琅琊榜

发誓 ( 『琅琊榜』 #1以前)  

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少年から青年になりかけの藺蘇です。

 しばらく会わずにいた間に、長蘇はめっきり背が伸びていた。
 半年前に琅琊山で会ったときには、ちびだ餓鬼だとからかったものだが、今はほとんど背丈が変わらない。下手をすると、次に会うときには自分の背を越されてしまうのではないかと、藺晨は眉をひそめた。
 長蘇も充分自覚していると見えて、にやにやしながら不敵に顎を聳やかせている。救いと言えば、いまのところ背が伸びるのにかまけて、厚みの方はまだついてきていないということくらいだ。それも縦に伸びるのが落ち着けば、自然と男らしい体つきになってくるに違いなかった。
 ―――半年。
 この伸び盛りに半年会わねば、それはすっかり変わって当然だ。会えぬ半年の間、藺晨の頭の中にはこのまえ会ったままの長蘇が棲みついていた。日毎夜毎、その顔その姿を思い描いては、次に会う日を楽しみにしてきたのだ。つい昨日まで、夢の中で会っていた長蘇と、今目の前にいる長蘇との差を埋めるのに、まだしばらくはかかりそうだ。
 (半年は、長いな)
 藺晨は溜息をついた。
 いや、半年たっても、長蘇は琅琊山を訪れる気配さえなかった。しびれを切らせて、藺晨は山を下りてきたのだ。
 金陵は初めてではない。
 藺晨とて、父について随分江湖を旅し、見聞を広めてきた。それでも、日頃、深山幽谷の内に暮らす藺晨にとって、都の喧騒はひどく猥雑に思える。
 長蘇は、日々をこの中で送っているのだ。そう考えると、いますぐ山へ攫ってゆきたくなる。
 林府へ行くのは、やはり気後れがした。それゆえ文を遣わして、近くの茶楼へ呼び出したのだ。長蘇は供も連れず、ひとりでやってきた。そのすらりとした姿が視界に入ったときの、藺晨の胸の高鳴りといったらなかった。
 「ひとりで来たのか? 老閣主は?」
 卓へ歩み寄ってくるなり、立ったままでいきなり茶を一杯淹れて飲み干すと、長蘇はそう尋ねた。良家の若様が、随分行儀の悪いことだと思ったが、そういう飾らぬところが長蘇らしくて好もしい。とはいえ。
 「わたしひとりでは悪かったか」
 つい、憎まれ口が飛び出した。
 長蘇は一瞬すこし驚いたように目を瞠ったが、すぐににやりとした。立っているだけでも、座っている藺晨よりずっと高い位置に顔があるというのに、わざと顎をあげて睥睨するような目つきをする。
 「なんだ、拗ねているのか」
 長蘇はそう言って笑った。
 「你っ・・・・・・」
 年下のくせに。
 なんという生意気な口のききかただろう。
 長蘇はようやく椅子に腰かけた。
 両肘をついて、組んだ両手の上に顎を乗せてにやにやと藺晨の顔を見てくる。
 「わたしがしばらく山へ行かなかったから、寂しくて会いに来てくれたんだろう?」
 まだ幼さの残る顔に、大人びた表情を浮かべて長蘇はそう言った。藺晨は図星をさされて腹をたてながらも、大人と子供とが絶妙に混在したその顔に引き付けられずにはいられない。
 「まさか。たまたま都に用があったゆえ、ついでにお前の顔を見てゆこうと思っただけだ」
 用があったのは本当のことだ。が、べつに自分が来るほどのことでもなかった。やはり一番の目的は、長蘇に会うことであったのだが。
 ふうん、と長蘇は切れ長の瞳で覗き込んでくる。
 そして、今度は、屈託なくにっこり笑って、こう言ったのだ。
 「わたしは、会いたかったな」
 ずきん―――
と、胸が疼いて、藺晨は言葉につまった。
 お前に会うために来たのだと、素直にそう言えばよかったと、たちまち後悔する。
 「わたしは―――」
 藺晨が口ごもった途端、はじかれたように長蘇が笑った。
 「えっ」
 きょとんとしている藺晨の顔を見て、長蘇はますます笑う。
 「もう。お前ってこんなにからかい甲斐のあるやつだっけ?」
 げらげら笑って、長蘇が言う。
 「これじゃまるで景琰とおんなじじゃないか」
 その言葉が、藺晨の胸を刺した。
 景琰と同じ?
 ふつふつと、得体のしれぬ感情が湧いてくる。
 自分が会えずにいる間、長蘇は蕭景琰とこんなやりとりをしながら、この猥雑な都で暮らしているのだ。そう思った途端、やりきれなくなった。
 両手を卓について、藺晨は立ち上がった。
 長蘇がようやく笑いを収めて、不思議そうに顔を見てくる。
 「もう用は済んだ。琅琊山へ帰る」
 「帰るって、いま会ったばかりなのにか?」
 初めて、長蘇の顔に戸惑いの表情が浮かんだが、藺晨はもうそれを見てさえいなかった。
 長蘇のそばを素通りして、扉へ向かう。その袖を、慌てたように長蘇がとらえた。
 「待てったら」
 「うるさい」
 乱暴に、藺晨は長蘇の手を振り払った。

 茶楼を出て、宿への途を大股に歩く。腹が煮えて、どうしようもなかった。何もかもが、悔しく腹立たしい。長蘇が会いに来なかったことも、すっかり背丈が伸びたことも、いきなり大人びた顔つきでからかってくることも、景琰と楽しく過ごしていたことも、都の喧騒も、何もかもだ。
 (なにが、景琰とおんなじ、だ)
 自分にとって、長蘇は唯一無二だ。だが、長蘇には。
 そんなことを思う自分が情けなくて、惨めったらしくて、藺晨は泣き出したいような気分になりながら、歩いていた。
 「藺晨。なあ、待てってば」
 往来の中、追いついてきた長蘇に腕をつかまれて、藺晨はようやく足を留めた。
 「なんだよ。なんでそんなに怒ってるんだ?」
 困惑と、不安と、苛立ちとがないまぜになった顔で、長蘇はそう尋ねる。
 なんと答えろと? 藺晨自身にも、表現のしようがない。ひどく悲しい気分で、藺晨は長蘇の顔を見た。
 「―――呼び出して悪かった。またいつか、気が向いたら琅琊閣へ来い」
 努めて穏やかに、藺晨はそう言って笑みを浮かべた。
 自分が会いたかったのは。
 ―――梅長蘇だ。
 ここ金陵に、梅長蘇はおらぬのだと藺晨は気づく。この都にいるのは、林家の跡取り・林殊でしかない。
 自分は、琅琊山で待つしかないのだ。林殊が、梅長蘇の顔をして江湖の風に吹かれに来るのを。

 父も、そうだろうか、と。初めて思った。
 父にとっての友・梅石楠は、都にあっては並ぶものとてない名将・林燮にほかならぬ。いかに江湖にその名の知れた琅琊閣閣主とて、友としてつりあう相手とは言い難い。
 梅石楠が訪れるとき、父はそれはもう浮き浮きと愉し気だった。だが、林燮が梅石楠でいられる間はあまりに短い。殊に近頃は一年どころか二年近くも、音沙汰のないこととてある。北征すれば、なかなか戻らぬ林燮である。ようやく都へ帰っても、琅琊山を訪れるだけの余裕はないのだ。半年前とて、長蘇はひとりでやってきた。
 向こうから訪ねてこれぬのなら、こちらから訪ねてゆけばよいではないかと、藺晨はそう思っていた。口に出して、父にそう言ったこともある。父はすこし笑っただけだった。
 その意味が、いまやっとわかる。父の会いたい梅石楠は、この都にはおらぬのだと。
 父も、自分も。琅琊山で、ただ待つしかない。林父子には、国と民と、主を守る責務がある。ただの責務ではない。渠らはそれを誇りとしているのだ。ならば、黙って見守るしかないではないか。

 「藺晨」
 いつの間にか、長蘇は泣き出しそうな顔になっていた。
 そんな顔をすると、たちまち子供に返ったように見えて、ついいじらしくなる。
 「悪かった。怒ってはいないからもう帰れ」
 「でも」
 長蘇は行きかう人々の目を気にするように、少し俯いた。琅琊山と違って、誰に気兼ねなく二人だけで話をすることさえ難しいのだ、ここは。
 「折角会えたのに」
 小さな声で、長蘇が言った。
 「会いたかったのは、ほんとうだから」
 「―――長蘇」
 林殊どのとでも呼んでやるべきかと思ったが、それも嫌味な気がして、藺晨はいつも通り長蘇と呼んだ。
 名前を呼ばれて、長蘇はようやく少し安心したような表情を浮かべた。
 「琅琊山へ、行きたかったんだ。でも―――」
 父が遠征し、母が心細がったゆえ、都を空けられなかったのだと長蘇は短く釈明した。
 そんなことは、言われずともわかっていたのだ。それでも、本人の口からそう聞いて、悄然としたさまを見ると、藺晨もほっとして救われた気分になった。少しは会いたがってくれていたのだと思うと。それだけで己の寂しさも報われる気がした。
 「こうして顔を見ることも出来た。次は琅琊山で待っている」
 藺晨がそう言うと、長蘇は不服げな顔をした。
 「次ではなくて、―――いま一緒にいたい」
 むすっとしたままそう言った長蘇があまりに可愛くて、人目がなければ藺晨は思い切り抱きしめてしまうところだった。
 やはり―――、と思う。
 自分にとっては、梅長蘇なのだ。身分や育ちがなんだろう。
 今やっと。
 半年ぶりに、友に会えた気がした。



   * * *


 
 寝床をまるごと長蘇にとられて、藺晨は苦笑した。
 喋るだけ喋って、長蘇はことんと眠ってしまった。
 林家の若様が、ひとりで勝手に外泊とは恐れ入る。宿の下働きに、林府への文はことづけていたようだったが、長蘇の身分を考えれば、そんな簡単にすませるべきこととも思えなかった。
 (まあ、おなごでもあるまいし、この齢にもなれば外で泊まることもなくはないか)
 長蘇が女と懇ろになるのを想像して、藺晨は小さく吹き出した。どうも考えられない。が、健康な若者なら当たり前のことだ。
 そういえば、長蘇には許婚者がいたはずだ。ふたつ年下の、霓凰といったか、郡主である。邸には年頃の侍女とているだろう。長蘇よりひとつ上の蕭景琰は、すでに側室を持つ身だと言うから、長蘇がいつその郡主を娶ってもおかしくはない。江湖でふらふらしている自分とは違うのだ。
 「そんな真ん中に陣取られては、わたしの寝るところがないだろうが」
 眠っている長蘇の身体を、ごろんと転がしておいて、藺晨はその傍らへ身を横たえた。
 長蘇の背中は、温かかった。身体の温かい者は、病にかかりにくい。長蘇は心身ともに健康そのもので、武人として申し分ないだろう。一軍を背負って立つだけの矜持と才覚も持ち合わせている。やがては、父帥のあとをついで、将として立つ。その日はもう目の前だ。今回は都に残っているが、既に初陣もすませたと聞く。
 これからは、ますます会えなくなるのだろう、と思う。
 長蘇はまだ知るまいが、江湖には江左盟と称する組織がある。もとは小さな幇であったものを、ほかならぬ藺晨の父と梅石楠とが大きく堅固なものにしたのだ。江左盟が動かす情報と物資は、琅琊閣と赤焔軍へ流れる。一度は梅石楠が宗主として立ったが、林燮本来の重責を全うするために、渠はすでにその座を退いていた。宗主不在のまま琅琊閣を後ろ盾に、江左盟は幾人かの長老と舵手らによって動かされている。
 長蘇の上に兄のひとりでもいれば、その者に林家と赤焔軍を任せて、長蘇には江左盟を継がせればよいものを、と藺晨は思う。が、実際には長蘇は林家の跡取りであり、周辺各国に油断のならぬ今、武人・林殊が梅長蘇として江左盟を率いることはまずあるまい。
 来世では、と思う。江湖の者として生まれてこい、と藺晨は長蘇の身体に腕を回した。
 今生では、自由に会うことさえままならぬ。それでも遠くから支えて行こうと決めてはいる。決めてはいるが、やはりもどかしくてならぬのだ。いまだ父のようには達観できない。いや、父とて達観しているわけではあるまい。もどかしいからこそ、度々癇癪も起こすし、たまに石楠に会えたと思ったら口論もする。口論で済めばよいが、互いの内功が琅琊閣を揺るがすほどの喧嘩とて、珍しくはなかった。
 父も、随分辛抱しているのであろうと、少々気の毒になる。

 「長蘇・・・・・・」
 回していた手に、藺晨はわずかばかり力を込めた。鍛えてはいてもまだ厚みのない体が、容易く腕に納まる。
 「う・・・・・・ん?」
 長蘇が身じろいで、腕の中で寝返りを打とうとする。少し手を緩めてやると、長蘇は目を閉じたままで、身体をくるりとこちらに向けた。
 顔が。
 あまりにも間近にあって、藺晨はどきりとする。
 眠っている間は、林殊も梅長蘇もありはしない。
 こんなに無邪気な顔をして、これからこの国の守りを背負って立つのだ。
 危険もあろう。重圧に押しつぶされそうなこともあろう。だが、きっと、長蘇はそれを耐え抜くだろう。耐える姿を見るのは、自分にとって辛いに違いないと思う。この年若い少帥を、どうやって守り支えていけるだろう。

 琅琊閣と、江左盟。
 林殊のためではない。
 わが友・梅長蘇のために。江湖の力のすべてを注ぎ込めるよう、自分もまた、強く賢くならねばならぬ。
 「お前にからかわれているようでは、話にならんな」
 藺晨は長蘇の寝顔に向かって、そうささやいた。
 茶楼で腹が立ったのは、からかわれたせいではない。それを悠々と受け止めて一矢報いるくらいの器量が、自分にないことに腹を立てたのだ。
 知恵も、度量も。長蘇の上をゆかねばならぬ。いつでも手を差し伸べてやれるように。

 「お前のどこが、そんなに気に入ったのやら」
 己でも、よくはわからない。
 顔かたちではない。
 この、清く強い魂。
 この国を愛し、同胞を愛し、誠を愛する天晴れな心映えにこそ魅せられたのであってみれば、誠のために命を晒す友を、止められるはずがないではないか。
 それゆえ、守る。
 自分なりのやりかたで。

 赤焔軍の赤は、忠誠のしるしだ。長蘇がこの国に忠誠を捧げるのなら、自分は友に赤心を捧げよう。
 長蘇の、にきびひとつない滑らかな額に、藺晨はそっと口づけた。
 兄弟の杯など、照れくさくて交わしたこともない。この口づけが、変わらぬ友情の誓いだ。
 小さく声を漏らした長蘇が目覚めぬように、その背を優しく叩いてやる。長蘇はすぐに、更に深い眠りに引き込まれていく。

 (おまえは誓わずともいい)
 報いは求めぬ。
 この誓いを、長蘇が知る必要はないのだ。

 己だけが知る、このひそやかな誓いは、生ある限り絶えることがない。
 どちらか一方が命尽きるまで。 
 (いや―――。たとえ一方が生を終えても)

 ぐっすりと眠る長蘇の頭を胸に引き寄せて、藺晨もまた目を閉じる。

 友の健やかな寝息が、藺晨を眠りへといざなった。
 
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