琅琊榜

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『启程』の続きです。
いよいよ、飛流を拾った!


 「何をもたもたしている? 馬車はもうすぐそこだ。とっとと歩かんか」
 梅長蘇は息を切らし、足をもつれさせながら 藺晨を睨み付けてきた。
 「疲れれば背負ってくれると豪語したのは誰だ? お前がそう言うゆえ、わたしも安心して旅に出たのだ。これではまるで騙りにあったようなものだ」
 「何を言うか。お前のためを思って心を鬼にしているのだ」
 は? と梅長蘇は眉を吊り上げ、鼻息を荒くしたが、藺晨は平気である。
 「何が出来て何が出来ぬか、どこまでであれば身体がもつか、自分でわきまえてゆかねばなるまい?」
 藺晨がそう言うと、梅長蘇も言葉につまったようだ。
 今日はさすがにはしゃぎすぎだ。
 ―――猿が。
 あまりに面白かったと見える。
 『軽功の使えた頃に来ていたなら、あの小癪な猿めらを枝から枝へ追い回してやれたものを』と長蘇は大笑いしながら、忙しく飛び回る猿たちを一日中眺めていた。
 ようやく馬車まで戻って、今にも座り込みそうなほど疲れ果てている梅長蘇の前に、藺晨は手を差し出した。
 「さっさと上がって、少し休め。顔が猿のように真っ赤だぞ」
 長蘇は忌々しそうな顔をしたが、背に腹は代えられぬのだろう。しぶしぶ言われるがままにすると、馬車の中で藺晨の肩にぐったりと身体を預けてきた。息が整ってからも、もう頭を持ち上げる気にもならないらしい。
 「・・・・・・眠い」
 瞼が重くなってきたと見えて、梅長蘇は小さく欠伸をした。
 梅嶺で命を拾ってからこのかた、寝つきも悪ければ眠りも浅い。それがこの旅に出てからというもの、長蘇はよく眠った。身体を動かし、さまざまなものを見聞きし、笑ったり怒ったり驚いたりして一日を終えると、宵にはもう身も心もぐったりと疲れ果てるのだろう。それは決して、不快な疲れではないはずだ。
 「今日はどのみち、宿へ戻るだけだ。寝てもかまわん」
 藺晨の声も、すでにどこか遠くに聞いているらしく、梅長蘇はもう、とろとろと眠りの中へ引き込まれていた。

 (こんな風に安心しきった顔で寝入られたのでは、却って口づけひとつ出来ぬではないか)
 藺晨は、眉を寄せた。
 長蘇はぐいぐいと藺晨の肩に額を押し付けながら、ごにょごにょと何か寝言を口にしている。
 「ん?」
 耳を近づけて聞いてみると、
 「景琰、猿が・・・・・・」
と聞き取れた。
 (こやつめ。猿を見に連れていってやったのは、このわたしだぞ? なにゆえ、景琰の夢など見るのだ)
 そう思った途端、
 「藺晨・・・・・・」
と、甘えた口調で呼ばれた。
 「―――全く、気の多い」
 藺晨は苦笑いした。
 誰からも愛されて当然だと想っているのだから、たちが悪い。
 これだから、若様育ちは―――。そう思ってから、ふと可哀想になる。
 そうして誰からも愛されてきた長蘇が、今は都に、いやこの世に身の置き所とてない―――。
 変わり果てたのは、姿形だけではないのだ。その身の上だとて、今はあまりに寄る辺ない。
 長蘇が昔のように我が儘を言える相手は、黎綱や甄平、そしてこの自分くらいなものだろう。そう思えば不憫でならない。
 「明日も、楽しいことが沢山あるとよいな。長蘇」
 藺晨は長蘇を抱きよせ、その頭を撫でた。


 が。
 翌日、案の定、長蘇は起き上がれなかった。
 「これからは羽目をはずすにしても、もう少し匙加減を考えるのだな」
 ため息混じりに藺晨が言う。
 「全く、江左盟の宗主ともあろう者が、たかが猿ごときのために、起きられなくなるほどはしゃぐとは」
 「うるさい。宗主などと言っても、名ばかりではないか」 
 長蘇は口を尖らせた。
 確かに、そうである。実際には、これまで通り古参の主だった舵手や長老らが、江左盟を主導している。それゆえ宗主が長く留守にしても、いっかな困ることはなかったが、それだけに目を光らせねばならぬことも多い。黎綱か甄平、どちらかは残してこぬわけにいかなかった。
 「そういえば、黎綱。なにゆえお前がついてくることになったのだ? 甄平もこの旅には、並々ならぬ意気込みだったはずだが」
 藺晨が傍らの黎綱に尋ねると、
 「公平に籤を引いて決めました」
と言う。
 「甄平め、さぞかし悔しがったであろうな」
 地団太を踏むさまが目に見えるようだ。
 「しかたがありません。何事も運次第ですから」
 めでたく当たりくじを引き当てた黎綱のほうは、しれっとしたものである。
 長老どもの目付役として残してはきたものの、甄平とてまだ若い。充分睨みがきくわけではなかったが。
 (まあ、頭を押さえる者がおらぬ間、琅琊閣も江左盟ものんびりだらだらやっていることだろう)
 長蘇の悲願を成就させるための布石として、琅琊閣の部下どもには、いくつかの指示を与えてある。江左盟と協力して、それなりに動いてはいることだろう。
 そもそも江左盟は、その成り立ちにおいて琅琊閣と赤焔軍に深く関わっている。ふたりにとっての耳目としての役割を担っているのだ。旅から帰る頃には、いくらか結果も出ていることだろう。その先は、長蘇次第である。
 長蘇の体調が安定すれば、やがては自ら江左盟を率いることになる。すぐに自分が受け入れられるとは、長蘇とて思ってはいまい。江左盟と言う猛者の集まりを率いてゆくには、あまりに経験不足で、しかも病身ときている。いかにあの梅石楠の忘れ形見だと名乗ったところで、叩き上げの長老たちが、あっさり靡くとは思わなかった。
 それでも、いずれは本腰を入れて江左盟を梅長蘇の手足にしてやらねばならない。長蘇自身が猛者どもを心服させる必要があるが、自分の手助けも必要だろう。
 茨の道しか待たぬのだ。せめて旅の間は、存分に甘えさせてやろうと藺晨は思っている。したいことをしたいようにさせ、臥せれば細やかに世話もしてやる。
 『梅長蘇』に、よい思い出を一つでも多く残してやりたいのである。



   * * *

 

 この旅で、長蘇は江湖の名だたる文人墨客らから、琴棋書画さまざまなことを学んだ。
 もとより林殊はひととおりのものを嗜んだが、やはり武芸が最も性にもあい、父帥もまた林家の跡取りとして一番にそれを求めたゆえ、芸道にのめりこむことはなかった。しかし、生来才気煥発で要領もよい長蘇は、此度の旅ですっかりこれらの芸事の腕をあげた。師となった者たちは皆、長蘇の才を愛でたが、どういうわけか囲碁だけは凡庸の域を大きくは出なかった。兵法を学び、武人として前線を経験した長蘇にとって、碁盤の上の戦はどこか勝手が違うものだったのかもしれない。
 長蘇が墨客たちと膝を交えるのは、なにもただ遊びに興じるためばかりではない。江湖で名を成す者たちは、何かと世間の事情に明るい。一芸に秀でた者は、あちこちから招かれ、各地を遊歴し、身分や齢の隔てなく友を作る。
 どれほどの身分高き者から、金銀財宝を積まれて請われても明かさぬ秘密を、友となり、義兄弟の杯を交わした相手にならば易々と打ち明けることもある、それが江湖の男たちである。
 どれだけ手駒を持てるかも、長蘇の今後の鍵を握ることになるのだ。
 その点では、長蘇はとてもうまくやっていた。いや、上手くやりすぎていたと言ってもいい。

 「何を怒っているのだ?」
 とある絵師の家から宿へ戻った夜、長蘇がうんざりしたように言った。
 「怒ってなどおらん」
と藺晨は答えた。その声が、刺々しくなっていることに自分でも気づいてはいる。
 「怒っているではないか」
 重ねてそう言われ、藺晨もさすがに黙っていられなくなった。 
 「―――お前は愛想を振りまきすぎだ」
 は?と長蘇が目を瞠る。
 「愛想よくして取り入れと言ったのはお前だぞ?」
 さも呆れたといった表情だ。
 「程度というものがある」
 「わたしの愛想が度を越していたと?」
 少しむっとしたように長蘇が言い、藺晨もつい苛立つ。  
 「気安く絵姿など描かせるな」
 「それくらい構わぬではないか」
 「長い時間立たされて、具合が悪くなったのはどこの誰だ?」
 すらりとした立ち姿を描かせてくれと言われて、長蘇は随分長いこと、四阿で佇んだ。まずいなと思って見ていたら、案の定、宿に戻る途中で長蘇は軽い発作を起こした。
 「あれは、たまたまだ」
 少し赤くなって、長蘇が弁解した。火寒の毒を患ってもうだいぶたつというのに、長蘇はいまだに、己の身体の脆弱なことを恥じる向きがあるのだ。
 「何がたまたまだ。わたしは医者だぞ?」
 本当は、今もまだ調子はよくないはずだ。現に、言い返そうとした長蘇が咽て咳き込む。 
 「それ見ろ」
 背中をさすってやると、長蘇は不服そうに顔を背けた。
 「―――大したことはない」
 「嘘をつくな。いいから今日は早く休め」
 これだから無理はさせられぬ、と藺晨はため息をついた。
 あんな脂下がった男に絵なぞ描かせて、挙句に身体を損ねたのでは割に合わぬではないかと思う。半ばは悋気であると自分でもわかっていたが。
 やはり今少し―――、長蘇の身体を丈夫にしてやることは出来ぬものかと、そう思わずにはおれぬのだ。



   * * *



 「千代三草だと?」
 かつて共に医術を学んだことのある男に、藺晨はそう問い返した。
 「栄草、老菜、身草、とあってな。食せば齢を千年伸ばすことの出来る霊草だそうな」
 「霊草・・・・・・」
 その話は、確かに聞いたことがある。かの徐福も、始皇帝の命を受けて霊薬を探しにかの地を目指した。
 「東瀛の蓬莱山に自生すると聞く。なんでもその麓には黄金の宮があって、神仙が不老不死の霊薬を作っているらしい。もっとも、常人にはたどりつけぬ場所らしいがな」
 男はそう言って笑った。
 東瀛などという、海の向こうのちっぽけな国のこととて、これまであまり気にも留めなかったが。

 千年の齢。
 千年などと、望みはせぬ。
 ただ人並に、長蘇を生かしてやりたいだけだ。

 半ば伝説の類と知りながら、それでもすがってみたいと言う気になった。可能性のあることは、全て試してみたかったのだ。

 

 先に琅琊閣へ帰っていろと言うと、長蘇は呆れた顔をした。
 「莫迦を言え。わたしのこの身体で、お前なしに琅琊閣に帰れると? あそこは馬車で乗り付けられるようなところではないのだぞ?」
 確かにそうだ、と藺晨も考え直した。
 「ならば、廊州で待て」
 「廊州?」
 「ああ。廊州に屋敷を用意してある」
 江左盟を束ねるにあたり、いずれ長蘇が琅琊閣から居を移せるようにと手に入れたものだ。そこで待つよう長蘇に言った。
 「何を勝手な。お前がこの旅に連れ出しておいて、気が変わったら放り出すのか」
 「なんとでも言え」
 笑って藺晨は、その日、長蘇と別れた。




   * * * * *
 



 数か月ぶりに中原へと戻り、廊州に辿り着いてみれば、案の定、長蘇は臥せっていた。
 「しょうのないやつだ。わたしが留守の間にも、さぞかしこまめに倒れていたのだろうな」
 「はあ・・・・・・」
 黎綱が困ったようにうなづく。
 くだんの霊草は、ついに見つからなかった。
 かの蓬莱山は東瀛の都から遥か東で、黄金色に輝くと聞いた蓬莱宮とて、影も形も見えなかった。あるいは神仙のみに見える宮であるのかもしれぬ。霊草も、玉の木も、白き獣も。話に聞いたものは何一つなく、藺晨は空しく西へと取って返したのだ。
 途中、思わぬ拾い物をして手間取ったが、ようやく東瀛の西の果てから海を渡り、この中原へと帰り来たのである。
 目当ての霊草こそ手に入らなかったが、試す価値のありそうなものは何でも持ち帰ってきた。しばらくは、薬の調合に明け暮れることになるだろう。

 「藺晨」
 褥に横たわっていた長蘇は、別れる前より幾分痩せてはいたが、それでも嬉しそうに手を差し伸べてきた。
 「わたしに会えず、寂しかったか?」
 藺晨が笑ってそう尋ねると、長蘇も悪戯めいた笑みを浮かべた。
 「おまえがおらぬと静かすぎて、一日中眠ってばかりだ。おかげで背中から床に根が生えた」
 「ほう。まことかどうか見せてみろ」
 長蘇の身体に腕を回して、藺晨はたやすく抱き起した。
 「残念ながら、根は失せたようだな」
 笑いながら薄い背をさすってやると、長蘇も可笑しそうに笑った。
 「宗主は随分心配しておいでだったのですよ。小閣主が旅先で難儀に遭うてはおられまいかと」
 「黎綱」
 余計なことを、と長蘇は軽く黎綱を睨む。案じてくれていたのかと思うと、藺晨は思わず頬を緩めた。長蘇には行先を告げずに旅立ったが、黎綱が早々に口を割ったのであろう。
 「それより旅の話を聞かせてくれ。東瀛はさぞ遠いところなのであろう? 人の装いはどうであった? どんな言葉を話すのだ? 珍しい鳥や獣は?」
 長蘇の矢継ぎ早の問いに、藺晨が苦笑した時だ。

 「こら待て! 大人しくしないと縛りあげてしまうぞ!」
 どたばたと音が近づいてきたかと思うと、甄平のそう怒鳴る声が聞こえた。次の瞬間、廊下の障子からずぶりと紙を破って人の手が出てきた。
 黎綱が思わず剣を掴んで腰を浮かせる。それへ長蘇がゆるやかに首を振った。
 「黎綱、御覧。子供の手だ」
 「え・・・・・・」
 障子紙からにょっきり生えた手は、まだ小さな子供の手で、それが結んだり開いたりしながら暴れて、障子の破れを大きくしてゆく。
 「いい加減に大人しくしろ!」
 甄平が子供の首根っこを掴んで、野良猫のようにぶら下げてきた。子供は手足をばたつかせ、隙あらば身体をばねのように曲げ伸ばしして甄平に蹴りを喰らわせようとしている。既に甄平はさんざんな目に遭ったようで、顔中にひっかき傷を作り、口の端に血をこびりつかせ、服はあちこち破れ・・・・・・という惨憺たる有様である。
 「どうした。子供ひとりに随分手を焼いているではないか」
 藺晨は笑った。
 「何です、この子供は! 物騒にも、懐に暗器など仕込んでいたのですよ!」
 「ちゃんと取り上げたか?」
 「当たり前です。しかし、相手が子供だと思って手加減していたら、こちらがこのざまです」
 藺晨は可笑しくてたまらない。なにしろ、自分も同じ目にあったのだ。
 東瀛で拾ったその子供は、餓えて弱り切り、襤褸襤褸であったというのに、拾って手当てした藺晨の手に噛みつき、帯の間に忍ばせていた暗器で、こともあろうに藺晨の急所をねらってきたのである。恩知らずにもほどがある。廊州まで連れ帰るには、それはそれは苦労したのである。
 「藺晨、その子は?」
 長蘇がそう尋ねた。
 「ああ、お前への土産だ。好きにしろ」
 実際は、捨てるに捨てられず、つい連れてきてしまっただけであったが。
 甄平に押さえつけられた子供は、獣のようにうう、うう、と唸り声を立てて、歯を剥いている。
 「小閣主! 好きにとおっしゃられましても、こんな物騒なけだものを宗主に近づけるわけにはいきません。甄平早く向こうへ・・・・・・」
 「わかっている。全く手を焼かせて・・・・・・」
 ぐい、と甄平は子供の襟首を曳こうとしたが、
 「待て」
と、凛とした声で、長蘇が言った。
 「―――おいで」
 びくん、と子供が震えた。その顔が、恐る恐るこちらを向く。
 痩せた小さな顔の中に大きく場所を占めた両の眼が、初めて長蘇を捉えるのを、藺晨は不思議な思いで見ていた。
 子供の大きな目から、その時、突然に涙が零れ落ちたのだ。
 そして―――。
 不意に子供は哭いた。
 まるで火が付いたようなその慟哭に、甄平が驚いて手を離したほどだった。
 ひどく幼い、赤子のような声を上げて、子供は泣いた。こんなふうに泣くのだと、藺晨は呆気に取られていた。拾ってこの方、この子が泣くのを藺晨は一度も見たことがなかったのだ。
 泣きながら、子供は四つ這いになってこちらへいざり寄ってきた。涙と洟で顔をぐしゃぐしゃにして、子供はまっすぐ長蘇のほうへ這ってくる。
 黎綱がおろおろしているのを知らぬげに、長蘇は両手を広げた。その手に、子供は飛び込んできた。
 子供の勢いが余って後ろに倒れそうな長蘇を、藺晨は片腕で支えた。長蘇と子供、二人分の目方でも、随分軽い。痩せた子供が、痩せた病人にしがみついて泣きじゃくるさまは、どことなく哀れを催した。
 あれほど自分や甄平の手を焼かせた獰猛さなど、微塵も感じさせずに子供は泣いた。長蘇は子供の小さな体を抱き、手巾で洟を拭いてやっている。
 長蘇のこんな穏やかな顔も、初めて見たと藺晨は思った。
 たかが汚い子供である。拾ってすぐに、着物だけはこざっぱりしたものに着替えさせたが、風呂に入りたがらぬから、垢じみたままだ。髪も洗わぬので臭う。それでも長蘇はさほど気にせぬようだった。
 「どうだ? 琅琊山へ連れて帰るか?」
 まだ、いましばらくは長蘇を琅琊閣で世話するつもりだ。東瀛で手に入れたさまざまな薬材も試してやりたい。いずれはこの廊州を拠点に、江左盟を長蘇自身で動かすようになるだろうが、まだ早い。
 「そうだな。この子には、庇護が必要だ」
 己自身が庇護されねばならぬひ弱な身で、長蘇はそんなことを言った。
 しかたがないな、と藺晨は苦笑する。ならば、二人まとめて面倒見てやるしかないではないか。
 「好。ならば皆で琅琊山へ引き揚げるとしよう」
 長蘇の体調さえ整ったなら、この子供を連れて琅琊閣へ帰るのだ。
 「まことに連れてゆくのですか?」
 甄平が不安そうな顔をする。
 「長蘇がそう言うのだ。まことに決まっている」
 なあ、と長蘇の顔を覗き込む。長蘇は何も言わず、微笑んで一心に子供の顔を見ていた。子供もまた、しゃくりあげながら長蘇の白い顔をひたと見上げている。そのさまが、ひどく美しいものに思えて、藺晨はなぜか胸が熱くなった。

 長蘇の背に回していた腕を、ぐい、と引き寄せる。
 千年の齢を、手に入れてやることはできなかったが。
 それよりももっと、大切なものを得た気がして、藺晨は腕の中のふたりを眺める。

 子供はいつの間にか、声を上げるのをやめていた。顔を綺麗にふいてもらい、子供は長蘇の胸に頭を預けて大人しくしている。
 (じっとしていれば、なかなか可愛いものではないか)
と思う。少し臭いはするが。この分なら、長蘇に命じられれば風呂にも入るに違いない。小奇麗になれば、さらに情も湧くだろう。
 (なに、どうせ養うなら一人も二人も同じだ)
 長蘇が喜ぶなら、手元に置いて育てよう―――。そう肚を決めて、藺晨は微笑った。
 よい土産になった、と嬉しくなる。
 長蘇を置いて、わざわざ東瀛へ渡ったのだ。手ぶらで戻ってこなくてよかったと思う。

 今夜はゆっくり、長蘇に話して聞かせよう。
 この子がこれまでどんな目にあって、どんなふうに一人彷徨っていたか。
 それから、この子に聞かせてやろう。
 長蘇がどれほどの苦難に耐えて、どれほど険しい道を行こうとしているか。
 そして。
 (わたしの想いなど、教えてはやらんが)
 そう思って、ひとりくすっと笑った。
 「なんだ?」
 見とがめて、長蘇が問う。
 「いや―――」

 教えてなどやらぬ。
 自分がどれだけ長蘇を愛しく思っているか。
 長蘇とこの子が寄り添う姿に、どれだけ心打たれたか。


 琅琊山は、これから初夏を迎える。
 きっとこの子も、琅琊山を気に入るに違いない。

 決して長くは続かぬであろう幸せな日々を、それでも藺晨は幸せな思いで胸に描いた―――。


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~ Comment ~

遥華 様

朝から素敵なお話を読ませていただいて、幸せな気分で、一日が過ごせそうです。
ありがとうございます。

蘇飛母子を見守る父藺晨の図が目に浮かびます。聖母子のような。いや、むしろ長蘇なら慈母観音の方が似合うかしら。

この出会いがあの『飛流』に収束していくのですね。納得です。
藺と蘇飛で一つなんですね。

藺晨にとっては、この頃から長蘇が金陵に旅立つ前までが至福の時だったのかもしれませんね。その思い出だけでも後の人生を生きていけるような。
藺晨に良い時間を作っていただいて感謝です。

遥華様ワールドの瑯琊榜のお陰で、ますます瑯琊榜が好きになっていきます。

>>ymkさま

どうやら、時系列的に、邂逅→后援→发誓→茸茸→羽翼→爱上他→启程→琛→胡枝子 のようです。
書いた順番がバラバラで、その時その時の設定で書いているので、
続けて読むと辻褄はあいませんが、大体そんな感じで進んでるようです。

>>ymkさま

あ、途中で送っちゃった。
いや、ほんとに、自分の妄想を吐き出してるだけとはいえ、
アップしたからには読んでいただいてナンボのものなので、
こうしていつも読んでもらって乾燥までいただけるのはめちゃくちゃ有り難いです!!
藺晨・長蘇・飛流の構図は、ほんとにもう好きで好きで、どうしようもありません。
ずっと三人で末永く幸せに暮らしてほしかったなあ。
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