―――それは無理だ!)
 やはりそう思い至って、そしてまた思うのだ。
 景琰や霓凰とて、おそらく思いは同じであろうと。
 殊に霓凰は。 
 気丈に振る舞いはしても、やはり女である。
 長蘇もさぞかし、つらかろうなと、藺晨は今一度そっとため息をこぼした。
 


 
 
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