琅琊榜

宝宝 (『琅琊榜』)

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『蒼き狼』から直接つながっています。

 「義母上ご所望の薬草を取り寄せました」
 芷萝宫を訪れた林殊は、静貴妃に手籠いっぱいの薬草を差し出した。
 「まあ、小殊。さすがは江左盟、頼りになること」
 静貴妃は嬉しそうに受け取った。
 「義母上のお望みならなんなりと」
 貴妃の前に膝まづいた林殊に、静貴妃は目を細めた。
 「ありがとう。でも小殊。少し痩せたのではなくて?」
 医女であった静貴妃にはかなわぬ、と林殊は苦笑いする。
 「せんだって、少々風邪をひいたせいでしょう。ご心配には及びません。毎日、幸せに過ごさせていただいています」
 軽く一礼した林殊の手をとり、静貴妃は微笑んだ。
 「景琰は幸せ者だわ、あなたのような嫁をもらって」
 林殊が淡く微笑み返した時である。
 「娘娘。王妃さまがあちらで」
と、侍女が知らせに来た。
 「ああ……、すぐ行きます」
 そう答えて、静貴妃が侍女を下がらせる。
 林殊は目を伏せた。
 「王妃さまがおみえなのですか。ならば、わたしはこれで」
 「まあ。せっかく来たのです、ゆっくりしておいでなさい。あちらの話はじきにすむわ。何か甘い物でも食べて待っていてちょうだい」
 「されど……」
 静貴妃は、ためらう林殊の手をとって立ち上がらせると、自分のすぐそばへ掛けさせた。
 「あなたに隠しても始まらないわね。王妃は、―――懐妊の報告に参ったのです」
 ほんの一瞬、林殊は大きく目を瞠る。そして、静貴妃に見とがめられる前に、慌てて睫毛を伏せた。
 「ご懐妊の……。それはおめでとうございます」
 淡い微笑を浮かべてこうべを垂れ、林殊は祝いの言葉を口にした。
 静貴妃は心もち困ったような、しかし嬉しそうな面持ちでうなづいた。
 「あなたには悪いことをしてしまったけれど、これで正妃を据えた甲斐もあったというもの。王妃は賢い子でね、景琰の心が自分に向いていなくても一向に気にしていないわ。子を成して、靖王妃として安泰に暮らして行くことを望んでいます。あなたは何も心配せず、景琰に甘えていればよいのですよ」
 静貴妃には、過日の夏江と滑族の残党の一件は耳に入れていない。
 「―――-はい」
と、林殊は素直に頬笑んだ。



   * * *



 「宗主。芷萝宫で何かよいことでも?」
 林府へ戻ってから、妙に上機嫌な林殊に、黎綱がそう声をかけた。
 ああ、と林殊は黎綱を見上げる。
 「―――あとで靖王府へ祝いの礼物を届けてくれ」
 は? と、黎綱が怪訝そうな顔をする。林殊は笑った。
 「景琰に、子ができる。王妃さまご懐妊だそうだ」
 「え―――」
 忽ち、黎綱の顔が曇る。
 その黎綱の顔に気づかぬ様子で、林殊はさっき飛流が活けていった花を、愉し気に手直ししながら愛でていた。
 

 その晩のことである。
 遅くに林府へ戻ってきた景琰が、ばつの悪そうな顔で言った。  
 「小殊。気を使わせてすまなかったな」
 林府に新居を構えたばかりの頃は、参内したあと真っ直ぐに戻ってきた景琰だが、ここしばらくは、正妃の顔を立てて、いったん靖王府で過ごしてから林府へ戻ることが多くなった。今日も既に靖王府で、林殊からの礼物を目にしたのだろう。
 「めでたきことゆえ、わたしとて嬉しいのだ。お前にそっくりの赤子が生まれてくるかと思うと」
 林殊がそう言って笑うと、景琰が苦笑いした。
 「わたしに似るか王妃に似るかは、まだわからぬ」
 景琰がそう言ったとき、林殊は一瞬―――、呆然としたかに見えた。
 「小殊?」
 そう呼ばれて、林殊はすぐに我に返って微笑んだ。  
 「ああ……、そうだな。お前と奥方さまの子ゆえ、両方に似て当たり前だ……」
 

 「飛流は何を描いているので?」
 本を読んでいる林殊のそばで、飛流は熱心に何か描いている。黎綱はその手元を覗き込んだ。
 「顔……でございますね?」
 人間の顔、ということは、黎綱にもわかったが。
 林殊は文字を追っていた目を上げ、飛流の描いているもののほうへ向けた。そして微笑む。
 「飛流に尋ねたのだ。わたしと景琰の両方に似た子供なら、どんな顔になると思うかと。そうしたら、描いてみると」
 「はあ……」
 黎綱は困惑した。
 林府は、このところすっかり寂しくなった。
 友人たちから祝福され、幸せに満ちて、この林府での新しい暮らしが始まったはずだった。修築が施された林府は、かつての面影を残しながら、住み心地のよい新居となった。しかし、こうして靖王の戻らぬ日が多くなってみると、ここはいかにも妾宅めいて感じられ、黎綱はため息をつく。
 林殊は毎日飛流と遊び、時に江左盟の内での問題に指示を与え、常と変わらぬ暮らしを送っている。が。
 「できたよ」
 飛流が得意げに指で鼻の下をこすった。指についていた墨が鼻の下にちょび髭を作ってしまい、黎綱は思わず苦笑する。
 林殊が飛流の手元から絵を取り上げた。
 「巧い巧い。よく描けている」
と林殊が褒める。
 「なるほど。目元が景琰で、口許がわたしだな」
 「うん!」
 飛流が大きくうなづく。
 「宗主、―――この絵でよくおわかりになりますね」
 黎綱の眼には、福笑いのようにしか見えなかったが……。
 「わかるとも。飛流はなかなか絵心がある」
 林殊は満足げに飛流の絵に見入っている。
 そして言った。 
 「飛流。この絵は大事にする。―――ありがとう」



   * * *



 今日もまた靖王府で過ごしてしまい、景琰はすっかり暮れた空を見上げた。
 王妃は、悪阻が重い。しかも、昨夜、ひどい出血があって、子が流れかけた。今日になってどうにか落ち着いたが、当分絶対安静だと侍医が言う。
 王妃はもちろんこれが初産になるが、景琰にとっても、三十路に入っての、初めての子である。気が揉めてならなかった。
 何をするでもなく、ついつい王妃の身近にいてうろうろする日が続いている。自然に、林府への脚が遠のいた。毎日、皇宮からまっすぐ林府へ帰っていたのが、いったん靖王府へ戻って王妃を見舞うようになり、そのうちに靖王府で過ごす時間が長くなって、日が暮れてからようやく林府を訪れるようになった。それもやがて、毎日が二日に一度になり、三日に一度になろうとしている。
 (小殊は何をしているだろう)
 片時も頭から離れはしない。林殊に会いたくてならなかったが、王妃の腹に宿る我が子のことも気にかかる。子が無事に生まれるのを、林殊も楽しみにしている。
 赤子は男だろうか、女だろうか。林殊ならどちらを喜ぶだろう。男であれば、幼い頃の林殊のように、利発で闊達な子に育ってほしい。
 そんなことを思って、景琰は身が二つに割かれる思いで、回廊を行ったり来たりしていた。せめて、三日。王妃の具合が安定するまでは、と思う。そうしたら、一目散に林殊のもとへ馬を駆ろうと。そう思っていたのだ。
 そこへ。
 「殿下。甄平どのが……」
と戦英が知らせに来た。
 「甄平が?」
 振り返るより早く、甄平が庭へ駆け込んできた。
 「殿下っ!」
 息せき切って、甄平は景琰のそばに片膝をつき、頭を深く下げた。
 「どうか。どうか林府へお帰りください。宗主が……。宗主が、お倒れになりました」
 景琰は大きく目を見開いた。
 「小殊が!?」
 なぜ、と尋ねる余裕もなかった。
 「馬をひけ!」
 景琰は戦英に、鋭くそう命じた。
 


   * * *



 「小殊―――?」
 とっぷりと日の暮れた道を急いで林府へ駆けつけた景琰は、出迎えた林殊を見て呆気にとられた。
 「倒れたと聞いたが、その……」
 林殊の頬や肩や腕をさすり、無事を確かめる。
 「わたしが? 担がれたのでは?」
 くすっと笑った林殊に、俄かに怒りがこみ上げた。
 「甄平がわたしをか? 冗談にしてはたちが悪かろう?」
 そして思ったのだ。甄平が己の独断でそんなことをするだろうか、と。仮にも自分は皇子の身である。
 「わたしを、たばかったのか」
 そう言った途端、林殊が少し驚いたような顔をした。
 そんな顔をして見せても無駄だ。子供のころから、林殊には随分騙された。だが―――。
 「ついてよい嘘と、悪い嘘がある。それくらいわからぬお前ではあるまいに」
 どれほど案じたことか。
 まだ見ぬ我が子への思いを振りきってまで駆けつけてきたのだ。冗談ではすまされぬ。
 「景琰、わたしは……」
 少し狼狽えた様子の林殊が、腹立たしい。今更悔いたとて、もう遅いのだ。
 無念だった。斯様につまらぬことで、最愛の者に腹を立てねばならぬことが。
 景琰は見開いた目を宙に彷徨わせながら、大きなため息をついた。 
 「―――悪戯も、度を越せば笑えぬ」
 そう言い捨てて、景琰は踵を返したのだった。


 あとに残された林殊は、一歩も動くことが出来なかった。
 追いすがることも、名を呼んで引き留めることさえ。
 景琰の、蔑み切った目。
 一言の、弁解も聞いてはくれなかった。
 「宗主……」
 おろおろして黎綱が林殊の顔を見る。
 しばらく景琰の去った方を眺めていた林殊は、悄然と視線を足元へ落とした。そして、命じる。
 「黎綱、―――馬車を」
 「は?」
と黎綱は訊き返した。

 林殊は口辺に、あるか無きかの微笑を浮かべた。

 「―――廊州へ、帰る」
  
 
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