琅琊榜

蝉蜕15 (『琅琊榜』 #54以降)

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今回は完全甘々です。
わたくし自身が滅入っていて寂しくてたまらないもので、
おふたりには思い切りイチャついていただきました!



 「ご来光に、誓ってもよいか?」
 長蘇が小さな声でそう言った。
 「何を?」
 眠気に屈しそうになりながら、藺晨は腕の中の美しい恋人に問い返す。
 長蘇は遠慮がちに、額を胸元へと押し当ててきた。その仕種が、初めて人に馴れた猫のようで、藺晨はよしよしと背中を撫でて、話の続きを促してやる。 
 「義兄弟の契りを、まだ交わしておらなんだゆえ」
 長蘇がそう言ったので、藺晨はようやく重い瞼を上げた。
 「義兄弟の、契りだと?」
 長蘇の細い肩を押して、その顔を上げさせる。
 「夫婦の契りの間違いでは?」
 藺晨がそう言った途端、長蘇の白い顔に朱が散った。
 否定しようにも、既にいやというほどまぐあった仲である。長蘇は恥ずかしげに、けれどどこか嬉しそうに目を伏せた。
 「ご来光が、楽しみだな」
 藺晨はにやりと笑った。
 「飛流が起き出さぬ内に、誓いを交わさねば」
 なにしろ、このひと月あまり情を交わしておらぬのだ。初めの半月は肋を傷めていた長蘇の身体を思いやって、そのあとの半月は精進潔斎して小霊峡でのご来光に臨むため。
 長蘇の背中にしがみつくようにして眠っている飛流を、藺晨は足で押しやる。飛流はごろんと寝返りをうって、仰向けになった。
 無事に誓いを立てた暁には、天にも認められた仲となろう。そのあと朝一番で床入りせねば、と藺晨は笑った。
 「その頃には飛流が起き出すぞ?」
 「眠り薬でもかがせておけ」
 藺晨がそう言うと、長蘇も可笑しそうに小さく笑った。



   * * *
 


 案の定。
 飛流は夢中で猿と遊んだ。
 ここ鳳栖溝ではその昔、長蘇も大はしゃぎであった。まだ火寒の毒を抜いていくらも立たず、身体がろくに言うことをきかなかったというのに、一日中猿の戯れるのを目で追っては笑い崩れていたものだ。猿を追って駆け回れぬ身を、大層悔しがったていた。
 動けぬ長蘇でさえ、それほど楽しんだのだ。飛流の喜びようといったら、並大抵ではない。昨日も今日も、木から木へ、まるで猿そのもののように飛び回り、山中を駆け巡った。
 長蘇は嬉しそうに、目を細めてそのさまを見ていた。自んもまた、飛流と共に駆け回っているつもりなのかと思うと、少しばかりいじらしくもある。
 「そろそろ迎えにいってはどうだ。暗くなる」
 戻ってこない飛流を案じて、長蘇がそう言った。
 「なに、飛流は夜目がきく。暗くなったとて心配はあるまい」
 長蘇を一人おいて、飛流を追う気にはなれなかった。長蘇とて、かつてのごとく軽功が使えれば、すぐにも飛流を追いかけたいに違いないのだ。いや、飛流を連れ戻すどころか、長蘇も猿と遊ぶのに夢中になって帰ってこぬやも知れぬが。
 「腹が減った。先に宿へ帰って飯にするとしよう」
 藺晨がそう言うと、長蘇は笑った。
 「飛流に劣らず食い意地が張っているな」
 長蘇は格別異論も唱えない。そっと、腕に寄り添ってきた。
 馬に抱き上げてやると、長蘇は黙って身体を預けてきた。近ごろの長蘇は、しばしばこうしたしおらしい様を見せるようになったと思う。たまらなく、愛しい。
 「なんだ?」
と上目づかいに見つめられ、藺晨は少し慌てた。
 (自覚がないのだから、始末に悪い)
 以前はわかってやっているところがあるように思ったが、と藺晨は溜息をつく。この妙に色気を含んだ眼差しを、かつてはわざと使っていた節があった。ところが、このところの長蘇ときたら、自分でも気づいておらぬふうだ。それだけに、その効果ときたら覿面だった。
 ぎゅっと抱きしめると、長蘇は苦笑いする。
 「早く馬を出せ。腹が減っているのだろう?」
 優しい声でそう言われて、藺晨はしかたなく馬を歩ませる。歩ませながらも、長蘇の唇を貪った。
 腹よりも先に、心が満ち足りていった。
 


   * * *


 
 食事をとったあと、藺晨が軽く頭を振った。
 「どうした?」
 尋ねると、藺晨も少し首をかしげて。
 「いや、耳に何か。虫でも入ったやもしれん。山の中は、羽虫も多かったゆえ」
 「こら、指を突っ込むな」
 長蘇は慌てて止めた。
 「確か鏡台に耳かきが‥‥‥。ああ、あった」
 引き出しから耳かきを探し当て、藺晨を牀台へ座らせる。  
 「どれ、見せてみろ」
 「ああ‥‥‥」
 隣へ腰かけて、藺晨の頭を引き寄せる。
 長い髪を上げて、耳を覗き込んだ。
 「よく見えぬな。―――横になってくれ」
 「ん? ああ」
 長蘇は燭台を少し寄せると、藺晨の頭を膝の上に抱えて、丹念に藺晨の耳を見てやった。
 「ああ。葉屑が」
 細かな草の葉屑をひとつ、長蘇は掻き出してやる。
 「大丈夫だ。ほかには特に何も見当たらぬ」
 「―――そうか。ならばよい」
 そして藺晨は言った。
 「―――もうしばらく、続けてくれ」
 「ん?」
 長蘇が問い返すと、藺晨は深々と息を吐いた。
 「‥‥‥なかなか気持ちがよい。極楽気分だな」
 思わず笑ってしまう。
 「しょうのないやつめ」
 ゆったりと寛いでいる藺晨の顔を見下ろしていると、自分も幸せな気分になる。丁寧に耳を掘ってやる内に、ひどく優しい心持ちになった。
 「反対側も見せてみろ」
 「ああ」
 膝の上で寝返りを売った藺晨の、もう一方の耳も掻いてやる。
 やがて。藺晨がもそりと動いた。
 長蘇の薄い腹に、そっと耳をつけてくる。
 「耳がすっきりしたゆえ、よく聞こえる」
 「なんだ? あいにく身籠ってはおらぬぞ」
 長蘇は笑って、軽口を叩いた。
 藺晨も低く笑う。 
 「いや―――。胃の腑が、な」
 「え?」
 藺晨が目を上げる。
 「少し元気になってきたようだ」
 ああ、と思った。
 近頃は随分、食べる努力をしているのだ。
 大渝との戦のあと、長蘇の身体は弱り切り、五臓六腑も萎え果てて、もう食事はおろか薬さえ吐いてしまう有様だったものだ。あれ以来、藺晨の気でようよう生かされてきた。
 吉嬸は、長蘇が少しでも食べられるようにと、滋養のある食材を少しでも喉を通りやすく消化の良いようにと、あの手この手で料理に工夫を加えてくれたが、それでもほんの一匙か二匙、食べられればよいほうだった。
 だが。
 食べられるようにならねばと、近ごろは切に思うのだ。
 心から、健康になりたいと願った。
 目的のために、あと幾月生きられればよいなどと、かつては己に残された日かずを数えたものだったが。今はそうではない。
 ずっと元気で、この先も藺晨や飛流と年を重ねてゆきたいと。心底、そう思うのだ。
 しっかり食べて、元気になれば、藺晨に無理をさせることもない。
 そんな思いを見透かしたかのように、藺晨がくすっと笑った。
 「心配するな」
 そっと、腹を撫でられる。
 「もっと食べられるようになる」
 見上げてくる藺晨の眼が、ひどく優しい。
 「もう少し、太れ。そうしたらわたしは、今よりもっと寝心地のよい膝枕を手に入れられるゆえな」
 そんなことを言って笑うのだ。
 長蘇も笑った。  
 くい、と髪を引っ張られて、身を折ると。
 藺晨も少し頭をもたげ―――。
 優しく唇が触れ合った。
 藺晨が、身体を捻って腕を回してくる。
 くちづけひとつで、身も心も蕩ける思いがした―――。


   *


 「―――わたしは幸せだ」
 長蘇は思いをこめてそう言った。すると。
 「知っているとも」
 事もなげに藺晨がそう返した。
 だが、知るまいと思う。
 これほど、骨抜きだなどとは。
 「‥‥‥もう離れられぬ」
 「当たり前だ。まだまだ、わたしの『気』がなければ生きては行けまいに」
 「そうではなく‥‥‥」
 長蘇が口ごもると、藺晨は不思議そうな顔をする。
 これほど聡い男が、と思う。、 
 (わたしの気持ちには、まるで鈍いではないか)
と、腹が立つ。

 「藺晨‥‥‥」

 伝われ、と。
 
 思いを込めて、口付けた。

 こんなにも、愛している。
 (お前なしでは、生きられぬ)
 百万言尽くしても、きっと藺晨は笑って真剣に取り合うまい。
 自分の方がより深く愛していると、そう信じて疑わぬのだ。
 だが、
 今はもう。
 (わたしのほうが、ずっと―――)

 信じてくれずともいい。
 たとえ、思いは伝わらずとも。
 自分が一番わかっている。

 愛しているのだ、海より深く。
 
 たとえこの肌は冷たくとも、思いの熱さは骨まで焼き尽くしてしまいそうだ。

 『小火人』と、かつて呼ばれたものだった。赤焔軍を率いていた頃だ。 
 義のため、国のため、心を燃やした。
 その焔を。
 今は、藺晨への愛のために、燃やしたい。
 それだけの価値がある。
 命を燃やし尽くして愛するだけの価値が、この男にはあるのだ。
 いや、価値などどうでもよい。どのみちもう、この焔は消すことができぬ。
 梅嶺の頂の万年雪さえ、この想いの暑さには叶うまい―――。

 息もできぬほど、深く深くくちづけた―――。



   * * * 



 「あっ!」
という声に驚いて、長蘇が慌てて離れた。

 飛流である。
 なんともよいところで邪魔をする、と藺晨はむっとして身体を起こした。
 「狡い!」
 顔をしかめて地団駄を踏む飛流に、藺晨はにやりと笑って見せた。
 「莫迦め、蘇哥哥とわたしは、既に夫婦の契りを天に誓ったのだ」
 「えっ」
と、飛流が目を瞠った。難しいことはわからずとも、ふたりが何か特別な仲となったことは、こちらの勝ち誇った口調で察せられたと見える。藺晨はふふんと鼻で笑った。
 「小霊峡でお前が居汚く惰眠をむさぼっている間に、我らは日の出に向かって誓いを立てた」
 「えー‥‥‥、蘇哥哥?」
 狼狽して、飛流は助けを求めるように長蘇の顔を見た。
 長蘇が苦笑いして、頷いて見せる。
 「それ見ろ。蘇哥哥も認めている」
 藺晨がそう言うと、飛流はおろおろした。
 「飛流は? 飛流も誓う!」
 慌てて長蘇の腕にすがりつくのを、藺晨は無慈悲に引き剥がす。
 「貴様は猿とでも契っておればよい」
 「いやだ! 蘇哥哥、小霊峡!」
 「莫迦を言うな、長蘇は疲れている。そう行ったり来たりはさせられん」
 ぴしゃりと叱りつけると、飛流は忽ちべそをかいた。
 「蘇哥哥あ―――」
 長蘇が笑いを噛み殺している。可笑しいやら、飛流が気の毒なやらで、どんな顔をしてよいやら困っているのだろう。
 「あまり苛めてやるな」
と、長蘇はとりなす。
 「飛流。心配せずとも、誓うまでもない。蘇哥哥は飛流が大好きなのだからな」
 優しく長蘇にそう言われて、飛流はしぶしぶうなづいた。
 「―――うん、爺爺も言ってた」
 「老閣主が? なんと?」
 長蘇が問うと、飛流は少し得意げな顔になる。  
 「飛流はかわいい、飛流は強い、安心して蘇哥哥を任せられるって」
 たまらず長蘇が俯いて笑う。
 藺晨は呆れて眉をしかめた。
 「親父のやつ、お前と飛流には甘いからな」
 舌打ちした途端。

 「うわっ!」
 不意に後ろから、頭に何かが飛び付いてきた」
 「なっ‥‥‥」
 「藺晨。猿だ」
と、長蘇が言った。
 窓から飛び込んだ小さな猿が、藺晨の頭に飛びつき、そのままぴょんととんぼを切って、藺晨の頭の上へと飛び乗ったのであった。
 仔猿は、きききと嗤うと、今度は飛流の肩へ飛び移った。
 「お前! けだものを宿へ連れ込むな」
 藺晨は思わず叫んだ。
 「早くも猿と契って子まで作ったのか?」
 「莫迦なことを」 
 長蘇が苦笑いして、飛流の肩へ手を伸ばす。
 「こら、噛まれても知らんぞ」
 藺晨が止める間もなく、長蘇は仔猿をもう撫でている。
 「連れて帰ってきたのか?」
 少し困ったように、長蘇が飛流に尋ねた。
 「ついてきた」
 あっけらかんと飛流が答える。
 長蘇は微笑んで、飛流の顔をまっすぐ見た。
 「帰しておいで。母猿が心配しているだろう」
 長蘇のその優しい顔に、はたで見ている藺晨までどきりとする。
 「ん‥‥‥」
 飛流もなんとなく朱くなっている。
 「飛流。お前が帰らねば蘇哥哥とて案ずる。この子も同じだ。‥‥‥わかるな」
 そんな綺麗な顔で諭されて、飛流に否やの言えるはずもない。
 「―――わかった」
 飛流は素直に頷いた。
 仔猿を肩から抱き下ろすと、もう一度窓へと足をかけた。
 「今度は表から帰ってきなさい」
 長蘇がそう言って微笑する。  
 「うん」
と答えて、飛流はひらりと姿を消した。 

 「飛流のやつめ。このまま猿山に置いて帰った方がよいのでは?」
 窓の外の宵闇を眺めて、藺晨はそう言ったが。
 「まあ、そう言うな」
 くすくすと長蘇が笑う。
 「笑い事ではない。折角の気分が台無しではないか」
 ―――あんなふうに、長蘇から口づけてくれることなど珍しいというのに。

 「さっきの続きは、してくれぬのか」
 そう問うと、長蘇は初めて飛流が戻ってくる前のことを思い出したようだ。
 少し頬を染めて俯く長蘇が、愛しくてならぬ。

 藺晨は、今一度長蘇を抱きよせた。

 そっと。
 細い顔を両手で包む。

 「飛流が戻らぬうちにな」
 
 こくり、と長蘇が浅くうなづく。
 そして、再び。
 
 長蘇の甘い吐息が、近づいてきた―――。



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