琅琊榜

宝宝 2 (『琅琊榜』)

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宝宝、続きです。

 王妃の体調が落ち着いてみると、ひどく林殊のことが気にかかった。
 厳しく言い過ぎたのではなかったか。
 いかに悪戯の度が過ぎたとて、そもそも林殊に寂しい思いをさせたのは自分ではなかったか。
 あの賢い林殊が、すぐばれるような嘘をついてまで自分に会いたがったかと思うと、不憫でならなかった。
 「戦英、馬を。林府へ行く」
 そう命じると、戦英はひどく嬉しそうな顔をした。口にこそ出さなかったが、戦英はずっと林殊を案じていたのだろう。
 が―――。
 ふたり馬を飛ばして駆けつけた林府は、既にもぬけの殻だった。
 「これは、一体……」
 戦英が驚いて、屋敷の中をあちこち歩き回る。
 「小殊―――?」
 景琰はまっすぐ、臥室へと向かった。
 ふたりで戯れ、共に眠った牀榻の上に、あの真珠がぽつんと置かれていた。
 「塵の後始末を頼まれたという老爺を捕まえて話を聞きました。林府の者たちは皆、廊州へ引き揚げたとか」
 「廊州?」
 屋敷を引き払うほどに、腹を立てたというのだろうか。
 あれくらいのことで? と、景琰は一瞬呆然とした。だが。
 「迎えに行ってさしあげてください」
 珍しく、戦英が自分からそう言った。日頃、決して差し出口は挟まぬ男である。
 「きっと、待ちわびておいでです」
 景琰は、黙ってうなづいた。



   * * *



 廊州の屋敷で、景琰と戦英は門前払いを食わされた。
 だが、あきらめてすごすご帰るわけにもいかぬ。 
 三顧の礼どころか、何十顧重ねても、必ず林殊に会い、屋敷から引きずり出し、金陵へ連れ戻すのだ。
 景琰は近くに宿をとり、長期戦の構えに入った。
 そして次の日も、その次の日も、景琰は朝な夕な、江左盟の屋敷の前に佇んだ。
 「お前までつきあうことはない。宿へ帰ってよいぞ」
 付き従った戦英に、景琰は言った。
 「何をおっしゃいますか。陛下にお目通りが叶わず、宮門の前で半日立たされたこともあったではございませんか」
 そう言って微笑んだ戦英に、景琰も苦笑する。
 「―――そうであったな」
 そうして二人、門前に佇むうちに、三日目の日も暮れて、景琰は悄然と馬の鐙に足をかけた。
 

 「殿下!」
 宿へ向かってとぼとぼと馬を歩ませていた景琰たちの後ろから、蹄の音と共に甄平の声が追ってきた。
 転げ落ちるように馬を降りた甄平は、景琰の馬の前へとその身を投げ出した。
 「殿下、どうかお戻りを! 宗主がご危篤です」
 その言葉に、景琰は耳を疑った。
 「何を莫迦な。貴様、またわたしを担ぐ気か!」
 景琰は厳しい声音でそう言ったが、内心ひどく胸が騒いだ。甄平の顔が、涙でぐっしょりと濡れていたのだ。
 「嘘ではありません。あの時とて、わたしは嘘など一言も申してはおりません」
 甄平ほどの猛者が、その場に泣き崩れた。
 「しかし、あの時―――」
 出迎えた林殊には、不調の兆しさえ見えなかったではないか。
 甄平は涙ながらに訴えた。
 「あの日、殿下を呼びにいったとお知りになった宗主は、ひどく我らをお叱りになって……。薬をお飲みになったのです」
 「……薬?」
 問い返す声が、思わず震える。
 甄平が、苦しげに続けた。
 「力を奮い起こす薬です。これまでにも、宗主は度々お使いになっておられました。冰続丹ほどの効果はありませんが、いっとき元気に振る舞うくらいのことは出来るのです。―――此度は、一粒では埒が明かず、ありったけお飲みになって……」
 景琰は息を呑んだ。
 「なにゆえ、そのような―――」
 「殿下にご心配をかけまいと……。身重の王妃さまに、付き添っていただけるようにと……」
 「小殊―――」
 なぜ、思い至らなかったのか。あの林殊が、訳もなくあんな軽はずみな悪戯などするはずがなかったのだ。それなのに自分は、一時の怒りに我を忘れた。
 甄平が悔しそうに眉を寄せて俯いた。
 「しかし、そのせいで宗主は、殿下からあのようにお叱りを―――」
 何も知らず。
 林殊の心根を思いもやらず。
 なんと心ない仕打ちをしたことか。
 「まさか、あれほど殿下がお怒りになるとは、宗主もお思いにならなかったご様子で。―――我らはお止めしたのですが、ただもう殿下に申し訳ない、合わせる顔がないとひどいお嘆きで、とても都にはおれぬとおっしゃって……」
 林殊は、どれほど傷ついたことだろう。
 わけも聞いてやらなかった。一方的に、林殊の悪ふざけと決めつけ、責めたのだ。
 「薬の効き目が切れると、そのままもう起き上がることも出来なくおなりで、日に日に弱られるばかり……」
 甄平は、哭いた。拳で拭っても、あとからあとから涙がこぼれて落ちた。
 「ならばなぜ、わたしが会いに来たときにすぐ入れてくれなんだのだ」
 つい、恨み言を言った。甄平は地についた両手に額をすりつける。
 「申し訳ありません。宗主から固く申し付けられていたのです。絶対に殿下をお入れしてはならぬと」
 甄平の肩が震えた。
 「―――衰え果てた姿を一目御覧になれば、殿下がどれほどご心配なさることか、もうじきお子がお生まれになると言うのに、自分のことでお心を煩わせてはならぬと……。されど、昨夜からもう、まことにいけないのでございます。晏太夫も、此度こそは覚悟せよと―――」
 景琰は一瞬目の前が真っ暗になるのを感じて、必死に手綱を手繰り寄せた。
 「そんな……」
 甄平が、泣き濡れた顔を上げる。
 「宗主を助けられるのは、もはや殿下をおいてほかにはおいでにならぬのです。宗主の言いつけに背くとわかってはおりますが、どうか……」
 皆までは、言わせなかった。
 景琰は馬に鞭を入れると、今来た道を全力で駆け戻ったのである。



   * * *



 肋の目立つ青白い胸は、細い銀針が無数に刺さって針山のようになっていた。
 「―――持ち直すのであろうな?」
 景琰がそう問うと、晏太夫は曖昧に首を振った。
 「さあ、なんとも……。当人が、生きる気力を失っておりますれば」
 「そんな……」
 林殊は、そんな弱い男ではない。七万の兵が死に絶えた梅嶺の戦からさえ、生きて戻ったつわものである。この自分を、置いてゆくはずはない。
 そんな林殊から、生きる気力を奪ったものがあるとすれば、それはほかならぬ自分だ。
 景琰は林殊の手を握り、そして、晏太夫を見やった。
 「―――このまま、添い臥ししてはなるまいか」
 晏太夫は暫く黙っていたが、やがて短く答えた。
 「―――ご随意にされたがよい」
と。
 皆が部屋を下がると、景琰はそっと布団を剥いで、林殊の隣へ横になった。
 林殊のやつれた顔を見るにつけても、愛しさとすまなさで、やりきれなくなる。
 乱れた髪を撫でてやると、林殊が小さく身じろいだ。
 「景琰……?」
 か細い声が、そう呼ぶ。
 「目がさめたか」
 うっすらと開いた目が、虚ろに宙をさまよってから、ようやく景琰をとらえた。
 そして林殊は、この上もなく嬉しそうに微笑んだのだ。
 「―――迎えに来てくれたのだな」
 「当たり前だ」
 思わず、そう返した。
 頭を抱き寄せると、林殊は獣のように額を擦り寄せてきた。
 「―――帰りたい」
 そうつぶやいた林殊の声が切なくて、景琰は泣きたくなる。
 「……朝になったら帰ろう」
 喜ばせたくて、景琰はそう言ったのだ。だが。
 林殊は不意に、身を震わせた。
 「―――いやだ。……朝など、来なくてよい」
 「小殊?」
 戦慄く身体を抱き締めると、林殊は細い声で言った。
 「―――朝になれば、この夢が覚める。朝になる度、……夢であったと落胆する。―――もう朝など、来ずともよいのだ。二度と、目覚めたくなどない。このまま、―――-夢を見ていたい」
 景琰の胸にすがって、林殊は思い詰めた声音でそう言った。
 「小殊、これは夢などでは……」
 言い聞かせようとしたが、林殊は弱々しくかぶりを振って、聞こうとしない。
 「夢だから会える、夢だから甘えられる、夢だから―――」
 林殊は、涙声で言った。
 「夢だから……。夢の中だけでいいから、わがままを言わせてくれ―――」
 「なんだ?」
 宥めるように、背中を撫でてやると、林殊は嬉しそうに目を細めた。
 「ずっと、そばにいさせてくれ。―――わたしはおなごのように、子を成してやることもできぬが、それでもそばにおいてくれ。……こんな病人で、何の役にも立たぬが、お前のそばにいたい。正妃になどなれずとも、せめて手の届くところに、いさせてほしい……」
 息を切らせながら、必死にそう掻き口説く林殊が憐れで、景琰は思わず涙をこぼした。
 「小殊。―――すまぬ。お前がそれほどまで苦しんでいたとも知らず……」
 詫びる景琰に、林殊は微笑んでかぶりを振った。
 「夢だから言うのだ、夢だから―――」
 林殊の細い腕が、景琰の身体を掻き抱く。
 景琰はたまらず言った。
 「―――帰ろう、都へ」
 しかし、林殊はうなづかなかった。
 「―――もう、林府へ帰るのはいやだ……」
 「なぜだ? あそこは、我らふたりの住まいぞ」
 そう宥めると、林殊の目に涙が盛り上がった。今にも溢れそうな涙を溜めたまま、林殊は景琰の顔を見つめる。そして、言ったのだ。
 「―――あそこで、お前の帰りを待つのはつらい……」
と。

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~ Comment ~

NoTitle

遥華さま

すみません、読みながら号泣してしまって、今夜はコメントが書けないので、落ち着いてから、また感想を書きますね。

宗主なら、そう言うだろうと思ったけど、自分から身を引くだろうと思ったけど、やっぱり辛いよう……。

>>Rintzuさん

いやはや、泣いていただいてありがとうございます!!!
ほかにも泣いてくださったかたがいてビックリなのですが、
そういえば、最初にこの話を思いついてメモった時、わたしも思わずジワッと・・・www
(電車の中でしたがw)


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