琅琊榜

蝉蜕10 (『琅琊榜』 #54以降)

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9からの続きです。あの人に続いてあの人がwww

 ぬっ、と飛流に差し出されて、梅長蘇は思わず黎綱と顔を見合わせた。
 「‥‥‥飛流。猫の子ではないのだ。もう少しその‥‥‥」
と、子供の襟首を掴んでぶら下げている飛流を、黎綱がたしなめる。
 「黎綱、そうではなくて‥‥‥」
 梅長蘇は溜息をついた。
 飛流から子供を抱きとり、梅長蘇は困惑気味に問う。
 「殊殊、ひとりで参ったのか」
 やっと歩き出したばかりの子供の足で、琅琊閣までたどりつくものだろうか。
 「それが‥‥‥」
と、恐る恐る甄平が入ってきた。
 「‥‥‥またお前か」
 梅長蘇はうんざりしたように息をつく。
 「いや、わたしが連れて参ったわけでは。‥‥‥この子はどうやら、通りすがりの荷馬車に紛れ込んできたようでして。この前来たときに、琅琊山で行き会った荷馬車を覚えていたのでしょう」
 「ほう」
 まだろくな話もできぬ幼な子だというのに、賢いことよと梅長蘇は目を細めて腕の中の子を揺すりあげた。
 「荷馬車の主のほうもこの子を憶えていたそうで、琅琊閣にゆかりの子であろうと、連れて参ったので」
 「やれやれ、親切なことだ」
 梅長蘇は苦笑いしたが、おかげでこの子は迷子にならずにすんだ。
 子供の柔らかい頬を指先でつつきながら、梅長蘇は笑った。
 「しかたがない。わたしが送っていこう
 「宗主。何をおっしゃいます」
 黎綱と甄平が声を揃える。梅長蘇は顎をあげて、ふたりを睥睨した。
 「やむをえまい? わたししかおらぬのだから」
 藺晨は遠出している。黎綱と甄平は、これから急ぎの用で廊州に向かうところだ。
 「我々のどちらかが参ります」
 二人が先を争うようにして言う。梅長蘇は眉をひそめた。
 「わたしの命じた用は後回しでよいと?」
 「宗主!」
 黎綱が情けない声を出す。
 「お前たちがこの子を送ってゆきたいと言うなら、わたしが自ら廊州へ参ってもよい」
 「なにをおっしゃいます。お風邪が治ったばかりだというのに」
 甄平も弱り果てている。
 梅長蘇は、この上もなく美しく微笑んだ。
 「廊州よりは近いと思うのだがな、この子の家は」
 ―――無論である。比べ物にならない。黎綱と甄平は大きく息をついて肩を落とした。
 「なに、飛流が一緒だ。案ずるな」
 黎綱はちらっと飛流を振り返る。飛流は柱を這っている蟻を、夢中になって目で追っている。
 本当に大丈夫だろうか、と顔を見合わせるふたりをよそに、梅長蘇は上機嫌で子供と鼻を突き合わせていた。



   * * *



 すれ違った一台の馬車の中から、男が御者に声をかける。
 「馬車を止めよ」
 馬車に従っていた数騎のうちの一人が、車の俄かに止まったことをいぶかしんで、馬を寄せる。
 「何か?」
 馬車の中へ向かって声をかけると、帳がわずかに開いた。
 「いますれ違った馬車を止めよ」
 「は?」
 いきなり命じられて、馬上の男は思わず問い返した。が。
 「馬車に乗っていた者を、捉えて参れ」
 「捕らえる、のでございますか」
 一体何の咎で、と尋ねた男に、主は少し苛立った声で返した。
 「泥をはねたとでもなんとでも、言いがかりをつけて引っ立ててまいれ」
 「はっ」
 男は慌てて馬を走らせた。



   * 



 「いきなり縄を打たれるとは心外です」
 縄目の屈辱も素知らぬ体で、梅長蘇は平然と言った。
 「心外とな? こちらは恨み骨髄なのだ。わかっておろう?」
 憎々し気に言われて、梅長蘇は小首を傾げた。
 「はて、どなたでいらっしゃいましたか」
 「なんだと?」
 相手はいきり立ち、そばにあった燭台を蹴り飛ばした。
 「ああ、これはこれは、献王殿下でしたか」
と、梅長蘇は笑った。本当に、可笑しかったのだ。蕭家の者ときたら、昔から癇癪を起すとすぐこれだ。手近なものを投げたり蹴飛ばしたり。景琰ですら例外ではない。亡き母も、腹を立てると何でもよく投げた。
 「暫く見ぬ間に、随分お姿がお変わりになったので、一向に気づきませず、ご無礼申しました」
 くすくすと笑う。
 献王・景宣は、齢のわりに白髪も増え、体つきもだらしなく緩んで、ひどく風采が落ちた。無論、一目で景宣とわかりはしたが、ついからかってみたくなったのだ。
 「貴様‥‥‥」
 景宣は辺りへ目を走らせたが、残念ながら、投げるものも蹴るものも見当たらず、顔を真っ赤にするばかりである。ごくりと唾をのんで、どうにか怒りを抑えこんだようだ。
 「ふん。そなたは、相変わらず美しいな、蘇先生―――いや、小殊、と呼ぶべきか」
 情報通の母・越妃が蟄居させられても、さすがに元は皇太子にまで上り詰めた男である。いまだ宮廷内にいかばかりかの耳目を持つのであろう。噂は景宣の耳にも入っている様子であった。
 「どちらでも」
と、長蘇は鼻で笑った。
 「大渝との戦で死んだと聞いていたが、存外元気そうだ」
 「おかげさまにて」
 微笑んだ梅長蘇の前に、子供が首根っこをつかんで連れてこられる。飛流といい、みな、この子を猫の子のように扱う、と梅長蘇は苦笑いした。 
 景宣は子供を顎で示した。
 「子までいようとはな。まさか、霓凰郡主が産んだのではあるまい?」
 長蘇はにっこりと笑って首をかしげて見せた。
 「いけませんか?」
 景宣が意表をつかれたように、目を瞠る。
 「まことに霓凰が?」
 一番最近に霓凰に会ったのはいつであったか、と思い起こしている様子だ。無論、霓凰の腹が膨れていたはずはない。景宣は指を折って月を数えている。
 ぷっ、と長蘇は吹き出した。
 「まさかそんなわけが」
 そう言って笑うと、景宣の顔がたちまちどす黒くなった。
 「このっ‥‥‥」
 投げつけるものが見当たらぬとあって、あろうことか景宣は子供に手をかけようとした。
 まずいと思った。景宣をからかって遊ぶのは楽しいが、この子に傷をつけられては景桓に申し訳が立たぬ。
 飛流をそばから離したのは、やはり下策であったとほぞを噛んだ。

 はじめは飛流が馬車を御していたのだ。
 ところが途中で、青物売りの荷車といきあった。車は傾き、荷がほどけて、大変な難儀をしていたその老人を、飛流に送らせたのだ。老人だけならば馬車に乗せてもいけたが、老人は荷を置いてはいけぬと頑固に主張した。
 行き先が景桓のところとあって、あまり目立たぬようにと小ぶりな馬車で来たのも災いした。
 飛流は長蘇から離れるのをいやがったが、なにしろ命令には服従するよう躾けてある。
 「この馬車程度ならわたしとて御せる。なに、ご老人のうちはそう遠くもないようだから、送ったらすぐに引き返して来てくれればよい」
 飛流の軽功なら、景桓の家に着くまでに追いつくだろう。そう高を括ったのだ。
 まさか、こんなことになろうとは、と長蘇は舌打ちする想いで、縄を打たれたままの身で子に覆いかぶさった。
 景宣の平手が、長蘇のこめかみの辺りを力任せに張った。
 「ほう」
と景宣が笑う。
 「そなたのように冷徹な男でも、我が子はかわいいと見える」
 長蘇は子供を腹の下に庇ったまま、膝をついて少し朦朧としていた。なんとしても、この子は守ってやらねばならぬ。
 「そなたには、さんざん煮え湯を飲まされた」
 景宣は、忌々し気に吐き捨てる。
 「わたしばかりか‥‥‥母上も。そして、景桓にいたっては‥‥‥」
 景桓、と聞いて、長蘇はまだぼんやりしたまま、顔を上げようとした。
 「殿下‥‥‥誉王殿下は‥‥‥」
 何を口にしようとしたのか、自分でもよくわからない。真実を明かそうとしたものか。しかし、景宣はどのみち聞く耳を持たなかった。
 「うるさい!」
 景宣の脚が、長蘇の腰を強かに蹴る。
 長蘇はたまらずその場に突っ伏したが、それでも肩と膝とで身を支え、腹の下の子供に重みをかけぬ気遣いは怠らなかった。
 「打ち杖をよこせ」
 景宣の声がした―――。



   * * *



 「長蘇の行方が知れぬだと?」
 琅琊閣に戻った藺晨の怒号が響く。
 琅琊閣の菅家がおろおろと事の次第を話す。既に、長蘇が出かけて一昼夜たつというのだ。
 「飛流めが、すぐに戻ってまいらなんだのです」
と菅家は言い訳する。
 飛流は青物売りの老人を送ったあと、すぐに街道へ取って返した。が、行けども行けども追いつかぬ。不思議に思って街道を外れて探しもしたが、長蘇の姿は見当たらなかったのだ。困った飛流はさんざん探し回った挙句、夜中になって琅琊閣へ舞い戻ったのだという。
 すっかり動転した飛流に、琅琊閣の者たちは叩き起こされた。わけを問い質しても飛流の説明は埒が明かず、夜が明ける頃にようやく事の顛末が飲み込めたのだと菅家は言う。
 「夕刻になってもお戻りでなかったゆえ、我らはてっきり、宗主があちらにお泊りになるものと思っておったのです」
 飛流が一緒ゆえ油断していた、と菅家は言う。
 「いま、誉王殿下のところへ人をやっております」
 藺晨は大きなため息を落とした。飛流を責める気にはなれぬ。恐らく、一番傷ついているのは飛流だ。どれほど己を責めているかと思えば、哀れでならぬ。今もまた探しに行っているのだと言う。

 「閣主。閣主どのはおらぬのか」
 大股にやってきたのは、景桓である。
 「小殊が戻らぬと?」
 「さ、さようで」
と菅家がうなづいた。
 「うちの阿殊も一緒なのだな?」
 「貴様の子のおかげで、こちらはよい迷惑だ」
 つい一言、藺晨は嫌味を言ったが、景桓は心持ち眉を寄せて考え込んだ。そして、ぽつりと言う。
 「実はひとつ、思い当ることがある」
 「なんだ、言え」
 藺晨が詰め寄ったときである。
 「うちの馬車が見つかりました」
 部下のひとりが息せき切って駆けてきた。
 「街道で放置されていたのを、近くの者が自分の村へ乗って帰ったとかで、道理で街道をいくら探しても見当たらぬはずで」
 「放置? どのあたりだ」
 藺晨の問いに、部下はすぐさま答えた。
 「すでに手の者を遣って調べさせましたところ、馬車の轍がいまひとつ。いま、それをたどらせております」
 「馬車が市中の雑踏へ紛れてしまえば、轍も追えまいが‥‥‥」
と、藺晨はちらっと景桓を見た。
 「わたしの勘と、その轍の行く方角が一致すれば、行く先にまず間違いはあるまい」
 「よし、聞こう」
 藺晨はひとまず景桓の話に耳を傾けることにした。




   * * *




 子供の泣き声がした。
 (あっちか)
 藺晨は声のするほうへ走った。
 景桓の読みは、見事に当たったのだ。
 献州から、献王・景宣がこの地に来ていると、噂に聞いたのだと景桓は言った。血を分けた兄のこととあって、なんとはなしに心に留めていたところ、とある官吏の妾宅を宿としていると知った。官吏らの饗応を受けるためにやってきた、忍びの訪問であるらしい。相変わらず、地方の小役人からせっせと小金を巻き上げているのだろう、と景桓は苦笑いしながら話した。
 その役宅が、長蘇の消えた辺りにほど近い。琅琊閣の配下が追った馬車の轍は、案の定途中でわからなくなったが、確かにその妾宅を向いていたのだ。
 景桓らが裏口へ回る間に、藺晨は塀を越えて屋敷へ入った。そして、くだんの泣き声を聞いたのだ。

 「ええい、泣くな」
 怒鳴る声がする。藺晨はすいと扉に身体を寄せた。
 続いて低く呻き声が聞こえた。
 (長蘇?)
 扉を細く開ける。
 長蘇が、子供を庇って打ちすえられていた。
 縛められてはいない。いや、その必要もないほど、長蘇は既に傷つき、弱っていた。それでも、子供を庇うことをやめぬのだ。
 藺晨は大きく息を吸った。
 策も何も、あったものではない。
 幸い、ここは一介の妾宅にすぎぬ。まさか一軍を引き連れてきているはずもない。
 「こやつめ! 邪魔をするな」
 景宣が打ち杖を更に高く振り上げるのと、藺晨が扉を音高く開け放つのが同時だった。

 「‥‥‥よくも長蘇に傷をつけてくれたな」
 「なっ、何やつ」
 じりっ、と景宣が半歩後ずさった。
 子供の上に伏せていた長蘇が、ようよう顔を上げた。
 「‥‥‥りん、しん‥‥‥」
 憔悴しきった顔に、白い花のような笑みが微かに浮かんだ。
 こんな時でも、長蘇の美しさに心奪われる。だが、今はまず、救い出さねばならぬ。
 「来人!来人!」と慌てふためいて景宣が呼ばわる内に、藺晨は既に一飛びに景宣と長蘇の間へ割って入っていた。
 すっ、と剣の切っ先を、藺晨は景宣の喉元に当てる。
 「いっ、一国の皇子に、な、なんとする」
 「皇子だろうが公主だろうが、わたしには関りない」
 冷え切った声で、藺晨は言った。怒りはすでに、熱さを通り越して、凍て付いていた。
 「長蘇を傷つけた者を始末するのに、何のためらうこともない」
 「ひっ‥‥‥」
 本気で、その剣を突き立ててもいいと思ったのだ。だが。

 不意に、景宣の表情が変わった。
 藺晨が開け放ったままの扉の向こうに、弓隊がびっしりと構えたのである。



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