琅琊榜.風中の縁

蒼き狼 4 (『琅琊榜』『風中奇縁』)

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これにていったん一区切り。靖蘇に続きますが、またこの『蒼き狼』の続きも書きそうな予感。

 石風は家職と謹言からさんざんに小言を受けている。
 「なぜ一番に石舫に知らせに戻らなんだ!」
 「九爺に何かあったら、ただではすまさぬところだぞ」
 石風は小さくなって畏まっている。
 「もうそのくらいにしてやってくれ」
と、牀台に横たわったまま、莫循が助け舟を出す。
 「あの森を抜けてこの屋敷へ走るには、よほどの覚悟が要ったろう。どこに奴らが潜んでいるともしれぬのだからな」
 あの折りは、林府へ走るのが一番の良作であったと思う。恐らく謹言らもわかってはいるのだ。わかっていながら、言わずにおれぬのだろう。
 「九爺はまたそのように甘いことを」
 「そもそも日頃からもっと武芸の鍛錬もせよとあれほど……」
 「謹言。もうよいと言っているのだ」
 幾分厳しい声音で、莫循が謹言の言葉を遮った。いつまで言ったとて埒が明かぬ。
 「―――はい」
と謹言がしぶしぶ黙った。
 「貴様ら、いい加減にここで喚くのはやめんか。ますます莫循の熱が上がる」
 藺晨のその言葉に、家職が心配そうな顔をする。
 「その、九爺のお身体は大丈夫なので?」
 「今日明日は熱が引かんだろうが、大事はあるまい」
 事もなげに藺晨が答える。
 「これが本物の長蘇であったらひとたまりもなかったであろうが……」
 ほっそりして見えても鍛えた身体には程よく筋肉がついて、それが夏江の打擲から骨や五臓を守ったのであろう。
 「全く、人違いでこんな目にあわされてはたまったものではありませぬな。梅宗主にも一言文句が言いたいところだ」
 「謹言、いい加減にせぬか」
 つい不満を口にしてしまう謹言を、また莫循が窘める。
 藺晨は溜息をついた。
 「いいから、貴様ら、もう出ていろ」
 医者の言とあって、三人はしかたなさげに部屋を下がっていった。

 寝床の中の莫循が、ようやくほっと息をつき、ぐったりと目を閉じた。
 それを見て、藺晨が苦笑いする。
 「親しい者たちの前で迄、無理をするのだな」
 そう言われて、莫循は重そうに瞼を開く。
 「―――心配を、かけたくないだけだ」
 藺晨は牀台の脇に腰を掛けて笑った。
 「心配くらい、させてやれ」
 すると、莫循が少し瞬きしながら藺晨の顔を見上げる。
 「―――貴方は時々、不思議なことを言う」
 いぶかしげなそのさまが妙に幼げに見えて、藺晨はまた笑みをこぼした。
 「人の心とは、そういうものだ。あまり杓子定規に考えるな」
 脈を診ようと手をとりかけて、ああ、と藺晨は手を止める。縄目を受けた両の手首はひどく傷ついていたため、今は白い包帯で覆われていた。脈をとれるはずがない。
 しかたなく莫循の上へ屈み込んで、その首筋に触れた。
 「あ……」
と莫循が小さく声を漏らす。
 「なんだ?」
 「いや、なんでも」
 そう言って、少しだけ顔を背けた。
 「ああ、すまん」
 藺晨がようやく気づいて、莫循の頬に垂れた自分の髪をよけてやる。
 「―――いや、よい香りがする、と思っただけだ」
 「よい香り?」
 「薬草の清らかな香りが」
 ぷっと、藺晨は笑った。
 「それはおまえのほうだろう?」
 「そうではない。この髪から……」 
 莫循がなにげなく、藺晨の髪を一房握った。
 その刹那、目と目がまともにあう。
 思わず莫循は藺晨の髪から手を離し、目を背けたが。
 「―――俄かに脈が速くなったぞ?」
 まだ首筋に指先を当てていた藺晨が、面白そうに笑った。
 「―――不意に、林宗主のことが気になっただけだ」
 そう切り返されて藺晨は鼻白む。
 「長蘇が?」
 「こんなことになって、さぞご心痛かと」
 夏江と滑族の残党らは、既に林府へ引き立てられていった。林殊が彼らを検分したことだろう。
 「なにがご心痛なものか。あれはなかなか図太いゆえ。夏江が少々吠えたてたところで痛くもかゆくもあるまい」
 「いや、夏江ではなく、むしろ―――」
 「どうした?」
 あの女。靖王妃に仕えていたという。
 此度の件に、靖王妃は全く関りがないであろうが、靖王妃の名が挙がるだけでも林殊にとっては複雑な思いに違いない。 
 「―――藺晨どのは、林宗主と仲がよいのだな」
 不意に関係のないことを言われて、藺晨はきょとんとした。
 「仲が良い? わたしと長蘇が?」
 莫循が目を伏せた。
 「―――今でも長蘇とお呼びになる」
 「わたしにとっては、出会ったときから梅長蘇だ。林殊など知らん」
 藺晨があっさりそう答えると、莫循は少々困惑したような顔をした。
 「そういうものか……」
 「そういうものだ。今も、江左盟の宗主は林殊ではなく梅長蘇だ。林宗主と呼ぶお前のほうが間違えている」
 言われて莫循は曖昧にうなづき、そして少し考えてから言った。
 「―――見舞ってさしあげてくれ」
 「は?」と藺晨が問い返す。
 「怪我をさせられたのはお前のほうだ。あちらはただの風邪だぞ? 晏太夫という名医もつけてある」
 呆れたようにそう言った藺晨の顔を、莫循は見つめ返した。
 「わたしの怪我は日にち薬で治るが、梅宗主は―――」
 その先は、うまく言えなかった。
 


   * * *


 
 「莫循どのが、そんなことを?」
 林殊がすこし目を瞠る。
 藺晨は勝手に茶を淹れて飲みながら、うなづいた。
 「それで来てみれば、案の定このざまだ。お前という男はどこまで病と仲が良い」
 林殊は昨日の風邪をこじらせたと見えて、臥せっていた。
 「莫循どののほうが、ひどい目にあったというのに、わたしがこの体たらくとは、まことに面目ないな……」
 笑おうとして、林殊は咳き込んだ。
 「すぐにも莫循どのに詫びにゆかねばならぬというのに」
 すまなそうな顔をした林殊がさすがに不憫になって、藺晨はその細い肩に布団を引き上げてやる。
 「気にするな」
 そう言って、ふと藺晨はさっきから気にかかっていたことを口にした。 
 「亭主はどうした?」
 林殊は一瞬間を置いて、答えた。
 「―――参内している」
 今回の件を、林殊は景琰に伏せたかったが、結局はそうもいかなかった。景琰は今頃、皇帝に事の顛末を報告していることだろう。
 「女房が病だというのに」
 藺晨が眉をひそめた。
 「しかたあるまい。立場というものがある」
 そう言って、林殊は笑ったが。
 「……難儀なものだな」
 さぞ心細かろうと藺晨は思ったのだ。かつて、琅琊閣にいた頃、そして廊州でも、梅長蘇が臥せれば、藺晨は必ずそばにいてやったものである。人一倍負けん気強いくせに、人一倍寂しがり屋でもあるのだ、梅長蘇という男は。
 「―――それゆえ、わたしに嫁げばよかったのだ」
 人妻とわかっていながら、ついそんな言葉を口にしてしまう己を、藺晨は内心笑った。
 林殊も苦笑いする。
 「……お前に嫁ぐ者は、果報者だな」
 「そうだとも。お前はその果報を自分で手放したのだ」
 藺晨がそう言ってのけると、林殊が小さく吹き出した。
 ふたり、しばらく笑いあう。
 ―――-そして、林殊が言った。

 「わたしも、幸せだ」

 そう言った笑顔に、嘘は見えなかった。 

 「―――そうか。ならば、よい」
 藺晨は微笑んでうなづいた。

 

   * * *



 「幸せだと、そうおっしゃったのか」
 莫循が仰臥したままそう言った。
 「―――ああ」
 林府と石舫、所は変われど同じ顔の相手が同じように臥せっている。さすがの藺晨も混乱せざるをえなかったが。
 知るほどに、ふたりの違いを感じぬわけにはいかなかった。林殊には林殊の、莫循には莫循の、脆さと強かさがある。
 「わたしも誰ぞに、あんなことを言わせてみたいものだな」
 藺晨は、茶杯を口に運びながら笑った。
 「お前はどうだ?」
と不意に言われて、莫循は目を大きく見開いた。
 「わたしとお前ならば、申し分ない縁組となる」
 にやりと笑った藺晨に、莫循があきれて息をついた。
 「―――莫迦なことを」
 だが、藺晨は怯まない。茶杯を置いて、莫循に顔を寄せた。
 「琅琊閣と石舫が手を組むことになるのだぞ? 天下に敵なしではないか」
 莫循は、顔を背けた。 
 「わたしは誰かと結ばれることなど、考えたこともない。―――子さえ成せぬ身ゆえ」
 その言葉に、藺晨は思わず笑った。
 「おいおい、そもそもわたしとお前の間に子など望んではおらぬぞ?」
 なにしろ、男同士である。
 莫循は一瞬きょとんとして藺晨の顔を見、それから自分も苦笑した。
 「ああ……。それもそうだ」
 「―――これまでそうやって、おなごを断ってきたのか」
 藺晨の問いに、莫循は少し眉を曇らせた。
 「断ってはおらぬが、妻を娶ることは―――諦めていた」
 そう言った莫循の頬に、藺晨はそっと手をやった。

 「……妻など娶らずともよい。―――わたしと、夫婦の杯を交わそうではないか」
 自分の頬に当てられた手を一瞥し、莫循は微笑んだ。
 その手に己の手を添えて、そして、こう答えた。

 「―――考えておこう」
と。


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~ Comment ~

ええと…

遥華さま

九爺さまが無事に救出されて良かったです。
そして藺晨、相変わらずのオトコマエ、素敵素敵~!!!
久々に、靖王妃の乳母さんがご登場でしたね。
濃ゆそうなお顔立ちで面白そうだったのに、ドラマ本編では登場シーンが少なくて残念でした。

遥華さんに質問です。
今後、この藺晨は、人妻宗主にちょっかい出しつつも、九爺さまと結ばれることになるのでしょうか???
いえ、もはや藺晨がカッコよければ、何でもいいのですけど(笑)

>>Rintzuさん

今後、この二人についてのエビソードとかはまだ全く考えてないのですが
このお話の中では、靖蘇・藺循で進んでいくと思われますw
藺蘇なら藺晨が尻に敷かれつつも実質的には完全保護者だと思うのですが、
藺循ならよいパートナーになれそうな気がします。

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