琅琊榜

宝宝 5 (『琅琊榜』)

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あともう一話くらいで終われそうなので、皆さま、最後までおつきあいくださいませ・・・・(>_<)

 「目を覚まさぬ? 朝は元気であったものを」
 「……さようでございます。それが……」
 黎綱が、昼間の顛末を語った。
 「申し訳ありません。わたしが余計なことを申し上げたばかりに」
 うなだれた黎綱のそばで、飛流もしょんぼりして膝を揃えている。自分も同罪と、叱られるのを覚悟しているその様子に景琰は苦笑した。
 「どのみち、ずっとあの部屋に閉じ込めておくわけにはゆかなかったのだ。部屋から出れば、聞きたくないことも耳に入ろうし、見たくない物も目に入ろう」
 誰にも会わずにすむ場所で、ふたりきりで過ごせれば申しぶんないが、景琰の立場ではそれもかなわぬ。ずっと共にいるには、この靖王府で暮らすよりしかたない。ここで暮らす上は、 今日のようなことは避けられぬ事態であったろう。
 「―――よい。わたしがついていよう」
 あんな花など、刈り取らせておけばよかった、と景琰は内心溜息をつく。
 王妃が寝起きする棟は、景琰の私房から直には見えない。それゆえ、林殊と王妃が直接鉢合わせすることなどなかろうと思っていたのだ。林殊はもちろん、身重の王妃も滅多に部屋から出ることがなかった。
 たまたま見頃の月季花を、林殊も王妃も愛でようとした。間の悪い偶然だったのだ。
 王妃には、林殊に対してなんら含むところがない。さっぱりした気性の王妃は、どちらかといえば男女の機微にも無頓着で、もとより恋い慕いあって結ばれた仲でもなく、夫婦と言うより兄妹に近い。子を成すが務めと心得ているゆえ男女の営みこそ拒まぬものの、王妃はまだ若く、様々なことを学ぶほうがずっと楽しいと見える。書を読み、武芸を嗜み、刺繍を楽しみ、美味なる物に舌鼓を打ち、時に姑である静貴妃から薬膳について学ぶ、そうしたことを好むたちで、林殊からも教えを乞いたがるほどだ。
 自分がもう少しうまく立ち回っていれば、と景琰はそう思う。
 林殊とて、もともと自由闊達な男である。病でかつてのように思うままにならぬ身を抱え、心細い思いをしていた林殊から、更に自由を奪ったのは自分だ。そうしておきながら、王妃が身ごもると、ついつい林殊をないがしろにした。それでも尚、林殊は懸命に己の寂しさに蓋をしていたのだ。王妃を立て、自分の心を尊重してくれた。自分があんな誤解さえしなければ、やがて時が林殊と王妃の間をとりもったやもしれぬ。
 目覚めたくない、と廊州で林殊は言った。
 眠っている林殊を見ていると、ふと不安になる。本当にこのまま目覚めぬのではないかと。夢の中へ逃げ込んでいる間が、林殊にとって一番幸福だというのか。
 「目を覚ませ。その眼を開けてわたしを見て、その声を聞かせてくれ。笑ったり、泣いたり、怒ったり、して見せてくれ」
 景琰は、林殊の顔の傍へ頬杖をついた。
 幼い頃から慣れ親しんだ林殊の顔も懐かしいが、今のこの顔も既に見慣れて、違和感はない。いかにも謀士然とした端正な顔は、昔の林殊とは似ても似つかぬながら、近頃はどうかするとかつての面差しと重なる。
 「早く起きろ―――」
 形のよい鼻をつまんでみる。
 すると、林殊が小さく声を漏らした。
 「小……、蘇先生?」
 呼びかけると、林殊はわずかに眉を寄せて、それから大儀そうに眼を開けた。
 「―――景琰?」
 気怠げにそう呼んだ林殊に微笑みかけようとして、景琰ははっとする。
 殿下ではなく、景琰と呼びはしなかったか?
 林殊は目をこすり、小さな欠伸をした。
 「景琰、わたしは眠っていたのか……」
 景琰の胸が、高鳴る。
 (もとに、戻ったのか?)
 それとも、寝ぼけて蘇哲として振る舞うことを忘れているだけか?
 「ああ。……気分はどうだ?」
 驚かせぬよう、そっと尋ねる。
 「うん……。まだ眠いが……、いま、何どきだ?」
 林殊はそう訊いた。
 「え? ああ、日が落ちてだいぶたつから、そろそろ……」
 景琰が正確な刻限を口にするより早く、林殊は大きく目を瞠った。
 「大変だ!」
 「どうした?」
 景琰のほうが面喰って問い返す。林殊は慌てて体を起こした。
 「早く帰らねば、また父上からお叱りを受ける」
 「―――小殊?」
 林主帥はとうに亡くなったではないか、と景琰がそう言ういとまも与えず、林殊は牀台から飛び降りた―――、つもりらしかったが。
 「うわ!」
 床に足をつけた途端、林殊はよろめいて景琰の腕に抱きとめられた。
 「しっかりしろ。まだ足元がふらついているではないか」
 林殊は訝し気に自分の足元を見た。
 「くそ。どうしたんだろう、足に力が入らぬ」
  「小殊、お前……」
 呆気に取られ、景琰は林殊の顔を見ていた。
 「ああ、宗主。よかった。お目覚めでしたか」
 景琰への茶の用意をしてきた黎綱が、起き上がった林殊を見て嬉しそうな顔をする。
 林殊は首を傾げた。
 「黎綱、なんだその宗主というのは。少帥と呼べと言っているだろう。やっと父上から一軍を任される身になったのだから」
 少し頬を膨らませてそう言った林殊に、黎綱は目を丸くする。
 「宗……少帥……?」
 驚いて、黎綱は景琰を見た。
 景琰も困惑し、とにかく林殊を牀台に腰かけさせる。
 「小殊。主帥の了解は得てあるから、当分はここにいてよいのだ」
 景琰がそう言うと、林殊は眉をひそめた。
 「あの雷親父が? どういう風の吹き回しだ?」
 信じ難そうに首を傾げる林殊に、景琰は苦笑いする。
 「主帥どのとて人の親だ。鍛錬のしすぎで倒れたお前を案じぬはずがない」
と景琰は林殊に言い聞かせた。そして、しばらく赤羽営を離れてここで養生させてもらうよう自分が頼んだのだと、そう出まかせを言った。嘘の苦手な景琰にとっては、少々苦しい言い訳だったが、林殊は怪訝そうな顔をしながらも一応納得した様子だった。
 「ふうん。帰ったらまた、気持ちが弛んでいる証拠だとかなんとか言ってしごかれそうだ。でも―――」
と林殊は少し頬を緩めた。
 「景琰と一緒にいられるなら、―――悪くない」
 そう言った林殊が愛しくて、景琰はそっと抱きしめた。
 もはや林殊は、蘇哲でいることさえ辛いのだろう。何の屈託もなかった遠い昔に、林殊の心は返ったのだ。ならばそれでよい、と景琰は思う。それで林殊が幸せならば、と。


 「小母上の点心は、やっぱり天下一品だな」
 景琰が静貴妃から持たされたそれを、林殊は美味そうに食べた。
 「そうか。沢山食べよ」
 「うん……。でも、もうお腹がいっぱいになってきた」
 不思議そうに、林殊は腹をさする。
 無理もない。林殊は子供の頃から人一倍食い意地が張っていてよく食べたが、火寒の毒に冒されてからは別人のように少食になった。胃袋がすっかり縮んでしまったのだろう。
 「まだ身体が回復していないせいだ。ゆっくり養生して、元気になってくれ」
 「―――うん」
 うなづいて、林殊は名残惜し気に提盒の蓋を閉めた。


 兵の調練を見ると言って景琰が演武場へ去ってしまうと、林殊は途端に退屈する。自分も行きたいと言ったが、まだ身体がよくなっていないと言って景琰が許さなかったのだ。
 静貴妃の点心をもう一口食べたかったが、少しも腹が減らなかった。
 所在なさげに提盒の蓋を開けたり閉めたりしていた林殊は、ふと回廊の方に人の気配を感じてそちらを見る。
 少年が一人、庭から回廊にちょこんと顎をかけてこちらを見ていた。
 「なんだ、お前は?」
 そう尋ねると、
 「飛流だよ?」
と少年は答えた。
 少年、と言ってももう随分大きい。十六、七といったところか。そのわりに、口調は妙に幼かった。
 「ふうん……」
 どこかで会ったことがあったろうか、と林殊はなんとなく懐かしい気持ちでその顔を眺めた。
 飛流は、林殊の傍らにある提盒を見ている。その視線に気づいて、林殊は笑う。
 「―――食べたいのか?」
 飛流はすこし困ったように首をかしげた。
 本当は、林殊のそばへ行かぬようにと、黎綱や甄平から言い含められていたのだ。飛流がいると林殊の記憶が混乱するのではないかと、黎綱らは案じたのである。
 提盒の中身も気になったが、それ以上に飛流は林殊に会いたかった。『蘇哥哥』のそばにいて、『蘇哥哥』の声を聞いて、『蘇哥哥』に撫でられたかった。 
 「来い。美味いぞ」
 手招きされて、飛流は嬉しくなる。うん、とうなづいて回廊へ飛び上がり、ぽんぽんと靴を脱ぎ捨てて林殊のそばへ駆け寄る。
 点心を一つ二つ頬張りながら、飛流はとても幸せな気分になっていた。
 「随分、美味そうに食べるな」
 林殊が可笑しそうに笑った。林殊の笑った顔を見るのが嬉しくて、飛流も口いっぱいに点心を頬張ったまま、同じようににこにこする。
 「おかしなやつだな」
 林殊はそう言って、飛流の口元についた餡を指で拭ってやる。
 その途端。
 ―――飛流の眼から、涙がこぼれた。
 「おい?」
 林殊以上に飛流自身も驚いて、ごしごしと目を擦る。
 顔を合わせても、『蘇哥哥』と呼んでは駄目だと言われていた。だが、『蘇哥哥』を『蘇哥哥』と呼ばずに一体なんと呼べばよいのか。飛流にはわからない。呼ぶこともできず、それでもそばにいられるのが嬉しくて、『蘇哥哥』に触れられたことが嬉しくて、飛流はぽろぽろと涙をこぼし続けた。
 「おい。泣くな」
 頭を撫でられて、ますます嬉しくて、飛流は泣いた。
 泣きながら頬張る点心の味は、少ししょっぱかった。
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