琅琊榜

蝉蜕25 (『琅琊榜』 #54以降)

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またまた続いてしまっていますw

 「おお、よしよし、よい子だ、よい子だ」
 蕩けきった老閣主の様子に、琅琊閣の古参連中が笑いを噛みしめている。
 久し振りに帰ってきた老閣主は、琅琊閣の隅々まで孫娘を見せびらかして回っているのだ。
 今はようやくひと所に落ち着いて、膝で藺麟を遊ばせているところである。
 赤子の短い指が、老閣主の腕をまさぐった。
 「これか? これは爺爺にとっては大事なものでな。然様、いまひとりの爺爺の形見ゆえ、いずれ儂がこの世を去るときには、そなたに進ぜようほどに。今は爺爺に預けていておくれ」
 「あー」
 小さな手が、老閣主の腕にはめられた腕輪から離れる。
 「おお、悧巧な子だ。ちゃんと聞き分ける」
 赤子の額に、老閣主はぐりぐりと自分の額を押し当てた。
 「老閣主。随分仲良くおなりですね」
 茶の用意をしながらそう言って笑った梅長蘇を、老閣主は振り返った。
 「人見知りもせいで、よう懐いてくれおる」
 「普段は滅多に人に懐きません。老閣主は特別です。爺さまだとわかるのでしょう」
 長蘇の言葉に、老閣主が相好を崩す。
 「いや、まさか藺晨とそなたの子をこの腕に抱けようとは、さすがの儂も思いもよらなんだこと。おかげでようやっと、石楠とまことの縁続きになれたというもの」
 なるほど、そこか、と長蘇は思わず笑った。
 「喜んでいただけてよろしゅうございました。―――少々案じていたのですが」
 「何をだ?」
 老閣主が首をかしげる。長蘇は少し恥ずかし気に目を伏せた。
 「藺晨とわたしの子だなどと、あまりに荒唐無稽で」
 呆れたように老閣主が目を瞠る。
 「何を言う。この顔を見れば一目瞭然ではないか。それに、この気はまさしく藺晨とそなたのもの」
 「されど、それはそれで外聞も悪い」
 なんの、と老閣主は一笑に付した。
 「麒麟の才子はそのへんの者どもとは一味違う。これくらいのことはやってのけて当たり前よ。小雀どもに鳳凰の志がわからぬように、麒麟のありようもまた並みの連中にはわからぬもの」
 その言いように、長蘇は眉をひそめた。
 「それでは何やら、わたしが珍獣のように聞こえます」
 老閣主がさも可笑しそうに、扇子を翳して笑う。
 「違うか? そなたと同類の何某は、確か皇太子殿下の珍獣狩りに遭うたそうではないか」
 「老閣主……」
 長蘇は頭を抱えた。やはりあの藺晨の父であると、つくづく思う。亡き親友の子を珍獣扱いとは。
 老閣主が腕の中の赤子を揺すりあげた。
 「いずれにせよ、でかしたでかした。『麒麟の才子を得る者、幸福を得る』とご託宣を改めばならぬわ」
 片腕に孫娘を抱き、空いた腕で長蘇を引き寄せる。
 「義父上……」
 長蘇は苦笑いしつつ、嬉しさに少し頬を染めた。



   * * *



 見られているのは、わかっていた。
 長蘇は口ずさんでいた子守唄をやめると、籐籠の中の赤子から目を上げて、障子のほうを振り返った。
 「おいで」
 そう声をかけると、障子が開いて飛流が顔を出す。
 「……ん」
 少しもじもじしている飛流に、畳の上に座した長蘇は自分の膝を示した。
 「いいから、一緒におやすみ」
 そう言うと、飛流は嬉しそうに駆け寄ってきて、長蘇の膝を枕にごろんと横になった。
 子守唄の続きを歌ってやると、飛流は気持ちよさそうに目を閉じていたが、やがてふと瞼をひらいた。
 「―――蘇哥哥」
 「なんだ?」
 長蘇は首をかしげた。飛流の眼がじっと長蘇を見上げる。
 「……かすれてる」
 「え?」
と問い返すと、飛流は少し不機嫌な顔つきになった。
 「声」
 「……ああ」
 このところ寝不足続きで、少々声が嗄れているのは自分でもわかっていた。飛流は少し怒ったような顔で、がばっと身体を起こした。
 「代わって」
 「何を?」
 いぶかしんで問うと、飛流は自分の膝をぱんぱんと叩いた。
 「蘇哥哥が寝る。飛流が歌う」
 長蘇は驚いて瞬いた。
 「寝て!」
 飛流はまた、自分の膝を叩いた。
 「飛流、それは……」
 「いいから!」
 しぶしぶ長蘇が横になった途端、飛流が歌い出した。
 忽ち、「うう……」と藺麟が眉をしかめる。
 長蘇がはらはらする中、とうとう赤子は、うわああんと大音声で泣き始めた。
 「好了好了、よしよしいい子だから」
 慌てて起き上がった長蘇が赤子をあやしにかかったが、飛流のほうは気を悪くしたと見える。
 「いい子じゃないよ、飛流が歌ったのに」
 長蘇は苦笑いした。
 飛流は歌があまり得手ではないのだ。飛流が歌うと、皆、顔をしかめるか、失笑するかなのだが、本人は全く気づいていない。
 すっかり不機嫌になって籠の中の赤子を睨みつけている飛流を、長蘇は宥めた。
 「飛流。歌はもうよいから、三人一緒に寝るとしよう」
 赤子を籠の中から毛毯ごと抱き上げ、畳の上に寝かせると、自分もその隣に横たわって見せた。
 「うん」
 飛流も機嫌を直して大人しく横になる。
 長蘇との間にちょこんと挟まった赤子を、飛流はしげしげと見ている。今泣いたばかりの赤子は、もうすやすやと眠っていた。
 「―――蘇哥哥に似てる」
 飛流はそう言った。
 「そのようだな」
 皆がそう言い、飛流の口から聞くのもこれで何度目だろう。
 「蘇哥哥の匂いがする」
 「そうか?」
 こくん、と飛流は頷いた。
 長蘇は微笑んで、飛流の頭を撫でる。
 「蘇哥哥を大事にしてくれるように、小麟のことも大事にしてくれると嬉しい」
 飛流は長蘇の顔を見、それからもう一度赤子の顔を見る。
 「うん」
と、飛流はうなづいた。
 「飛流、明白」
 飛流はそっと、赤子を両の手で抱き寄せる。大切に、壊さぬように。
 「飛流は頼りになる」
 長蘇は飛流の背中に腕を回し、目を閉じた。
 溜まっていた疲れが押し寄せてくる。
 長蘇は忽ち、眠りの中に落ちて行った。


   *
   

 「いかがされました?」
 黎綱がいぶかしげに尋ねる。
 部屋へ入りかけた藺晨が、すこし開けた扉をそのまま戻したせいである。
 藺晨は難しい顔をして、振り返った。
 「―――川の字が、出来上がっていた」
 「は?」
 意味が分からぬ様子の黎綱を尻目に、藺晨は憤然と鼻息を吐いた。  
 「わたし抜きで川の字とは、飛流め、いい度胸だ」
 やっと合点がいった様子の黎綱が吹き出しかけるのも、気に食わぬ。

 「それにしても……」
と、藺晨は溜息をついた。
 「このままでは、本当に長蘇の身体がもたんな」
 「はあ。我らもそれが心配です」
 黎綱もすこしうなだれる。
 なにしろ、長蘇は藺麟の世話を人任せにしない。いや、したくとも出来ぬのだ。
 「麟麟さまが、今少し我らに懐いてくだされば、宗主のご負担も減らせるかと思うのですが……」
 「強情なところは、長蘇に似たのだ」
 藺麟ときたら、藺晨と長蘇、あとは飛流と吉嬸、乳をくれる近所の女房以外には懐かぬのである。先日、風邪を引いたのも、世話をしていた甄平に逆らって、毛毯を跳ね飛ばしてばかりした挙句のことだったらしい。
 「老閣主には懐いておいでのようですが」
 黎綱がそう言ったので、藺晨はむっとする。
 「腹の立つ爺ィだ。長蘇にも矢鱈と触りたがる。―――頼めば子守に雇ってやらぬでもないが」
 「閣主……」
 ともあれ、これ以上、長蘇に無理をさせるわけにはいかぬのだ。この前とて、疲れで身体が弱っていたゆえに、ああも容易く赤子の風邪を貰い受けたのだろう。藺麟ときたら夜泣きもひどく、その度に長蘇は起き出してせっせと世話をしている。この先もまだまだ道は遠いに違いなかった。



   * * *



 その宵のことである。
 赤子の激しい泣き声で、琅琊閣の者は皆なにごとかと、主らの臥室のそばへ集まってきた。
 物が割れたり、ぶつかったりする音。
 藺晨と長蘇の怒鳴りあい。
 赤子の泣き声。
 「な、なにが起きているのだ?」
 「ふ……、夫婦喧嘩のようだが……」
 それにしても、派手だ。
 「おふたりとも、疲れで鬱憤が溜まっておいでゆえ……」
 黎綱が嘆息した。
 夫婦喧嘩は犬も食わぬが、小さな藺麟のことが心配である。
 「飛流。お前、行って見てこい」
と、甄平が飛流を小突いた。
 「絶対不要!」
 飛流が断固として拒絶する。 
 「ならば黎綱……」
 「ぶぶぶふ、不要。俺とて命は惜しいぞ」
 多一事不如少一事―――、触らぬ神に祟りなしとばかりに、皆、遠巻きのまま息を潜めていた。



 「長蘇、よさぬか。物を投げるな! 麟麟にあたったらなんとするのだ」
 長蘇の投げた水差しを避けざま、藺晨は怒鳴りつけた。
 「お前が避けねば藺麟には当たらぬ!」
 肩で息をしながら、長蘇も怒鳴り返した。
 「無茶を言うな!」
 「うるさい!」、
 また飛んできた蜀台を手で掴み止めて、藺晨は歯ぎしりした。
 「いいから落ち着け。そんなに興奮しては身体に障る」
 普段は藺麟を抱く以外、箸より重いものを持たせもしていない。さっきから手当たり次第に投げつけている物らは、長蘇にとってはかなり重いはずだ。
 「落ち着いているとも。わたしを大人しくさせたいなら、さっきの言葉を取り下げよ」
 息を切らせ、髪を乱しながら、長蘇は腹を立てているのだ。
 「莫迦者、それは出来かねる。お前のために言っているのだ」
 「まだ言うのか!」
 ついに長蘇は卓に手をかけた。
 「や、やめんか」
 「うるさいうるさいうるさい!」
 卓がひっくり返されるに及んで、藺晨の堪忍袋の緒が切れた。
 「いい加減にしろ、梅長蘇!」
 たまりかねた藺晨の大音声が、琅琊山に轟いた。屋敷が揺れるほどの気が放たれたのだ。




 「か、閣主は琅琊閣を壊すおつもりか」
 琅琊閣の若者たちが怯えた。
 「何をびくついておいでだい。これくらいで琅琊閣は壊れるもんかね」
 そう言って笑ったのは、厨房から玉杓子を持ったまま野次馬に駆けつけていた吉嬸である。
 「老閣主と石楠さまの喧嘩はこんなもんじゃなかったよ。それこそ琅琊山が吹き飛ぼうかというほどだったさ。閣主はこれでもまだ、随分手加減しておいでだ。お体の弱い宗主が相手だもの。お優しいことだねえ」

 やがて、藺晨が赤子を抱いて部屋から出てきた。まだ身体全体から湯気がたちそうな勢いである。
 「あの、閣主……」
 恐る恐る黎綱が声をかけた。
 藺晨は眉一つ動かさない。地を這うような声で、こう命じた。
 「よいか。今宵から長蘇を一歩も臥室から出してはならん」
 「は?」
 皆が顔を見合わせる中、藺晨は更に続けた。
 「外から閂をかけて、決して抜け出さぬよう見張っておけ」
 呆気にとられる野次馬たちの間を、赤子を抱いた藺晨はいまだ怒り冷めやらぬさまで、大股に庭を横切っていった。


   * * *




 藺晨は、大きくため息をついた。
 「わたしとしたことが。長蘇のあの気性だ。こうなることくらいわかっていたものを」
 あのときは、藺晨も歯止めがきかなかったのだ。怒りに任せてつい、こんなことになってしまった。
 「閣主とてお疲れだったのですから……」
 黎綱の言うとおりである。藺麟の夜泣きに悩まされていたのは、藺晨とて同じであった。ろくに眠っておれぬのである。
 藺晨は長蘇と違って丈夫なたちゆえ、それでも体調を崩すことなどはなかったが、翌日の仕事に差し支えるのは間違いなかった。長蘇とてそれを知っていればこそ、なるだけ藺晨より早く起きて赤子をあやそうとする。
 ふたりとも、寝不足で苛々していたのだ。
 それゆえ、些細なことで大喧嘩になった。
 藺晨にしてみれば、長蘇の身体を案じて一言提案したに過ぎぬのだ。赤子を別室に寝かせてはどうかと。
 無論、これまでも考えなかったわけではないが、なにしろ赤子は藺晨か長蘇がそばにおらねば眠らぬのだ。長蘇が不憫がって、離さなかった。 
 此度も、長蘇は頑なに抵抗した。そのあまりの頑迷さに、藺晨も引くに引けず、つい言ってしまったのだ。
 「お前のような半病人に余計なことをされては迷惑だ。今後一切、赤子の世話はさせぬからそう思え」
と。
 長蘇は忽ち怒り狂ったのである。
 その長蘇を部屋に監禁した―――、そこまでが先夜の顛末である。  
 が。

 「しかし、ああも強情に断食されるとは……」
 甄平も溜息をつく。
 食を断つばかりか、藺晨はおろか飛流から気をもらうことさえ拒んでいる始末だ。無言の抵抗である。
 中からも閂をかけて、自ら閉じこもってしまった。
 「あれでは宗主のお体がもちません。ここはいったん折れて差し上げて……」
 それしかあるまいと藺晨も思ってはいる。どのみち、あのまま閉じこもっていては我が子のかおも見られぬのだ。いつかは向こうが折れるに違いないが、それまでもちだけの体力のあろうはずがなかった。自分から詫びねばしかたがないのは、藺晨もよくわかってはいたが……。
 「しかし、そうなればまた同じことの繰り返しだ」
 どうしたものかと、三人でうなだれているところへ、からりとした声が響いた。
 「なんですね、大の男が揃いも揃って。簡単なことじゃありませんか」
 「吉さん」
 三人が顔を上げると、そこに堂々たる様子で吉嬸が立っていた。
 「閣主も宗主も、頭がよくて何でもご存じだけれども、実際に赤子を育てた経験なぞおありじゃないんですから、無理もありゃしませんよ。ましてや宗主はあのお身体ときている。そうでなくても、おふたりともどう逆立ちしたって乳が出るわけでなし。男ふたりだけで赤子を育てるのは、はなから難しいに決まってるじゃありませんか」
 「しかし、それなら……」
と、甄平が顔をしかめた。
 「いやだねえ、甄舵主。―――乳母を雇うにきまってますよ」

 「乳母?」
と、男たちは目を丸くした。
 「乳ならば、貰い乳でどうにか凌げているはずだろう」
 「飲み足りて丸々しておいでではないか」
 黎綱と甄平がそう言って首をかしげる。藺晨も二人の言葉に頷いた。 
 「そりゃまあそうですがね。乳母は別に乳をやるだけが務めじゃありません。人の子の母親なればこそ気の付くことだってありますからね。常におそばにいて、お世話する者がいれば、宗主だってご安心になりますよ」
 なるほど、と黎綱は唸った。
 「考えてみれば、宗主とてお小さい頃は乳母やに育てられておいでだった」
 甄平も頷いたものの、
 「しかし、子守をつける算段も、既にしくじったではないか」
と眉を寄せる。
 琅琊閣で働く子供を幾人か、藺麟につけてはみたのだ。だが、いずれも藺麟の手ごわい拒絶と反抗に遭ってあえなく敗退した。
 「あんな小僧どもじゃ話になりゃしません。麟麟さまはお小さくとも麒麟の子でおいでですからね。気位も高くていらっしゃる。そのへんの小僧に世話をされるなんぞ、沽券に関わるんでしょうよ」
 そう言って、吉嬸はからからと笑った。
 「乳母にしたって、誰でもというわけにはいきますまいよ。まずは琅琊閣か江左盟に所縁の、身元のしっかりした女。乳飲み子がいる母親でなきゃいけません」
 「それは無論、そうだが」
と黎綱が相槌を打った。
 「あとは、麟麟さまのお眼鏡にかなうこと」
 「わかっている」
 藺晨は渋い表情で頷いた。
 「だが、それが一番難しいのだ」
 すると、吉嬸は言ったのだ。

 「あれを真似るんですよ、比武招親とやら言いましたっけね」





 
 
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