琅琊榜

爱上他 (『琅琊榜』 #1以前)

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順番的に、『羽翼』の直後くらいです。

 「閣主はまだ奥においでなのか」
 同輩に苛々と尋ねられて、その者は溜息をついた。
 「どうせまた、あのお方が癇癪を起こしておいでなのだろう」
 その答えに、同輩もまた眉をひそめつつうなづいた。
 「ああ、―――またか」
 「全く、閣主にも困ったものだ。いかにご友人のご子息か知らぬが、今や謀反の大罪に問われる身だぞ。ここで匿っていると知れたら……」
 「しっ。滅多なことを言うものではない。それに、お前知らぬのか」
 声をひそめられて、首を傾げる。
 「なにをだ」
 「林燮将軍というのは、単にご友人というだけではない。将軍こそが、梅―――」
 同輩がそう言いかけた途端。
 「貴様たち。何を無駄口に興じている」
 厳しい声音が響いて、二人はびくんと背筋を伸ばした。恐る恐る、振り返る。
 「……これは小閣主。おいででしたか」
 慌てて笑みを取り繕った者たちへ、藺晨は顎を聳やかせた。
 「わたしはこの琅琊閣の跡取りだ。ここにいて何が悪い 」
 「わ、悪いだなどと、滅相もない」
 顔の前で手を振る二人を、藺晨は軽くにらむ。
 「男の癖に、噂話などに花を咲かせるな。みっともない」
 そう言うと、二人は慌てて各々の仕事場へと駆け去っていった。
 藺晨は小さく溜息をついた。
 (無理もないな。閣主父子が揃いも揃って、長蘇にかまけて仕事を省みぬのでは、示しがつかぬ)
 父は、長蘇に江左盟を預けると言う。それも既に、琅琊閣の中では噂になっている。あんな死にぞこないの病人に、江左盟を束ねて行けるはずがないと。
 長蘇が梅石楠の息子であるらしい、と察した者もいるようだが、かつての長蘇を知る者からは激しく否定されることだろう。
 (あれだけ容貌が違えば、無理からぬこと)
 藺晨ですら、全く戸惑わぬというわけではないのだ。
 今一度、溜息をつこうとした時。
 後ろから、ぽんと固いもので肩を叩かれた。
 振り返ると、扇子を玩びながら父が立っていた。
 「また、長蘇を甘やかしておいでに?」
 そう言うと、父は柔らかく微笑んだ。そうしていると、いかにも風雅な佇まいなのが癪に障る。
 「今の長蘇どのには、甘やかしてやる者が必要だ」
 にっこり笑ってから、父はその笑みを収めた。
 「だが、わたしはそろそろ飽きた。―――あとは任せるぞ」
 「は?」
 一瞬、意味がわからず藺晨は間の抜けた返事をした。父がにやりと笑う。
 「近ごろは勉学に励んでいるようではないか。琅琊閣と長蘇どののことは任せた」
 「―――爹?」
 ひらひらと手を振りながら回廊を去っていく父が、まさかそれきり本当に琅琊閣へ戻ってこないとは、その時は知る由もない藺晨ではあったが―――。
 


   * * *


 
 「長蘇?」
 褥の上で、長蘇は膝を抱えて座っていた。
 揃えた両膝は、痩せて尖っている。
 「そんな恰好で起きていては、風邪を引く」
 そう声をかけると。 
 「藺晨……」
 うなだれていた長蘇がこちらを向く。乱れた髪の間から、白い貌が覗いた。
 「また、べそをかいているのか」
 痩せた頬が濡れている。
 「―――五月蠅い」
 長蘇は拳で涙を拭ったが、すぐにまた新しい涙が溢れ出す。
 「もう、―――いやだ」
 長蘇は切なげな声で言って、膝に顔を埋めた。
 「……身体じゅう痛むし、寒いし、夢ばかり見るし、―――少しも眠れぬ」
 「ああ……」
 今日は朝から、霙が降っている。こんな日は特に、具合が悪いらしいのだ。まるで幼い子がむずかるように、長蘇は不機嫌になり、癇癪を起こす。
 いい大人が、と思う。
 長蘇も、既にはたちを越えた。分別のない齢ではない。
 だが。
 『今の長蘇どのには、甘やかしてやる者が必要だ』
 父のいうことも、わかる。
 かつての『林殊』の晴れがましい人生に引き比べ、長蘇は全てを失った。地位も名誉も財産も、肉親の命も、友との絆も。そして、己の姿かたちさえ。
 そのうえ、病に蝕まれ、思うに任せぬ身体である。
 正気を保っているだけ、天晴れと言うべきだろう。―――正気であればこそ、長蘇は苦しむのだ。
 そばへ膝をつくと、長蘇は両手を差し伸べて抱き着いてきた。
 負けず嫌いの強情者が、近ごろはこんなふうに、たやすく自分にすがってくる。
 それだけ。
 心細いのだ、と思う。
 長蘇は大望を胸に抱いている。『大望を抱いている』というより、『宿願を背負っている』というべきか。そのためにこそ、生き延びた。それを果たさずには、死んでも死にきれまい。
 だが、その宿願を果たす日は、今の長蘇にとってあまりに遠かろう。この弱り果てた身で、遥か先を目指すことは、途方もなく難儀なことだ。
 それでも、宿願は果たさねばならぬ。
 その重圧たるや、想像するだに痛ましい。この痩せ細った体に背負わせるべきものとは、とても思えなかった。
 ―――ゆっくりと。
 時をかけて、長蘇の身体と心を回復させてやらねばならぬ。
 それまでは、多少甘やかしたとて、構うまいと思う。
 どうせ、茨の道へ送り出さねばならぬのだ。せめて、この琅琊閣にいる間くらいは。

 「どこが痛むのだ? さすってほしいか? 温めてほしいか?」
 そう言うと、顔を上げた長蘇は照れ隠しに頬を膨らませ、口を尖らせた。
 「……それくらいでは治らぬ」
 拗ねた口調がいじらしい。
 「ならば、どうしてほしい?」
 長蘇はもたれていた藺晨の胸へ、顔を埋めた。
 「―――こうしていてくれ」
 猫が頭をこすりつけてくるような仕種だった。
 思わず、藺晨はその薄い背へ手を回す。すると長蘇は、どこかほっとしたような顔をした。 
 「……このまま、こうしていてくれ」
 やっと安心したように、長蘇はそう言って表情をやわらげたのだった。
 



   * * *




 「あの莫迦が、また食わぬのだと?」
 仕事場から、棟続きの私邸へと回廊を辿りながら、藺晨は不機嫌にそう言った。  
 「はあ。ひどくふさぎこんでおられまして」
と答えたのは、最近になって琅琊閣へ呼び寄せられた黎綱である。
 散り散りになっていた赤羽営の残党の中から、父がこの黎綱と甄平を探し出して琅琊山へと招いたのだ。
 「どうも、琅琊閣のかたたちが話しておいでのことを、耳に挟んでしまわれたようで……」
と、黎綱が言った。
 「……」
 藺晨は眉を顰め、それからついてこようとする黎綱を手で制して下がらせた。
 少し息を吐いてから、藺晨は長蘇の臥室へ入る。
 長蘇は頭から衾を引き被って丸くなっていた。
 その肩のあたりが時折震えて、泣いているのだと知れる。
 「―――どうした?」
 声をかけると、長蘇はもぞもぞと頭を出した。
 「―――知らなかったのだ」
 「は?」
 そう言って、長蘇はむっくりと身体を起こした。うつむいた顔は、髪に隠れて見えない。
 「自分のことしか、―――考えていなかった」
 長蘇はなきだしそうな涙声で、言う。 
 「わたしのような者を養って、―――老閣主やお前が皆からどんな風に思われるかなど、考えたこともなかった」
 「長蘇」
 細い肩に手をかけると、軽く振り払われた。
 「わたしが、悪い。……何も知らずに、こんな当たり前のことに気づきもせずに、我儘ばかり言って困らせた」
 長蘇は、両手で顔を覆った。
 「全て失った身で、恥ずかしげもなく、いまだに少爺気取りでいたのだ。この世の不幸を全て背負った気でいながら、わたしは少しもわかっていなかった。少しも覚悟などできていなかった―――」
 「―――長蘇、もういい」
 たまらず、藺晨は長蘇の言葉を遮ろうとしたが。長蘇は黙らなかった。
 「わたしはもう、少爺でも少帥でもない、ただの死に損ないの謀叛人で……」
 「やめろ」
 「穀潰しで、手のかかる病人で、疫病神で……」
 「頼む。もう、やめてくれ」
 とても聞いてはいられなかった。
 長蘇にこんなことを言わせてしまう自分の不甲斐なさに、藺晨自身も泣きたくなる。
 「―――お前はお前のままでいい。我が儘で、横柄で、鼻持ちならない若様で構わん」
 今度は振り払われぬよう、両腕でしっかりと長蘇の身体を抱き込む。
 「そのままでよいのだ。賢く、人を小馬鹿にして、血筋のよいのを鼻にかけて―――」
 「鼻にかけてなど……」
 泣いていたくせに、そこだけ聞きとがめて長蘇は不服を唱えた。
 「うるさい、言葉のあやだ。とにかく、お前はそのままでいい。そのままがよいのだ―――」
 「でも……」
 納得のゆかぬ様子の長蘇を、藺晨は抱きしめる。
 「これからお前は、いやというほど困難に遭う。―――ここにいる間くらい、わたしに甘えていろ。我儘でもなんでも聞いてやる」
 それくらいのことは、してやりたかった。
 長蘇が己を恥じる必要など、何もないのだ。恥じるべきは、むしろ―――、自分のほうだと藺晨は思う。
 自分が、―――情けなかった。

 少し嬉しかったのだ。長蘇がこんなひどい目に遭ったというのに。
 少年だった長蘇は、藺晨にとってどこか遠い存在だった。年に一度か二度、父親に連れられて琅琊山にのぼってくる長蘇を、藺晨は心待ちにしたものだ。
 待ち焦がれてようやく会えても、長蘇が長蘇でいる時間はあまりに短かった。そればかりか、長蘇でいる間さえ、その心の半分以上は林殊のままで、渠は始終、蕭景琰の話をした。そうして、短い逢瀬のあとで、長蘇は帰って行くのだ。―――都へ。蕭景琰の元へ。
 梅嶺で一命をとりとめた長蘇は、もう林殊には戻れない。長蘇が身を寄せる場所はここしかないのだと、そう思ったとき、藺晨は密やかな喜びに満たされたのだ。
 真っ白な毛に覆われ、変わり果てた姿であっても、魂が梅長蘇であるならば、少しも構いはしなかった。美しい白い獣と成り果てた長蘇は、もはやその口で蕭景琰の名を呼ぶこともできず、その姿で都へ帰ることもならず、ただひっそりとこの館に息を潜めていたのだ。哀れと思いつつ、藺晨にとっては喜びでもあった。できることならあのままずっと、あの白い獣と暮らしたいと思っていた。
 己の命と引き換えに、長蘇が人がましい姿と声を取り戻したいと望んだとき、藺晨はがっかりしたのだ。長蘇は、都へ帰ることを望んでいる。景琰のもとで、景琰のために生きることを。そう思うと、嫉妬に胸がうずいた。長蘇にはもっと悲壮な望みがあるのだと、そう知ってはいても、心が受け入れられなかった。自分と共に琅琊山で生きてゆけばよい。なにゆえ好き好んで、険しい道を行こうとするのか、と。
 だが。

 生まれ変わった長蘇を一目見て、藺晨は心を奪われたのだ。
 白い獣であった時も美しいと思ったが、父の施した治療のあとで、包帯の下から現れた顔は、あまりに可憐で、穢れがなかった。
 たった一目で。
 藺晨は決めたのだ。この友のために、生きると。
 まるで、恋に落ちるように。
 見た目の美しさに惹かれたわけではない。そもそも、少年の日から愛おしいと思っていた。そして、人とすら見えぬほどに変わり果てた姿をさえ、受け入れた藺晨である。見目形ではなく、長蘇の心を愛おしんできたのだ。
 だが、羽化したばかりの蝶のように果敢ないその姿を見たとき、藺晨の胸は痛んだ。見も知らぬ美しい若者の、瞳だけが、かつての長蘇の面影を残していた。その瞳が、悲しみを湛えて藺晨を見たとき、藺晨は己の心臓が跳ね上がるのを感じたのだ。
 全力で支えてやりたいと、藺晨はそう思った。長蘇がいつか、都へ戻り、宿願を果たすまで、己のすべてを、長蘇のために捧げようと。
 そう誓いながら、それでも心の片隅で藺晨は望んでいたのだ。このまま、時が止まればよいと。人に何と後ろ指をさされようとも、長蘇をこのまま琅琊山にとどめておきたいと。こうして共にある時間が、一日でも長ければよいと、そう望んでいた。

 長蘇の願いを知りながら。
 血を吐くような思いを知っていながら。
 藺晨はただ、己の欲望のために、長蘇がこの琅琊山に留まることを望んだ。

 ―――すまぬ、と思った。
 
 細い体を、強く抱きしめる。
 こんなふうに、泣かせてはならぬ。
 心細い思いを、させてはならぬ。

 長蘇が長蘇であるために。
 その無垢な魂を損なわぬために。
 気高き宿願を果たさせてやるために。

 今度こそ、己のすべてを賭けて、支えてゆこうと藺晨は思った。

 「わたしが、ついている」
 初めて、言葉に出してそう言った。

 「……藺晨?」
 見上げる長蘇の瞳が、不安げに揺れている。
 「心配するな。わたしがいる」
 そう言って、藺晨は長蘇の瞼のうえへ口づけを落とした。
 瞼を閉じた長蘇の顔は、あまりに臈長けて美しい。
 
 いつかは送り出してやらねばならぬ友であっても。
 今だけは。
 
 この腕の中で、守っていたい。

 「長蘇―――」

 愛しき、友よ。
 
 藺晨は、ついに。
 その柔らかな唇に、おのが唇を重ねた―――。
 
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~ Comment ~

NoTitle

遥華さん、続編を希望! 熱望! 切望!
お願いいたします<m(__)m>

>>ymkさま

お久しゅう存じます♡
いつもありがとうございます♪
当時、藺晨も若かったはずなのだけど、長蘇のために頑張って『大人』したはずだと思うので
やはりイメージ的には今の藺晨に近いですね、わたしも。

藺蘇は今後も書いて行けたらなあと思います♡

ちなみにお知らせ。(ツイッターでこっそり告知しただけです)
コピー本『飛蝶』、3月中にこっそりご連絡いただけたら、送料(140円)のみで進呈いたします・・・・。

 

>>Rintzuさん

鋭意、頑張りますwww

Re: NoTitle

メルアド入れましたので、メール頂戴できますかーーー♪
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