琅琊榜

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珍しくわたし自身がこの先の筋を知っているものの、実際にはまだ書けていないのでどれくらいの長さになるかまだ見当つかずw
そんなに長くはなりませんがw


 鋭い衝撃に、景琰の身体が弾き飛ばされた。
 「殿下!」
 藺晨に拳の一撃を見舞われた景琰を、戦英が慌ててとりすがる。
 「殿下になんという無礼を!」
 景琰を支え起こしながら、戦英は鋭い眼差しで藺晨を見上げた。
 「よいのだ、戦英」
 景琰は戦英を押しとどめ、口の端の血を拭いながら立ち上がる。
 藺晨は忌々しそうに腕組みした。そうしていなければ、更に手を出してしまいそうだったのだ。
 廊州から林殊危篤の知らせを受け取ったのは、一昨日のことだ。とるものもとりあえず、廊州へと馬を飛ばして見れば、既に金陵へ戻ったと言う。ようやく靖王府へ辿り着くと、どうやら林殊は一命をとりとめてはいたものの、事の顛末を聞いて藺晨はあきれ果てていた。
 「祝言のときに一発殴ってやるつもりだったが、長蘇の手前辛抱したのだ。だが、長蘇を泣かせた以上、一発では足りぬくらいだ」
 顔を背けてそう言った藺晨に、景琰はただうなだれた。
 「わかっている……」
 藺晨が林殊を憎からず思っていたことは、いかに朴念仁たる景琰にとて察しがついていた。藺晨は林殊の身体を一番よくわかっているし、林殊をとても大切に扱ってくれていた。その藺晨から、自分は林殊を奪ったのだ。奪っておいて、寂しい思いをさせた。言い訳のしようがない。
 うなだれた景琰に、藺晨は鼻白んだ。
 「―――わかっているならばよい。……長蘇を泣かせられるのも貴様だけなら、幸せにしてやれるのも貴様だけだ」
 苦々しくそう言うと、藺晨は部屋を出て行った。
 


   * * *



 靖王府での日々が、穏やかに流れた。
 林殊は靖王府に留まることを恐縮したが、それでも自分から出てゆくとは言わなかった。
 時折、かつて密道のあったほうへ目を向けることはあっても、そこへ至るはずの書棚に手をかけようとはしない。まるで、それに触れれば幸せな夢から醒めてしまうと懼れているかのように、林殊は慌ててそこから目を背けるのだ。
 ゆっくりと、林殊の身体は回復し、ひと月もたつとすっかり床離れした。しかし、林殊は景琰の私房から外へは出ない。景琰もまた、連れ出そうとはしなかった。
 まるで、その部屋の内だけが、ふたりの世界のすべてであるかのように、ふたりは一日の半分をそこで共に過ごした。 参内し、日に一度王妃を見舞うほかは、景琰はほとんどずっと林殊と共にいる。
 「病がちのわたしとばかり過ごしていては、殿下の身体に黴が生えてしまいますよ」
 そう言って林殊は笑ったが、それでも嬉しそうに景琰の傍で書を読んだり、仕事を手伝ったりした。
 景琰は様々なことを林殊に尋ねた。かつて、謀士であった蘇哲に対してそうであったように、政や兵法、民の暮らしや江湖の習わしに至るまで、あらゆることについて教えを請うた。林殊は幸福そうに景琰の求めに応え、また林殊の話を聞くことは景琰にとっても楽しかったのだ。
 ただ―――、ひとつ部屋に寝起きしながら、林殊の肌に触れることさえかなわぬのは、景琰にとってあまりにつらいことであった。
 林殊を泣かせた罰。―――景琰にはそう思えてならず、それゆえに、ただ黙って耐え忍ぶばかりである。



 やがて季節はうつろい、飛流が手折ってくる花々が、林殊にそれを教えてくれる。
 来る日も来る日も、林殊は景琰にさまざまな教えを垂れ、景琰が父皇から命じられた政務に行き詰れば助言した。蘇哲としてのそんな暮らしに、林殊は心から満ち足りて、静かに身を委ねていたのだ。
 ある日、飛流が美しい月季花を携えてきた。
 「これはまた、随分と美しゅうございますね」
 黎綱がそう言うと、林殊も微笑んだ。
 「いっぱい咲いてた」
 飛流が『いっぱい』を表そうと、両手を大きく広げて見せる。
 林殊は笑って、花を眺めた。
 「そんなに沢山咲いているならば、さぞ壮観なことであろうな」
 「ご覧になりに行かれますか」
 思わず、黎綱はそう言っていた。
 もう長いこと、林殊は部屋から一歩も出ていない。そうでなくとも病弱で青白い肌が、日に当たらぬせいでますます透けるように白い。その、日陰にひっそり咲く花のような姿が痛々しくて、黎綱はどうにか元気を取り戻してほしいのだった。
 「たまには、お庭に出られてみては」
 「―――そうだな」
 飛流が、ぱっと嬉しそうな顔をする。
 「行こう、蘇哥哥」
 飛流もまた、ずっと辛抱していたのだ。林殊は仄かに微笑した。
 「わかったわかった」
 飛流に手を曳かれて、回廊へと出る。外の日差しの目映さに、林殊は思わず手をかざした。
 少年だった頃は、毎日この日の下で、汗まみれになって遊んだり鍛練したりしたものだ。靖王府の庭も、勝手知ったる遊び場のひとつだった。
 庭へ出て、活き活きとした木々の緑に目を奪われ、やがて視界に入った鮮やかな紅紫の色に、林殊は感嘆した。この世が、これほど光と色に溢れていたことなど、もう随分長い間、忘れていたのだ。
 その花々に近寄ろうとして、林殊はふと足を留めた。
 向こうから、笑いさざめく女たちの声がしたせいである。
 「宗主、どうなさい……」
 尋ねようとした黎綱も、女たちに気づいた。慌てて林殊の気をそ逸らせようとしたが、それより早く、向こうの女たちがこちらに目を留めた。
 「まあ。梅宗主ですわ」
 「こちらをご覧になっていらっしゃいますわね」
 「相変わらず、なんてお美しい」
 「これ、はしたのうございますよ」
 女たちが密やかに言い交わす中、一群の内で最も高貴に見える若い女がこちらを向いた。
 女の腹は、幾分膨らんでいる。身籠っているのだと、林殊にもすぐにわかった。
 この女は、―――誰であったろう。林殊は眉をひそめた。
 人の顔は、大抵一度見れば忘れぬたちだ。それなのに、思い出せない。知っていると思うのに、なぜかどうしても思い出せぬのだ。
 女は、ひどく幸せそうに見えた。今を盛りの花々と同じように、若く瑞々しく、愛らしく、自信に満ちて見えたのだ。
 「王妃さま、蘇先生でいらっしゃいますよ」
 そばの者にそう告げられた身重の女は、ゆったりとうなづき、それから林殊に向かって穏やかに微笑んだ。
 「ごきげんよう、林殊どの」
 ―――その刹那。
 林殊の心と身体を、稲妻が貫いた。
 林殊はやっとのことで女に一礼すると、すぐさま身を翻して今来た道をとって返したのだった。


 
   * * *



 褥の中で、林殊は衾を引き被り、身を丸くして震えていた。
 何も考えまいと思うのに、どうしてもあの女の顔が頭から離れなかった。
 女は、王妃と呼ばれていた。
 王妃とは誰だ。この靖王府には、正妃などおらぬはず。親王たちの妃に、あんな女がいただろうか。
 ―――王妃と呼ばれたあの女は、身ごもっていた。
 そして、―――自分を林殊と呼んだ。蘇哲ではなく。

 ―――何かが、おかしい。なにか大事なことを、自分は忘れてはいまいか。
 黎綱に尋ねたかったが、尋ねるのが怖かった。
 林殊はそろりと寝床を抜けだした。
 恐ろしくて、ここにはいられなかった。蘇宅へ逃げ戻ろうと思ったのだ。
 密室への隠し扉を開けようとして、はっとする。
 隠し扉が、見つからぬ。
 この書棚を動かせば、と手に力をこめたが、書棚はびくともしなかった。
 (そんな―――)
 そんなはずはない。
 この向こうに、蘇宅へ通じる密道があるはずだった。
 不意に、林殊の頭に囁くものがあった
 『密道はとうに閉じた。蘇宅は既に、人手に渡したではないか』と。
 その声が己のものにほかならぬと気づいて、林殊は身震いした。

 そんなはずはない。
 そんなはずは、ないのだ。
 林殊は、書棚の本を片端から掴み取って放り出した。
 この奥に。
 この奥へ逃げ込みさえすれば。―――いやなことなど思い出さずにすむのだ。

 「宗主?」
 物音に気づいて駆け込んできた黎綱が、驚いて走り寄ってくる。
 「宗主、何をなさっているのです」
 本を投げる林殊を、慌てて後ろから抱きとめた。
 林殊は焦れた子供のように、体を揺すって逃れようとした。
 「帰るのだ、蘇宅へ!」
 黎綱は真っ青になった。
 庭で王妃に会ってから、林殊はずっとひどく怯えていた。庭へなど出すのではなかったと、黎綱はひたすら後悔していたのだ。
 「宗主、蘇宅は……」
 「いやだ、帰る! ここにはいたくない!」
 林殊が叫んだ。頬を濡らす涙を拭おうともせずに、林殊は身体を左右に揺さぶった。
 黎綱は驚く。
 こんな風に、人前で子供のように駄々をこねる姿など、もう長らく見たことがなかったのだ。
 「宗主、落ち着いてください。宗主!」
 「あんな女など知らぬ! どうして靖王府にあんな者がいるのだ!」
 林殊は喚いた。

 かつて、あの庭には笑いが絶えなかった。景琰と剣を打ち合い、泥だらけになって駆けまわった。
 帰りたいのは、蘇宅へなどではない。あの頃の、愉しかった靖王府へ、帰りたいのだ。

 泣きじゃくる林殊が痛ましくて、黎綱も我知らず涙をこぼしていた。
 黎綱の手から逃れようと肩をゆすり続けていた林殊が、やがて疲れてぐったりと力を失う。

 「黎綱、―――助けてくれ。わたしはどうしてしまったのだ。頼むから、……助けて―――」

 泣き崩れた林殊を抱きしめ、黎綱は己も泣きながら、ただだだ途方にくれていた―――。


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~ Comment ~

晏大夫の出番で嬉しい!

遥華さま

人間、あまりにも辛いことがあると、自分を守ろうとして、辛い記憶を失くしてしまうのは、私にもよく分かります。
私も数年前のこと、思い出せないので。

宗主。
王妃のこと、身ごもったこと、辛かったんだよね。
愛する景琰のこと、独占したかったんだよね。
ホントは、いっぱい嫉妬してたんだよね。
人間として普通のそんな感情を、無理に閉じ込めようとするから、記憶まで失くしてちゃって……。

そして藺晨、ああ、今日もなんてイイオトコ~~。
一発と言わず、もう数回殴っても良し!私が許す!!
(だから、藺晨と一緒になってた方が、宗主は幸せだってば…)

L!O!V!E!晏大夫~!!!
今日もいぶし銀のように、良いお仕事なさいましたね(*´ω`*)
言うこと聞かない患者に、その夫の対応……馬にもお乗りになったし、さぞお疲れでしょう。
お風呂になさいます?それともお食事が先?
あとで、おみ足さすってさしあげますね。

遥華さん、晏大夫の出番を、本当にほんと~に有難うございます~!
私、晏大夫を夫に、藺晨をツバメにしたいです(笑)

>>Rintzuさん

ダークホース晏太夫www
江湖の男ですから~♡

宗主は確かに藺晨と結ばれるほうが絶対落ち着いて幸せな生活を送れますねえ・・・・。
でも、林殊は景琰が好き好きすぎて・・・・・(>_<)。
でも、このお話終わったら、また藺蘇も書きたいですwww


藺蘇!藺蘇!

遥華さんの藺蘇、大口開けてお待ちしておりますよ~!
最近、藺蘇が少なくて、飢えておりますので。

ダークホース…(笑)

>>Rintzuさん

昔書いたものをどんどん忘れていくので(というか、書き終えると同時に忘却が始まるのですが)、
最初の『飛蝶』シリーズあたりから藺蘇伸ばしていってみようかと思ったりw
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