琅琊榜

毒蛇4 『紀王』  (『琅琊榜』 #10補完)

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『毒蛇』その4 です。










 「随分、話し込んでいましたね」
と黎綱に言われて、梅長蘇はどきりとする。
 たった今、誉王を見送って廊下を戻るときのことである。
 冷え切って疲れた体に外套を掛け、支えてくれるのはありがたいが、黎綱は時に聡いのか鈍いのか、よくわからぬことがある。
 誉王にほだされて泣いたなど、口が裂けても言いたくない。
 「……周到な男だ。簡単には諭せぬ。時間をかけねばな」
 そっけなくそう言い逃げて、明日、靖王府へ行くと告げた。
 金の鎖帷子を用意せよと言うと、「危険なのですか」と黎綱が慌てた。
 梅長蘇は溜息をつく。
 やはり、鈍い。景琰のところへ行くのに、なんの危険があるというのだ。
 飛流から庭生に土産として渡させると説明すると、ようやく得心したようだ。

 それにしても―――、と思う。
 靖王府へ行くのは、気が重かった。


 翌日、馬車を仕立てて景琰を訪ねた。
 蘇宅と靖王府は、裏手ではほとんど接していると言ってよい。だが、門を構えた通りは互いに全く離れているため、蒙摯や飛流のごとく軽功をもってせねば二つの邸の近さは外から容易には知れない。
 すでに両家の間には密道が成っていたが、それによる往来を世間に知られてはならぬ。表だって行き来するときには、殊更に馬車を使ってその遠さを人目にも誇示するのだ。事実、門から門へと回ると馬車でさえかなり時間がかかった。

 いま、靖王府の門を見上げて、梅長蘇は感慨で胸がふさがる心地がする。ここには、懐かしさ以外の何物もない。
 一歩踏み入ると、邸のそこここに若き日の景琰と林殊の姿が見え、笑い声が聞こえるようだった。
 飾り気のない邸には武骨な男たちがたむろし、冬だというのに火の気もない。あの頃と少しも変わらぬ。
 変わったのは己だけだ。今の自分には、この邸は寒すぎる。ここで白い息を吐きながら、景琰と熱く語り合った林殊は、すでに亡いのだ。

 「どうした? 顔色が悪い」
 景琰の言葉に、梅長蘇は少し愧じる。変わり果てたこの身が林殊だなどと、絶対に知られたくはなかった。
 「今日は昨日より、幾分寒く感じただけです」
 いくぶん、とは我ながら控えめな言いようである。身体の芯から冷えている。そんな己が情けない。
 「冬至だから当然だろう」
 事もなげに景琰は言ったが、それでも「来人」と呼ばわって火鉢を運ばせてくれる。
 今日の景琰は、いつになく優しい。
 やっと『梅長蘇』に馴染んでくれたのかもしれぬ。労わられるのは、幾分面映ゆく、嬉しくもあったが、どこか居たたまれぬような痛みも伴った。

 火にあたり、熱い茶を喉に流し込んで人心地つきながら、本題を進める。濱州事案に対する景琰の意気込みとその手際のよさに、梅長蘇は満足した。あとは、各地の有力者が手を結ばぬよう、彼らの罪状に差をつけて裁き、不平等感を与えて対立させるように、と進言する。景琰は、素直に同意した。
 誉王が協力的であるからには、あまりその顔をつぶさぬように……、そう口にするとき、梅長蘇はどこか後ろめたさを感じずにはおれなかった。いまの時点で誉王に近づいてみせることは、もともと梅長蘇の計画の中にあったものである。だが、昨日のことを思い出すと、まるで自分が誉王を庇い建てしているかのような気分にさせられる。

 誉王がなぜ掌中の玉たる慶国公を捨てて、自分に擦り寄る気になったのかといぶかる景琰に、
 「今の殿下がとても重要だからですよ」
と諭しながら、なんとなく自分が景琰の謀士なのか誉王の謀士なのかよくわからなくなる。
 昨日は見事に誉王を言いくるめた。今日の自分は景琰を、そして自分をも言いくるめようとしているのではないか? そんな想いを、梅長蘇は振り払った。
 自分の目指す先はひとつだ。
 誉王にほだされることなど、あってよいはずがない。

 景琰はといえば、梅長蘇の言葉に少なからず感心したようだった。
 「わたしを重要に見せるため―――、先生は誉王に慶国公をあきらめさせ、謝玉が東宮側だと暴いてくれたのか」
 初めていくぶん心を動かされたらしい景琰に、
 「私を賞してくれないので?}
 少し冗談めかしてそう言ってみる。昔から、この生真面目な従兄をほんの少しからかって虐めるのは楽しかった。景琰が困った顔をするのを見るのが好きだ。

 だが、景琰は少しうなだれて言った。
 「先生には悪いが、誉王側についたとは思われたくないのだ」
 ずきん、とその言葉が胸に刺さる。いましがたの、ほんの少し愉快な気分は、一瞬にして消し飛んだ。
 「殿下のご苦労は誰もが知っています。少し態度をやわらげても、みな理解しましょう」

 そうだ。
 いっとき、ほんの少し誉王に靡いたとて、誰が責めよう。大事を成すための、ただの方便に過ぎぬ。
 梅長蘇は、そう自分にも言い聞かせた。いや、自分にこそ、である。
 「他人の見方など気にはせん」
 そう言って景琰は壁の一点を見つめていた。
 「だが、死んでいった御霊を、失望させてしまう。このわたしが、結局頭を下げたと―――」
 景琰の言葉が、なおも梅長蘇の心を抉る。
 「御霊ならば―――、理解しましょう……」
 その御霊は……、『林殊』はここにいる。そして、その自分が、心のどこかで誉王によりかかろうとしているのだ。
 (わたしのほうこそ、景琰を失望させる)

 景琰が不思議そうに自分を見る。
 「怎么了? まだ寒いのか?」
 どうして。
 どうして、今日に限って梅長蘇に優しくしてくれるのか。身の置き所ない心地にさせられる。
 「没什么……」
 足が痺れただけだと答えて、やりきれない思いで立ち上がった。
 気づかぬふりをしようと思うのに、目が、さっき景琰の見つめていた先へと向いてしまう。

 大弓―――である。
 懐かしい己の弓が、そこにあった。

 弓は既にその美しい朱い色を失っていたが、それでもきちんと手入れされて壁に懸っていた。
 思わず触れようとして、景琰に止められる。故人は己のものに他人に触れられるのを厭がったのだと。
 いまも林殊の心を大切にしてくれているのだという喜びと、己の物でありながら、それに触れることさえかなわぬ悲しみとに、心が引き裂かれる思いがする。

 だから、来たくなかったのだ。
 靖王府は、つらすぎる。思い出が、多すぎるのだ。

 ―――だが。
 そうも言ってはおれぬのだと、梅長蘇は自分に言い聞かせた。
 強くあらねば、ならぬのだと―――。



  ***



 「殿下……殿下?」
 「ああ、そなたか」
 般弱の美しい顔がそばにあった。
 「いかがなさいました? 心ここにあらざるご様子」
 すこし眉をひそめて、般弱は気づかわしげにそう尋ねる。
 「いや、なんでもない」
 梅長蘇のことを考えていたとは、なんとなく言いづらかった。謀士としての梅長蘇ならば、どうということはない。これまでも麒麟の才子については、幾度となく般弱と話をしたものである。だが―――。
 今は、謀士としてではなく、ひとりの友として、誉王は渠を手に入れたいのだ。
 行け、と誉王は頬杖をついたまま、手で払うような仕草をしてみせて、般弱をさがらせた。

 誉王は自分の肩にそっと手をやった。
 この肩が……、梅長蘇の涙を吸った。
 しかし別れ際の、いつもと同じ凛とした顔。
 蘇宅の門を出るとき、見送りについてきた梅長蘇を振り返った。
 「見送りはここで。風邪など召されたら申し訳ない」
 「……では、お言葉に甘えて。お気をつけて……」
 つい先刻の手の冷たさを思ったのだ。さぞ寒かろうと。
 「……失礼する」
 今一度、互いに軽く一礼しあった。
 既に、常の梅長蘇であった。ほんの少し前の昂ぶりは、微塵も見えぬ。心持ち、目の縁が赤く見えたが、それも先刻の 一幕を知る自分なればこそわかる程度であったろう。

 梅長蘇が泣いたとき、いくらか距離が縮まったと思った誉王である。しかし、自分を見送る梅長蘇の顔は、またすっかり手の届かぬものになっていた。

 ―――ふと。
 今日は冬至であった、と思い出す。
 あの景琰は、ちゃんと火を焚いて部屋を温めていただろうかた。武骨者ゆえ、気がつかなんだやもしれぬと思うと、居ても立ってもおれぬ心地がする。
 誉王は立ち上がって衣桁にかかっていた外套をつかむと、大声で灰鹞を呼んだ。
 「灰鹞。蘇宅へ参るぞ」
 「……はっ。すぐに馬車を……」
 慌てて下がろうとする灰鹞を、誉王は引き留めた。
 「よい。馬で参る。そなただけ供をせよ」
 馬車などまだるこしい。ぞろぞろと警固の者がついてくるのも疎ましかった。これまでそんなことを思ったこともなかったというのにである。


 「蘇先生」
 私房へ通され、一礼して梅長蘇に歩み寄った。昨日会ったばかりだというのに、顔を見れば気持ちが浮き立つ。
 「今日はご足労をかけた。お疲れではあるまいか」
 「なんの。雑作もないことです」
 梅長蘇の目元と口元に、柔らかな笑みが浮かぶ。
 「……して、首尾は?」
 そう問うまでもなかった。梅長蘇のゆったりとした微笑が、雄弁に物語っているではないか。誉王は自分も微笑んだ。
 「訊いたわたしが愚かであった。先生のなさることに不首尾のあろうはずがない」
 「恐れ入ります」
 梅長蘇が恭しく頭を下げる。

 「しかし、今日はことのほか寒く、先生にはまことに大儀なことであった」
 わずかに目を伏せたまま、梅長蘇は小さくかぶりを振った。その慎ましやかな様子に、妙に胸を打たれる。
 「なんの苦労なことがございましょう。殿下のお役に立てれば本望です」
 そう言って微笑むと、梅長蘇は少し顔を背けて袖で口元を覆いながら、小さくくしゃみをした。
 「蘇先生」
 誉王は思わず、梅長蘇の貌を覗き込む。
 「やはり風邪を召されたのではないか。景琰め、気の利かぬやつゆえ、先生に寒い思いをさせたのではあるまいな」
 これだから、あの七弟はいつまでたってもうだつが上がらぬのだと、舌打ちしたい思いに駆られながら、尚も言葉を連ねようとしたところを、梅長蘇がちょっと苦笑しながら掌で制してくる。
 「そのようにご心配いただかずとも、少々鼻がむずがゆかっただけです」
 「いや、油断はならぬ。わたしに気遣いは要らぬゆえ、今日は温かくして、もう休まれよ。さあ」
 腕をとって部屋の奥へ押しやろうとすると、梅長蘇が小さく吹き出した。
 「……何が可笑しい」
 困惑して尋ねると、梅長蘇がすまなそうな顔をした。
 「これは失礼いたしました。殿下があまりに心配性でいらっしゃるもので、つい」
 「……」
 思わず言葉に窮してから、誉王は自分も照れ笑いして、こめかみのあたりを掻いた。
 「自分でも戸惑うておるのだ。他人のことがこうも気にかかるのは初めてゆえ」
 父皇や母后に対して、実際よりも大袈裟に心配して見せることはあった。渠らの機嫌を取り結び、寵を得んがためである。だが、今のこの、気の揉めることといったら、かつて一度たりとも経験がなかった。

 梅長蘇が微笑む。
 「とにかく、お座りください。殿下がいつまでも立っておいででは、わたしも座るに座れませぬゆえ」
 そう言われて、顔が火照る。そんなことにも思い至らぬとは、これでは自分も景琰のことは言えぬと、誉王は恥じ入りながら座した。
 「……ああ、そうだ。この次来るときには、冷えに効く薬草をさまざま見繕ってまいろう。それから……」
 挽回しようとあれこれ言葉を探していると、
 「殿下」
 茶を淹れていた梅長蘇が、可笑しそうに笑いながら言葉をはさむ。
 「どうかもう、そのようにお心を砕かれませぬように」
 指の長いほっそりした手が、茶杯を示した。
 「せっかくお淹れしたお茶が冷めてしまわぬうちに」
 「ああ、頂戴するとも」
 慌てて誉王は茶杯を手にとった。思ったよりも熱かったが、構わず口にする。一口めは熱くて舌が痺れたが、二口めにはどうやら味わうことができた。
 「……好喝」
 誉王は思わず、そう言葉を漏らした。
 「誉王府でお召し上がりのものに比べれば、粗茶でございますよ」
 笑って梅長蘇も茶杯を傾ける。
 「そんなことはない。いや……、先生が淹れてくださるゆえ美味いのか」
 首をひねっていると、今度こそ梅長蘇が声を立てて笑った。常日頃のとりすました様子が嘘のようだ。自分の前で素顔を見せてくれるのだと思うと、不思議な満足感がある。
 こんなに気持ちが温かくなったのは、たぶん初めてのことだ。
 嬉しくて、目を細めずにはおれぬ誉王であった。



  ***



 豫津が、琴を爪弾いている。
 風雅を好む豫津が奏でる琴の音は、ほんの一節でもなかなかに趣きがあった。
 梅長蘇は穏やかな表情でそれを聞きながら、頭の中ではそんな情緒とは無縁のことを考えている。

 誉王から慶国公を、太子からは戸部尚書を引き剥がし、次に向けた矛先は、吏部であった。
 (吏部か……)
と、梅長蘇はいささか物憂い気分になる。
 六部のうち、吏部は誉王派に属する。
 吏部尚書・何敬中を排除するための策はとうに宮羽らに授けていた。目論見通り、何敬中の息子・何文新は、人を殺めてくれた。それも、朝政への功労厚い邱家の跡取り・邱澤をである。
衆人の中での殺人とあって、京兆尹府の動きも早かった。忽ちに何文新の身柄を押さえにかかったのだ。
 何敬中は誉王に泣きついたことだろう。そのとき誉王は?と考えて、梅長蘇は苦笑した。
 さぞ困ったであろう、と思う。
 誉王にとって、何敬中という駒を失うことは痛手である。慶国公を切り捨てることにもあれだけ抵抗を示した誉王なのだ。この上、またひとつ手持ちの駒を失うことは、なんとしても避けたかろう。
 (それに……)
と梅長蘇は溜息をついた。
 (……誉王は存外、情に脆い)
 慶国公に関してもそうである。あれほど手放したがらなかったのは、ただ単に打算のみからではなかった。初めて自分を支持してくれた軍方である、という―――、景琰流に言えば『情義』にも似たものが、己の内にあったことを、誉王自身、わかっているだろうか。何敬中が情に訴えて救いを求めれば、誉王は困り果てるに違いなかった。
 もしも……、と梅長蘇はふと思った。
 もし、この梅長蘇が罪を得て命乞いしたならば。あの男はどうするのだろう、と。
 初めての友だと、誉王は言った、その舌の根も乾かぬうちに、たやすく切って捨てるのだろうか。それとも。
 (救おうとしてくれるのだろうか、わたしを)
 梅長蘇は鼻で笑った。
 (ありえぬ)

 愚にもつかぬことを考えるものよと、己にあきれながら庭のほうへ顔を向けると、悄然としたさまの景睿の姿が目に入った。父・謝玉のことで、すっかり参っているのだろう。
 季節はすでに冬。若者が憂さ晴らしをする場所もなかろうと梅長蘇が口にすると、遊び慣れた豫津が言った。この時期なら温泉だと。
 「郊外で一番広いのが、紀王様の温泉ですよ。蘇兄も一緒にどうですか?」
 屈託のない豫津に、梅長蘇は笑って「やめておく」と答えた。

 そういえば、過日、誉王もそんなことを言っていたと思い出す。
 「叔父上の温泉は、なかなかに効能あらたかと聞く。先生の寒症にもよかろう」

 紀王の温泉へは、随分昔に景琰と何度か行ったことがある。景琰とふたり、湯の中で遊びすぎて湯あたりしたこともあった。
 紀王は、林殊にとっても血のつながった叔父である。
 歌舞音曲を愛でる風流人で、いつもゆったりと穏やかな人物だ。紀王と過ごすと、時がゆっくり流れるような気がしたものだ。甥ら皆にも分け隔てなく優しく、一見愚鈍そうな見かけには似合わず、よく気が回った。それゆえ、自分も景琰も、この叔父のことが大好きだったのだ。うんと小さな頃には、景琰と追いかけっこをして紀王のよく肥えた身体の後ろに逃げ込んだりもしたものだ。

 だが、いま紀王と直接顔を合わせるのは、なんとなしに気おくれがした。
 (あのおかたは、ああ見えて―――、鋭い)
 そう感じるのは、買いかぶりだろうか。
 あの暢気そうな顔の裏で、常に深い思慮がめぐらされているのではないか、と思えてならぬ。でなければ、あの疑い深い兄のもとで、生き残ることができたであろうか。
 (そろそろ、一役買ってもらわねばならぬが……)
 皇帝の信頼厚く、いずれの勢力にもかかわらぬ紀王であればこそ果たせる役目がある。梅長蘇はこの皇叔さえも、己の手駒として使うつもりでいた。
 だが、顔を合わせるのはまだ早い、と思うのだ。
 ましてや、誉王と連れ立ってなど、とても紀王の前に出る気にはなれなかった。

 なにもかも、見透かされてしまう。
 己の正体も。
 この都で成そうとしていることも。

 そして、誉王に対する心のぶれさえも。

―――あのお方は、長兄や赤焔軍のことを、どうお考えなのか。
 決して、表立って皇帝に異を唱えることはすまい人である。穏やかに、政とは無縁に生きることで、その身の安泰を保ってきたのだ。
 しかし、本当のところはどうなのか。

 そして。

 (王爺は……、誉王をどう見ているのか)
 そんなことが気になった。

 「先生さえよろしければ、わたしがお連れしてもよい。なに、叔父上は気さくなかただ。先生もすぐ打ち解けられよう」
 誉王は嬉しそうに、そう言った。
 「なかなか誘う相手もおらぬゆえ、わたしも長らく足が遠のいていたが、先生がご一緒下さるならよい気晴らしになる」
 もうまるで自分が応じたかのように、誉王はすっかりはしゃいでさえ見えた。温泉の効能や、その近くの景色の美しい場所など、誉王は得意げに語って聞かせてくれたのである。

 ふと、思い出す。
 祁王に連れられて最初に紀王の温泉を訪れたときには、たしか景桓も一緒だった。
 あの時、すこし離れたところからこちらを窺う景桓の暗い目が厭で、林殊はことさらに祁王に甘え、はしゃいだ声を立てた。ひとりになりがちな景桓を気遣おうとする祁王を、なにかにつけて自分たちのほうに引き寄せた。

 ひどいことを、したのかもしれない、と今にして思う。
 『だってしかたがないじゃないか、嫌いだったんだもの』と幼い林殊の肥が聞こえた気がして、梅長蘇は苦笑いした。子供というのは、残酷なものだ。

 寂しかったに違いない、と思う。
 弟の景琰には、優しい母がおり、戯れあうことのできる林殊がいたが、景桓には?
 (せめて、兄長に甘えたかったのかもしれない)
 すこしは、貸してやればよかったものを、と梅長蘇は溜息をついた。いつもいつも、祁王が景桓のほうを向こうとするたびに、林殊は気をひいてそれを邪魔したのだ。べつに意地悪をしようという気ではなかったのだ。ただ、大好きな従兄が、大嫌いな毒蛇のほうを向くのが厭だっただけだ。
 (さぞ、林殊を憎んだことだろうな)
 景琰が誉王に疎まれるのは、もしかしたらあの頃の自分のとばっちりかもしれない、と思う。ならば、誉王にも景琰にも、悪いことをした、と梅長蘇はやりきれぬ気分になった。
 そのうえ今度は、誉王から腹心らを全て奪い取ろうとしている。また、自分の手で、誉王をひとりにさせてしまうのだと思うと、ほとほと己に嫌気がさした。

 ―――『だってしかたがないじゃないか』と。

 また幼い林殊の声が聞こえた気がした―――。









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