琅琊榜

蝉蜕24 (『琅琊榜』 #54以降)

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23の続きです

 このところ、琅琊閣へは祝いの客が引きも切らない。
 子が出来たなど外聞が悪いと、長蘇は照れて表沙汰にしたがらなかったが、それでも琅琊閣に赤子ができたという話はあっという間に江湖に知れわたった。
 なにしろ、琅琊閣、江左盟の者は幹部から下働きの老爺に至るまで、この赤子に骨抜きにされている。さらには藺晨自身があちこちへ吹聴して回るのだから、噂は忽ち広がって、つにには密かに金陵の皇宮までも届いた。


 「琅琊閣閣主に、子ができただと?」
 皇太子・蕭景琰が眉をひそめた。
 藺晨に子ができた。とすれば?
 「小殊は……、小殊はどうしているであろう。頼みとする藺閣主が、妻を娶り子を成したのでは、小殊はさぞかし肩身の狭い思いをしているのではあるまいか」
 「いや、それが」
と、蒙摯が言った。
 「どうも噂によりますと、子は藺閣主と小殊の間に生まれたのだとか」
 「……」
 気まずい沈黙が流れた。
 そばに控えていた高湛は空気を読んでか、すっとその場を離れた。
 景琰はゆっくりと言った。
 「蒙大統領。よくよく考えて、物を言わねばならぬぞ」
 「はあ」
 蒙摯が甲冑の下で身を縮める。
 「―――よいか。小殊は男だ。そうだな?」
 「左様で」
 蒙摯がうなづいたので、景琰は少しほっとして先を続けた。
 「閣主殿も男だ。違うか?」
 「……違いませぬ」
 うむ、と景琰は答えた。
 「ならば、今一度訊く。琅琊閣の赤子は、誰の子だと?」
 「ですから、藺閣主と小殊の……」
 「蒙大統領」
 皆まで言わせず、景琰は蒙摯の言葉を遮った。「哎呀」と、蒙摯が遺憾の意を表す。
 「わたしが申しているのではありませんぞ。噂をお伝えしておるのです」
 「何が噂だ。人の噂ほど当てにならぬものはない。よくもそのような、荒唐無稽の話がでっち上げられたものだ」
 憤然として、景琰は言った。
 林殊が生きていると知ってこのかた、片時も考えぬことはなかったのだ。病の具合はどうか、江湖の荒波に揉まれて、つらい思いをしてはいまいかと、四六時中気になってしかたがない。幸せに暮らしているならばそれでよいと、戦英だけを見にやって、自分は会いたい気持ちをぐっと堪えたものであったが。
 「琅琊山へ人をやれ。黎綱を呼んでくるのだ。あの者の言葉ならば信用できる」
 何が何でも、林殊の近況を知りたかった。

   *

 「黎綱どの、一別以来であった」
 戦英が嬉しそうに養居殿の階段を駆け下りてくる。
 「列将軍。ご無沙汰を」
 互いに抱拳の礼を取り合った。
 「此度はご足労を願ってすまぬ。殿下が是非にもと仰せゆえ」
 「畏れ多いことです」
 戦英に導かれて、黎綱は養居殿へと足を踏み入れる。かつて赤羽営に属していたときでさえ、身分の低い黎綱には皇宮など雲の上であった。さすがに固くなる。此度は名指しで呼びつけられただけに、猶更緊張する。長蘇は何か言いたげな様子だったが、結局特に言いつかったこともない。
 久し振りに会う景琰の顔をまともに見ることさえ出来ずに、黎綱はその場に額づく。やがて、聞き知った声が降ってきた。
 「起来吧。楽にせよ」
 すぐそばへ来て、景琰手づから引き起こしてくれる。
 「健固であったか」
 懐かし気に、景琰がそう言った。
 
   *

 「琅琊閣に跡取りの娘御ができたと聞き及んだ。まことに祝着である。閣主どのには、さぞお悦びのことであろうな」
 景琰がそう切り出すと、黎綱は慌てて頷いた。
 「無論でございます」
 景琰は小さくうなづき、心持ち視線を落とした。
 「―――それで、小殊はいかがしている?」
 「はあ。それはもう、宗主もお喜びで」
 黎綱の答えに、景琰は小さくため息をついた。
 「……そうか」
 「それはそれは、目の中に入れても痛くない可愛がりようで」
 それまで少し固くなっていた黎綱が、俄かに活気づく。
 「いや、無理もない話です。あのお可愛らしさと言ったら、この世のものとも思えません。なにしろ宗主にそっくりで……」
 「待て」
と、景琰は言葉をかぶせた。
 「誰にそっくりだと?」
 「ですから宗主に……」
と黎綱はきょとんとして答えた。
 「表情豊かな目といい、鼻筋の通ったところといい、まさに宗主そのもので」
 「だから待て。なにゆえ、小殊に似る?」
 黎綱は不思議そうにぽかんと口を開いた。そして言う。
 「―――宗主のお子ゆえ、宗主に似るのは当たり前のことかと」
 景琰は太い眉を寄せ、黎綱に顔を近づけた。黎綱が困惑した様子で少し身体を引く。
 「子は、藺閣主の子と聞いたが?」
 「はあ、左様で」
 ならば、と景琰は言った。
 「ならば、小殊の子ではあるまい」
 黎綱はしばし呆然として景琰を見つめ返していたが、それから初めて「ああ」と言った。
 「これは失礼をいたしました、わたしとしたことが。全てお聞き及びなのかとばかり」
 少し焦って、黎綱は口髭のあたりを掻いた。
 「その……、俄には信じがたいのも御無理のないことでした」
 そう言って語り始めた黎綱の話に、蕭景琰は耳を傾けた。



   * * *



 「申し訳ありません。わたしがついていながら」
 甄平がおろおろして、頭を下げた。
 「大の男がみっともないね。赤子はこうやってすぐに熱を出すものだよ。まだまだこれから、こんなことはいくらだってあるんだから、その度に狼狽えてちゃ身が持たないじゃないか」
 吉嬸が甄平の背中を、どんとどやしつけた。
 「吉さんのいう通りだ。今夜はわたしがついているから、心配はいらぬ」
 長蘇がそう言った途端、甄平は大きくもない目を見開いた。
 「滅相もない。お子以上に宗主のお身体の方が心配です」
 その言葉に、長蘇は眉をひそめた。
 「わたしはこの子の親だぞ?」
 「そ、それは……」
 困り果てている甄平に、長蘇はすげなく言った。
 「少しは気をきかせて、親子水入らずにしてくれてはどうなのだ」
 「はあ……」
 長蘇はちらっと飛流と吉嬸に目くばせする。吉嬸はやれやれと溜息をついた。
 「そら、甄舵主。何か残り物でも振る舞うからとっととおいで」
 「いや、吉さんっ」
 吉嬸と飛流に腕をとられて、ずるずると引きずられていく甄平を見ながら、長蘇は肩をすくめた。
 それからようやく、籐籠の傍に椅子を引いてきて腰を下ろす。赤子を覗き込んで、長蘇は目を細めた。
 「可哀想に、そうでなくとも赤いほっぺたが、ますます真っ赤になっているではないか」
 汗ばんだ額に手を当ててやる。こんな時は、自分の冷たい手が有り難い。苦しげだった赤子が、長蘇の冷えた手に、忽ち気持ちよさそうな表情になった。
 「案ずることはない。わたしがついているゆえ、よくおやすみ」
 どうせ今夜も藺晨は戻らぬ。
 藺晨は急ぎの用で、南楚へ出かけているのだ。このところ赤子にべったりだった藺晨は、遠出を随分渋っていたが。
 『琅琊閣の商いは信用で成り立っているのだぞ? この先、この子の為にも琅琊閣はますます安泰でいてもらわねば困る』
 そう言って尻を叩いたのは、長蘇自身である。藺晨の留守を守らなくてどうするのか。
 「大丈夫。お前には爹がふたりもついているのだから」
 赤子の頭を撫でながら、長蘇は微笑んだ。
 「わたしとて、寂しいのだぞ?」
 赤子の鼻先にそっと口づける。
 「わたしと、飛流哥哥と、お前と、三人でしっかり留守を守らねばな」
 すこし苦し気だった赤子の寝息が、やがて穏やかに安らぎ始めるまで、長蘇は低く子守唄を口ずさむ。かつて、飛流にも歌ってやったその唄を、長蘇は赤子に歌って聞かせた。


   *


 翌日のことである。
 景琰の俄かな訪問に、甄平は驚いて臣下の礼をとった。
 「こっ、これは、殿下! まさか、殿下自らお越しとは」
 頭を下げたまま、咎めるように景琰の後ろの黎綱を睨む。黎綱は慌てて顔をそむけた。皇太子が来るなら、なにゆえ知らせを寄越さぬのか、と甄平はそう言いたかったのだが、恐らく黎綱にはそのいとまもなかったのだろう。
 「琅琊閣を訪れるのは、初めてであったな」
 「遠路はるばるようこそお越しくださいました」
 金陵にいた頃、甄平にとって蕭景琰はどちらかといえば虫の好かぬ相手であった。いかに林殊であることを隠していたとはいえ、景琰の梅長蘇に対する言動には、腹に据えかねることが多かったのだ。ついつい甄平の態度もとげとげしくなったものだ。今は、すでにそのわだかまりもない。
 「即位してしまえば、いよいよ遠出もままならぬ。今のうちに一度訪れておきたかったのだ。琅琊閣に慶事のあった此度は、よい機会だと思ってな」
 恐らくは、最初で最後の訪問と、景琰自身そう心得ているのだろう。
 「ともかく、ひとまず奥でお休みを」
 黎綱が、景琰と従ってきた戦英を促した。
 「うむ。藺閣主はお留守と黎綱から聞いているが、明日の夜にはお戻りとか。待たせてもらえればありがたい」
 そう言われて、甄平は慌てて頷いた。
 「それはもちろん」
 景琰らを客房に通すと、黎綱が、
 「宗主をお呼びして参ります」
と踵を返そうとした。
 「黎綱」
 咄嗟に甄平が小声で呼び止める。黎綱より早く、
 「なんだ?」
と景琰が聞きとがめて首を傾げた。
 「それがその……」
 「小殊が、どうかしたのか」
 梅長蘇が林殊であると気づくのには時がかかったが、こういう時にはひどく聡い皇子だと、甄平は困惑した。
 「……実は今朝から、臥せっておいでで」
 「なんだと?」
と、景琰が眉を寄せる。黎綱も少し驚いたようだ。
 「いったいどうした? わたしが琅琊山を出るときには、お元気であったのに」
 黎綱から留守を預かった形の甄平は、少々ばつが悪そうな顔をした。
 「あのあと、お子が風邪を引かれて……」
 ふたりのやりとりを黙って見ていた景琰が、ゆっくりと座を立った。
 「ならば、見舞わせてもらう」
 「―――しかし」
 甄平は困って口ごもった。
 「はるばる都から参ったものを、会わせてもくれぬと?」
 景琰にそう問われて、甄平は助けを求めるように黎綱を見る。黎綱は甄平の袖を引きよせた。小声で問う。
 「かなりお悪いのか」
 「熱と咳がひどい。閣主にはお知らせするなとの仰せゆえ、いま晏太夫を呼びにやっている。おっつけお見えになるだろう」
 黎綱は短くため息を吐いた。
 「殿下をお通しせぬわけにはいくまい」
 「またあとで宗主からお叱りを受けはすまいか、見苦しいさまをお見せしてはならぬとかなんとか」
 甄平はそう言ったが、黎綱はかぶりを振った。
 「殿下をお止めできるか?」
 「……」
 やむをえぬ、と甄平もしぶしぶ頷いた。


   *


 「景琰」
 飛流に支えられて身を起こした梅長蘇が、目を瞠ってこちらを見る。 
 「―――小殊」

 思えば。
 大渝との戦に向けて金陵を出て行った、あの日以来の再会である。

 別れの日の幾日か前、最後の情を交わした。
 あの夜の林殊は、まるで全てを互いの肉と心に刻み付けんとするかのように、熱く激しかった。思い出すだけで、胸がざわつく。

 戦からふた月が過ぎて、景琰は一通の文を受け取ったのだ。林殊の―――手蹟であった。
 それきり。
 林殊は、その骸さえ、戻っては来なかったのだ。

 そうして幾月かの後、蒙摯によってもたらされた知らせに、景琰は天を仰いだ。
 よくぞ。
 よくぞ、生きていてくれた、と。
 
 「……小殊。まことに、お前なのだな」
 景琰は歩み寄り、牀台の脇に膝をついた。
 「景琰……」
 差し出された梅長蘇の手に、景琰は額を押し付けた。

 「―――充分だ。こうして再び会えた、それだけで」
 たとえ、二度とひとつに結ばれることはなくとも。
 
 「……すまぬ。景琰。わたしはお前を、たばかってばかりだ」
 切ない声で、梅長蘇がそう言った。
 景琰は顔を上げて、うなだれた梅長蘇の顔を見た。
 わかっている。
 たばかったわけではあるまい。あの時、この男は本当に命を終える覚悟だったのだ。
 「もうよい。―――よいのだ」
 景琰は、梅長蘇の手を握りしめた。

 梅長蘇は涙をこぼして嗚咽を漏らし、そして、咳き込んだ。
 「蘇哥哥」
 飛流が梅長蘇の背をさする。
 そこへ、荒々しい足音がやってきた。
 「宗主。晏太夫がお見えです」
 黎綱の声に、梅長蘇が涙を拭って顔を上げる。
 「……晏太夫」
 「全く、また無理をしおってからに。こんな時にばかり呼ばれるのだからかなわぬ」
 その言いぐさに、梅長蘇が苦笑する。
 「しかたありますまい。医者とはそうしたものでしょう」
 ふん、と晏太夫は鼻を鳴らした。
 景琰は立ち上がって、晏太夫に場所を譲る。
 晏太夫は梅長蘇を横にさせると、鍼治療の道具を広げた。
 寝間着の胸元が開かれ、露わになった白い胸から、景琰は目を背けた。いやがうえにも、最後の情事が思い出されるのだ。 
 「晏太夫に鍼を打っていただくのは、久しぶりですね」
 咳き込みながらも、そんな軽口を叩く梅長蘇に、晏太夫が不機嫌な顔をする。
 「うるさい。治療の間は、無駄口を叩くでない」
 「是……」
 やわやわと、梅長蘇が答えた。
 「また、しおらしい振りをしおって」
 苦々しくそう吐き捨てて晏太夫が治療を施すのを、景琰はただ見ているしかなかった。



   * * *



 藺晨が戻ったのは、翌日の夕刻である。
 「莫迦者。ちょっと目を離すとこれだ。無茶ばかりする」
 部屋へ入るなり、頭ごなしにつけつけと叱りつけた藺晨に、傍に立っていた蕭景琰がむっとしたように太い眉を逆立てた。
 文句の一つも言いたいのか、深く息を吸い込んだ景琰を、戦英が目で諫めている。
 景琰に軽く一瞥をくれただけで、真っ直ぐ牀台へ向かった藺晨へ、長蘇が柔らかく微笑んだ。
 「わたしは大事ない。ややを……」
 そう言った長蘇の傍らに腰を下ろし、藺晨は不機嫌な顔で返した。
 「赤子なら心配いらん。晏太夫の治療ですっかり元気になっている。お前と違って、あれはわたしに似て丈夫なのだ」
 それからようやく、藺晨はちらりと景琰を振り返った。
 慌てたように、黎綱が景琰の前へ進み出て、藺晨の不躾な視線を身体で遮った。
 「殿下、内力による治療がありますゆえ、一度外へ―――」
 黎綱に促されて、景琰が出て行くのを見届け、藺晨は短く溜息をついた。
 「しょうのないやつだ」
 顔を近づけ、長蘇の頬を撫でる。
 「こんな無理ばかりするなら、赤子をお前から取り上げねばならん」
 藺晨がそう言うと、長蘇は忽ち口を尖らせた。
 「そんなことはさせぬ」
 長蘇が膨らました頬を指でつぶして、藺晨はゆるく首を振った。
 「赤子は無論大事だが、わたしにとってはお前が一番大事なのだぞ」
 長蘇はまだ少し不服そうに、目をそらせた。
 「わたしには、あの子の命を無理にこの世に繋ぎ止めた責任がある」
 「無理にだと?」
 藺晨は呆れて、長蘇の額を指先で軽く弾いた。
 「そうではなかろう? あの子自身が生きたがったのだ。それゆえ、お前の身の内にある命の種を呼び込んだ。あの貪欲さを、お前も少しは見習うことだ」
 額をさすりながら、長蘇は恨めし気に見上げてくる。
 「―――わたしとて欲は深いぞ?」
 「ほう、そうなのか?」
 そう問うと、きゅっ、と長蘇の手が藺晨の着物の胸元を掴んだ。―――寂しかったのだと、上目遣いの眼差しが訴えてくる。
 「昨日からは、ややとも引き離されてしまうし」
 「しかたあるまい。赤子からうつされた風邪を、おまえがまた赤子に戻しかねんのだからな」
 また不満げに曲げられた長蘇の口に、藺晨は短く接吻した。
 「いつまでもそんな顔をするな。もう寂しくはあるまい?」
 長蘇はしばらく拗ねたような眼差しを向けてきたが、やがて照れくさげに笑った。
 「しばらくは、遠出の仕事もなかろう?」
 「そのつもりだ」
 そう答えた藺晨に、長蘇は嬉しそうな顔をする。愛しさに、藺晨もついつい相好を崩した。
 「元気になったら、飛流と赤子を連れて野がけにでも出かけよう」
 長蘇の顔が、更に明るくなる。
 「ならば、早く治さねば」
 長蘇が腕をまくって藺晨の手をつかんできた。気を注げというのだ。
 「やれ、人使いの荒い。こっちはさっき帰ってきたところだというのに」
 「丈夫に出来ているのだろう?」
 ふふんと笑った長蘇のあたまを軽く小突いてから、藺晨は苦笑いして治療にとりかかった。



   * * *


 
 「小殊は大丈夫なのか」
 客房で、景琰はうろうろと歩き回っていた。
 「閣主にお任せしておけば心配はありません」
 黎綱が答える。
 「……そうか」
 いい加減でぞんざいな男に見えたが、梅長蘇が頼り、黎綱らも信頼しているのならば、おそらくは大丈夫なのであろうと思う。
 なによりも。
 藺晨が部屋に入って来た時の、梅長蘇の笑顔の美しさといったらなかった。心から慕っているのだと、一目で知れた。
 「大事に―――されているのだな、小殊は」
 そうつぶやくと、黎綱が何をいまさら、というような顔をする。
 「無論ですとも。なにしろ閣主は、ご自分の命を削って宗主を守っておいでなのですから。―――ああ見えて、お二人は一心同体かと」
 黎綱の言葉に、景琰の胸がずきりと痛んだ。

 一心同体。
 かつて、自分と林殊がそうであったように。

 (小殊は、―――新たな半身を見つけたのだな)

 そう認めるのは、切なかったが。
 やがて皇帝となる身の自分では、幸せにしてはやれぬと、己自身が最もよく知っている。

 「殿下。蘇先生のお子を見せて頂いては」
 景琰の沈んださまを見かねてか、戦英がそう提案した。
 景琰は顔を上げ、黎綱を顧みる。
 「……構わぬのか?」
 「構いませんとも。もうすっかりお元気ですから」
 請、と促されて、景琰は赤子の眠る部屋へと黎綱についていった。
 
 

 ―――赤子は、玉のように美しかった。
 「まことに……、小殊、いや、梅長蘇そっくりではないか」
 目と言い、鼻と言い、疑うべくもなく梅長蘇の子だと知れた。さらには、藺晨の面影も見てとれる。こうして己の眼で見るまでは、黎綱の話も半信半疑であったが、今ならたやすく信じられた。
 これは間違いなく、藺晨と梅長蘇の娘だ。

 赤子の顔を見ている内に、景琰の顔もまた我知らず綻んでいた。



   * * *

 

 「名は?」
と、景琰が問うてきた。  
 「―――藺麟さまと。麒麟の麟で」
 黎綱は、そう答えた。
 「麒麟の子ゆえか。―――よい名だ。誰が名付けた?」
 「はあ……」
 思わず、口ごもる。
 実を言えば、名付け親は景琰の兄・景桓である。
 祝いに訪れた景桓が長蘇への皮肉もこめて小麒麟、小麒麟と呼ぶうちに、いつの間にか藺麟と決まってしまった。
 夜も寝ずに名を考えていた藺晨はひどく悔しがったが、長蘇が「語呂がよいではないか」と気に入ってまったので、藺晨もしぶしぶ受け入れた。今では藺晨が、誰よりも麟麟、麟麟と一日中その名を口にしている始末である。
 死んだことになっている景桓の名を出すもならず、黎綱は苦し紛れに、
 「飛流めが」
と、答えた。
 景琰は少し驚いたように目を瞠り、
 「飛流にそのような才があったとは」
と感心している。
 気が咎めつつもほっとして、黎綱は胸を撫でおろした。
 ふと目を上げると、景琰が自分をじっと見ていて黎綱はどきりとした。
 大きな、曇りのない瞳である。
 嘘をついた疚しさから、黎綱は思わず半歩後ずさったが。
 
 「小殊と赤子を、―――よろしく頼む」
 
 景琰はそう言って、わずかに頭を垂れたのである。

 「で、殿下!」
 慌てふためいて黎綱は拱手し、深々と頭を下げた。

 『林殊』を。
 今も大切に思ってくれているのだと、黎綱にもその思いがひしひしと伝わってきた。

 「しかと。承知いたしました―――」
 黎綱は重々しく、そう答えたのであった。



 
 翌朝、皇太子一行は琅琊山を下りて行った。
 
 景琰が琅琊閣を出るとき、ようやく床離れした長蘇が見送りに出た。
 「景琰。すまぬ。お前に子が出来たとき、会いに行くつもりでいたのだ―――。愚図愚図している内に、先を越されてしまった……」
 そう詫びた長蘇に、景琰は微笑んだ。
 「わたしのほうから会いに来てよかった。お前の暮らしぶりを、見届けることができたゆえな」
 そして、景琰はそっと長蘇を抱きよせたのだ。
 そばにいた藺晨が、軽く眉を寄せたのを見て、黎綱は少し首をすくめたが。

 柔らかく。
 抱きしめたというよりは、やんわりと。
 風をはらませながら、景琰は広い袖で長蘇の身体を覆ったに過ぎなかった。

 「気が向いたら、金陵にも遊びに来るがよい。お前の無事は、まだ蒙大統領とわたししか知らぬゆえ、皆さぞ驚くであろう」
 そう微笑んで、景琰はふわりと長蘇から離れた。

 背中を向けざま、景琰は藺晨と、ほんの一瞬、目と目を見かわしたようだった。

 それは二人の、約束に見えた―――。
 
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